【夜の虹 3】
夕飯で悲しませてしまった挽回とでもいうように、総司は頑張って風呂に水を張り、槇をくべ火を焚いた。一番風呂にのんびりと入るなんて千鶴は屯所では絶対経験できないことだ。特に蒸し暑い今はきっと喜ぶに違いない。瞳をキラキラさせて嬉しそうに微笑んでくれる千鶴を想像してにやにやしながら総司は槇をくべた。
そろそろいいかな……。
肩を落としながら夕飯の後片付けをしている千鶴に、総司は声をかけた。
「お疲れ様。お風呂わかしたからゆっくり入ってくるといいよ」
総司の台詞に、千鶴はぎょっとしたように後ずさった。
「いえ!すっすいません!!!沖田さんにそんなことさせてしまって……!!」
「いいよ、別に。それにそんなことって……。子供のころは毎日やってたから別になんとも思わないよ。それより『総司』もしくは『総司郎』でしょ」
「あ、す、すいません……。あの、そ、総司、さん……。お入りになってください。私は勝手場の隅ででも水で体を拭くので大丈夫です」
千鶴の言葉に、総司は呆れた。
「はぁ?なんでせっかく風呂があるのに体拭いて終わりなの?」
「そんな、風呂なんてぜいたく、居候の私には分不相応です。どうぞ沖…そ、総司さんお入りになってください。外側で槇くべのお風呂番はさせていただきます」
「……あのさ、なんか勘違いしてない?僕は単なる貧乏武家の息子でお殿様とかじゃないよ?しかも今は夫婦でしょ」
総司が散々説得しても、千鶴は『そんな贅沢なことはできない』の一点張りで風呂に入ることは固辞し続けた。あまりの頑固さに総司もだんだんムッとしてきて、じゃあいいよ僕だけはいるから。と言い捨て風呂へと向かう。
木でできた大きな桶の周りに簡単にされた板囲い。雨をしのぐだけの屋根。簡素な風呂だったがまだ一般庶民には家に風呂があるのはたいそうな贅沢だった。総司はいら立ちを込めてザブンッと風呂に入る。ちょうどいいお湯加減に溜息がでる。
お風呂番はいらない、と言ってきたため、板囲いの外には千鶴はいない。きっとまだ夕飯の片付けをしているのだろう。
「……馬鹿だよね、こんなに気持ちいいのに」
総司は板囲いと屋根の間の空間から見える空を見上げながら、そうぼやいた。
総司が予想した通り、千鶴は同じ部屋に眠るのは必死になって拒否をした。
「千鶴ちゃん、残念だけど風呂と違ってこれは駄目。いくらなんでも新婚で別々の部屋だと怪しまれるのは確実だよ」
「で、でも外から家の中は見えないですし、どこに寝ていようとわからないんじゃあ……」
「わかるよ。夜の灯りとかでもそうだし、例えばちょっと怪しいなと感じて確信犯で様子を見に夜中に入ってくる奴がいるかもしれない」
「そ、そんな……」
途方に暮れたような千鶴に、総司は自分の布団の上に胡坐をかいて座りながら溜息をついて言った。
「別に一つの布団に寝るわけじゃないし、ちゃんと布団は離すよ。何もしたりしないから安心して」
「何も……?それに布団を離すとなにか違うんですか?」
千鶴の言葉に総司は髪をかき上げていた手を止めて、目を見開いて千鶴を見た。
「……千鶴ちゃん、まさかとは思うけど……知らないの?」
総司の様子に、千鶴も自分の布団に座りなおして姿勢を正す。
「知らない……って何をですか?」
「だから……夫婦の……その夜にすること……って素人の女の子相手に僕に何を言わすのかな、まったく…!」
なんだか妙に照れてムスッとしている総司を気にしながら千鶴は言った。
「ああ、夫婦が夜にする……」
「そうそう!知ってるんだ?」
ほっとしたような総司を見ながら千鶴は続ける。
「お布団の上で…」
「そう。まぁ詳しくはいい…」
「座るんですよね?」
「……は?」
ちゃんと知識はあるんだと安心した総司は、布団の上に座る、と続けた千鶴に驚いて向き直った。
「すっ座るって……。まぁ座ってすることもあるかもしれないけど……」
「座って、むきあって、挨拶するんですよね?」
固まっている総司に気づかず千鶴は続ける。
「縁あって娶っていただくことになりました。不束者ですけどよろしくお願いいたしますって」
「……うん、まぁそういう挨拶は最初はあるかもしれないけど、僕が言ってるのはその後だよ」
「その後……?旦那様が、大事にする、とかよろしくな、とか言ってくださって……」
「言って……?」
「それで…二人でお布団に入るんですよ」
何をそんなに聞いてくるのかわからず、千鶴は不思議そうに言った。
「だから布団に入ってどうするの?」
さらに聞いてくる総司に、千鶴は呆れたように答えた。
「目をつぶって眠るに決まってるじゃないですか」
綱道のおっさん……!!!
思わず総司は心の中でうめいた。
そうか……千鶴ちゃんは新選組に来たときはまだ十四、五だったから……。一般家庭でも嫁に行く前に母親が教えるっていう話も聞くし知らないのも無理はないのかも……。屯所で彼女にそんなこと教えるような勇気ある奴はいないだろうし……。僕だって例の三人組みたいに詳しいわけじゃないんだけど……。
「寝る以外になにかするんですか?」
無邪気な顔で覗き込んでくる千鶴に、総司は少し後ずさって答えた。
「いや……。まぁいつか君の本当の旦那になる奴が教えてくれるよ」
「なんで沖……総司さんは教えられないんですか?」
相変わらずキョトンとした様子で爆弾を落とす千鶴に、総司はさらに後ずさった。
「いやいやいやいやいや……。それはやっぱり旦那が教えるもので……」
「別に説明してくださるだけでいいんですけど……」
よつんばいになって覗き込むように近寄ってくる千鶴に、総司は壁際まで追いつめられた。四つんばいになったことでできた白い寝着の襟元の下の隙間に思わず行ってしまう視線を、総司は必死にそらす。
「そういう微妙な話をこんな所ですると我慢ができなくなって実地で教えたくなっちゃうってことだよ」
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千鶴はクエスチョンマークを顔に張り付けながらもにっこりと笑った。
「わかりました。じゃあ、また昼間に教えてください」
千鶴の無邪気な言葉にいろいろ想像してしまった総司は、頭を抱えた。灯りをけして総司の隣にひいてある自分の布団に入る千鶴を見ながら総司は溜息をつく。
この子は無意識小悪魔属性だな……。
眠れるか不安になりながらも、総司は自分の布団にもぐりこむのだった。
「あ〜暑い!!」
総司はザバッと井戸の水をかぶった。昨日よりさらに蒸してきた今日は、午後の熱いさかりだった。総司は我慢しきれず裸になると井戸から水を汲んで水浴びをする。体を拭いた後、きっちりと服を着る気がしなくて、大きく胸をはだけさせて袖を肩にまくり上げて裾は帯にはさんで、かなり涼しく着崩した格好で勝手場へと向かう。自分は部屋にいるから千鶴も水浴びでもしてきたらどうか、というつもりで千鶴の姿をさがしていると、後ろから千鶴の悲鳴が聞こえてきた。
「おっおお沖……そ、総司さん!!!なんて恰好してるんですか……!」
真っ赤になって非難するように自分を見ている千鶴に、総司は自分の恰好を見降ろした。
「ああ……。これ?暑いからさ。何か問題でも?」
「そっそんな裸みたいな恰好……!」
まっすぐに見れなくて千鶴は目をそらした。
総司は腕をまくり上げているせいでたくましい両肩がむき出した。さらに腰まではだけさせているせいで、ほとんど胸は丸見え。さらに裾をからげているせいで脚までも……!
「涼しくていいよ?千鶴ちゃんもこういう恰好したら?」
「だっダメです!そんなはしたない……!ちゃ、ちゃんと着物をきてください!」
千鶴の言葉に総司は溜息をついた。
またか……。まったくどうしてこうもことごとく意見があわないのかな。僕と千鶴ちゃんは……。
しかし、さすがの総司ももう学んでいた。千鶴は頑固だ。言い合いになっても決して自分の考えを曲げない。
「……わかった。ちゃんと着るよ」
ほっとしたように自分を見る千鶴を見ながら総司は続けた。
「ただし!千鶴ちゃんが、『総司さんのそんな恰好をみてるとドキドキして好きになっちゃいそうで困るから着物をちゃんと着て欲しいんです』って言ってくれたらね」
総司の言葉に千鶴はぎょっとした顔になる。
「むっ無理です。そんな……そんなこと言えません…!」
「そんなことって何さ。別にたいしたことないでしょ。言うだけなんだし。こっちは暑いの我慢しなくちゃいけないんだよ?」
「で、でもそんな……」
「言うぐらいできるでしょ」
総司は千鶴に近づくと、千鶴のほっぺを両手でつかみぎゅーっとひっぱる。
「ほら言いなって……!」
「い、いやれふ……!いえまへん……!」
「……何やってんの、総司」
あきれたような声が聞こえて二人がふりむくと、玄関に平助が立っていた。
「あれ、平助。何しに来たの」
千鶴の頬をひっぱったまま総司が言う。
「土方さんが言ってたろー?定時連絡だよ。土方さんからの伝言と総司の報告!それより手、放せよ!千鶴がかわいそうだろ!」
平助はずかずかとあがってきて、千鶴の頬をつねっていた総司の手をひっぺがした。
「そんで、うまくやってんの?」
にやっと笑いながら聞いてくる平助に、千鶴と総司は顔を見合わせた。
「え〜……っと……」
「まぁ……ぼちぼち……」
なんだよ、はっきりしねぇな、と突っ込んでくる平助に、千鶴が慌てたように言う。
「そっそれより、平助君、お仕事終わったらご飯食べてくでしょ?」
「えっ!?まじ!?いいの!?」
「もちろんだよ〜。腕によりをかけて作るね!平助君おいもがすきなんだよね?」
「僕嫌い」
凍えるような総司の声に、二人の元気は一気にしぼんだ。
「じゃ、じゃあ……、沖…総司さんには別に一品作りますね」
千鶴は気遣うようにそう言って、おはしょりをしながら勝手場にむかった。
「うめぇぇぇ!!」
平助は大騒ぎしながら千鶴が作ったご飯を貪るように食べた。
「ほんと?嬉しい」
頬をうっすらと染めながらほんとに嬉しそうに笑う千鶴を、総司はちらりと見ながら青菜の胡麻和えを食べた。昨日の夕飯とは真逆な雰囲気が総司をいらいらさせる。
千鶴は、おかわりをしておいしそうに食べてくれる平助に笑いながらも、ほとんどしゃべらない総司を気にしていた。
「あの……お口にあいませんでしたか……?」
「……いや、おいしいよ」
ムスッとしながらいう総司の言葉が本当だとは思えないが、おいしいと言ってくれているのにもうそれ以上言う言葉なくて千鶴はだまりこんだ。
そんな微妙な新婚夫婦の様子には全く気づかず、平助はお土産まで持たせてもらってご機嫌のまま総司達の家から屯所へと帰って行った。
その夜もあいかわらず千鶴は風呂には入らず、総司だけが入る。
布団を並べて寝るものの、二人の会話はほとんど無くて。
何が総司の機嫌を損ねてしまったのか全く分からない千鶴と、なぜこんなに機嫌を損ねているのか自分でもわからない総司は、お互いに背中をむけたまま眠りについたのだった。