お泊り2
「左之さん、ほら早くしてくださいよ」
「もうちょっと待てって。この計算式をいれて……う〜!ほらみろ!あせらすから間違えちまったじゃねぇか!」
金曜日の就業間際、左之はいらいらと横から一緒に画面を覗き込んでくる総司をうっとうしそうに追いやった。
「どうせ今日も残業なんだろ?ちょっと休憩してこいよ。その間に数値だしとくからよ」
「今日は僕は千鶴ちゃんとデートなんですよ。定時にあがります。左之さんのその数値を決裁にいれてあげないと帰れないんですよ。もう後数字を入れるだけなんでから早くやってください」
「なんだよノロケの上に早くやれってひでぇな、お前」
さのはぶちぶちと愚痴りながらももう一度最初から計算をし直していく。
「んで?お前らどこまでいってんだ?」
ディスプレイから視線を離ささずさり気なく聞いてきた左之の言葉に、総司はあやうく「今夜ですよ」と素直に話しそうになった。
「……なんですかいきなり」
「いや、ほらだってよ、バレンタインの時のお邪魔虫、俺けっこー気にしてんだぜ」
本当に申し訳なさそうな左之を見て、総司は苦笑いをした。
「別にあれは左之さんが悪いわけじゃないじゃないですか」
「そうは言ってもよ。同じ男としては気持ちがわかるからなぁ。新幹線に連れ込んじまうほど一緒にいたいっていう気持ちのまま突っ走りてぇもんだろ、普通は」
しみじみと言う左之に、総司は沈黙した。
まぁ…そうだ。左之は実際良い奴なのだ。変なイヤミや僻みもないし、悪いこともいいことも教えてくれるアニキのような存在だ。最初から千鶴との事ではお世話になっているといえばいるし、うまくいっている(いきそう?)なことくらい、伝えておいてあげた方が安心するのかもしれない…
総司が口を開こうとしたとき、左之が言う。
「……で?どこまでいってんだよ?」
左之の表情を見ると、アニキの面影などまったくないデバガメ根性丸出しのにやけ顔だ。総司の感謝の念はスッと冷めた。
「ノーコメントです。それより早く計算してくださいよ。定時までに終わらなかったら殺しますよ」
冷たく即答した総司に、左之は舌打ちをして今度は本格的に計算をしだした。
「ごめん!」
待ち合わせは例のモニュメント。
今日の遅刻は総司の方だった。結局左之の仕事が終わったのが定時で、それから決裁をやっつけて出てきた総司は、待ち合わせの時間から10分遅れていた。
ギギギギ…と音がしそうなくらいぎこちなく、千鶴は総司の方を向き、無理やりな笑顔をつくる。
「だ、大丈夫です」
「……」
わかりやすく緊張している千鶴の様子に、総司は顔をひょいとのぞきこんだ。
「……千鶴ちゃん?」
至近距離に現れた総司の顔に、千鶴は驚いて後ずさる。
「き、きゃあ!」
「しーーーー!」
バレンタインの時、抱きついて叫ばれた二の舞にならないように、総司は慌てて千鶴の口を押えた。幸い近くにいた2,3人がちらりと総司達を見た程度で、大方の人は何事もなく通り過ぎていく。
総司に抱えられて手で口を押えられているせいで、茹蛸のように赤くなっている千鶴を見て、総司は溜息をついて手を離す。
「まったくもう、意識しすぎだよ。そんなんで今夜大丈夫なの?」
「!」
あいかわらずあけすけな総司に、千鶴はさらに固まった。
「……だ、大丈夫じゃないです…って言ったらどうなりますか……?」
「もう無理」
即答での却下に、千鶴はがっくりとうなだれた。今度は総司がムッとする。
「何?そんなに僕がいやなワケ?」
「ちっ違います!沖田さんが嫌なんかじゃないです!と、いうより突然すぎて……」
そこまで言って千鶴は考え込む様に言葉を止めた。そしておずおずと提案する。
「あ、あの、私の家に入る前に、ちょっと……30分くらいどこかで時間を潰して来てもらえませんか?」
「はぁ?」
意味不明の提案に、総司が「なんで?」「どうして?」としつこく食い下がると、千鶴はようやく本当のことを話しだした。
「部屋が汚い……ね…」
二人で駅に向かって歩きながら、総司が呆れたように言うと、千鶴はむきになってさらに言いつのった。
「部屋だけじゃなくて、お風呂も……あ、あと台所も片付けたくて…それにできればお洗濯も…!」
「あのさぁ…年末の大掃除でもするつもり?小姑じゃないんだからそんなところ見ないよ。はっきり言って目に入らないね。それより30分もお預けくらって外で待ってる方が虚し過ぎる。僕は千鶴ちゃんの裸を見に行くんであって部屋とか風呂の汚れを見に行くんじゃないんだから」
正々堂々と真顔で言う総司に、千鶴は迫力負けだった。
「はあ…そう…ですか……・。私の裸…あっ!」
「今度は何?もうこの際だから不安があるなら全部ぶっちゃけちゃってよ」
駅に着き、総司が切符を買い千鶴が定期を取り出す。
「その……、その……」
どういう流れでそういうことをするんでしょうか?
まあ聞きたいことはそれにつきる。千に聞いておこうと思っていたのだが急に仕事が立て込んで時間がゆっくり取れなかった。帰り際に少しだけ聞いたところでは『沖田さんにまかせておけばいいのよ!』の一言だけ。
しかし総司が風呂に先に入らせてくれなかったらどうすればいいのだろう?というか本当に今日そういうことになるのだろうか?なんだか総司はとっても普通で、緊張しているのは千鶴だけのような気がするのだが。もしかして自分が考えすぎで、恥ずかしい間違いをしていたらどうしよう……!!
千鶴はほとんどパニック状態だった。
二人で千鶴の家へとつながる路線の電車に乗りながら、総司はテンパっている千鶴をニヤニヤと見つめる。
緊張して固くなっている千鶴もかわいい。優しく緊張をほぐして、少しずつ心を……そして体も開かせるのは男冥利につきる。真っ白な布を自分の好きな色に染め上げていくと言うか……
少し混んでいる車内に乗じて、総司はさり気なく千鶴を抱き寄せた。いつも通り柔らかい千鶴の匂いが総司を包む。
顔を覗き込むと、案の定頬を染めて、総司のネクタイの結び目を凝視して固まっている。
総司はフッと笑うと、千鶴の耳元に唇をよせて囁いた。
「……大丈夫、優しくしてあげるから」
千鶴の家の最寄駅からは、また二人で手をつないで歩く。
全く口を開かないし目もあわさない千鶴を見て、総司は苦笑いをした。
あらかじめ予告なんかしないで、普通に週末昼に家におよばれしてそういう雰囲気に持って行った方がよかったかな……
でもそうするとこの子の鈍さからすると、本当に直前の直前までそういう展開に気づかなくてすごい驚かれたりしそうだしね
やっぱり心の準備をしておいてもらった方がいいかと思ったんだけど、この様子じゃあ……
右手と右足が一緒に出ている千鶴を見ながら、総司は笑いをこらえる。
総司の方だってかなり緊張はしているのだ。千鶴は大事な……とても大事な女の子だし、初めてだし、無理やりキスされたトラウマもあるようだし、自分がヘマをしてしまったせいで彼女を傷つけたり今後の関係がうまく行かなくなってしまうことが怖い。
だからこそ焦らずに、総司にしては珍しく四か月も待ったのだ。もっと待ってあげた方がよかったのかもしれないが、ただ待つだけでは彼女は永遠にそっち方面について準備ができそうになかった。そして総司はもう待ちきれなかったのだ。
バレンタインの夜に、何かが溢れたことを総司は自覚していた。
そして溢れてからわかった。自分はかなりの臆病者なのだということが。
代えのきかない大事な物を作ることが怖かった。人と真剣に向き合うことを無意識に避けていたのだと思う。真剣に向き合わざるを得ないような女の子とはつきあわないようにしていたというか。
当初、千鶴を見るとイライラしていたのは多分そのせいもあったのだと思う。何故か気になってしまう。何故か見てしまう。そしてついつい関わりを持ってしまい、ふりまわされている自分にまた腹が立ち……。
しかし一度受け入れてしまえば、楽になった。無意味な抵抗をしなくていい分、彼女のことを思っていられる。
そして次に怖がっているのは、自分のこの強い欲望だった。
彼女のすべてが欲しくて、他の男は見て欲しくなくて、彼女にも同じ思いを持って欲しくて。
そんな我儘を言っても、千鶴なら困ったように笑って受けれてくれるような気がする。そしてそれに甘えて自分はどんどん貪欲になっていき、彼女を困らせるのだろう。
でももう止められない。
彼女のすべてを手に入れなくては気が済まない。
総司は隣を歩いている千鶴を見る。
これが人を好きになるということなんだ。
自分を全部出して。
でも相手を傷つけないように気遣って。
相手にも全部見せてほしい。汚いところも綺麗な所も。
全部愛おしく思える自信がある。
そして自分もすべて受け入れて欲しい。
ああ、また溢れそうだ。
総司は走り出しそうになる思いを、ぐっと唇を噛みしめてこらえた。
彼女は付き合う事すら初めてで、男のこんな感情を受け止めることなどできないだろう。
もうちょっと頭冷やさないと……
総司は一度深呼吸をして辺りの景色を見る。そしてコンビニに気が付いた。
「千鶴ちゃん」
相変わらず足と手を同時に出している千鶴に、総司は声をかける。
「ちょっと寄っていい?」
「え?」
「コンビニ」
ポカンとしている千鶴に、総司が手でコンビニを指し示すと、ようやくわかったのか千鶴はうなずいて方向を変えた総司についてきた。
「そ、そうですよね、そういえば……歯ブラシとか…」
多分、どのタイミングで歯を磨くのかを悩んでいるのだろう千鶴を見て、総司はニヤリとほほえんだ。
「そんな健全なのじゃなくてさ。もっと不健全なのを買わないと」
「ふけんぜん?」
「ゴム」
総司の髪に移された千鶴の視線は、もちろん総司の想定の範囲内だ。
「うん、そっちじゃなくてね。まあいいや行こう」
このコンビニは、駅から千鶴のマンションまでの道に一つしかないコンビニで、オーナーも気さくな人で千鶴と顔見知りだった。
千鶴が総司と二人で入ると、たまたまレジにいたオーナーが、おや、という顔する。千鶴が男連れなのは初めて見たからだろう。千鶴は頬がかーっと熱くなるのを感じた。軽く会釈して視線を自分の手に落とす。
商品の整理をしているバイトも顔見知りの大学生バイトだ。
総司はもちろんそんなことには全くきずかず、コンビニの通路を歩いて行く。そして止まったところはシャンプーや歯ブラシ等がおいてある日用雑貨の棚だった。総司が手を伸ばした先を、何を買うのかと千鶴が見ると……
「お……沖田さん……!」
おっこちるかと思うくらい目を見開いて、これまでに見た中で最赤の顔をして、千鶴は総司の腕を掴んだ。
パクパクパク…と言葉にならない思いを全身で表明して、千鶴は総司の顔を見た。そして茫然としたまま首を必死で横にふる。
「ダメって……でもこれ買わない方がダメでしょ」
「〜〜!!!」
ほとんど半泣き状態で、千鶴はそれでも総司の手に抗った。
「だ、だめです…!わ、私、毎夜と毎朝この店で何か買ってて……!」
「いいじゃない。売り上げに貢献してあげたら」
千鶴は首を横に振り続けている。
「お店の人と挨拶するし、男の人とそれを買ったなんて、なんて思われるか……」
「……そんなの決まってるじゃない」
総司はそう言うと、強引に千鶴を引き寄せた。驚いてて少し開いている千鶴の柔らかそうな唇を、総司は自分の唇で躊躇なく塞いだ。
目を見開いたまま固まっている千鶴の肩に腕を回して、総司はこともあろうにコンビニの中でキスをさらに深める。
コンビニのオーナー、店員、数人いた客、全てがキスをしている二人に注目した。じろじろ見るわけにはいかず視線はそらすが、店中が二人を意識した緊張した空気に満ち満ちる。物音が一つもせずに店内がシンとしているのは気のせいではないはずだ。
「……あ…」
総司の唇がようやく離れたときに、千鶴の唇から吐息共に声がこぼれた。
「買ってくるから出口のとこで待ってて」
先ほどまで熱いキスをしていたそぶりも見せず、総司は冷静に千鶴に指示をする。千鶴は催眠術にかかったようにぼんやりと頷くと、黙ってコンビニの出口へとふらふらと歩いて行った。
総司はゴムを手にとると、ためらいもせずレジに行きそれだけを置く。レジのオーナーは二人の雰囲気にすっかり飲まれて、黙ったままバーコードを読み込みそれを袋にいれた。
「……ありがとうございました……」
ちょくちょく寄ってくれる可愛い女の子。挨拶もしてくれるし笑顔もかわいい。
男ができたか……
友達でもないし彼女でもない、姉妹や娘でもないただの顔見知りなのだが、コンビニにいる男たちの胸の中は、やりきれない思いがうずまいていた。
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