信じること
2
怒らせた。
怒らせた上に多分傷つけた。
総司は、最初から千鶴の事だけを見てくれていたのに。
『私鉄とJR』の話だってそうだし、結婚を決めるときも周りの無責任な人達の『無理』の言葉じゃなく総司の事を信じて欲しいと言われていたのに。いや、総司の事を信じるというのは少し違う。
千鶴は総司がいそうなあらゆる場所を探しながら考えていた。
学校、駅、駅の近くの本屋にカフェ。どこにも総司はいなかった。
高校生となると行動範囲も広くてこれ以上探しようがない……と思った時、道場がふいに千鶴の頭に浮かんだ。小学生のころは練習の日でなくても道場に行っていた。総司が親とケンカしたり叱られたりした後に道場で無言で素振りしている姿も、高校生の千鶴は見たことがある。
多分道場だ……!
千鶴は今いる駅とは反対方向の道場へと足を向け、小走りになりながらも考え続ける。
総司の事だけを信じていればいい、とかそう言う感じではなかった。総司は自分のことも――千鶴自身のことも信じる様にと言ってくれていたのだ。
JRより私鉄を選ぶ千鶴。
安心な人生よりワクワクする人生を選ぶ千鶴。
そのどの千鶴も、総司は好きだと言ってくれて、認めて受け入れてくれたのだ。
なのに千鶴はいつも総司自身を見ないで自分の頭の中で勝手に描いた『総司』に対してアレコレ考えてしまっていたのだ。
総司がどんなふうに感じてどうしたいのかと思っているのかではなく、全体を見てから自分の立ち位置を決めて、それを総司にも要求していた。
私の方が年上なのに、全然わかってなかった。
ごめんね、総司君……
こんな風に人と一対一で深く付き合うのが初めてで、と言い訳をさせてもらおう。
だから次からはちゃんと総司だけを見て、目の前の総司の事を考えて、二人で決めるようにしていきたい。周りの人から何か言われたら、きっとまた千鶴は揺らいでしまうかもしれないけれど、でもそれも総司に伝えて二人で。
こんなに走ったのは久しぶりだ。
千鶴は肩で息をしながら、久しぶりに来る道場の懐かしい下駄箱のあたりでいったん脚を止めて呼吸を整えた。
道場の下駄箱には見慣れた総司のクロックスがある。やはりここにいたのだ。
千鶴は自分の履いていたバレエシューズを脱いで、あっちこっちに放り出されているスリッパを履く。今日は日曜でクラスは全て休みなのだが、道場と自宅が隣接している道場主の近藤が毎日道場を開けてくれていて自主練ができるようになっているのだ。
千鶴がそっと道場を覗くと、案の定総司が竹刀を構えて素振りをしていた。道着には着替えておらず、先ほどとおなじピンクTシャツとブルーのポロを重ね着に細身のストレートジーンズだ。
道着とは違い体の動きがよく見える。
スッと伸びた背筋や竹刀を上段に構えるときの背中の動きがきれいだ。真剣な横顔が夕方の西日に照らされて、もとから色素の薄い茶色の髪が金色に輝いて見える。
いつも隣にいて愛情をあけっぴろげに表現してくれる『総司君』。
しかし、先ほど怒らせてしまった時に見た冷たい瞳と、近寄りがたい今の雰囲気で知らない人のように思える。
受け入れてもらえないのってこんなに不安なんだな……
そんなつもりはなかったものの結果として総司自身を受け入れていなかった千鶴は、こんな思いをいつも総司に味わわせていたのかもしれない。
「いつ声をかけるつもり?」
コチラに気が付いていないとばかり思っていた総司が、ふいにそう言い千鶴は驚いた。静かな道場の中に響く総司の声は、同じく静かだった。
スッと竹刀を下げて総司がこちらに向き直る。
いつも仔犬のように尻尾を振ってかけよってきてくれる総司に見慣れていた千鶴には、今の総司は少し怖い。でもきっと千鶴以外の人にとっての総司はいつもこんな感じだったのだろう。
千鶴はゴクンと唾を飲んだ。ちゃんと謝らないと。
「あの……ごめんなさい。さっきの事もこれまでの事も」
「……」
「私、何度も総司君に言われてたのにまた二人の事を、他の人の意見で決めようとしちゃってました」
千鶴がそう言うと、総司は小さく溜息をつき竹刀置き場に向かった。そして竹刀を置くと入口の千鶴のところまで歩いてくる。
「……僕は、同級生の女の子とか千鶴ちゃんの同年代の女の人とか、そういうのは見てないよ。千鶴ちゃんしか見てない。他の人がこうしてるから自分もこうしようとか、そういうのは関係ないよ」
「ごめんなさい。私……そんなことも気づいていなくて。自分が多分ずっと周囲の人にあわせてたので二人の関係でもついそれをやってしまったんだと思います。でも……」
千鶴はそうつづけて少し頬を染めた。そして顔をあげて総司を見る。
「でも、私だけを見てくれている総司君がとても嬉しいので、私も総司君だけ見るようにしたいです。……いえ、します。小さいころからの習慣なのでついつい周囲を見てしまうこともあるかもしれないですけれど、でも自分でちゃんと気を付けて……」
千鶴が真面目な顔で決意表明をしていると、総司がぷっと吹き出した。
千鶴が思わず見上げた彼の緑の瞳は、依然と同じで暖かくきらめいている。
「いいよ、そんな真面目に計画立てなくても。気を付けてくれるだけで充分嬉しいよ。それに周囲の人を見て自分を決めるっていうのも、つきあっていてもそういう人もいるしさ」
「じゃ、じゃあ……許してくれるんですか?」
思わすすがるように見上げてしまった千鶴に、総司は照れくさそうな顔をして「ウン」とうなずいた。
「僕もなんだかカッとなっちゃって……」
総司は目の前で真面目な顔をしてこちらを見上げてくる千鶴を見た。
髪が乱れて生え際の髪は汗で額にはりついている。心なしか息もまだ荒いようで、きっと走って総司の事を探し回ったのだろう。
総司が何も言わずに出てきてしまったせいで。
でもあの時は、本当にカッとなってしまったのだ。
そう、純情を踏みにじられたような。
これまで何度も千鶴の事を好きだと伝えてきているのに、まったく彼女の心に届いていなかったような。
でも今目の前の千鶴の様子を見て、カッとなった気持ちも落ち着いてくるとわかる。
彼女はそういう性格なのだ。それはわかっていて総司は好きになった。
人に合わせている彼女を、今度は総司に合わせて欲しいと、要はそういうことなのだ。総司は誰よりも千鶴の事をわかっていると自負している。だから他の誰が言うよりも他の誰に合わせるよりも総司に合わせてくれた方が彼女を幸せにできるはずだ。
総司はそこに思い当たると、どこまでも自分本意な自分自身ににやりとした。
先程『許す』と言ったにもかかわらず総司が動こうとしないし千鶴に触れようとしないので、千鶴はなんだか少し困っているようだ。多分仲直りの証に手をつなぎたいんだろうと思うが、まだ少し拗ねている総司から手を伸ばしてあげる気はない。
千鶴はしばらくためらった後、「あの……」と困ったように総司を見ながら、手をおずおずと差し出してきた。
総司は内心してやったりと微笑むと、何食わぬ顔をして千鶴の手の上に自分の手を置いてあげる。千鶴はほっとしたように微笑むと、ぎゅっと総司の手を握ってきた。
その感触に、総司は自分の心もぎゅっと握られたような幸せな思いになる。
二人で下駄箱に向かいながら千鶴が聞いた。
「私、男の人と正式に付き合ったことがなくて、その…やり方というか、周囲に聞くより相手をちゃんと見てとかそういう基本的なことがわかってなかったんだなって思います。付き合ってる人ってみんなそういうのをどこで学ぶんでしょうか?」
靴を履いて道場をでて、総司は手をつないだまま首をかしげた。
「さあ?他の人に興味がないからわかんない。でも僕はそういう付き合い方がいいなって思う」
夕方の風に吹かれて、リラックスした様子の千鶴も微笑みながらうなずいた。
そんな彼女を見ながら総司は思う。
そう、僕の付き合い方をして。
僕の色に染まって。
もっともっと僕を愛して。夢中になるくらいに。
そうして気づいたら千鶴の中には総司しかいなくなり総司以外の誰ともあわなくなるくらい、千鶴を総司でいっぱいにしたいのだ。
「じゃあ仲直りもできたし、家に帰ろうか?」
ケンカの直前にしていた大事なことがあるはずだ。仲直りできた今、家に帰って続きをぜひしたい。
総司がそう考えながら言うと、千鶴は何も考えていないようににっこり微笑んで同意した。
「そうですね、夕飯もまだですし……って…あ……」
途中で千鶴は何かに気が付いたように言葉を止めた。そして無言で赤くなりしばし考える。
「あの……その、周囲の意見を気にせずにということでしたが、あのやっぱりじゃあ、そういうことは結婚式を挙げて落ち着いてからの方が……」
「……」
やっぱりこのオチか……
総司は溜息をついたのだった。
そしてそれから半年後。
様々な障害を乗り越えて二人が結婚したのは三月。総司が高校を卒業した直後だった。
結婚式はレストランで。
親族と近しい友人だけ呼んだこじんまりとした式と披露宴だった。
プリンセスラインのウェディングドレスにマリアベール姿の千鶴はとてもきれいで、気慣れないタキシードを着た総司は目を逸らせなかった。
結婚指輪は二人でお金をだしあったシンプルなプラチナ。(総司のバイト代はこれに使った)
千鶴の薬指には総司に買ってもらったクリスタルの婚約指輪が光る。
誓いの言葉の後に総司がかすかに震える手でベールをあげると、うっすらと涙の光る眼で千鶴が見上げた。
妻をめとった総司の千鶴への感想は、
『サイッッコーにかわいくてきれいだった!』
だった。
【終】
読んでいただいてありがとうございました!
『あじさい』は今回で終了になります。
ただ、新婚後の二人が書きたいので、次回ちょっとだけ(多分1話だけ)二人の新婚の様子を書きたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました<(_
_)>