指輪
とっくに日付が変わった深夜、総司は音に気を付けながら自宅ガレージに自転車を停めた。
さすがに疲れた。
しかし二か月たった今はまだいい方だ。最初の頃は筋肉痛がひどくて次の日はロボットのようになっていたのだ。しかしさすが若さと言うかなんというか。今では少し疲れた程度で寝れば治る。
総司は欠伸をして伸びをする。
汗もかいたし泥まみれだし。早くシャワーを浴びて寝よう。明日は日曜日でひさびさに引っ越しのバイトが入っていないから昼まで眠れる。
総司がカバンを持って玄関へ行こうとしたとき、門柱の影で何かが動いた。総司がそちらを見てみると…
「千鶴ちゃん!?」
もう深夜二時をまわろうかというのに、そこにいたのは千鶴だった。総司は慌てて駆け寄る。
「どうしたの?何かあった?」
千鶴は慌てて首を横に振った。
「ち、違います。あの……アルバイト、お疲れ様でした」
「……あ、ああ……うん」
それだけを言うためにわざわざ?と総司が怪訝そうな顔をする。
「あの、明日もし時間があったら一緒にでかけられないかなって思って」
「明日?」
「はい。アルバイトがありますか?」
総司は首を横に振った。午前は寝倒そうと思っていたが千鶴と会えるならこんなおいしいことはない。しかも千鶴からのお誘いだ。
「大丈夫。何時にする?」
「総司君、バイトで疲れてると思うんで午後からにしましょうか」
「うん!」
さすが千鶴。わかってくれてると総司はにっこりと微笑む。明日はゆっくり休んで千鶴充ができそうだ。
千鶴の頬に軽くオヤスミのキスをして(手も体も泥と汗で汚れていたから)、総司は家に戻り鼻歌を歌いながらシャワーを浴びたのだった。
次の日、千鶴に連れられてきた場所はジュエリーショップのようだった。
「何?ここ」
あからさまに高級そうな落ち着いた店内。
こっそりと千鶴の婚約指輪を買おうとバイトはしていたが、彼女とその話はしたことないからその件ではないはずだが。しかしそれ以外でこんな高級そうな場所にくる用事は総司には思いつかない。
「何か買うの?」
総司が聞くと、千鶴は悪戯っぽい目で総司を見上げた。
「いいえ。総司君に買ってもらおうと思って」
「……」
総司はぐっと言葉に詰まった。
ここでかっこよくカードでもなんでも出して欲しいのを買ってあげたいのはやまやまだが、カードなどない。もちろんこんな高級そうな店で払うだけの現金も。
先月分のバイト代は口座に入ってるけど足りるかな……おろしにいくのはかっこ悪いけど。
総司の試算では世間一般の婚約指輪の相場のお金を稼ぐには、総司には半年かかりそうだった。結婚式の前までになんとかギリギリ間に合うかどうかのレベルだ。いまここで有り金をはたいてしまうとそれも怪しくなる。
しかし、千鶴のおねだりなんて初めてで、困りつつも正直嬉しくなくもない。問題はそれをきいてあげられるだけの懐事情がないだけだ。
先月のバイト代が結構あるから、今日はそれで買えるだけのもので我慢してもらって。
婚約指輪はバイトをもっと増やせばいいかな。
「欲しいものがあるの?」
頭の中でざっと金勘定をしたうえで、総司は千鶴が見ているショーケースを一緒に覗き込んだ。千鶴が見ている指輪は、透明なダイヤモンドの横に、ピンクのダイヤモンドのような石が寄り添っているデザインで、千鶴らしくてかわいい指輪だ。
ゼロの桁が僕の持ってるお金と違わなければいいんだけど……
と思いながら総司はその指輪についている値札のゼロを数える。そして「あれ?」と首をひねり、もう一度。
「……この値段って本物?間違ってない?」
総司は千鶴の耳元にこっそりと囁いた。婚約指輪の下調べをした時に、だいたいの貴金属の相場も調べたのだ。これぐらいの大きさのダイヤモンドなら、総司の予算の5倍は必要なはずだ。なのに今千鶴が見ている指輪の値段は、総司の予算の5分の1で買える。
千鶴は総司の顔を見て微笑んで首を横に振った。
「いいえ、これはダイヤモンドじゃないんですよ」
「え?こんなにキラキラしてるのに?」
「そうなんです。スワロフスキーっていってクリスタルなんです」
「くりすたる?」
千鶴はうなずいた。
「ええ、ガラスです。カッティングや品質に工夫があるらしくてこんなにきれいなんです。それで総司君に相談なんですけど……」
千鶴はそう言うと、総司の目を見上げた。
「婚約指輪はこれにしませんか?」
思っても見なかった千鶴の言葉に、総司は目を見開いて千鶴を見た。
「……えっとー……」
婚約指輪の話は千鶴とは出ていないはずだったが……。総司は千鶴との過去の話を思い出す。そして自分で自分に小さくうなずいた。
確かに千鶴とはしていない。自分は正直結納の時まで婚約指輪の存在を忘れ去っていたし、千鶴は千鶴で高校生の総司に買わせることなどできないと思っていたのだろう、と総司は想像しているのだが、今何故その話題がでるのだろう?
「なんでいきなり?」
とりあえず疑問に思っていることを、総司は千鶴に尋ねた。
「……総司君が私に指輪を買うために頑張ってバイトをしてくれてるって聞いて。昨日も…夜に実はアルバイトしているところを見たんです」
たまたま通りかかって道路工事をしてる自分に気が付いたのかと総司は思ったが、千鶴の話の続きを聞いたところそうではなかった。
「薫が教えてくれて。それで見せに連れて行ってくれたんです」
薫が一体何の目的で、総司がバイトをしている所を千鶴に見せるのか、総司にはさっぱりわからなかった。顔にクエスチョンマークが書いてあったのだろう、千鶴が説明する。
「私があんまり総司君に会えないので寂しそうにしていたから気になったんだって薫は言ってました。道場に行って土方さんからいろいろ聞いたみたいです」
絶対千鶴にナイショにするようにと厳命したわけではないが、できれば裏の事情は言ってほしくなかったと、総司は土方の余計なおせっかいに内心舌打ちをした。これでは千鶴の前でいい恰好をしようとしたのがだいないではないか。
しかし千鶴は総司の手を握って顔を下から覗き込む様にして言った。
「私は……総司君と一緒にいると幸せで楽しくてドキドキします。だからこれからの先の人生を一緒に過ごせたらきっと素敵だと思って結婚を決めました」
千鶴の告白のような言葉に、総司は緑色の目を見開いた。顔が自然と赤くなるのが自分でもわかる。
上目使いで覗き込んでくる千鶴は可愛いくて自然に口が緩んでしまう。
しかし千鶴は続けて口を開いた。
「なのに……なのに総司君は最近全然会ってくれません。会っても少しだけ。とても一緒に時間を過ごしてるとはいえません。それが私の婚約指輪を買うためなら、私の意見も聞いて欲しいなって思ったんです」
「千鶴ちゃんの意見……」
「はい。私もキラキラしたものとか指輪とか好きです。総司君からもらえたら嬉しいです。でも別に高いのや本物じゃなくてもいいんです。それよりは一緒に遊びに行ったりのんびりした方が楽しいと思いませんか?だから、今は婚約指輪はこれがいいなって私は思うんです」
「……なるほどね……」
世間一般並みの婚約指輪を贈りたかったのは僕ってわけか。
千鶴に言われて、総司はようやくわかった。
歳の差を気にしていたのは千鶴だけではなかったのだ。
気にしていないつもりだったが総司も気にしていた。
千鶴が高校生と結婚するせいで感じる、気まずい思いや不都合な思いをさせたくなかった。『高校生だから』を一番気にしていたのは総司だったのだ。
「僕、意外と見栄っ張りだったんだな……」
他人事のように淡々という総司に、千鶴はにっこり微笑んだ。
「総司君が社会人になって買える様になったら同じカラットで今度は本物の宝石を買ってくださいね」
こうやって将来のおねだりをしてくれるのも千鶴の優しさなのだろう。『買ってあげたい』と思っている総司の気持ちを汲んでくれているのだ。でも経済力のない今は無理しなくてもいいと。総司は一枚も二枚も上手な千鶴に苦笑した。
これは年齢が上だからというよりは千鶴の性格のような気がする。だからこそ総司も素直に甘えられるのだ。
総司は軽く肩をすくめると、千鶴に聞いた。
「いいよ。同じカラットだといくらくらいするの?」
「うーん…あんまり詳しくないですけど、多分……」
内緒話をするように口に手をあてて爪先立ちになった千鶴に、総司も体をかがめて耳を寄せる。そして耳元で千鶴の言った価格を聞いて目を見開いた。
「そんなにするの!?」
「多分ですよ。でもお金溜める時間はたっぷりあるから大丈夫ですよね?」
にこっと微笑む千鶴に、総司は再び苦笑いをした。
「一生懸命就職活動して給料のいいところに就職しないとね」
「ふふっ頼りにしてます」
二人笑顔で顔を見合わせると、千鶴はこちらの様子をうかがっていた店員に手で合図をした。
帰り道。
手をつなぐのにも随分なれた千鶴の指には、キラキラと輝く指輪が左手の薬指にはまっていたのだった。
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