薫 3
薫は駅の構内でいらいらと携帯電話を操作していた。
ったく…!夜の9時には帰って来るようにって行ったのにどこをふらふらしてるんだ…!
夕飯は、まぁ別にどうでいい。外には夕飯を食べられるところがたくさんあるから、妹の千鶴が今夜は人と会うので夕飯は自己解決、と言って来た時も別に何とも思わず了解した。
でも門限だけはきっちり言い渡した。
夜の九時。
これはまだ二人が実家にいたころからの通例だった。
人よりのんびりしたところのある千鶴は、自分の身の危険にも無防備で、露出狂に会ったりすれ違いざまに体を触られたり……実家の場所が郊外の田舎だったせいもあるが結構な確率でちかんに会っていた。どこかに連れ込んで云々…というような本格的なちかんではなく愉快犯の親戚のようなものだが、10代の少女にはかなりのショックで、よく泣きながら帰ってきていた。
にもかかわらず、千鶴は生来の能天気さのせいなのか1週間もするとショックを忘れ、また夜暗くなってから無防備に帰って来る。
しょうがなく家族は、暗くなってから帰る場合は必ず家へ電話をすることを千鶴に課した。そうして駅まで迎えに行くのは薫の役。
9時以降に迎えに行くのはさすがに薫もかわいそうだということで、門限は10代の終わりごろから9時に決まった。
その癖がどうしても抜けなくて、薫は千鶴がいると今でも9時に帰ってこないとイライラするのだ。
今日も9時には帰れよと言ったのに、電話の向こうの千鶴は『大丈夫だよ〜うちのマンションのあたりは治安がいいから』と呑気に返事を返していた。それに重ねて『いいから9時だ!』と言い渡してはいたのだが……
だいたい千鶴は無自覚すぎるのだ。10代のガリガリのころはちかんも愉快犯レベルだったかもしれないが、今は妙齢の女性といっていい年齢なのだ。夜道の一人歩きは危険すぎる。薫が家でのんびりしている間に、夜駅から歩いて帰って来る千鶴が、痴漢や犯罪に巻き込まれるようなことがあったら寝覚めが悪すぎる。
だから9時までなら迎えに行くし、9時には帰って来るように言っておいたのに……!
携帯の時計は、もう夜の9時を3分過ぎていた。
呼び出し音すらイライラするが、薫は改札の外、切符売り場で千鶴に電話をかけた。
『はい、もしもし?』
呑気に電話にでた千鶴に、薫はかみついた。
「もしもし?じゃないよ!9時には帰って来いって言っただろう!?電車には乗ってるのか?駅にいるから早く帰ってこい!」
『か、薫…大丈夫って言ったじゃない。まだお店だよ。最後のデザートを食べてるところだし帰るのはもっと遅くなるよ。一人で帰れるから』
「まだ店!?何言ってるんだお前は……あっおい!」
ブチッと耳元できられた通話に、薫の目は冷たく光ったのだった。
「お兄さん?」
デザートのムースを一口食べて、総司が聞いた。携帯電話をしまいながら千鶴は苦笑いをする。
「心配性で……夜の9時をすぎると私が襲われるって信じ切ってるんです」
そんなことあるわけないのに、と笑っている千鶴を、総司は複雑な気持ちで見た。
その兄については、噂話程度だがあまり仲良くなれそうにはないと思っていた、が。今の話については例の兄の言い分に賛成だ。
千鶴は無防備すぎる。男と付き合ったことがないからなのか、男の生理現象や欲望といったものに疎い。物騒な話はたくさん聞くし、できれば本人にももう少し自覚をもってもらいたいが……
「僕が送ってくから大丈夫だよ」
そう。今はそれができる。総司が気を付けてあげていればいいのだ。というよりも……
「それより僕の家に泊まって行けば?」
「え……?」
デザートのケーキから目を上げて千鶴が総司を見た。
「明日は会社休みだし、問題はないでしょ?」
さらりと総司が言うと、驚いたことに千鶴は頬を染めた。
あれ?意味が通じた?
思わず総司も身を乗り出す。どうせ『着替えがないですし、お布団余分があるんですか?』とかズレた質問がくるかと思っていたのに、正確に意図をわかってくれたような千鶴の反応に、総司は手を伸ばしてテーブルの上にあった千鶴の手を握った。
あと一押し!
「大丈夫、優しく……」
「千鶴!!」
突然の大声と、二人のテーブルの横に立ちふさがった人影に、総司の提案はあえなくさえぎられた。
二人でその姿勢のままその人物を見上げる。
「か、薫!?」
どうやら千鶴の噂の兄のようだった。千鶴が総司に握られていた手をパッとひいて慌てたように言う。
「どうしてここがわかったの!?」
「GPS」
吐き捨てるように薫は言うと、ギロリと総司を睨んだ。
「なに、こいつ」
靴底の裏にくっついたガムを見るような目で見られて、総司もムッとする。千鶴が慌てたように二人の間に入った。
「あの、沖田さんこれが兄の薫です。薫、こちらは沖田さんっていって同じ会社の……」
同じ会社の……何?
という顔で、薫と総司双方に注目されて、千鶴は言葉に詰まった。顔がみるみるうちに赤くなっていくのがわかる。
「……同じ部署の……その……お、おつきあいしていただいてる…人です……」
小さくなって滝のような汗をかきながら千鶴が言うと、総司は満足そうに腕を組んで席にふんぞり返り、薫を見上げた。
薫は頬をひきつらせながら微笑んでいる。しかし目が笑っていない。
「……ふーん……つきあってるんだかなんだかしらないけど、こんなに夜遅くまで年頃の娘を連れまわすなんてどんなヤツだか聞かなくてもわかるね」
あからさまな宣戦布告に、総司の笑顔もピシリと凍った。売られたケンカは買う主義だ。それもかなりの高値で。
「どんな年寄りだか知らないけど夜の9時が『夜遅く』ってね。そっちの認識の方がズレてるんじゃない?」
あくまでもお互いの目を見ず、千鶴に言っているのか独り言なのかわからないようなあてこすり合戦となる。
「暗くなってからの女性の一人歩きについて想像もつかない男はダメだな」
ハッとバカにしたように笑って薫が呟くと、総司はムースをもう一口食べた後嘲笑するように言う。
「僕が送ってくし。それより僕の家に泊まりに……」
「おっ沖田さん…!」
千鶴が真っ赤な顔をして二人の会話をさえぎった。そして立ち上がる。
「薫、わかったから。心配かけてごめんね。帰るけどあとちょっとだけ待って。最後の飲み物がくれば終わりなの。あ、お店の人が来てくれたから薫も飲み物だけ頼んだら?」
千鶴は、薫に座るよう自分の隣の椅子を引く。薫は近寄ってくるウェイターと店内での雰囲気をチラリとみて、舌打ちをすると椅子に座った。
「お飲み物はコーヒーと紅茶がご用意できますが、何になさいますか?」
「僕はコーヒー、ホットで。千鶴ちゃんは紅茶だよね?」
仲のいいところをアピールしているように、総司はチラリとイヤミな視線を薫にむけて、ウェイターに紅茶を注文した。ウエイターがにっこりとほほ笑む。
「かしこまりました。紅茶はミルクかレモンかどちらにいたしますか?」
「千鶴ちゃん、どっち……」
総司が千鶴に聞こうとした言葉にかぶせて、薫が答えた。
「ミルク」
薫を見た総司に、今度は薫がフフンという顔をする。
「千鶴はミルクなんだよ、昔からね。そんなことも知らないのによく彼氏とか言えるよね。つきあって3日目くらい?」
「薫…!」
千鶴は薫をにらんだ。
「もう!バカなこと言わないで。知ってることがえらいってわけじゃないでしょう?そんなどっちが知ってるかなんて馬鹿な競争みたいなことは……」
「じゃあ、千鶴ちゃんの最近はまってるお菓子知ってる?」
薫をたしなめている千鶴の方は見もせずに、総司が挑戦的な瞳で薫に聞いた。
こっちも馬鹿だ……と教育が行き届いたウェイターは総司を見て思いながらも、オーダーをメモすると静かに礼をしてその席を後にしたのだった。
「そんな今気に入ってる菓子なんて知っていても何の意味もないだろ。どうせ一週間もしたら飽きるに決まってるじゃないか。もっと本質の話だよ。俺がしてるのは。例えば菓子なら千鶴はクッキー派かチョコレート派か知ってるか?」
薫の問に総司はぐっと詰まった。最近千鶴がはまっているのはすっぱいグミだが、チョコかクッキーかは知らない。バレンタインのチョコもその中間のようなブラウニーだったし……。
「クッキー派だよ。じゃあ好きな色は?」
あからまさまな上から目線で、薫は重ねて聞く。
好きな色……千鶴がよく着ているのはピンクとか水色とかの淡い色のような気がするが……いや、それは総司がその色を着た千鶴を好きだと言うだけか?持ち物はカバンは……茶色だったかな?
「白だよ。じゃあ花は?」
「食べ物は?」
「犬か猫かどっち?」
全てに答えられなかった総司を、薫は楽しそうに見下し、千鶴に言った。
「千鶴、お前全然愛されてないじゃないか。こいつはお前に興味がないみたいだよ」
総司がさえぎる。
「うるさいなぁ!そんな質問恋人同士に全然関係ないじゃないか。そんな質問ならそりゃ兄弟の方が知ってるに決まってるよ!」
「ふーん?じゃあ恋人にふさわしい質問をしてあげるよ。今日の千鶴のぱんつの色は?」
「薫!!!」
それまではもうあきらめ顔で二人のやり取りを見ていた千鶴だったが、さすがに最後の質問は真っ赤になって遮った。
「そんな話はもういいの!ほら、紅茶とコーヒー急いで飲むから!もう黙ってて!」
前は総司と電話の最中に自分の胸のサイズの話を大声でされて、今度はパンツの色……
千鶴は恥ずかしくて恥ずかしくていたたまれない。
今週いっぱい薫は千鶴の家に滞在する予定だったが、もう夕飯はつくってあげない!と心に誓ったのだった。
会計をすませていると、店の外に薫をおいて千鶴がそっと近寄ってきた。
「あの…今日はすいません。兄が失礼なことばっかり言って。せっかく楽しい食事だったのに…」
しょんぼりしている千鶴の表情が可愛くて、ムッとしていた総司の気持ちはするするとほどけた。
「いいよ、別に。千鶴ちゃんが気にすることじゃないでしょ」
「すいません。せっかく誘っていただいたのに……」
そう言ってうつむいた千鶴の顔が、みるみるうちに赤くなる。
「……その…いろいろと…」
消え入るような声でそう付け加えた千鶴に、総司はその恥ずかしがりようから何を言っているのかわかった。総司の家に泊まりに来るよう誘った件だ。
この千鶴の反応から考える限り、薫の邪魔が入らなければ今頃は……!!
一度はおさまりかけた薫への憎しみが、またメラメラと燃え上がった総司だった。
※今日から12日まで5日間連続更新です〜
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