通路 



朝、千鶴が受付を通る時、エントランスの柱のところで総司が受付チームの女の子二人と笑いながら何か話しているのを見かけた。
午前中、総務に用事があって階段を昇っていると踊り場の所で総司が経理の女の子に呼び止められているのに出くわした。
そして昼、千鶴が仕事のせいで遅くに社員食堂に入っていくと、めずらしく総司が一人で昼食を食べているのを発見した。
総司のことをもっと知りたい、話したい、と千たちには言ったものの具体的に行動に移せていなかった千鶴は、勇気をだして話しかけようとした。『ご一緒していいですか』と。
しかし口に出す前に、千鶴の脇をサービス部の女性社員がすり抜けて先に総司に声をかけてしまった。
「こんにちは沖田君。ここ、いい?」
総司の『どうぞ』という声を背中に聞きながら、千鶴はしょんぼりと一人で社員食堂の端の机に座った。仕事を一緒にしたことがあるのか、そのサービス部の女性と総司は楽しそうにしゃべりながら昼食を食べている。先に食べ終わった総司は、『じゃあお先に』と先に席をたってしまっていたので、「同僚との昼食」であって「デート」ではない。しかし話しかける勇気もない千鶴には、安心するような要素はまったくなかった。

「そうなのよ」
午後、その話を千たちとしていると、彼女は大きくうなずいた。
「これまでは女性に興味がないのか、それとも結婚間近の彼女でもいるからそういう気がないのか、ってんで手をだせなかったんだけど、千鶴ちゃんとデートしたでしょ?あれで『その気はあるらしい』ってのが一気にひろまっちゃったみたい」
「そうなんだ……」
自分が目にしただけであんなに女性がまとわりついていたのだ。実際はもっともっとお誘いやらお招きやらがたくさんあるに違いない。これでは一歩進んで百歩下がっているのではないか……
千鶴は肩を落としたまま完成した決裁をまとめて、立ち上がった。
「契約部に行ってくる……」
憔悴した様子で立ち上がる彼女を、同じ担当の女性たちは心配そうに眺めた。千鶴はぼんやりとフロアを見渡して……
そして、総司の横ではない通路へと足を進めたのだった。


総司は視界の端にピンクのスカートが見えた気がしてパソコンから顔をあげた。
脇の通路を見てみると、ゴミを回収にきている台車のピンク色だと気づく。そのまま視線をあげて、なんとなくフロアを見渡してみると、第二担当の所から別のルートでオフィスの出口へと歩いて行っている千鶴が見えた。
「……」
総司は椅子の背もたれによりかかり千鶴を見つめる。
「……最近あの子、ここの道通らないですよね……。僕がきつく言っちゃったからかな?別に本気で邪魔だって思ってたわけじゃなかったんですけどね。夕飯を一緒に食べた後も、それだけでなんのフォローもしてないし、脇の道も通らなくなっちゃったし、もしかして僕嫌われて……」
「妙なアテレコやめてもらえますか、左之さん」
総司は凍えるような視線を、後ろの席の左之に投げた。こっそり総司の口真似をしていた左之は、にやっと笑い椅子を総司の方へとむける。
「アテレコじゃねーよ。お前の心の声ってやつ?」
「左之さんの妄想でしょ」
「気にしてるくせに」
流し目で言う左之に、総司は無言だった。頬が少し熱いのは、心の奥底で図らずも図星だったからだろう。
「……」
総司は黙って立ち上がる。
「千鶴ちゃんによろしくな」
左之のからかうような言葉には振り向きもせず、総司はそのまま千鶴の後を追ってオフィスを出て行ったのだった。


契約部で押印してもらった決裁を、そこの書棚の上の段にあるキングファイルに閉じようとして、千鶴は一生懸命背伸びしていた。ちょっと行ったところに台があるのでそれを持って来れば楽々届くのだが、ここの書棚の上の段は、千鶴でも背伸びして頑張れば届くのだ。

あとちょっと……!

千鶴がつま先立ちになったとき、ひょい、と目当てのキングファイルが後ろから取り上げられた。
千鶴が視線を後ろに巡らすと、そこには総司が立っていた。
「おっ沖田さん……!」
総司は無表情で無言のまま、キングファイルを千鶴に手渡す。
「あ、ありがとうございます……」
千鶴が受け取り礼を言う。しかし総司はそのまま立ち去らなかった。
「あの……」
「足、大丈夫だった?」
唐突な言葉に、千鶴は目を見開いて総司を見上げた。総司は視線をそらして、ムスッとした表情をしている。
「足……?」
「靴ずれ。してたでしょ?」
「ああ…!はい、すいませんでした。靴を変えたんでもうすっかり……」
総司は千鶴の顔をみて、にっこりと笑った。
「そ。それならよかった。じゃね」
そう言って背を向けると、総司はそのまま立ち去る。
千鶴は至近距離で見た総司の笑顔があまりにもかわいくて、素敵で、さわやかで、しばらくそのまま茫然と立ち尽くしていたのだった。






BACK  NEXT


戻る