【夜の虹 7】
夕飯を作っている千鶴の横で、総司は近藤と飲み明かした話をしながら立って千鶴の手際のいい動きを見ていた。後は煮物が炊き上がるのを待つばかりになり、千鶴はたすきを外した。
「近藤さんとゆっくりお酒が飲めてよかったですね」
微笑ながら言う千鶴に、総司も微笑む。
「うん、いろいろ夫婦のことを教えてもらったよ」
からかうようなまなざしで言う総司に、千鶴は顔を赤くする。
「あ、でも、そういえば……」
ふと、思いついたように言う千鶴に、総司は聞いた。
「何?」
「前、約束してくださいましたよね。夫婦が夜やることについて教えてくださるって」
千鶴のセリフに総司は言葉に詰まった。
「いや、教えるっていうか……。約束したっけ?」
くるっと後ろを向いて話をそらそうとする総司に、千鶴は前に回り込んだ。
「なぜそんなに説明したくないんですか?何か……問題があるんですか?それとも聞いてはいけないんですか?」
無邪気にきいてくる千鶴の顔を見ながら、総司は困ったように手を口にあてた。
「うーん……。まぁ他の奴には絶対に聞いちゃだめ」
「……じゃあ総司さんが教えてくださるんですか?」
覗き込んでくる千鶴の大きな黒い瞳を見つめながら、総司は沈黙した。
「……つまり、まず……裸になるんだ」
「え?お布団の上で裸になるんですか?二人とも?」
「うーん、まぁ君のは僕が脱がしてあげるけど……」
「ええっ!?」
「そして、こうやって……」
総司はそう言いながら千鶴の細い腰にそっと手を回す。そしてそのままゆっくりと彼女を自分の体にひきよせた。ぴったりと、まったく隙間もないくらい合わされた二人の体に、千鶴が赤くなる。
「そして、口づけをする。体中に……」
総司はそう言いながら首を傾けて千鶴の唇にそっと寄せて……。
「お取込み中失礼します」
「っきゃーーーー!!!」
突然の声と山崎の出現に、千鶴は悲鳴をあげて総司から飛びずさった。耳まで真っ赤になり山崎を見つめる。総司は、まるで吹雪のような冷たい視線を山崎に向ける。
「……定時連絡なら玄関から入ってきてくれないかな」
「自分の顔は割れていますのでできるだけ人目につかない方がいいかと思いまして庭から……」
真っ赤になったまま山崎を凝視している千鶴をちらっと見ながら、彼は総司に向き直った。
「……沖田組長、それより早速お話したいことが……」
ただ事ではないような山崎の様子に、総司の顔もスッと一番組組長の顔になる。千鶴に聞こえないよう寝所へと向かう二人の背中を見つめながら、千鶴はかまどの火を弱めた。あれではまだまだ時間がかかりそうだ。取り込んだままの洗濯物にむかい、千鶴はたたみ始めた。そして洗ったはずの手ぬぐいが無いことに気づく。
どこかに風でとんじゃったかな……?
庭にでて生垣の方を見ると、暗くなってきた宵闇の中にぼんやりと白いものが生垣の下に落ちているのが見えた。
あんなところに……。
千鶴は下駄をつっかけて庭を横切り、落ちている手ぬぐいを拾おうと体をかがめた。と、視界に知らない男が生垣の裏にしゃがんで、ぎくりとした顔でこちらを見ているのに気が付いた。千鶴は息をのんで踵をかえそうとする。その前にまた別の男が既に立ちふさがっていて、千鶴の口を大きな手で塞ぐと彼女を生垣の裏へ引きずり込んだ。
「……静かにしていろ!何も抵抗をしなければ手はださん!俺たちの狙いは沖田だけだ!」
千鶴が目を見開くと、その男の向こうからもう一人がぬっと暗闇から出てきた。その男の顔半分には醜い刀傷が有り、片目がつぶれている。
恐怖のまなざしで自分をみている千鶴を見て、その男はニヤリと笑った。
「……気持ち悪いか?沖田に以前やられた傷だ。今日長州から出てきて、まさか隣にいるとは思わなかったがなんという好機。静かにしているのだぞ。女」
総司さんを狙っている……!
千鶴は青ざめた。全力で掴まれている腕をほどこうとするがたくましい男の腕はびくともしなかった。男たちは全部で5人。この人数で一気に奇襲をかけられたら、たとえ山崎と総司でも危ない。千鶴は必死にもがいた。
「じっとしていろ!殴られて気絶した方がいいのか?」
口を塞いでいる男の声に、本気だと感じた。気絶してしまうのは困る。それだけは避けて、油断させてなんとか隙をみつけて、男たちがいることを総司に知らせなくては……!千鶴は抵抗をやめた。
「そうだ、そのまま静かにしていろ」
男の手も少しだけ緩んだ。その瞬間、千鶴は思いっきり自分の口を塞いでいる男の手をかんだ。男が痛みに息を呑み手が緩んだ時……。
「総司さん!!敵です!!5人……」
千鶴の声は、こめかみを殴り飛ばされて途絶えた。全力でなぐられて華奢な千鶴は転がり地面に勢いよく倒れる。目の前が白くなり星がとんだ。あまりの痛みに意識が一瞬飛ぶ。
「……女…!!!」
手を噛まれた男がスラリと刀を抜いた。
「よせ!女は放っておけ!それより沖田に聞こえたぞ!!散れ!」
千鶴の声が聞こえた瞬間、総司は刀を握り山崎は灯りを消した。反射的に飛び出そうとする総司を山崎が止める。
「……今出れば敵の思うつぼです!雪村君の必死の機転が無駄になる…!10数えてください。自分があちら側に回ります。挟み撃ちで……!」
山崎はそう言うと返事も聞かずに素早く走り去った。
ぎり……!と総司が血が出るほど奥歯を噛みしめて8まで数えたところで思った通りに反対側から「うおっっ!!」という音とクナイが肉にささった生暖かい音がして、庭が騒然とした。その瞬間をのがさずに総司は障子越しに縁側にいた影に刀を突き刺した。
ブシッというはじけるような水音がして障子の向こう側に鮮血が飛び散る。それには構わず総司は刀を引き抜き、ブンッと一振りして血を振り払う。そのまま障子を足で蹴り開け、総司は縁側に出た。
昨日、一昨日と見た月明かりと同じにもかかわらず、庭に降り注ぐ月の光はいやに冷たく冷徹だった。
生垣のすぐそばに千鶴が地面に倒れているのが見える。一瞬目の前が真っ赤になり頭に血が上るが、彼女は意識があるようで半身を起して総司を見ている。二人の目があい、千鶴の瞳にちゃんと強い光が見えるのを素早く確認をした総司は敵に向きなおった。
「うおおおおっ」
唸り声とともに勢いよく二人の敵が同時に総司に切りかかってきた。総司は右足を大きく開いて体を反転させ、左から来る敵を避けると同時に右側から切りかかってきた男の背中にまわった。振り返る隙も与えず背中を袈裟懸けに斬る。
「ぐおっ!」
叫び声をあげて斬られた男は転がった。総司はすぐに左側にいた敵に向かい合う。正面から向かい合った相手は、片目がつぶれていた。総司は構わず踏込み突きを繰り出した。避けようとする男をさらに伸びる突きでとらえ、最後の突きでとどめを刺した。
あっという間に3人を倒した総司を千鶴は茫然と見つめていた。月明かりの中、まるで舞のような体さばきで人を斬る総司は、怖いくらいに美しかった。顔に飛び散った血を腕でぬぐい、刀についた血を一振りして払い、総司は山崎の加勢に行こうと歩き出した。目を見開いて総司を見ていた千鶴は、視界の隅で何かが動くの気が付く。
井戸の向こう、六人目の男が恐怖に青ざめながらゆらりと立ち上がった。
「……沖田あぁぁぁぁぁっ!!!」
その男は刀を抜き、突き刺すように構えたまま捨て身で総司の背中へと走り出す。千鶴は考えるよりも、声を出すよりも前に体が勝手に動いていた。
「……っ…!!」
声に振り向いた総司が見たのは、自分に向かってきた男との間に入り、胸の少し上を刀で背中から貫通された千鶴だった。
庇うように総司の方に伸ばした手は、総司を掴むことなく空をきり崩れ落ちる。
総司は左腕で千鶴の体を抱き留め、六人目を冷たい目で見る。怒りも何も現れていない総司の薄い緑の目は、憎しみに燃えて睨みつけられるよりも恐ろしかった。総司の殺気にのまれ、刀も千鶴の体にささったままで持っていない六人目の男は、あっと思う間もなく総司の剣で突き刺され声もなく崩れ落ちた。
「……沖田組長……!」
自分の敵を殺し、駆け寄ってきた山崎が総司に声をかけた。総司はその声は聞こえていないように、自分の袂を破るとそれを千鶴の刺さったままの刀の横にあて、左手で千鶴の肩を抑えた。
そして一度震えるように深呼吸をすると、右手で一気に刀を引き抜いた。
途端に傷口から血が噴き出す。ビクリと千鶴の体は跳ねるが、意識は無いままだ。総司は破り取った袂で傷口全体を強く抑え止血をする。
「……止まって……!止まってくれ……!」
祈るように、唇をかみしめながら総司が全力で傷口を抑えてつぶやくのを、山崎は見ていた。破り取られた袂はあっという間に血で重くなった。山崎は自分の着物を脱ぎ総司に渡す。総司は見もせずに受け取ると、さらに上から着物ごと強く抑える。
血の勢いは少しずつ弱まってきた。ズシリと血を吸った袂の方は捨て、山崎の着物だけをぎゅっと押し当てながら、総司は千鶴をそっと抱き上げる。
月明かりの下のせいもあるが、千鶴の顔はゾッとするほど白かった。
「……沖田組長、人をつかまえて屯所に使いをやります。しばらくの間一人で大丈夫ですか?」
山崎の言葉に総司はうなずくとそのまま千鶴を部屋の畳の上に横たえた。総司も千鶴も血まみれだ。
ふと横を見ると先ほど千鶴がはずしたたすきがきちんと折りたたまれて畳の上に置かれたままになっていた。
総司は夕飯を作っていた千鶴を思い出す。
千鶴と自分を。
幸せな会話を。
暖かい彼女の笑顔を。
可愛らしい声を。
優しい仕草を。
「……千鶴……」
総司の呼びかけにも、千鶴はピクリとも動かない。触れた手が信じられないほど冷たい。総司は傍にたたまれていた洗濯物の中から自分の着物と千鶴の着物を取りそれで千鶴をしっかりとくるんだ。そして胡坐をかいた自分の腕に抱きしめる。少しでも自分の体温で暖かくなるようにと。
青ざめた顔で駆け付けた土方と左之、平助が見たのは、血まみれのまま意識のない千鶴を抱きしめている総司だった。