信じること
総司は後ろから緩く千鶴を抱きしめると、首筋に鼻をうずめた。
「いい匂い。千鶴ちゃんって何かつけてるの?」
千鶴は困ったように後ろを見て、けれども邪険に振り払ったりはせずにオムライスを作るための卵をかき混ぜる。
今日は日曜日で、総司の姉のミツは外泊するため千鶴が総司の夕飯を作りに来てあげているのだ。
「いいえ?シャンプーとかだけですよ」
「じゃー結婚して同じシャンプーとか使うようになったら僕も同じ匂いになるのかな」
いつも千鶴がそばにいるように感じられて、それはそれでいいかもしれない。
総司は千鶴の首筋に唇を当てながらそう考えていた。
「総司君、あの…火を使うのでちょっと離れてくれませんか?」
「んー…」
しかし総司の腕は千鶴の腰にまわされたままだ。
「なんか手が離れないよ…千鶴ちゃん腰細いね」
「そ、総司君…!」
千鶴はとうとう卵の入ったボウルと菜箸をカウンターに置いた。総司が待ってましたとばかりに、くるっと千鶴を自分の方へ向かせる。
そして優しく唇を合わせた。
もうキスは何度もしている。
軽いキスだけじゃなくて、深くて……かなり生々しいものも。
千鶴は最初はびっくりしたのだが今ではちゃんと応えられるようになっているし、正直……とても気持ちがいい、と思ってしまう。
優しくからかうように動く総司の唇は、千鶴の唇の敏感なところを執拗になめ舌を絡め探る。キスをしていると総司がどんどん盛りあがってくるのが分かるため、いつもは適当なところで千鶴から切り上げるようにするのだが、今日は違った。
ぐいっと引き寄せる総司の腕に逆らわず、千鶴もくたりと総司によりかかる。そして手を総司の頬に沿えて溜息と共にさらに深く口を合わせた。
「……っ千鶴ちゃん……」
総司の手がじっとしていられないとでもいう風に、千鶴のウエストから上へと上がってきた。そして千鶴の着ている薄手のブラウスの上から、胸をそっと包む。
「千鶴ちゃん……ねえ」
胸の柔らかさと千鶴の抵抗の無さから、総司の頭は真っ白になっていた。もう何を頼んでいるのかもわからないがとにかく千鶴に頼む。
「ねえ、いいよね?」
「……」
耳を舐められうなじにキスをされながら、千鶴はしばし沈黙した。
総司がまたもや『ダメ』と言われるかと覚悟した時。
「……総司君の部屋に、行きましょう」
「!」
総司は思わぬ千鶴の言葉に目を見開いた。
しかしそれは一瞬で。
すぐに気が変わられたら困るとばかりに、千鶴の肩を抱いて二階への階段へと向かう。
ゴム……ゴムあったっけ。そういえば買ったな。
どこに置いたっけ。
箱を置いた場所は思い出せないが、何かの時のためにとサイフに一つだけ入れたのは覚えている。サイフは自分の部屋のいつものカバンの中に入っているはずだ。
総司ははやる気持ちを抑えて二階の廊下を歩いた。走り出したいくらいだがさすがにそれをしたら千鶴にひかれるだろう。
「どういう風の吹き回し?まあ僕は嬉しいから千鶴ちゃんがその気になってくれただけで嬉しいんだけどさ」
部屋のドアをあけながら総司がそう言うと、千鶴はうつむいた。
しかし夢中な総司は気づかない。そのまま部屋のドアを閉めて鍵をかけると千鶴をぎゅっと強く抱きしめた。
「ああ、千鶴ちゃん!ホントにいいんだよね。ここまで来ておあずけとかやめてよ」
総司が千鶴をベッドに促すと、千鶴は素直についてきて自分からベッドに腰掛ける。
隣に座った総司が、のしかかるようにして千鶴を押し倒し、キスをしながらベッドに横たえる。舌を絡ませながら総司は千鶴のブラウスのボタンを一つずつ外していった。
「……千鶴ちゃんのことだから式が終わるまでダメです、とか言い出すんじゃないかと思ってたよ」
総司がそうつぶやいて、千鶴のブラから見える真白な胸をほれぼれと見つめた。人差し指でそっとなぞり、少し迷った末にカップの中にするりと入れる。
「…あっ…」
固くとがった先端に人差し指が触れると同時に、千鶴の唇から小さな声がもれる。それが総司を余計に駆り立てた。
唇をよせ吸い付こうとしたとき、千鶴が口を開く。
「……結婚するまえに、その……こういうことをした方がいいって会社の人に言われて…特に総司君ぐらいの年齢の男の人は、その方がいろいろはっきりするからって」
正直、千鶴の言葉は聞こえていたが、彼女の胸に夢中になっていた総司には言葉の意味は頭にまで入って来ていなかった。適当に相づちをうちながらブラのホックを背中でさぐる。片手で取ろうとしたが外れない。両手で外した方が良いのかと一瞬冷静になったとき、総司は先ほどの千鶴の言葉の意味が唐突に頭の中で繰り返され、動きが止まった。
「…え?」
急に目を見合わせた総司に、千鶴も少し驚いたように見返す。
半裸の状態が恥ずかしいのか頬が真っ赤だ。しかし総司はもう一度聞き返した。
「どういう意味?」
「…さっき言ったことですか?」
急に変わった雰囲気に、千鶴は首をかしげながらももう一度言いなおす。
「あの、会社で……男性社員の人がそうやって言ってたんです。その、エッチなことをしたくて女の子とつきあったりすることがあるって。それでもしかしたら総司君も、その……一度そういうことをしたら本当に結婚して後悔しないのか考え直せるかなって。特に総司君ぐらいの年齢の人は、その…そういう間違いとか失敗が多いみたいで……」
『間違い』『失敗』の言葉であからさまに不愉快な顔をした総司を見て、千鶴はまずいことを言ったのかと口をつぐんだ。
しかしもうすでに遅い。
総司は両手を千鶴の両脇についたまま、千鶴の顔をまじまじと見ていた。
その緑の瞳はとても冷たくて、千鶴は背中がヒヤリとする。
何か…何か気に障ることを言ってしまったのだ。
総司は薄くなった緑色の瞳で一度千鶴をチラリとみて、視線をそらせた。
そして千鶴からあっさり離れる。
「……萎えた」
総司は吐き捨てる様にそう言い残すと、踵を返す。
「ま、待って!待ってください…!ご、ごめんなさい。私何か……」
はだけたブラウスの前を手で合わせながら千鶴も慌てて立ち上がり、部屋を出て行こうとしていた総司の腕に追いすがった。
振りほどかれるかと思ったが、総司は無言で立ち止まってくれた。
しかし振り向いた顔は、これまで見たことのない位冷たい。
千鶴は胃の辺りが重くなり自分でも顔が青ざめるのがわかった。
どうしよう、どうすればいいんだろう…!
「あ、あの……ごめんなさい。その……」
言いかけた千鶴の言葉を遮るように総司が言った。
「千鶴ちゃんはさー……」
そうして半泣きの千鶴の顔を見て、視線を逸らせる。
「千鶴ちゃんはちっちゃいころから『おりこうさん』で勉強もよくできて学校も会社も優等生だけどさ。でも、バカだね」
「……」
嘲るような言葉を言われても千鶴には具体的には何が悪かったのかわからなかった。会社の人から聞いた話のことだろうか?総司の年頃の男性がそういうことしか頭にないような言い方をしたのが気に障ってしまったのだろうか?
千鶴がなんと言ったらいいのかわからず黙っていると、総司は相変わらずの無表情で横を向いたまま続ける。
「その頭は飾りなの?どうして自分で考えないの。僕がどうして千鶴ちゃんを欲しがってるか、なんで他のヤツからの言葉をうのみにするのさ」
「総司君……」
「そいつは千鶴ちゃんの何?千鶴ちゃんが小学生の時どんな本が好きだったか知ってるの?千鶴ちゃんのお母さんが死んだとき、千鶴ちゃんがどんなだったか知ってる?なんで君の事をなんにも知らない奴が言うことを信じて、僕が言うことを信じないの」
そう言うと、総司は千鶴の瞳をまっすぐに見た。
「僕は千鶴ちゃんの事が好きだって前から言ってる。千鶴ちゃんがどんな人かだって良く知ってるよ。そんな千鶴ちゃんが好きで、だから抱きたいに決まってるじゃない」
「あ……」
千鶴はようやく自分の言った言葉の何が悪かったのかが分かって小さく呟いた。
「それを何?僕の年頃だと女なら誰彼かまわずプロポーズしてその目的がエッチだけとか何の寝言さ。僕が何回言っても信じないのにそんなやつのたった一回の言葉を信じるのなら、そいつと結婚すればいいんじゃない?」
総司はそう言うと、青ざめている千鶴の顔をチラリと見た。
そして何も言わずに部屋を出て行ってしまったのだった。