車 






なんだか……普通につきあってる人みたい…

千鶴はその夜、自分の部屋でぼんやりとパンフレットを眺めながらその日の午後にあったことを考えていた。
あの時も今も、総司の事ばかり考えている。
唇にふと総司の味がしたような気がして、自分の指で触ったりして。
すごく幸せで胸がいっぱいて……少し寂しい。
今となりに総司がいてくれればと思う。すぐ向かいの家にいるし携帯に電話をかければ出てくれるのだから充分近い。でも別に用事もないから電話もかけられない。けれども用事がないけれどかけたいと思ってしまう自分に千鶴は驚いていた。

なんだろう、この感じ。いつも感じていたくてつながっていたくて。
今何をしてるのかなって思って

電話をしてみようか。
でも『何の用?』とか『どうしたの?』と聞かれても返す言葉がない。用事もないんだし迷惑だよね、と千鶴が手に持っていた携帯を机に置いた時、着信音が鳴り響いた。
「も、もしもし?」
『千鶴ちゃん?僕だよ。何してた?』

総司の声が耳に飛び込んでくる。
千鶴の唇はゆっくりと孤を描いた。いつもうじうじ悩んでいる自分を飛び越すように手を伸ばしてくれる総司。
千鶴は心がふっと軽くなるのを感じた。
そう、いつも彼は悩みもせずに思ったことしたいことを行動に移すのだ。それが鮮やかで綺麗で素敵だと思う。自分もそうなりたいと。

ちょっと勇気をだせば私にもできるかな。

千鶴はそう思うと、ドキドキする心臓を押さえながら答えた。
「……総司君の事を考えていました」




『総司君の事を考えていました』

不意打ちの言葉に総司は不覚にも返す言葉が浮かばなかった。
「……」
『……そ、総司君?』
携帯の向こうからは不安そうな千鶴の声。総司は携帯を耳にあてたまま反対の手で髪をかきあげる。耳が熱い。
「なんだか今日の千鶴ちゃんはさ……凶悪だよね」
『えっ……?え!?』
「あー、すっごく千鶴ちゃんに会いたい。会って抱きしめてキスしたい」
千鶴の笑顔を見たいし喜んで欲しい。

まずは婚約指輪かな。
あとは…なんだろう?千鶴ちゃんの喜ぶこと。
映画とか遊園地とかいろんなところに一緒に行きたいけど、先立つものがね。

「千鶴ちゃん、そういえば僕来週からバイトするんだ」
突然変わった話題に、千鶴が少し驚いたように答えた。
『バイト?』
「うん。大学も決まったしね」
『そうなんですか。何のバイトですか?』
「うーん…ナイショ」
肉体労働系のガテン系を平日と休日かけもちなのだ。それを素直に言えば当然『何故そんなにアルバイトをするのか』と不思議に思われるに違いない。千鶴へのプレゼントやデートの軍資金などとは死んでもいいたくない18歳男子の繊細な心意気だ。
『……』
千鶴が不審に思っているのがひしひしと伝わってきたが、総司は敢えてスルーした。
『……じゃあ、あんまり会えないですね…』
またもや不意打ちの千鶴の言葉で、総司は目を瞬いた。
『あんまり会えない』ということは、会いたいと言う事だ。
あの千鶴が。
近所の素敵なお姉さんで、高校男子には高嶺の花だった千鶴が。

総司の顎がゆるみ、にやにやとだらしなくにやけてしまうのはしょうがないだろう。
「会う会う。そんなかわいいこと言ってくれるなら喜んで会うよ。バイトが始まる前とか終わった後とか、家近いから顔見るだけでもできるし」
『でも、そんなアルバイトの後で疲れてるのに…』
「千鶴ちゃんだって仕事の後で疲れてるでしょ?それに会った方が疲れがとれるからさ」
『……』
小さすぎてよほどの集中力がなければ聞き逃してしまうような、小さな小さな千鶴の声だったが、こと千鶴に関しては抜群の集中力を発揮する総司の耳にはちゃんと聞こえた。
『…私もです』。



「じゃー土方さん。僕これからバイトが定期的に入るんで道場に来れなくなりますけど、よろしくおねがいしますね〜」
上機嫌で私服に着替えて、総司はまだ道着姿の土方にそう言った。
「ああ、前話してたやつか。マメだなあ」
ひやかすような土方の言葉に、総司は上機嫌のまま返す。
「マメになりたくなるような彼女ですからね」
「………」
そうですか、としかいいようがない。土方は呆れて肩をすくめた。隣で着替えている斎藤が、去っていく総司の背中を見ながら土方に言う。
「気持ちが悪いほど上機嫌でしたね」
「千鶴とうまいこといってんじゃねえのか」
ケッというような顔で言う土方は、もちろん悔しくないと言えばうそになる。年齢的にも社会的にも千鶴には土方の方があっているだろうとも思う。しかしヘンにトラブルになって、子どもの時から弟のようにいじめてきた総司が哀しい結末になったりするのは本意ではない。大人の男心は複雑なのだ。
あの総司の上機嫌の浮かれ顔をぺっしゃんこにしたいはしたいが、そのせいで千鶴が悲しむのは嫌だ。
「総司一人で派手に転んで、怪我はしないけど泣きたくなるくらい痛い思いでもしてりゃあいいんだ」
土方が考えたせめてもの呪いに、斎藤も静かに頷き同意したのだった。

そうして総司が道場にこなくなって2週間ほどたったある日。
もうすっかり暗くなった中を、土方は車で走っていた。いつもならそれほど暗くなるような時間帯ではないが、今日は夕方から雨の予報で空は厚い雲に覆われている。
ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきてさらに視界が悪く鳴ってきたうえに、今土方が運転している道は駅の近くで歩行者や自転車が自宅に帰るために行きかっているのだ。道場の裏道から大通りにでるまでのその道は細く歩行者用の歩道などないため、土方はひっかけたりしないようにゆっくりと運転していた。
その時、斜め前を歩く女性に気づく。
「ん?ありゃあ…」
千鶴じゃねえか?
傘がないため小走りに歩いている千鶴の横に土方は車をスッと停めた。気づいた千鶴が運転席を見て、土方と目があう。
『あら』という顔をした千鶴に軽く会釈をしながら、土方は助手席側の窓を開けた。
「濡れちまうだろ。送ってくから乗れ」
「え、そんな。悪いです」
土方は笑った。
「お前の家はそんなに遠くねえじゃねえか。車ならすぐだ。雨に濡れて風邪ひくよりはいいだろ。ほら、後ろから車が来たから早く乗れ」
気負いのない土方の笑いに、千鶴もつられて笑顔になった。
「…ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて…」
カチャと助手席の扉をあけて、千鶴は土方の車に乗り込んだ。

薫と千鶴が高校生や大学生の頃、道場の遠征や試合の時はいつも千鶴は土方と一緒にこの車に乗りみんなの荷物を運んだり買い出しをしたりしていたのだ。そんな過去もあり、千鶴にとって土方の車に乗るのはそんなに抵抗はなかった。


自転車を停めて、総司は走り去る土方の車のテールランプを見つめていた。
バイトからの帰り道。
これぐらいの時間ならもしかして会社帰りの千鶴と会えるかもしれないと思って、総司は少しだけ遠回りして千鶴の降りる駅を通ってかえることにしたのだ。雨が降りそうな空模様だし暗くなってきているし。
総司も傘は持っていなかったが自転車の後ろに乗せれば、本降りになる前に家に帰られるだろうと思った。

そして、目撃したのは土方の車に乗り込む千鶴。

浮気とかそんなことを疑っているわけではもちろんない。歩いて帰っている千鶴に気づいた土方が、親切にも乗せてやっただけだろう。
特に下心もなく知り合いに親切にした範疇ではあるが、今の総司には逆立ちしてもできない。
総司はちらりと、自分の跨っている自転車を見た。
シルバーブルーの流線型でおしゃれなスポーツタイプだが、しょせんは自転車だ。車ではない。
土方と千鶴の間に強引に割り込んで、千鶴を自転車に乗せることもできたけれども、そうしたら千鶴は濡れてしまっていただろう。
「……」
総司は足をあげると、自転車をこぎだした。


婚約指輪。デート費用。免許取得のお金と車。

高校生のバイトで結婚前に全部買うのはまず無理だ。
総司は顔を打つ冷たい雨をさけるために目をすがめてスピードを出す。
なぜ千鶴より先に産まれなかったのか。
考えてもしょうがない愚痴だが、今の総司にとっては一番悔しいことだった。




一方、総司がいたことなど気づいていない車の中の土方と千鶴。
「どうだ、仲良くやってんのか」
当然総司とのことだろう。土方にそう言われて、千鶴はハッと気が付いた。
そういえば総司と、千鶴は道場に行かないという約束をしていたのだった。しかし今は道場にいったわけではないからセーフ、と千鶴は自分で自分に頷いた。
「えっと、まあ…おかげさまで」
「そうか…」
一体何がどう転がって、千鶴のような妙齢のいい女が、総司のような性格の高校生男子と結婚することになったのかを根ほり葉ほり聞きたいところだが、土方は何とか我慢した。
大人としては他人のプライバシーにずかずか踏み込むべきではないだろう。それに別に相談をうけたわけでもない。
二人のなれそめを知りたいというのは、なんら正当な理由があるわけではなく土方の純粋なる好奇心…というかワイドショー的興味というだけだ。
話の接ぎ穂がなくなり、土方が運転に集中しだしたとき千鶴が再び口を開いた。
「最近は総司君、忙しいみたいでゆっくり会えなくて。総司君、道場には行ってるんですか?」
「いや、道場には来てねえよ。会えないって家は近いんだろ?」
「はい。夜遅くに家の前でちょっと話したりはします」
要はデートが出来ないと言う事だろう。土方はゴホンと咳払いをした。
「バイトを始めるって言ってたがな。だから道場にはこれからあんまり来れなくなるって断りいれてたぜ」
「はい、私もそれは聞いています」
「……」
雨がだんだんと本降りになってきた。ワイパーがフロントガラスの雨を拭う音が車内に響く。
どことなくしょんぼりしている千鶴を、土方は何と慰めればいいのかと言葉を探していた。と、千鶴が呟く。
「バイトも一つだけじゃなくていくつも掛け持ちをしてるみたいなんです。……ちゃんと高校も行ってるみたいだし大学も決まってるし私がとやかくいう事ではないんですが、なんでそんなにアルバイトをするのかなって」

何故そんなにアルバイトをするのか。

その理由を土方は知っている。
千鶴に婚約指輪をプレゼントするためだ。
サラリーマンの給料の三か月分といわれている指輪だ。高校生がそうそう軽々しく手にできるものではないだろう。
しかしそれを土方の口から千鶴に言うのはためらわれた。
同じ男同士、婚約指輪くらい彼女に自分の金でプレゼントしたいだろうというのもわかるし、その時にそれを買うのに苦労したなどとはかっこ悪くて言いたくない意地もわかる。特に総司の場合、相手は社会人のお姉さんだ。余計背伸びをしたくて当然だろう。
だからこそ、アルバイトをすることを千鶴に伝えはしても、何故するのかどれだけきついアルバイトなのかなどとは言っていないのだろう。

土方は、チラリと助手席の千鶴を見た。

しかし、わけのわからないまま放置されている千鶴が、寂しく不安な思いをしているのもわかるのだ。
千鶴の寂しそうな様子を総司に言ってやろうかとも思ったが、婚約指輪が空から降ってくるのならともかく金を稼いで買わなくてはいけない現状ならどうしようもできないだろう。
「まあー……あいつもあいつなりにいろいろ考えてるんだろう。あまり気にするな」
自分でも説得力がないなと思いつつ、差し障りのない慰めの言葉を土方は言ったのだった。







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