【夜の虹 1】









 「怪しまれた?」
土方の言葉に、山崎は苦虫をかみつぶしたような顔でうなずいた。
「あーあ、山崎君やっちゃったね」
総司のからかうような言葉に、山崎はさらに俯いた。左之が、おい!と総司を肘でつつきたしなめる。
「あの場所は確かに物乞いは目立つかもしれねぇなぁ……。なんつーか、店や食べ物屋があるわけじゃなし、かと言ってガキがうろちょろしてるわけじゃねーし……」
左之のとりなすような言葉に、土方もうなずいた。
「確かに。夫婦もんや妾を住まわす静かなところだしな。だからといって男一人であの辺で家借りて住むのも却って目立つ。最初は物売り、次は物乞い、と変えてはみたんだが…」
「物乞いの恰好をして、例の家の入口が見える角で座っていたところ、二本ざしの男に『以前来ていた小間物売りに似ているな』と……」
山崎の言葉に、皆は溜息をついた。
「あの家は、長州の大物が隠れて京に来たときに使うという話は前から聞いていたんだよ。近々重要人物が来る、との情報があったんだが……」

 そのこじんまりとした家は、閑静な屋敷が立ち並ぶ一角にあり、若夫婦が住んでいた。どうもその若夫婦は長州藩に縁の者たちで、家の離れに長州のお尋ね者たちを匿ったり隠れ家として利用させたりしているらしいとの情報を、新選組の諜報班がつかんできた。近々、ずっと土方達が追ってきた長州の重要人物が来るらしいとの情報をつかんだものの、場所がら男一人での見張りは目立つ。かといって家を一軒借りて男一人が住むのはもっと目立つ。見張りにくいからこそ、長州はあの場所を絶好の隠れ家としているのだろうが……。いくら新選組でも確たる証拠もなしに一般の人々の家に踏み込むわけにはいかない。
「そうだ!女装して妾のふりすれば?」
平助がポンっと手を打つ。
「……自分は女装することもあるのですが、さすがに四六時中女装して住み、近所づきあいもするとなると……」
「……そりゃ、ばれるな」
山崎の言葉に、左之がつぶやいた。手詰まりになった幹部会は、溜息やらうめき声やらが響き言葉が途絶えた。

 「きゃー!!」

そこに、勝手場の方から千鶴の叫び声と、ガラガラガッシャーン!!という何かが大量に崩れ落ちて割れるような音が聞こえてきた。
その声に、土方と山崎がはっと顔をあげて目をあわせる。それには気づかないまま総司は、はぁやれやれ、と言いながら立ち上がった。
「ちょっと見てきますよ。さっきお茶持ってきてくれるよう彼女にお願いしたんで」
呆れたように席を立って、部屋を出て行く総司の背中をなんとはなく見つめながら、皆は顔を見合わせた。
「……そう言えば、いたな。女子が一人」
「しかも暇だし、心配するようなうるさい親族はいねぇし……」

 左之と土方の言葉に、平助があわてたように反対した。
「何言ってんだよ!千鶴は隊士じゃねぇじゃん!?預かりもんじゃねぇか。しかも長州やらなんやら関係のない女の子だぜ?身元だって今は父親が行方不明なだけでしっかりしてるし、望めばちゃんとしたとこにだって嫁に行ける身分だし!」
「……平助の言うとおりだが……。身の安全は隊士が責任もって守ってやりゃあいいんだし、別に今回は闘うわけじゃねぇ。隣の家の出入りを見てりゃあいいだけだ。それも俺らがやりゃあいい。しかも期間限定だ。あいつはいわば目くらましなんだから普段通り……っつーか、元通り、だな。女の恰好して普通に暮らすだけだ。こんな男所帯であっちこっちに気を使っている今よりは、千鶴にとってもいいんじゃねぇか?」
土方の最後の方の言葉に、言い返そうとして口をひらいた平助は言葉を呑みこんだ。確かに千鶴はいつも窮屈そうだ。特に今は蒸し暑くて、男どもは井戸の前でざばざば水浴びをしているが、千鶴は着崩しもせずもちろん水浴びもせず、ひたすら耐えている。風呂だってたぶん満足に入れないだろうし、入れたとしてもみんなが入った後の汚いお湯……。女物の薄物を来て、好きな時に水浴びが出来て、掃除しても掃除しても汚される屯所じゃなくて、洗濯も大量の汗臭い男物ばかりじゃない生活……。

 「じゃあ……、どうすんだよ。誰かの妾ってことにすんのか?」
平助の言葉に、皆(土方、左之、斎藤、山崎)は思わずつばを飲み込んだ。そんな不埒な目で、普段千鶴を見ているつもりはない。……つもりはないが……毎日帰れば女の着物をはんなり着こなした(←妄想)千鶴が出迎えてくれて、千鶴が作ってくれたご飯を千鶴が食べさせてくれて(←妄想)、その日あった他愛もない話をし、風呂に入れば千鶴が『お背中流しましょうか……』(←妄想)などと言ってくれる……。新選組の隊務とはいえ、これは……おいしい。おいしすぎる。
「……いや……、あー……、ゴホン。妾っつーのはまずいだろ。昼間は男がいねぇわけだし。隣の家を見張るには昼間も誰かがいねぇと……」
「ってことは、夫婦!?」
そうだ、金持ちの次男坊とかでふらふらしてるボンボンが京にはたくさんいる。そんなふりをして四六時中千鶴と夫婦……。

『あなた、お茶がはいりましたよ』
『おう』
『庭の牡丹きれいに咲きましたね』
『この雨で散っちまうかもなぁ』
二人は意地悪な雨を見上げた。
『……雨は憎らしいけど、好きです。』
『なんでだ?お前牡丹気に入ってたろ。』
『だって……。どこにも出かけられなくて二人きりでいられますから。』
千鶴はそういうと恥ずかしそうに俯く。
照れたように微笑ながら見つめあう二人を、雨が優しく包んだ……。

 

 「あー……俺、やってもいいぜ」
平助が手をあげた。
「まぁ四六時中気ぃ抜けない大変な仕事だとは思うけど、新選組のためならできっから」
目をそらしながら頬をそめていう平助に左之が言う。
「何言ってんだ。お前に演技なんて無理だろ。しかも夫婦だぜ。新選組のうかつ大将ができっこねぇ。ここはやっぱ俺だろ」
「左之はいかん。何かあった時槍では屋内での戦闘に不便だ。気は進まないがここはやはり俺がやるしかないのではないか」
生真面目な顔で言う斎藤に、土方が言った。
「斎藤、お前は隠密を何度かやってもらっているが女子がらみは無理だろう。この仕事は、一般の民を演じながらも隣の出入りに気を配り、なおかつ長州の動きにも目をやる必要がある。まぁそんな長い期間ではないだろうし、俺がやってもいいかと……」
「「「土方さんはだめだろ」」」
三人の声があった。
「土方さん、顔が売れすぎ」
「たとえ一日でも副長がいないと仕事が滞ります」
「悪いけど、女好きの悪名高い土方さんには千鶴が危なすぎるぜ」
……ちっ!
土方は心の中で舌打ちをした。
「じゃあ、誰にすんだ。千鶴の旦那は?」
皆は顔を見合わせた。

 

 床にバラバラに散らばった湯呑を、千鶴は溜息をついて見つめた。
「あーあ……」
上の方に置かれてしまっていた急須を取ろうとつま先立ちになったところ、体勢をくずして流しに積んであった湯呑を落としてしまった。幸いなことに割れた湯呑は一つだけだったが、もう一度洗いなおして急いでお茶をいれなくては。しかも急須もとれていない。
「とりあえず、急須をとって……」
千鶴がまた背伸びをして急須をとろうとしていると、後ろからすっととってくれる手があった。お礼を言おうと振り返ると、総司が急須を持ちながら意地悪そうな緑の目で見降ろしていた。
「察するに、これをとろうとして……、湯呑を全部ちらかした、と」
千鶴にとって総司は失敗したときに一番に会いたくない人なのに、何故かいつも失敗した場面に現れる。千鶴は赤くなって唇をかんだ。
「お茶を淹れるだけにどんだけ時間がかかってるのさ。早くしないと幹部会終わっちゃうよ」
そういう総司に、千鶴は小さく、すいません…。と謝った。
総司はしゃがみこんで湯呑を拾い始める。千鶴も慌ててしゃがんだ。
「いっいいです。沖田さんは幹部会に戻ってください。沖田さんにこんなことさせるわけには……!」
「でもたぶん君より僕の方がうまいと思うよ。まぁいいから早くやろう。二人でやった方がはやくできるんだし」
剣もふるえない上にお茶を淹れることすら満足にできない自分に、千鶴はまた唇をかんだ。何か役に立ちたいのに…。経験も実力も何もない自分がもどかしい。総司はそんな千鶴にかまわず、割れた欠片を集め始めた。
「っつ……!」
総司の声に驚いて千鶴が見ると、総司の人差し指に赤い滴が盛り上がり、みるみるうちに滴り始める。千鶴は考える間もなく総司の手をとり人差し指を自分の口に含んだ。

 

 千鶴の突然の行動に総司は驚いた。ひどく親密なその仕草に思わず心臓がドクンと鳴る。総司の手を、千鶴の小さな白い手がそっと包む様に支え、人差し指を唇で挟む様にしている。総司はその暖かな手の感触、唇の柔らかさを妙に鋭く意識した。そして……千鶴の舌が優しく、傷に触れないようにそっと動く。

 

 どのくらい時間がたったのだろう。口の中の総司の指からは血の味がしなくなってきたので、千鶴はそっと唇から総司の指を離した。そして確かめるように傷口を見る。傷はそれほど深くは無いようで、切れ目からかすかに血はにじんでいるものの、もう大丈夫そうだった。千鶴はほっとして顔をあげる。と、奇妙な顔をして自分を見ている総司と目があった。その途端、自分がしていたことに気が付いて千鶴は真っ赤になり勢いよく立ち上がった。
「すっすすすっすいません……!!わ、わたしなんてことを……!!」
手を、手をあらってください!と汲み置きの水をひしゃくですくって持ってきた千鶴に、総司は言った。
「いや、いいよ」
そして、自分の指を見る。
「血、止まったみたいだね。ありがとう」
あんな手当ともいえない失礼な行為に生真面目に礼を言われて千鶴はうろたえた。
「本当に、すいませんでした。失礼なことを……」
「いいって言ったでしょ。それよりこれから僕が刀で傷を負っても同じようにしてくれる?」
悪戯っぽくほほえみながら言う総司を、千鶴はキョトンと見上げた。
「……同じように……?」
「ちゅうちゅう口づけして、ぺろぺろ舐めてってこと」
総司の言葉に、千鶴はさらに真っ赤になり汗が噴き出した。その顔を見て総司が笑い出す。
「すっすごい顔……!!茹蛸みたい……!!」
お腹を抱えて笑っている総司に背をむけて、千鶴は真っ赤になりながらも黙々と湯呑を片付けお茶を淹れはじめた。

 

 「……じゃあ、結局総司ってことか?」
「確かに総司はうかつ者ではなく、刀使いで、顔がそれほど割れてなくて、女子とも普通に会話ができるが……。しかしあまりも消去法すぎる気が……」
「あいつは、そりゃ条件的にはあってるけどよ、性格に難があるんじゃねぇか……?」
「……自分の不手際のせいでこのような事態になってしまったため何も言えませんが……。しかし沖田組長が夫婦の役をできるものでしょうか……?」
「……しょうがねぇだろう。話し合った結果だ」
最後に土方がそう締めくくると、5人は言葉もなく視線を交わしあった。確かに自分が言った否定材料であるため強く否定できないが、夫婦での密偵役として総司は一番不適任なような気がする。しかし左之が言ったとおり、話し合いでの条件にはあっている……。

奇妙な沈黙が漂う中、二つの足音が近づいてきた。

からり、と障子があいて、総司と千鶴がお茶を持って入ってくる。

微妙な目で自分たち二人を見ている5人に、総司と千鶴は顔を見合わせた。





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