薫
『はあ?ゆいのう〜!?お前いつ男とつきあってたのさ!』
電話の向こうで裏返った兄の声に、自分はそんなに男っ気がない生活だったかと千鶴は複雑な思いだった。
まあ、あたってはいるのだが。
「なんだかそういう話になったの。で、結納のまえに、会える家族とは顔合わせをしようかって。今週末なんだけど、薫、帰って来れる?」
『……』
電話の向こうで兄は沈黙していた。義母と折り合いが悪く毛嫌いしている薫は、就職と同時に家を出ていた。何のかんの言って義理堅い兄なので、こういう家族の行事には帰ってきてくれるとは思うが、しかし相手の名前を知ったら……
『帰るけどさ…。相手は何て奴なんだ?』
……ここで幼馴染の総司だと言うのはかなりの勇気がいる。
千鶴は曖昧に微笑みながら携帯電話に向かって沈黙した。昔から薫と総司は仲が悪かった。いや、仲が悪いという一般的な言葉では足りない。天敵と言っていいくらいお互いにそりが合わないようだったのだ。千鶴をはさんでいつもケンカをしていた思い出ばかりだ。しかし相手の名前を言わないわけにはいかない。
「あの、薫…総司君、覚えてる?……そうそう。向かいの。昔よく一緒に遊んだ。……うん、今は……高校生なんだけど…」
「気が狂ってるとしか思えないね」
家族での食事会明日に控えて、千鶴は近所のカフェに薫に呼び出されてきていた。
明日は雪村家で結納前の簡単な家族顔合わせの食事会があるのだ。総司の両親は都合があわず、総司と姉のミツ、千鶴と千鶴の両親、そして薫も出席することになっている。が、薫はその前にどうしてももう一度考え直すよう説得したいらしい。
大嫌いな義母のいる家には行きたくないと薫がいうので、こうしてファミレスで遅い夕飯を食べているのだ。
「沖田にちゃんと断れよ。話を聞いてたらお前、お見合いをネタにいいように流されてるだけじゃないか」
「でも、総司君はお見合い話で困ってた私を助けてくれたんだよ?」
千鶴の言葉に、薫は「けっ!」と吐き出すように笑う。
「何がだよ。これ幸いとばかりに便乗してお前を強引に手に入れようとしてるだけじゃないか。正攻法で口説くでもなく火事場泥棒的などさくさでさ。まあ正攻法で口説いても振られるのが分かり切ってたから口説かないでいたんだろうけど」
「そんな……」
薫の厳しい意見に、千鶴は眉をしかめた。スパゲッティをフォークで無駄に何度もくるくると巻く。
「それは違うよ。だって…総司君はもてるもん。高校の女の子たちがバレンタインとか総司君の誕生日とかに家の前で待ってるの、何度も見たし。それにまだ高校生なんだからこれから彼女がたくさんできると思う。私の方が、もういい年なのに男の人とつきあったこともないしもてないし……。総司君の方がどっちかっていうと損な話だと思う」
生真面目な顔で言う妹に、薫は溜息をついた。バイクで来ているためアルコールは飲めないが、飲みたい気分だ。
「何言ってんだよ。あいつは昔から…それこそ三歳のころからおまえを、お前だけを狙ってんだよ。お前のお見合いの話は、お前が断ればいいだけなのにそれに自分との結婚話までくっつけてんのは、絶対そのせい。お前それでいいの?」
最後の一言を言いながら、お行儀は悪いが薫は食べていた箸で千鶴を指差した。
「お前は沖田の事好きでもなんでもないんだろう?お見合いを助けてくれたからっていう犠牲的精神だけでアイツと結婚してこの先どうするんだよ」
「好きでもなんでもない…って…。そんなことないよ、総司君のことは……」
「それは近所の幼馴染として好きなんだろ。結婚相手としてじゃないだろう」
「……」
『両家が顔合わせしちまったら、結婚式まで途中でストップ入れるのはなかなか難しくなるんだぞ。考え直すんなら今夜中に決めて、明日の食事会の前までにちゃんと中止するって言えよ』
最後はもうこの話は破談だとばかりに決めつけて、薫は千鶴を実家の前まで送るとバイクに乗って自分のマンションへと帰って行ってしまった。
時間は夜の10時。
千鶴は薫から言われたことでかなり動揺していた。
そうなんだ。私は別に結婚自体、したいと思っていなかったんだっけ。
なのに、何故か今することになってて、しかも相手が総司君で……。
待って待って。整理しないと。
まず、結婚よね。これは……うん、特に今したいとは思っていないけど……でもしないままで実家にいつづけるのは多分無理。
だから、結婚をしないなら家を出て一人暮らしをすることを考えないと。
そして『結婚』自体については。
これまで考えたことはなかったが、今回のことでかなりいろいろ考えた。
あの紫陽花の公園で総司が話してくれた、JRと私鉄の話。
千鶴はあの話で、いっしょに私鉄にのってくれるような人と結婚したいとはっきりと思えた。そしてそう言う人ともし出会えなければ、無理してまで結婚はしたくないと。ちゃんとはっきりそう思えたのは、自分を受け入れてくれた総司がとても嬉しかったから。
そのままの自分を受け入れてもらえるというのが、こんなに幸せで楽になれるものだとは思っていなかった。
そんな風におもってもらえる人と結婚して、自分も相手に対してそう言う風に思わせてあげられるのだとしたら、こんな嬉しいことは無い。そういう意味では、千鶴にとっての『結婚』について、ちゃんと考えることが出来た。
次は総司についてだ。
これは薫に言われて気づいた。
お見合いから助けてくれたお礼として、自分は総司と結婚しようとしていたのだろうか?それは、最近ようやく気付いた千鶴の『理想の結婚』からは程遠い。
薫曰く、総司は自分のことを好きでいてくれるとの事だった。あの紫陽花の公園で総司にもそう言われた。
でも自分にしてみればそれを知ったのがつい最近で、総司の態度も飄々としていて。本当に彼が自分のことを好きなのかいまいちよく分かっていなかったように思う。
それに、じゃあ自分はどうなのだろう?総司のことを好きなのだろうか?総司が千鶴のすべてを受け入れてくれたように、千鶴も総司を受け入れて幸せに、楽にしてあげることができるのだろうか?
キスされた時は…もちろんとってもドキドキした。
抱きしめられたときも、嫌だとは思わなかった。
総司のことは、幼馴染として受け入れて好きだけれど、それと結婚相手とのはもちろん違うのだと思う。
でも、どう違うのかがわからない。
千鶴は下唇を噛んで、向かいの総司の家を見上げた。総司の部屋は電気がついている。
明日の食事会までに、ちゃんと自分の気持ちを確かめたい…!
千鶴は携帯電話で総司の番号を呼び出すと、通話ボタンを押した。
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