薫 




出張先での仕事もめでたく終了し、総司と左之は今日の朝から千鶴と同じいつものフロアに戻ってきた。
朝いつも通りに出勤した千鶴は、前の総司の席に茶色のフワフワ頭が見えて、胸が躍る。これからは通路を通るたびに総司が見られるのだと思うと嬉しい。…つきあっているのだから、まるで片思いのように『見るだけで嬉しい』というのはおかしい気もする。
見て、相手からも見てもらって、微笑んで、触れ合って……心を交換するような会話をして。
その楽しさを千鶴はもう知ってしまっている。本当の所を言うと、総司が他の人と……たとえ左之とでも、とても楽しそうに話して笑っていると……寂しい。ちょっとやきもちを焼いてしまう。自分がもっと総司の傍にいたいと思う。もっともっと総司の事を知りたい。そして…我儘だとわかっているが、自分だけを見て……

千鶴は、会社の廊下を給湯室に向かって歩きながら溜息をついた。
『恋に狂う』とはこういう事かと、千鶴は少しだけ自分を持て余していた。もっともっとと貪欲な想い。総司はとても優しく千鶴の事を大事にしてくれているのがわかっているのに……

給湯室のコップで、千鶴は背の低い冷蔵庫の上に置いてあるワイヤープランツに水をやった。そして持ってきたはさみでひょろひょろと伸びてしまった茎を切っていく。
太陽にあたっていないときに伸びた茎は細く色も悪い。それに栄養をとられているせいで元気な新しい芽も出てこない可能性があるから、思い切って切って見たらどうか…?
この前、同じマンションに住んでいるお花屋さんが教えてくれたので、千鶴はチョキチョキと緑の茎を切って行った。

「いたたっ!」
突然後ろから聞こえてきたからかうような声に、千鶴は驚いて振り向いた。
「お、沖田さん…」
後ろには朝日に照らされて爽やかに、総司がにっこりと微笑んで立っていた。
「君がこっちに来るのが見えたからさ。追いかけてきちゃった」
「……」
「……バレンタインの時以来だね」
総司の緑の瞳がキラリと光り、色が濃くなる。この瞳の色は、前に見た。
新幹線でキスされる直前に見た色と同じだ。
その時起こったことが自然に千鶴の脳裏に浮かび、千鶴は頬を染めてパッと俯く。
総司は苦笑すると、雰囲気を変えるように明るく言った。
「そんなに切っちゃって大丈夫なの?その葉っぱ、痛くて死んじゃうんじゃない?」
総司の視線がワイヤープランツに行っていることを確認した千鶴は、慌てて散らかっていた切った後の茎を集めた。
「そうなんですけど……でも多分こうした方が元気になるって近所のお花屋さんに教えてもらったんです」
「ふーん……君って植物育てるの、上手そうだよね」
葉っぱをゴミ箱に捨てていた千鶴は目を瞬いた。
「そうですか…?普通…だと思いますけど……あ、沖田さんにいただいたお花、元気ですよ」
「そう?それはよかった」
総司はそう言ってにっこり笑った後、何か考えるように顎に手をやった。どうしたのかと千鶴が総司を見上げると、彼は横目で千鶴を見て、視線を彷徨わせ、もう一度千鶴を見て、口を開く。
「じゃあ……今度見に行ってもいい?」
「え?」
「千鶴ちゃんちに」


もちろん総司は別にスノードロップが元気かどうかを見たいわけでは、これっぽっちもなかった。そりゃあ世話もされずに枯れましたと言われれば、居心地は悪いがそんなことはないだろうし。
総司が千鶴の家に行きたい理由など、わからない人は誰もいないくらいはっきりしている。
…いや違う。わからない人は一人いる。多分。
目の前に。
「ええ!もちろん見に来てください!あのフリーマーケットで買った鉢に植え変えてあげたんです。とっても似合ってるんですよ〜♪」

うん、邪気のないまっすぐな瞳で喜んでるね

総司はにっこりとほほ笑み返しながらも、内心がっくりきていた。
こんな反応だろうとは思っていたが、ほんとにまったくこれっぽっちもそっち方面の警戒はしていないらしい。いや警戒をしてほしいわけではないが…しかしこう純真な反応だと、そっち方面に持って行きにくいというか……
例えばこんなんだっただどうだろう?

『じゃあ……今度見に行ってもいい?……千鶴ちゃんちに』
『え……それって……』
『…イヤ?』
『……イヤ……じゃ…ないで、す……』

たった四行なのに、この二重の意味を持つ会話はどうだ!こういうふうなら話は楽なのだが……。これだけにっこにっこされている彼女に、本当の意味を告げるのもなんだかためらわれる。

うん、この朝日のさわやかな感じがまずかったかな

総司はまぶしそうに目を細めて、さわやかな朝の太陽を見た。そして気を取り直して考え方を変える。
植物の話から千鶴へのクリスマスプレゼントの話にして、それを見に彼女の家に行きたい…という自然な流れを、我ながらうまく作れたと思うがとりあえずこれはこれで置いておこう。
いつかは必ず日は沈むのだ。薄暗くなったらムーディな雰囲気を作って彼女に家に行く本当の目的を、なんとか悟らせるようにしよう。やっぱり女の子の方にも、いざそういうこととなると準備とか、あとダメな日とかいろいろあるだろうし……

表面上はさんさんと降りそそぐ朝日の中で、にこにことほほ笑みあいながら植物の世話をしている爽やかな二人の図だったのだが、総司の頭はピンク方面にフル回転していた。
「じゃあ今日の会社の後は?僕もうしばらく残業しなくていいし」
「今日ですか?木曜日…だいじょうぶ……あっ」
途中まではOKのようだった千鶴の返答だが、途中で何かを思い出したように目を見開いた。
「あ、だめです…今日は……すいません」
申し訳なさそうに謝る千鶴に、総司は手を軽く振った。
「いーよ別に。突然だったしね僕も。それに今日は木曜日だからね、明日はどう?」
もちろん千鶴の家に行くのなら金曜日の方がいいに決まっている。当然その夜は泊まり、次の日もずっと部屋にこもっていちゃいちゃして……ああ、でも着る服がスーツしかないな。僕んちだったら定番の僕シャツを彼女に着てもらってまたプレイに幅が……いやYシャツならその日着てたのがあるから、彼女の家でも僕シャツはできるな。でも僕が着るものがないんだよね…
どんどん勝手に広がっていく妄想を総司が楽しんでいると、千鶴は後ろめたそうに視線をそらして言った。
「あの…すいません、明日も…」
「週末は?」
首を横に振る千鶴に、総司はさらに聞く。
「来週でもいいよ。いつなら空いてるの?」
「……すいません……来週もずっと予定があって……」
「毎日?」
頷く千鶴。
「週末も?」
コクリ
「……」
まさか毎日予定があるなんてわけはないと思うが、千鶴はそうだと言っている。理由を聞きたいけれども何も言おうとしない彼女には、聞かない方がいいようなオーラも漂っている。
「あの、すいません……」
申し訳なさそうに謝る千鶴に、内心を押し隠して総司は『いいよ気にしないで』とほほ笑んだのだった。











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