【夜の虹 5】





 「どうですか?」
千鶴の作った朝ご飯を食べている総司に、千鶴が尋ねる。上目づかいでおずおずと聞いてくる彼女に、総司はにっこりと笑って答えた。
「うん、おいしいよ」
よかった……!嬉しそうに頬を染める千鶴を、総司も幸せそうに見つめる。
「朝ごはんは結構たくさん食べるんですね」
「うん。朝と昼は食べるかな。夜は……」
「少な目、ですよね」
二人で顔を見合わせて笑う。傍で誰かが見ていたら首筋がかゆくなるような新婚オーラが漂っていたのだが、当の本人たちは自分たちの雰囲気にまるで気が付いていなかった。
食後は千鶴が片づけをし、総司は隣の離れが見える縁側で書を読んでいるような素振りで見張る。そんな総司に千鶴がお茶をだして……。
二人で他愛もない話をしながら一緒にお茶を飲んだ。

 縁側に並んで座って話していると、総司の手があたり、まだお茶が少し入っている湯呑が倒れそうになる。書にかかってしまう……!と慌てた二人は焦って倒れそうになった湯呑を同時に掴んだ。湯呑は倒れなかったものの重なった手に二人の時間が止まる。
総司も千鶴も固まったようになり、お互いの触れ合っている手を見つめていた。

 スッと総司が指を滑らせ千鶴の手を掴む。湯呑を支えているのではなく、意思を持って手を握られたことに千鶴は赤くなった。総司はそのまま千鶴の指をからめて千鶴の顔を見る。視線を感じて千鶴も総司を見上げた。

 奇妙なくらい周りが静かで、総司は自分が思わず飲んだつばの音まで千鶴に聞こえてしまうのではないかと思った。千鶴は千鶴で、頭の中にまで鳴り響いているような自分の心臓の音が、絶対に総司に聞こえていると感じて恥ずかしかった。

 二人とも催眠術にかかったように黙ったまま見つめあう。お互いの瞳の中には同じ思いが込められているのがわかる。
ゆっくり、ゆっくりと二人の距離が近くなり、唇に相手の吐息が感じるくらい近くなった時……。

ガラリ!
「邪魔するぞ」

玄関の扉が開く音とともに斎藤の冷静な声が家に響いた。総司達がいた縁側は玄関の真向かいで、千鶴は驚いて文字通り飛び上がり総司の手から自分の手を離す。総司は千鶴の手をつかんでいたままの形で、苛立ちをこらえながら固まっていた。


 「……何の用……斎藤君。今日は斎藤君は非番じゃないはずだし、定時連絡は夕方でしょ」
「何を怒っている、総司。今日はお前は非番だろう。見張りを変わるために俺が来た」
「え?今日総司さんお休みだったんですか?」
千鶴が驚いたように聞いた。総司は特に何も言っていなかったから……。
「……僕も忘れてた」
総司の言葉に斎藤がうなずく。
「来るのが遅くなってすまなかった。明日の午前中いっぱいまで休むといい。ずっと酒も飲めなかっただろうし、島原にでも行って酒でも飲んできたらどうだ」
島原、という言葉に、千鶴が自分を見たことに気づいた総司は怒ったように斎藤に言った。
「僕は別に休みのたびに島原に行ったりしたことないだろ。あの三人とは違うよ。人聞きの悪いこといわないでくれるかな」
「……別に俺はただ、酒でも飲みに行ったらどうだ、と言っただけだが」
「酒なら屯所でも飲めるからね」
「……別にお前がどこで飲もうとかまわん。一晩ゆっくりしてくるといい」

 斎藤の言葉に、今度は千鶴がおずおずと聞いた。
「あの、じゃあ今晩は斎藤さんがこの家に泊まられるんですか?」
その言葉に総司は目を剥いて言った。
「なっ何を……!ダメに決まってるじゃない。そんな夫婦でもない男と女が二人きりで……!」
「お前たちもそうだが」
斎藤の冷静な言葉に、千鶴は納得し総司は反論した。
「だいたいさ、近所の人たちにはなんていうの。今晩だけ夫がかわります〜って?おかしいでしょ、そんなの。僕非番だけど今夜はここで寝るからいいよ、別に……」
「左之が近所の人に言ったようだ。千鶴には兄がたくさんいる、と。新婚の妹を心配して毎日訪ねてきているのだと。俺も先ほど向かいの家のご内儀に『お兄さんか』と挨拶されて、三番目の兄だ、と返事をしてきた」
だから遠慮なく屯所にもどるといい。斎藤にそういわれて総司は言葉に窮した。

 


 屯所に帰る総司を、千鶴と斎藤が玄関で見送っていると、例の見張っている隣の家の若夫婦の妻の方が道の掃除をしているのに出くわした。情報をひきだせるかもしれない、と千鶴はにこやかにあいさつをする。
「あら、旦那さんおでかけですか?」
「そうなんです。実家でちょっと……。今晩は泊まりでいなくなるので、今日は兄に来てもらったんです」
すらすらと返事をする千鶴の横で、斎藤はかすかに微笑んで隣の家の妻へ軽く会釈をした。総司が名残惜しそうに千鶴に言う。
「……じゃあね、千鶴ちゃん。久しぶりの兄弟水入らず、ゆっくりするんだよ」
「はい、総司さん」

二人の会話を聞いていた隣の妻の目がかすかに光った。
「……千鶴、ちゃん……ですか……」
「何か?」
そう聞く斎藤に妻は答える。
「いえね、夫婦でいらっしゃるのに、『ちゃん』なんていうのが、他人行儀だなぁって……。まるでそんな関係じゃないのに夫婦を演じてるみたいな……?」
妻の言葉に斎藤はヒヤリとする。

 まさか……!気づかれたのか……!?どうする…、どうごまかせば……!

無表情で焦っている斎藤の横で、総司ののんきな声が聞こえてきた。
「そっか……。もう夫婦なんだし……。千鶴ちゃんじゃないよね」
とろけそうな顔で千鶴を見つめる。千鶴も可愛らしく頬を染めて総司を見上げた。
「……千鶴」
総司が甘くささやくように千鶴を呼んだ。
「……はい……」
恥ずかしそうに赤くなって俯きながら、千鶴は小さな声で返事をした。
そんな二人の間にはまるで雲のような密度の濃いピンクオーラが渦巻いている。

 うまい……!!新婚らしさをアピールしたうえに「ちゃん」づけもうまくごまかした。総司がここまでやるとは思わなかった。次からは隊の隠密行動もこなすことができるのでは……。

 新婚夫婦のいちゃいちゃムードにあてられた隣家の妻が去っていくのに挨拶をしながら、斎藤はそんなことを考えていた。
しかしその当の二人は特に何も考えておらず、全くの素だったことは、斎藤は知らない……。


 屯所での騒がしい夕飯を済ませて、総司はなんとなく落ち着かなかった。千鶴と一緒に暮らし始めてまだ4日くらいしかたっていないのに、もう以前暇な時間に何をしていたのか思い出せない。屯所での夕飯の時間は早く、まだ外は薄明るい。島原に行くつもりなどもちろんなく剣の稽古もすでにすませている。千鶴と斎藤が気になるし、左之だって非番なのに総司達の家に来たのだから自分が行ってもいいんじゃないだろうか。そわそわと総司が自室で立ち上がったとき、廊下に足音がした。
「総司?」
障子が開けられると同時に、近藤の顔がのぞいた。
「近藤さん!」
総司の顔が嬉しそうにぱっと輝いた。近藤を中へと招き入れながら総司は聞く。
「大坂じゃなかったんですか?」
「思ったより早く終わったんでな。帰ってきたら歳からおまえが特命のために雪村君と夫婦として生活をしていて、今日非番で帰ってきていると聞いて一杯やろうと思って来てみたんだよ」
近藤はそう言って、片手に持っていた酒ビンと杯を掲げて見せた。

 近藤とゆっくり酒が飲める機会など最近ほとんどない。総司は喜んで座った。
「で、どうなんだ。隣の家の様子は」
近藤が総司に酌をしながら聞く。
「特に変わったところはありません。出入りしているのも若夫婦だけだし……。夜に離れに灯りがともっているのがたまにあるので、情報通り誰かがいるのは確かだとは思うんですが、今のところ重要人物は来ていないようです」
総司も近藤に酒を注ぎ、自分の杯をあけた。
「そうか、まぁしっかりやってくれ。それで雪村君との生活は?困ったことはないのか?お前は女性と二人で暮らすのなど初めてだろう?」
何の含みもなく、心底心配しているように聞いてくる近藤に、総司は素直に思ったことを話した。

 「まぁ、最初は散々でした。千鶴ちゃんはとにかく僕のやることなすこと全部気に入らないみたいで。ケンカしてないときがないくらいでしたよ」
総司がかいつまんで千鶴とのケンカのエピソードを話すと、近藤は大笑いをした。
「はっはっはっはっ!まるで新婚そのものだなぁ!それにしても雪村君も意外にがんばるもんだ、お前相手に」
「ほんとに。泣く子も黙る新選組一番組組長だっていうのに、全く遠慮もなにもあったもんじゃないんですよ。もともとしっかりしている子だとは思っていたんですがあんなに頑固だとは……」
総司の台詞に、近藤はまた楽しそうに笑った。
「いやいや、女子はみかけによらんもんだぞ。気が強そうな女子が意外に泣き虫だったり、逆に大人しそうな女子が亭主を尻にしいたりな。お前はどうだ。まだ尻にひかれていないのか?」
「な…!そんなわけあるわけないじゃないですか。僕より年下で、あんな細っこい女の子に負けるわけが……」
「いやいや、男と女の力関係は、強さや年齢じゃない」
含みを持った目で総司を見ながら酒を飲む近藤に、総司はいぶかしげな目をむけた。
「?……じゃあ、なんなんですか?」

 本当にわかっていないらしい総司に、近藤は眼差しを細めた。夫婦の話をしているのに、総司はこれは演技だ、と否定をしない。その上夫婦のことについて興味を持っているようだ。

 ほとんど女に興味がなくて、無理矢理島原に連れて行ったもんだが……。

総司はそれでも近藤の顔をつぶさないようにほんとうに時たま女を買ったりはするものの、自分から欲して買ったりすることはなかった。かといって町方の女子に興味を持つ素振りもない。剣と近藤の役にたつこと、これのみにしか興味がないように見える総司が、近藤は心配だったのだ。

 いい傾向かもしれないな。考えてみると、確かに雪村君と総司は似合いだ。

まぁ、そのうちわかる、と近藤は総司の質問をごまかして、空になった杯を総司に差し出した。不思議そうな顔をしながらも、総司は近藤の杯を酒で満たす。

 「お、今日は満月だな」
ふと開け放した障子から空をみた近藤は、そうつぶやいた。つられて総司も空をあおぐ。

「……昨日も見たんですよ。この月を千鶴ちゃんと」

千鶴のことを思い出しているような優しい顔で月を見つめる総司を、近藤は嬉しそうに眺める。

 

 昔からよく言うだろう?男と女の力関係は……。

 

「今頃どうしてるのかなぁ……」
ぽつりとつぶやいた総司の言葉に、近藤の唇に笑みが浮かぶ。

 


 惚れた方が負けってな。

 


微笑ながら近藤は杯をあおって酒を飲んだ。

 

 





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