【夜の虹 2】









「失礼ながら沖田組長、全然だめです」
山崎の声に、総司は心底うんざりした顔で溜息をついた。千鶴も疲れたように肩を落とす。
「……山崎くん、さっきから『失礼ながら失礼ながら』ってほんとに失礼なくらいダメだしされてるんだけど」
「失礼ながら全く駄目だからです。もう一度いきますよ。さぁ隣人の私に引っ越しの挨拶をしてください」
ぴしゃり、と閉められた障子を、千鶴と総司はぼんやりと眺めた。小さく溜息をつくと目を見合わせる。屯所の廊下に立った二人はもう一刻以上も引っ越しの挨拶の練習を繰り返していた。夕飯もとっくに終わり多分みんなはもう風呂も入り眠る準備をしているころだろう。

 総司は軽く咳払いをすると障子に向かって声をかけた。

 「すいませーん。隣に引っ越してきたものなんですけどー、ごあいさつにお邪魔しました」
一字一句山崎に指示された通りに総司が言う。

 ……なんだ、あの投げやりな『すいませーん』は……!まず第一印象をよくしなくてはいけないというのに、あれではまるでチンピラじゃないか……!もうちょっと低姿勢であいさつできないものなのだろうか……!

山崎はいらいらしながらも、ここでダメ出しをするとまた前に進まないため敢えて目をつぶった。
「はい、ご丁寧にどうも」
障子をあけると、夫婦役の総司と千鶴が立っている。二人を一目見て、山崎はすぐにダメ出しをしたくなった。まず千鶴がおどおどしすぎている。これでは新婚というより奉公人だ。そして総司があまりに態度が悪い。ガラが悪い。姿勢が悪い。表情が悪い。初めて所帯を持った爽やか好青年(今回のキャラ設定)の欠片もない。
山崎が怒りを我慢して固まっていると、総司が挨拶を始めた。
「あー……僕たち隣に引っ越してきたものです。僕は総司郎と言います。こっちは千鶴です。今後ともよろしくお付き合いください」

 ……棒読み……。

山崎は額を手で押さえた。

 駄目だこれは……。指導や練習でどうにでもなるものではない。しかし自分は副長に今回の案件に関して沖田組長をサポートするように頼まれている。どうすれば……。

 ふと山崎は総司の隣で疲れたように立っている千鶴に目をむけた。しばらく考えた後、にっこり笑って総司に言う。
「……だいぶ良くなりました。今日はここまでにしましょう」
「ああ〜疲れた。もういいよ。近所づきあいでの旦那の出番なんて最初の挨拶だけでしょ。明日から本番なんだから疲れて寝不足の顔じゃ却って問題だよ」
さ、行こ。と言って千鶴の背を押す総司に、山崎は言った。
「あ、雪村君は少し残ってくれますか。女性の仕草に少し問題が……」
「あ、そ。じゃ、がんばって〜」
総司は手をひらひらさせながら去って行った。

 千鶴は疲れ切っていた。突然総司と夫婦のふりをしろと言われて混乱しているうちにさくさくと手順が決まって行った。
その長州の大物がいつ来るかわからないため、早速明日から近くの空き家に引っ越すことになり、女性用の着物やら小物やらは今夜中に新選組で用意してもらうことになった。やることといえば周りから疑われないように普通の新婚のふりをすること。
母親の記憶がない千鶴には正直言ってどうすればいいのかわからない。しかも相手はいつも自分をいじめている総司だ。平助や斎藤、左之が相手なら屯所で話したり笑ったりすることも多いので、その延長で何とかなりそうな気もするのだが……。
甘さが足りない、と山崎には先ほどからさんざん言われているが、いつ意地悪を言われるかわからない相手にどうやって甘えろというのか……。
千鶴は明日からの生活がかなり不安だった。今の千鶴の望みは一つだけ……。

眠りたい……。

千鶴は、何を言われるのだろう?と不安げな顔で山崎に向き直る。山崎の目が光った。
「……沖田組長は駄目です。雪村君、君が挨拶も近所づきあいもやってください。たぶん……いえ、絶対その方がいいと思います。まず、引っ越しの挨拶から……」
山崎の言葉に千鶴は立ちくらみがした。

 

 総司は立ち上がって隣との間にある生垣の向こうを覗いてみようとした。しかし高すぎて見えない。ちょうどこのすぐ裏に例の長州ものを匿っているという離れがあるはずなのだが……。
 生ぬるい湿気をはらんだ空気が、暑さを増長させいらいらさせる。総司は庭に面した縁側に座り胡坐をかいた。
総司ははっきりいって今回の特命は不満だった。千鶴と夫婦のふりをしながら、彼女を守りながら、隣の動静を新選組に報告する、という今回の特命。長州の大物が現れたら、そいつをつけて捕まえるのは総司ではなく別の隊だ。面白いところは全部他の奴にとられて、自分は子供を卒業したばかりの少年だか女の子だかわからない子供のお守。どうせ子供なら本当の子供の方が楽しいのに。
 今、この二人の新婚用の仮の家には総司しかいない。千鶴は女性の恰好になってからこの家に入らないと怪しまれるため、総司が先に来ているのだ。隣の様子もわからないので総司はぶらぶらと家の中を探検してみる。部屋は全部で二つ。少し広めの庭。勝手場。そして幸運なことに風呂がある。これは千鶴は喜ぶだろう。部屋も二つしかないから同じ部屋に寝ることになるだろうし、風呂も槇くべの火の番はお互いがやることになるだろう。彼女は恥ずかしがりそうだが、まあ、まだ子供だし大丈夫だろう。それにここは屯所よりは風通りがよく涼しそうだ。総司はそう思うと、居間らしき部屋の真ん中でゴロリと横になった。


 からり…という静かな音で総司は目を開けた。しばらく眠ってしまっていたらしい。イグサの香りがする真新しい畳に腕をついて総司は半身起き上ると入口の方を見た。

 涼しい風とともに入ってきた千鶴に、総司は目を奪われた。

思わず起き上る。

涼しげな白地に青い小花が散っている夏物の着物を着て髪を結いあげた千鶴は、間違うことなく女の子……女性だった。濃い黄色の帯が腰の細さを強調し、結い上げた髪の下に見えるうなじや耳の白さがまぶしい。少し恥ずかしそうに頬を染め、視線をそらしている睫の黒さが白い頬に際立っている。
内心の動揺を押し隠し、総司はほほえみを作った。
 
 「……へぇ、似合うね。馬子にも衣装」
総司の褒めているのかけなしているのかわからない言葉に千鶴は困った顔をした。とりあえず、という感じで、ありがとうございます、とにっこり笑う。
その笑顔に、総司はまた息を呑んだ。

 ……かわいい……。

 男の恰好をしていても女の子であることはバレバレだと思っていたけど、やはり女の恰好をすると全然違う。これまでのように軽く小突いたり、後ろからいきなり腕をつかんだり……などということはとてもできそうにない雰囲気だった。なんとういうか……大切にあつかわなくてはいけないような、いつも笑っていて欲しいような……。胸が妙にドキドキしてなんだか気分が浮き立ってくる。

 ……これは、他の奴らに譲らなくてよかったかな…。

 総司は初めてこの任務に自分がついたことを喜んだのだった。

 

 一方千鶴は何故か恥ずかしくて総司の顔が見られなかった。屯所では散々いじめられたりからかわれたり、近くで抱きしめられたりしたことだってあったのに、なぜだか緊張して傍に行くことができない。総司はいつもの服ではなく濃い藍の着流しをきて黒い帯を締めていた。濃い色に総司の薄い髪の色が映える。着流し姿が妙に男っぽくて知らない男の人のようで、いつものように気軽に話しかけることができない。

 妙に緊張している様子の千鶴を、総司は興味深く眺めていた。意識されていると思うと何故だか嬉しい。からかい癖がムズムズとざわめく。
「千鶴ちゃん?なんでこっちこないの?あ、違うね。……千鶴。こっちにおいで」
後半、妙に低く艶めいた声で言われて、千鶴はさらに赤くなった。耳まで熱い。
「……は、はい……」
小さく答えて、自分のつま先を見ながら総司の近くまでくる。着物の裾から見える裸足のつま先と足首の白さに、総司はドキッとした。
総司の前にちょこんと座った千鶴を、総司はまじまじと見つめた。
「……ほんとにかわいいね。見違えたよ」
総司の褒め言葉に、千鶴はさらに汗をかいて小さくなった。あ、ありがとうございます、とあいかわらず小さい声で言う。
「隣の家に挨拶に行かなきゃだけど、こんな状態じゃ怪しまれるね。もうちょっと僕に慣れてもらわないと。ほら、こっち見なよ」
からかうように言う総司に、千鶴ははっとした。

 そ、そうか。これは隊務だった……!いつもお世話になっている新選組に御恩返しが出来るんだから頑張らないと…!

 そう思って顔をあげた千鶴は、至近距離にある総司の整った顔といつもと違う雰囲気に目を見開いて、顔をあげたことを後悔した。どうしても総司の姿を食い入るように見つめてしまう。町方の人が着る服を着ていると、普段は感じない総司のたくましさや背の高さを妙に意識してしまう。緩く結んだ髪型もいつもの服だとなんとも思わないのに、今の着物だと色っぽく感じる。

 沖田さん、前から見た目は素敵だと思っていたけど、やっぱりすごく恰好いい…。

ほ〜っと見とれていると総司がにやっと笑った。
「気に入った?」
「……え?」
「君の旦那」
あわあわあわ……!顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている千鶴を面白そうに見ながら総司は言った。
「僕は気に入ったよ、可愛い奥さんのこと。君は?」
俯いた千鶴の顔を覗き込むようにして、総司はさらに重ねて聞いてきた。逃げられないと観念した千鶴は、目をギュッとつぶりながら言った。
「わ、私もです……」
「私も、何?」
意地悪に言わせようとする総司に、千鶴は、ああ、変わらない……と思いながら絞り出すように言った。
「す、素敵だと思います」
総司の勝ち誇った顔を見ないように、真っ赤になったまま千鶴は瞼を閉じた。

 

 隣人夫婦は総司達よりも少し年上の感じのよさそうな小太りの夫婦だった。特に詮索してくることもなくほほえましそうに新婚夫婦を眺め、挨拶を交わした。今朝山崎に言われた通り、総司は隣でニコニコ笑い、挨拶は千鶴がした。
千鶴の変身した姿に、総司の態度は昨日の夜とは全然違ったものになっていたため、全く怪しまれることはなかった。今の総司の表情やら、さり気なく千鶴の肩に添えている手など、山崎が見たらきっと合格していたことだろう。
何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね、と隣人夫婦に言われ、千鶴は隊務とはいえ嘘を言っている自分が心苦しかった。

次の家へと向かう途中で、そんな千鶴を見て総司が小さい声で言う。
「お互い様なんだから、君が後ろめたく思う必要はないんだよ」
「え?」
「あっちはあっちで僕たちに隠してることがあるってこと」
自分の考えていることを正確によんだ上に、慰めてくれているような総司の言葉に、千鶴はなぜだか胸があたたくなるのを感じた。本当の夫婦のようにお互いを思いやっているような感じがする。いや、感じがする、のではなく、今の総司の言葉は本当に自分を思いやってくれていたのだ、と千鶴は改めて嬉しく思った。

 さらに向こう三軒と道の向かい側にも挨拶をすませて自分たちの家にもどると、もう夕飯の時間だった。


 千鶴が張り切って品数豊富においしそうに作った夕飯を、総司はほとんど残してしまった。しゅんとしている千鶴に、総司はとりなすように言う。
「だから僕はあんまり食べないんだって。作ってくれてるときに何度も言ったでしょ?食べるよりお酒。屯所でもそうだったと思うけど?」
「はい……。それはそうなんですが、今は隊務だからお酒は召し上がらないときいていたので、じゃあ食べる方は多い方がいいかと……」
「まぁ、いいよ。暑いから痛むのも早いだろうし、材料費は隊持ちだから気にしなくていいから余った分は捨てよっか。次からはあんまり作りすぎないようにね」
「はい……」
千鶴はしょんぼりと頷いた。

総司があまり食べないのは知っていた。が、自分の好きなように料理ができて、総司のためにつくるのが嬉しくてつい作りすぎてしまったのだ。いつもの隊での食事当番とは違い特定の人のためだけに作る料理は楽しかった。
総司がためらいなく庭に掘った穴にばらばらと入れられる煮物や焼き魚を見ながら、千鶴の胸は痛んだ。

 あ、あの人参……沖田さん好きかなと思って花形にしたんだっけ……。あ、あのお魚。せっかくいい焼き具合になって嬉しかったんだけどな……。

 食糧は食糧、とあっさり考えていた総司は、残ったものを捨てているのを見ている千鶴の辛そうな目が、まるで総司を責めているように感じて、思わずムッとしてしまう。

 なんなの。だから僕はそんなにたくさんは食べられないって言っておいたのにさ。

 

その後はお互い妙に不機嫌で、会話もなくむっつりとお茶を飲む。

 

新婚初めてのケンカであった。

 





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