スペイン料理2
ちょうど空いていた席に案内されて、総司と千鶴は向かい合わせに座った。
気軽なスペインの居酒屋風レストランで、あちこちで客がにぎやかに騒いでいる。総司は、注文を取りに来たウェイターに、先ほど千鶴と話し合って決めた二人用のコースを注文した。
「食前の飲み物はどうします?」
ウェイターの問いに総司が答える。
「僕はビール……と、千鶴ちゃんはビール苦手なんだったっけ?白ワイン?」
尋ねるように千鶴を見た総司に、彼女は驚いた顔をした。
「そ、そうです……覚えてくださってたんですか?」
「え?ああ、まぁ……」
何かまずいことを言ってしまったような気がして、総司はごまかすようにあいまいに頷くと、ウェイターに白ワインをボトルで注文した。
確か半年前の年度初めの部での全体飲み会での出来事だった。社員食堂での立食形式で、出されたアルコールはビールのみ。ビールの苦手な千鶴と、飲み会終了後にまた仕事に戻る予定だった総司は、ウーロン茶の置いてある机を探して、偶然そこで一緒になったのだった。
隣の担当だから、お互い顔は知っているし挨拶ぐらいはかわす。飲み会でもどちらからともなく話を始めた。
「あの時……、初めて沖田さんといろいろお話出来て、すごく驚いたんです」
「え?」
何か驚くような話をしただろうか、と総司はメニューを置きながら記憶を辿るが思い当たらない。
「いつもすごく真剣に仕事をしてらして、すごいなぁって思ってたんですけど、それが社長の近藤さんのためだって……」
「ああ……」
そのことか、と総司はうなずいた。それなら千鶴に話した覚えがある。
自分が入社したときに、縁故採用だと散々陰口をたたかれていたのを知っていたので、総司は自分と近藤との関係や、近藤へ対する思いについては決して社内の人間には話さないようにしていた。仕事の内容で納得させてやろうと、意地になっていたところもあるのかもしれない。その甲斐もあって、今では陰口をたたくやつはいなくなったが、あいかわらず近藤とのことは誰にも話していなかった。
それがなぜか……あの時だけは、思わず話してしまった。
千鶴が他の女子社員のように、おおげさに驚いたり、くすくすと不自然に笑ったりしなかったからかもしれない。妙に好奇心満載でギラギラした目でいろいろ聞いて来たり、個人的な話をしてきたりしなかったからかもしれない。とにかく、心の落ち着くような声のトーンで、普通に話せたので、総司も思わず近藤とのこと、自分が近藤の役に立ちたくて早く一人前になりたいと思っていること、などを話したのだ。
そして、優しい彼女の微笑みを見て、『可愛い子だな』と初めて認識した。そして何か……いい匂いがすることも。人工的な匂いではなく、シャンプーや洗剤の匂いでもなくて……、千鶴の周りの空気の匂いというか…、とにかく総司は、いい匂いだと思った。
まぁ、それでもその時はそれっきり。それ以降廊下ですれ違った時は会釈する程度で特に会話もかわさなかった。
でも今、自分の向かい側で、何故か嬉しそうに微笑んでいる千鶴を見ると妙に心が浮き立ってくるのを感る。先輩の原田の策略に乗せられたような気になっていたが、
今のこの時間は……正直楽しい。
ダウンライトの灯りの下の千鶴はやけにキレイだし、鎖骨の下あたりで揺れているピンクの石はつやつやしていて……ついつい手を伸ばして触りたくなってしまう。真っ黒の髪は、白いシーツに映えるんじゃないだろうか……
コースが進み、千鶴と楽しく会話をしながらも総司はそんなことを考えていた。
食後のコーヒーを紅茶を持ってきてくれたウェイトレスと千鶴が何事かを話している時も、総司は千鶴の白いしなやかな手をぼんやり見つめていた。
骨があるとは思えないくらい柔らかそうで真白で……
考えるつもりはないけれど、原田の言葉が頭をよぎる。
『これから一週間に二、三回くらい誘って……』
『いきなり手は出すなよ……』
「あら、デザートのケーキ、お口に会いませんでした?」
ウェイトレスの問いに、千鶴は申し訳なさそうに微笑んだ。
「いえ、チョコレートケーキ、大好きなんですけどお腹がいっぱいで……」
「お持ち帰りもできますよ?こちらの方も召し上がってらっしゃらないですし。お包みしましょうか?」
「いいんですか?じゃあ私のはお願いします。沖田さんは……沖田さん?」
ぼんやりとこちらを見た総司に、ウェイトレスが聞く。
「こちら、お持ち帰りされます?」
そう言ってウェイトレスが手のひらで指し示したのはケーキだったのだが、別の事を考えていた総司には、千鶴を指し示しているように見えて……
「持ち帰りません!!」
怒っているような総司の口調に、千鶴とウェイトレスは驚いた。
「お、沖田さん……?ケーキ、お嫌いですか…?」
「も、申し訳ございません」
謝る二人に、総司はケーキのことを言っていたのかと気が付いた。
左之さん……!
原田には全く罪はないのに、何故か総司の心の中で激しく罵られていた。
店を出て、帰ろうと歩き出したとき千鶴が総司を呼びとめた。
実は千鶴は、何とか今後も総司とのつながりを持ちたくて、携帯電話の番号とメールアドレスを今夜聞こう!と決心していたのだった。
「何?」
総司は振り返り不思議そうな顔で、真っ赤になっている千鶴を見る。
「あ、あの……あの…」
「?」
千鶴が思わず一歩踏み出そうとしたとき、足に痛みが走った。
「いたっ……!」
思わずつまずいた千鶴を、総司が手を差し伸べて支える。千鶴は、す、すいません……と赤くなって自分の踵を確かめた。
高いヒールのパンプスを少しずらすと、痛そうな靴擦れができている。
総司が眉をしかめた。
「……いつから?店の中では歩かなかったから、店まで来るときにもう痛かったんじゃないの?どうして言わなかったの」
いらだったような総司の口調に、千鶴はビクリと肩をすくめた。
「す、すいません……ほんとに気づいてなかったんです。この靴、さっき友人から借りたばっかりで……」
「なんでそんなことするのさ。履きなれた靴でくればよかったのに」
総司の不機嫌に千鶴は泣きたくなった。
総司に少しでもかわいいと思って欲しいという千鶴の愚かな行動のせいで、楽しい夜の最後がつまらなくなってしまった。いたたまれなくて気まずくて、千鶴はうつむく。
総司は溜息をつくと、すぐそこに見えている大通りを指差した。
「あそこまで歩ける?」
10歩くらいの距離に、千鶴はうなずいた。総司は千鶴に手を貸してゆっくりと大通りに向かうと、手をあげてタクシーを停めた。
驚く千鶴を急き立ててタクシーに乗せると、総司はタクシーには乗らずにバタンとドアを閉めた。そして運転手に5千円を渡す。
「おつりはいいんで、彼女の家までお願いします」
そう言うと、タクシーから一歩離れる
「おっ沖田さん……!大丈夫です!私、これくらい……」
慌ててそう言う千鶴の声は、タクシーが発進したせいで総司には届かなかった。
こうして、どちらにとってもたいした成果はないまま、最初のデートは終了したのだった。
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