薫2 



「お前なんでいるの」
久しぶりに実家に帰ってきた薫に顔を見るなりそう言われて、千鶴は首をかしげた。
「なんでって自分の家だし土曜日だし」
「いや、そういう意味じゃなくてさ。『婚約者』と会ったりしないんだ」
「総司君、いろいろ忙しいみたいだから」
千鶴は微笑んでそう言うと「何か食べる?」と薫に聞きながらキッチンに向かう。

今週末は両親が二人で旅行にでかけており、薫が帰ってきたのはそのせいだった。嫌いな義母には合わずに済むし、実家から今薫が住んでるマンションに持って行きたい荷物もあるらしい。
「いや、腹はすいてないからいいよ」
薫は千鶴の笑顔を胡散臭げに見る。あきらかに無理しているのがまるわかりだ。
「ケンカでもしたのか。まあいいことだけどな。あんなのと結婚するなてどうかしてるよ」
「ケンカなんかしてないし結婚もします」
ぷうっと膨れて千鶴が言い返した。
「じゃあなんでそんな顔してんだよ」
「そんな顔って?」
自分ではわかっていないらしい千鶴に、薫はもうそれ以上言わなかった。わざわざ取りに帰ったCDを、千鶴と共有のCDラックの中から探す。
「夕飯は食べる?食べるなら作るけど」
千鶴の質問に、薫は「そうだな…」と答えて考える様にCDケースを唇に当てる。暫く考えた後、薫は思いついたように言う。
「ちょうど土曜日だしせっかく帰ってきたし、道場に顔だしてくる。夕飯はその後食べる」



道場に薫が顔をだすと皆に驚かれた。
確かに前に来たのは2か月前だ。それも他道場との試合があった日に手伝いになるかと顔をだしたのであって練習するためではない。
……まあ、今日も練習するためではないが。
土方が声をかける。
「久しぶりだな。元気だったか」
「俺は元気なんですけどね」
物言いたげな薫の言葉に、土方が首をかしげる。
薫は、今日来た理由を話した。
「土方さんは知ってるんですよね?うちの妹が沖田のバカと結婚するとか気が狂ったとしか思えないことを言ってるのを」
相変わらずの薫のきつい言葉に、土方は少したじろぎながらうなずいた。
「お、おお、まあな。でももう両家で結納も済ませてるんだろう?おまえ、反対なのか?」
「一生反対ですね。賛成する日は永遠に来ないと思います。けど、今日来たのは俺が賛成か反対かじゃなくて沖田のバカに会いに来たんですよ」
「総司か?」
「ええ、いますか?」
土方は一応ぐるりと道場を見せるように手を廻す。そして薫に「いねえよ」と答えた。
「あいつはしばらく道場は休むって言って来てねえな。もう……2か月くらいになるかな」
休むと言いだしたのは高校の夏休み前で、今は夏休みの真っ最中だ。いつもの総司だったら、初心者クラスを受け持ったり小学生クラスを担当したり、自身の練習をしたりで道場にいりびたっているころだが全く来ていない。
薫は驚いたように目を見開いた。
「そんなに?あのバカはバカだけどバカの一つ覚えみたいに道場だけは休まず来てたじゃないですか。何かあったんですか?」
怪我でもしたのか病気で入院とか?だから千鶴があんなにかなしそうだったのかと薫は考えたのだが、土方は首を横に振った。
「アルバイトだってよ」
「バイト!?」
眉根をよせて不審そうな顔をした薫に、土方は溜息をついた。
以前…一か月ほど前だったか仕事帰りの千鶴を車に乗せた。その時も土方は寂しそうな千鶴の様子が気になっていたが、今も変わっていないようだ。だから薫が今日、道場にのりこんできたのだろう。

これ以上ほっとくのはさすがにまずいだろう

土方はそう判断して、この判断が吉と出ることを祈りつつ薫に事情を説明したのだった。



「薫?どうしたのこんな夜遅くにこんなとこ……」
薫のバイクの後ろから降りながら、千鶴は辺りを見渡した。家から15分ほど行った国道の脇に薫はバイクを停めたのだ。
道路わきには既に営業が終わった中古車販売店があるだけだ。
千鶴は反対車線でやっている深夜の道路工事の明るい灯りを見た。そしてメットを脱いでいる兄を見る。
薫はムスッとした顔で、千鶴のメットをとりあげた。
「何?」
何か言いたげな薫の様子に、千鶴は首をかしげてきいた。
「あっち。見てみろよ」
「え?」
「工事やってるだろ」
「……やってるけど……」
なんだろうと思いながら千鶴は2車線ある国道の反対側を見た。道路を掘り起し、何か地中で工事しているようだ。出された砂利を横によけたり、通行車両を迂回するよう誘導したり、何やら機械を動かしてアスファルトを割ったりしている。
「工事を見に来たの?」
「違う。沖田がここでバイトしてるんだって。どれかな……」
薫は目を細めて探すように工事現場で働いている人々を見る。薫の言葉に驚いて、千鶴は目を見開いて薫を見た。そして工事現場で総司を探している薫の視線を追って自分も工事現場の光の中で動いている人たちへ視線をやる。
片側二車線、中央分離帯をはさんでもう二車線。つまりは四車線側の工事現場は、人の顔を探そうとすると結構遠い。

しかし体つきや歩き方で千鶴にはすぐに総司がわかった。
黄色いヘルメットとつなぎの作業服、軍手をしてバックして工事現場に入ろうとしているトラックを誘導している。
「総司君……」
「どれ?」
まだわからないらしい薫が聞く。千鶴は指を指して教えた。
バイト時間が何時までかはわからないがもうすぐ日付が変わる。それにここは家からバイクで15分くらいかかる場所で、総司の自転車なら30分か40分くらいはかかるだろう。その距離をバイトを終えてから帰っているのかと思うと千鶴は驚いた。
バイトが忙しいとは聞いていたが、どんなバイトかまでは教えてもらえなかった。
しかし多分ファーストフード店とかファミレスとかそういう物だと思っていたのだ。こんな夜遅いきついアルバイトをしているなんて知らなかった。なぜこんなバイトを……
千鶴の疑問にちょうど答える様に薫が言った。
「金がいいんだよ。深夜でしかも肉体労働だろ」
「……お金…」
「あいつがやってるアルバイト、これ以外にもあるんだってさ。知ってる?」
千鶴は目を見開いたまま薫を見て首を横に振った。薫は千鶴の顔を見て、また視線を工事現場の総司へと移す。
「引っ越しバイトだってさ、週末にな。これもかなりきついけどバイト代はいい」
「……」
総司の家はどちらかというと裕福で、総司の両親は十分にお金を与えていると思っていたのだが。姉のミツも働いているし、総司の持ち物は金に困っている様には見えない。いったい何があったのだろうと千鶴が考えていると、薫はしぶしぶ、といった感じで続けた。

「婚約指輪を買いたいんだってさ、自分の金で」

婚約指輪……
結納の時に義母に少し言われたが、千鶴自身は総司は高校生だし婚約指輪は結婚にどうしても必要な物という訳でもないし、別にいいかと思っていた。そりゃあ人生で一度の(多分)ことだし、そういう『証』のようなものがあると嬉しいけれど。
「そんな……」
そんなことを考えていたなんて。
考えていてくれたなんて知らなかった。
それでこんなにアルバイトをしていたのか……

「土方さんから聞いた。あいつはお前には知られたくないみたいだけど、知らないままだとお前はいつまでも暗い顔してるんだろうから」
薫はそういうと、メットを再び千鶴に渡しかぶるように促した。
「帰るぞ」
後ろに乗るように促されて、千鶴は後ろ髪をひかれる思いで工事現場に最後に目をやった。遠目でも目立つすらりとした総司の姿は、トラックの後ろに今は隠れてる。
「……薫、連れてきてくれてありがとう」
「……」
ブルン!と返事の代わりのエンジン音が響く。
千鶴は薫に掴まりながら、総司を思った。

いつもにこやかで飄々として苦労や努力という言葉から遠いところにいるようなイメージだった総司が、こんな地道にがんばっているなんて千鶴は知らなかった。
しかもそれが自分のためだなんて。
きっと薫がこうして教えてくれなかったら、総司は自分からは言わなかっただろう。
小さいころから一緒で、彼の事は全部知っていると思っていたのに。

千鶴にする甘いキスも優しく抱きしめる大きな手も、そしてさっきみた総司も。

全然知らなかったんだな……

知っていると思っていたのに知らなかった。
そして知らなかった総司は、千鶴にとってはとても……とても大事で繊細で魅力的な存在だった。
最初にぼんやりと考えていた総司との結婚ということ自体が、今では大きく意味が変わってきてしまっているように思う。
前は二人で新しい道を歩いて行きたいと思っていた。きっと楽しくてわくわくするんじゃないかと。
今もそれは思うけれど。
でも少し怖い。総司が怖いのではなくて自分が。千鶴が怖いのだ。
新しい総司を見つけると同時に、千鶴は自分の中で知らなかった自分を見つける。
総司の笑顔や行動を新しく知るたびに、千鶴がどんどん違う自分になっていくように感じる。

わくわくして、ドキドキして。
少し不安だけど、でも一緒に居たくて……
この気持ちは何なんだろう

嬉しくて笑ってしまいそうなのに涙が出そうなこの気持ちは。

千鶴は薫のバイクの後ろでずっとそのことについて考えていたのだった。






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