バレンタイン 3


視界の端で新幹線のドアが閉まるのが見えたが、総司が覆いかぶさるようにして唇を合わせてきたために千鶴には何も言えなかった。
腕にかけていた傘が音を立てて床に倒れる。
動こうとしてもきつく抱きしめられていて、身動き一つとれない。いつもは優しい総司なのに、今は新幹線のデッキの壁に荒々しく押し付けられている。キスも、これまでは経験の少ない千鶴のために気を使ってくれてゆっくり慎重だったのだが、性急で感情をぶつけてくるようなキスだった。
「んん……っ」
千鶴はバランスを崩しそうになって、総司のコートを両手でつかんだ。体を押し付けられているために背中に近い位置になり、二人は余計に密着をする。
誰かに見られたら…という考えが、一瞬千鶴の頭をよぎったが、平日の夜遅い「ひかり号」にはほとんど人がいなかった。いや、たとえいたとしても総司は気にしていないだろう。
今の総司は周りの事は見えていないようだった。

総司の舌が千鶴の唇をこじ開ける。
「っあっ……」
千鶴の驚きも飲みこんで、総司は深く深く千鶴の中に入り込んだ。
映画館でのディープキスは、からかうようなもてあそぶようなものだったが、今日のは違う。貪り、呑みこみ、食べつくしてしまいそうな勢いで、千鶴を探る。舌を絡めて、何度も何度も深く深く……
次第に千鶴も、総司以外には何もわからなくなってきた。足がガクガクと震え、壁と総司に挟まれてかろうじて立っていられる状態になる。
千鶴がとろとろと溶けて行くのが総司にもわかったのか、総司の体に力が入り、一つになってしまいたいとでもいうように更に強く抱きしめてきた。

遠くで何かが落ちたような「コトン」という音がする。
総司のキスに思考能力が落ちた頭で、千鶴はぼんやりと、チョコの箱かな…、思う。
自分の手の力が抜けて落としてしまったのだろう。

角度をつけて、深く入ってくる総司の舌に千鶴は自分から舌を絡めた。総司がそれに反応するのを全身で感じる。
総司の大きな手が千鶴の背中をゆっくりと撫で上げ、肩をさするように上がってきた。その手は千鶴の黒い髪をまさぐって乱し、細い首の辺りで彼女が動かないように固定すると、ようやく息継ぎのために一度唇を離した。
「…あ…」
突然自由になった唇に千鶴が思わず声を上げると、総司は再び唇を寄せてきた。
キスする寸前に見た総司の表情は千鶴が初めて見るくらい真剣で、いつもはキラキラと悪戯っぽく輝いている緑の瞳は、今は黒かと見間違えるくらい暗い色をしている。
吐息と共に二人の唇が重なった。総司の腕の力は緩み、ゆっくりと千鶴の背中や腕を撫でて千鶴の手を探り当てて指を絡める。
指と唇と、そして全身と……二人は時間を忘れて絡まりあった。


最後に千鶴の瞼に優しく触れて、総司は体を離した。
千鶴はゆっくりと瞼をあげて総司を見上げる。
二人は無言で見つめあった。
キスをしている間会話はなかったものの、会話以上のコミュニケーションは十分にした気がする。言葉にしなくてもわかるような……
「……」
総司は無言のまま千鶴から視線を外すと、床に落ちていたチョコレートの箱と総司と千鶴のカバンを拾い上げた。
「……椅子に座ろうか」
荷物を持って促す総司に、千鶴は続いて車両の中へと入って行った。

席にはぽつりぽつりと人が座っているだけで、車両はすいていた。
総司は二人掛けの椅子の窓際に千鶴を座らせると、カバンを足元に置いて自分も座った。
「……なんていうか……ごめん」
千鶴は総司を見たが、彼は気まずそうに視線をそらしたままだった。総司は溜息をついて続ける。
「この新幹線が着くころにはもう帰りの新幹線の最終は終わってるだろうし……ごめんね」
そう言ってこちらを向いた総司の顔は、照れ臭そうだったが本当に申し訳ないと思っているようだった。
千鶴は首を横に振る。
「いいえ!そんな……あの、私も嬉しかったですし……」
気にしないでくれというつもりで行った台詞だったが、妙な意味を持つことに気が付いて千鶴は口ごもった。総司の瞳は楽しそうに煌めいたが、何もわからないふりをして不思議そうに聞いてくる。
「嬉しかった?何が?」
「何がって……」
赤くなってもごもごと口の中で呟いている千鶴に、総司は声を出して笑う。
「…気に入ってくれたみたいで嬉しいよ」
「……」
赤くなったまま否定も肯定もできずに、パクパクと口を開けたり閉めたりしている千鶴に、総司は続けた。
「でも残念だなぁ。左之さんがいなけりゃね。あっちのホテルに連れ込めたんだけどな」
「ほ、ほてる……つれこ…っ…」
相変わらず千鶴はパクパクしている。
「まぁでも僕もこんなどさくさでってのは嫌だしね。明日千鶴ちゃんは帰らなきゃいけないから朝早いだろうし、僕も仕事だからゆっくりできないし?やっぱりはじめてはゆっくり……ね?」
「ね……」
ぱちん!とウィンクしてきた総司に、千鶴はポカンとおうむ返しに返事をした。言っている意味が分からないほど初心ではないがこんなにあからさまに言えるほどスレてもいない。
「僕達が泊まっているホテルに部屋をとってあげるよ。ビジネスホテルだけど結構きれいだよ。そして明日の朝早い新幹線に乗ってそのまま会社に行けば多分間に合うでしょ?あ、もちろんお金は僕が払うし」
「は、はい……あの、いろいろありがとうございます……」
すっかり総司のペースに巻き込まれてしまった千鶴は、ぼんやりと返事をすることしかできなかった。

「じゃあゆっくり寝てね」
「明日の朝な」
総司と左之が笑顔で閉めてくれたドアを、千鶴も笑顔で手を振りながら眺めた。
パタン、という音と共に部屋の静けさが際立つ。空いていた部屋は、総司達の部屋とはフロアが違った。部屋をとってくれて送ってくれた二人が帰った今は、千鶴は一人だけだ。
千鶴は小さく溜息をつくと、カバンを机の上に置いて服のままビジネスホテルのシングルベッドの上に倒れこんだ。
ぼんやりと見慣れないベッドカバーの模様を見ながら、なぜ自分は今こんなところにいるのか不思議に思う。

新幹線に乗ってしまったから……

あの時の総司は…強引だった。
千鶴は手首を掴まれた時の彼の力の強さを思い出す。
驚いて彼の顔を見ると、びっくりするくらい真剣な顔をしていて……ちょっと怖いような気がして本当にドキドキした。抱きしめられたときの力も強くて、たとえ全力をだしても振り払えないくらいだった。
いつも優しくてソフトな仕草の総司の中に、あんな力があるなんて知らなかった。
安心なんてとてもできないくらいの強引な包容。熱い体に吐息。撫でるように動く大きな手。
千鶴は思い出して、ベッドの上で赤くなる。
新幹線のデッキであんなことをするなんて……誰も通らなかっただろうか。新幹線自体すいていたし大丈夫だとは思うが、思い出すだけで顔から火が出るようだ。
あんな男っぽい総司がいるのだということが、千鶴には新鮮だった。
そしてそれに応える自分の中の女にも。
今夜はドキドキして……眠れそうにない。
千鶴は溜息をついて寝返りを打ち、味気ないビジネスホテルの天井を見上げたのだった。


次の日朝早く、新幹線に乗った千鶴を見送った後、総司は左之が待つホテルへと帰った。
ロビーの横の喫茶スペースでは左之が朝ごはんを食べている。総司はコーヒーを頼んでから左之の前に座った。
「送って来たのか?」
頷く総司に、左之は申し訳なそうに言った。
「いや、なんか悪かったな俺。お邪魔虫で。別に俺一人別室でもよかったんだぜ?」
総司は冷めた目で左之を見る。
「そして、別室で左之さんが妄想してるとおりのことを、僕と千鶴ちゃんがするってワケですか?ごめんですね」
「欲求不満でイライラしてるのはわかるけどよ〜、そんなに怒るなって」

そうして左之は、総司に睨まれながら美味しくない朝食を食べたのだった。














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