薫 2


「千鶴ちゃんは明日の飲み会来ないって?」
「うん。今週と来週、久しぶりに薫君が来てるから、だって」
「あーそうなんだ。仲いいね」
「せっかくなんだから邪魔しないようにしないと」
ねー!と声を合わせてうなずき合っている女子社員の声が、一階上の階段の踊り場にいる総司の耳に聞こえてきた。
エレベーターを待つのが面倒で階段を使おうとしたのだが、思わず立ち止まって話の内容を聞いてしまった。

薫……くん?

『くん』というからには男だろう。久しぶりに来てる……今週と来週……。
それが千鶴に自分の誘いを断られた理由であることには間違いがない。さらに考えると、彼女の家に行ってもいいか、という誘いを断られたのだ。もしその薫君とやらが昔の友人などで、帰省とかでこっちに帰ってきてるのだとしたら、毎日、しかも家に行くのを断るのは不自然ではないだろうか?たとえば土曜日の夜、とか水曜日の夜、とかそいつと会う予定がある日だけ断ればいい。
つまりこの結論から導き出される可能性は…
薫とかいう男と毎夜会う
薫とかいう男が千鶴の家にいる

いやいやいや…どうせ兄弟とかいうオチでしょ

総司が気を取り直して階段を降りようとしたとき、下の女子社員達の声がまた聞こえた。
「薫君って千ちゃんあったことあるの?」
「うん。かっこよかったよ〜『はじめまして。南雲薫です。』ってキリッて挨拶してくれた」
「なくも?」
「うん、南に雲って書くんだって。変わった苗字だよね」
彼女達がしゃべりながら総司の居る方向へとあがってきたため、総司は思わず階段をのぼって元いた8Fのオフィスフロアに戻ってしまった。
7Fのサービス部に渡す予定だったクリアファイルで顎を軽く叩きながら、総司は席に戻る。
「あれ?それ出しに行ったんじゃねぇのか?」
左之が聞いてくるのに生返事をして、総司は立ったまま第二営業のシマで電話対応中の千鶴を見た。彼女はいつもと変わらないように見える。

それにそもそもあの子に隠し事とかフタマタとか無理でしょ

あんなにすぐ顔が真っ赤になるのだ。もし本当の悪女で、あの清純そうな瞳も赤くなる頬もすべてコントロールしていたのだとしたら、これはもういくら総司といえども素直に負けを認めるしかないレベルだ。

でもそれはありえないよね。人の感情や場の雰囲気には聡い方だし

と、いうより他の人にはなぜわからないのかと思うくらい相手の感情が透けて見える。
「でも好きな相手の事だけはわからないもんだぜ」

突然思考に入ってきた左之に、総司はぎょっとした。
「さ、左之さんなんで僕の考えてること…」
「あ?お前口にだしてしゃべってたぜ?」
「……」
ムスッと拗ねた顔をした総司に、左之が呆れたように言う。
「なんだよ別に俺は盗み聞きしたわけじゃねぇぜ」
「……わかってますよ。怒ってるのは自分にです。なんかほんとに……ふぬけてて」
仕事は手を抜いていないつもりだが、彼女に会いたいと思ってしまう。『なくもかおる』のことだって考えてもしょうがないのだから考えなければいいのだが…
「でも気になるんだからしょうがないでしょう!」
突然怒り出した総司を左之は椅子にすわったまま唖然として見上げていた。


僕ってこんなキャラだったっけ…

ふと冷静になってそう思わないでもないが、総司は敢えて深く考えないようにして、自宅で携帯電話をとりだした。
ちらりと時間をみると夜の10時。さすがにまだ寝てはいないだろう。
総司は風呂上りでまだ濡れている髪をタオルで拭きながら、千鶴の携帯番号を呼び出して通話ボタンを押した。


5回のコール音のあと、千鶴の声が携帯の向こうから聞こえてきた。
『は、はい!』
「千鶴ちゃん?」
『はい!あっ!きゃあ!』
千鶴の叫び声の後、携帯を落としたらしいゴトゴトッという音が聞こえてきた。
「どうしたの?大丈夫?」
『はい、すいません!携帯落としちゃって……』
「何してたの?今大丈夫?」
『はい!あの…お風呂に入ってたんです』
千鶴の意外な言葉に、総司は片眉をあげた。
「え?じゃあ今お風呂なの?」
『いえ、あの…脱衣場に携帯を置いてたんです。沖田さんから何か連絡があったときに聞こえるようにって思って…』
千鶴の駆け引き無しのストレートな言葉に、総司は黙り込んだ。顔がにやけるのがわかる。

ほら、やっぱりフタマタとかありえないよ。こんなに僕愛されちゃってるし。何か理由が……

『っと……なにやってんだよ千鶴。こんなところで素っ裸で』
総司の携帯電話から突然男の声が聞こえてきた。それと同時に千鶴の叫び声が総司の耳をつんざく。
『きゃあああああ!かっ薫!勝手に入ってこないでよ!』
『お前が勝手に洗面所で裸でいたんだろ。俺は歯ブラシをとりにきただけだよ。それにそんなちっこい胸見たって別に何も……』
『かっ薫!!!もう!もうもうもう!!!出て行って!!おっ沖田さんすいません!き、切ります!』
ガチャン!ツー…ツー…ツー…
切れた携帯を見ながら、総司の顔には黒い笑顔が浮かんでいた。



「薫って誰?」
次の日の朝、例のごとく千鶴が給湯室の冷蔵庫の上にあるワイヤープランツに水をあげていると、総司がやってきてそう聞いた。
千鶴は突然の質問にキョトンと目を開けて総司を見上げる。
「え?薫ですか?」
なんだか総司が怒っているようで、千鶴は戸惑った。
「兄ですけど……言ってませんでしたっけ?今週と来週、こっちに来て私の部屋に泊まっているんです」
千鶴の答えが気に入らないとでもいうように、総司は眉根をしかめた。
「苗字が違うじゃない?」
「ああ…薫は小さいころ別の家に養子に出て苗字が違うんです。でも…なんで薫の苗字を?」
「小耳にはさんだんだよ。本当の兄なの?血の繋がってる?義理の兄とか実はいとことかいう設定じゃなくて?」
「せ、設定?いえ、ほんとに血はつながってます。父も母も同じで…」
なぜこんなにつっこんで聞いてくるのかわからなかったが、千鶴の最後の返答で総司の表情がパッと明るくなったのが分かった。ふうっと溜息をついて、茶色の柔らかそうな髪をかきあげる。
「僕が君の家に遊びに行けないのはそいつが原因?」
千鶴はうなずいた。水をやってカラになったコップを軽く洗って元の場所に戻す。
「薫はちょっと…誰とでも仲良くなれるタイプじゃないので…」
「じゃあ、家じゃなくて外で千鶴ちゃんと会うのなら大丈夫でしょ?今日会社の後一緒にご飯でも食べようよ」
薫は夕飯位自分でなんとかするだろうし、家の外で総司と会うのなら何も問題はない。
「はい!嬉しいです」
千鶴はにっこりとほほえんでうなずいた。












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