報告 (千鶴)
「結婚!?」
「しーーーーっ」
千の大きな声に、千鶴は慌てて人差し指を立てて唇に当て社員食堂で周りを見渡した。
幸い周りの皆は自分たちの会話に夢中で、千鶴達には全く興味を払っていなかった。千鶴はほっとして再び千にむきなおる。
千は身を乗り出して目をきらきらとさせていた。
「ほんとに!?誰?開発部の前から千鶴ちゃんに猛アタックしてたやつ?とうとう落ちたの?それとも同じ担当のあの大人しいイケメン?前からあいつ千鶴ちゃんのこと好きだって思ってたのよね〜!!」
「ちっ違う違う!会社の人じゃないよ」
「そうなの?」
千はそういうと、千鶴の左手を持ち上げた。
「指輪は?してないの?」
千鶴は言葉に詰まる。千鶴くらいの年になると会社の中でも婚約して結婚していく女性も多くいる。幸せそうに結婚を告げる女性たちの指には、婚約指輪が輝いているのが普通で、それが幸せの象徴のように見えて千鶴も少しうらやましかったのだ。
しかし高校生の総司に婚約指輪を買うことはできないだろう。
結婚式や新居はともかく、婚約指輪まで総司の両親にお金を出してもらうのは違うような気がするし。
義母にはいやみっぽく『指輪ももらえないような人と結婚するなんてねえ』と言われたが、千鶴は気にしないようにしていた。
「指輪は…多分しないかな」
「……そうなの?相手はどんな人なの?会社の人じゃないって、どこかでコンパとかしてたの?あ!もしかしてあれ?半年くらい前に無理やり連れてった商事会社との……」
「違うの!あの…千ちゃんの知らない人なの、近所の……」
千が「近所?」という顔をして千鶴を見た。千鶴はうなずく。
「そうなの、幼馴染で……」
そこまで言いかけて千鶴は言葉に詰まった。
まだ高校生なの。
とは言いにくい。さすがに。
しかし千にナイショにしたままにしておくのは難しいだろうし、それに隠すのも何か……総司に失礼なような気がするのだ。総司の事を恥ずかしがっているように思われたくない。実際、恥ずかしいなんて思っていないのだし。
「あの……まだ高校生なの」
「誰が?」
「結婚する人」
千は再びキョトンとした表情をした。しばらくして千鶴の言葉が頭に染み渡ると、千は再び叫び声をあげるように口を開けた。千鶴は慌てて彼女の口を押える。しかし千の方が素早かった。
「こーこーせーえーーーーー!?」
千の声は今度は社員食堂中に響き渡り、聞きつけた他の社員達が寄ってくる。
「高校生?」
「何が?」
「雪村さん、高校生がどうしたの?」
千鶴は額に手を当てて、目をつぶった。これで千鶴が高校生と結婚するということは社内の噂になってしまうに違いない。
結婚式関連や新婚旅行などで今後も休みを取らせてもらうことになるので、そのたびに何か言われてしまうかも。
しかし。まあ、いつかはバレるのだ。変に隠すと余計にまずいことになるし、千鶴も聞かれたら言おうとは思っていたのだ。
結婚を会社に内緒にしておくことはできないし、結婚すると言えばみな『おめでとう』と言ってくれるだろう。そのあとに世間話のような感じで『旦那さんはどんな人?どこに勤めてるの?』とくる場合が多い。
その時に『実はまだ高校生で…』と言うよりは、ここで仲のいい千がいるところでバレてしまった方がよかったといえばよかったのだ。
興味津々の顔で自分たちを取り囲んでいる同僚を見ながら、千鶴は自分を納得させるためにうなずいた。
家では義母、会社では同僚。
自分で決めたこととはいえ、やはり世間一般のいわゆる常識を踏み外したことのない千鶴には、高いハードルだった。
「へえ、たいへんだったんだね」
うららかかな土曜日、千鶴は総司と歩きながら最寄駅へと向かっていた。
身内だけの結婚式とはいえ、式場でやるのでその下見のためだ。
朝、家の前で待ち合わせした時に当然のように差し出された総司の手。千鶴は、戸惑いながらも自分の手をそっと乗せた。顔が熱いので真っ赤になっているのが分かる。総司にからかわれるかと思ったが、総司も無言で千鶴の手を握っただけだった。並んで彼を見上げると、総司も耳がピンクに染まっているのが見える。
千鶴はそれを見て何故か安心した。
総司がキスやらなにやらいろんなことをぐいぐいくるので、千鶴の気持ちがついて行くのが大変だったのだが、これなら総司も同じなのだと思える。千鶴よりも20センチも高い身長や、巧みな論旨で千鶴を言いくるめてしまうところとかで総司の事を大人のように思ってしまっていたが、今の総司は年齢相応に見える。いや、年齢相応というよりは、昔……まだ彼が小学生になったころのようだ。
今は手をつないで横に並んで歩いているけれど、あの頃は千鶴がいつも一歩先を歩いて彼の手を引いてあげていた。今も彼の笑顔はあのころと変わらない。
千鶴は少しだけ緊張を解いて、総司に先週会社で結婚の報告をしたことを総司に話し出したのだった。
「そうですね。でもいつかはやらないといけないことだし、幸いみなさんヘンに茶化すようなことはなかったので」
まあ社会人だから当然だろう、と総司は思った。自分は高校では結婚のことは言わないつもりだ。別に苗字が変わるわけでもないし学校側に報告するだけで、同級生達の噂の的になるつもりもない。ガキ(自分も含め)だからこそ、面白半分に千鶴を見に来たり声をかけたりするやつらが出てくる可能性が高い。千鶴がイヤな思いをするようなことは絶対させないと総司は決めていた。
その時ふと千鶴が立ち止まる。
どうしたのかと総司が千鶴を見ると、千鶴はすぐ横にある小学校を指差して総司を見上げた。
「ほら、運動会やってるみたいですよ」
そういえばスピーカーから案内の声や音楽がにぎやかに聞こえてきている。人の出入りも多く華やかだ。
ここは二人が卒業した小学校だ。にこにこしながら小学校の外の柵から校庭を眺めている千鶴の横で、総司も小学校を眺めながら考える。
千鶴はかわいいから、会社の中でも狙っていた奴らが絶対いるはずだ。そいつらはコーコーセーなんぞに彼女を盗られて今頃臍をかんでいるに違いないと思うと、総司はニヤニヤ笑いが止まらなかった。
悔しがっているそいつらの顔を想像していると、総司はふと道場の時のみんなの顔も思いだした。
危なかった。左之さん、千鶴ちゃんを飲みに誘ってたとかいつの間に…。平助だって『彼氏いるか』とか、どういう状況できいたんだか。一君も土方さんも何も言ってなかったけどあからさまにガックリしてたしね。いい気味だとは思うけど、念には念をいれて…
「千鶴ちゃん、最近薫って道場に行ってる?」
「薫?時々行ってるみたいです。実家に来るときについでに…っていう感じで」
「そっか。千鶴ちゃん昔、薫について時々道場に来てたでしょ」
「はい。総司君は真面目に通ってましたよね」
千鶴は、昔を思い出した。小学生から剣道をはじめた総司はめきめきと上手くなり、中学高校と大活躍していたのだ。
道着を着てる総司君、……かっこいいんだよね……
背筋が伸びて瞳が真剣で。実はそれを見るのが好きで道場に行くのが楽しみだったこともある。
「また道場にお邪魔しようかな。総司君が剣道しているのも見たい……」
「ダメ」
言葉の途中で遮られて、千鶴はパチクリと目をまたたいた。聞き間違以下と思い、もう一度聞く。
「え?」
「道場に行っちゃダメ」
「なんでですか?」
「なんででも」
「……」
千鶴の頬がむうっと膨らんだ。
「納得できません。私が行きたいって思ったら行きます」
「……」
今度は総司が黙り込む。理由を言った方が良いのか言わない方が良いのか。しかし頭から押さえつけて言うことを聞いてくれるような関係ではない。総司はしぶしぶ理由を言った。
「まさかそんな。総司君の考えすぎですよ、私はそんなにモテないですし」
「千鶴ちゃんが鈍いだけだよ。とにかく、そう言う訳で道場には行かないでね」
「そんな…!総司君が考えすぎるのを止めればいいだけじゃないですか。私はこれからも行きたいときに行きます」
「なんで僕だけ考えをかえなくちゃいけなくて、千鶴ちゃんの鈍さは放置なわけ?おかしいでしょう」
「おかしいのは総司君ですよ。土方さんも左之さんもそんな目で私なんか見ていないのに」
「だーかーら〜!」
ループな話題に総司も千鶴もイライラしだした。と、千鶴はふと小学校を見て何かを思いついたように嬉しそうに総司を見る。
「わかりました!じゃあ競争しましょう!あそこの曲がり角の電柱まで先についた方が勝ち。私が勝ったら道場には好きなときに行きます。総司君勝ったら私はもう道場には行きません」
いい考えだと思ったのだ。
丁度小学校では今、小学生たちの徒競走が始まっており、それを見て思いついた。千鶴が総司と競争したのは小学生の時。当然ながら小学校の時6年差は大きくて、総司はいつも泣きながら千鶴の後を追いかけてきたものだ。千鶴はその時のことをふと思い出しつい、よく考えずに言ってしまった、の、だが……
「それってマジで言ってる?」
馬鹿にしたような総司の笑い顔に、千鶴はキョトンと彼を見返した。総司は手を広げて呆れたように千鶴を頭のてっぺんから爪先まで見る。
「もう僕は小学校一年生じゃないんだよ?千鶴ちゃんと身長何センチ違うと思ってるのさ。リーチの長さだって。筋肉だって違うしそもそもそんな靴で全力疾走なんて馬鹿じゃないの」
ぐいっと出された腕の太さは千鶴よりは一回りも二回りも太い。腰の高さだって全然違うし、そもそも靴は千鶴は3センチとはいえヒールだった。
「そりゃ千鶴ちゃんはトロいけど意外に足は速かったし、小学校の運動会を見てつい言っちゃったんだろうけどさ、トロすぎ。いろいろと」
「〜〜〜!!」
顔を真っ赤にして悔しそうにこちらを見る千鶴に、総司はニヤリと笑った。
「ま、でもうまいこと提案してくれたから遠慮なく乗らせてもらうよ。競争しよう」
「……で、でも」
「今更無しってのはナシでね。負けた方は勝った方の言うことを聞く」
「あの…」
やっぱりナシで…という千鶴の言葉は、総司のニコニコ笑顔にさえぎられた。
「一応ハンデはあげるよ。あんまり苛めたらかわいそうだしね。千鶴ちゃんのスタートはあそこのポストのとこからでいいよ」
総司がそう言って指し示したポストは、今立っている場所とゴールの電柱のちょうど半分あたりだった。
「え?あんなところまでいいんですか?」
ハンデをもらいすぎなくらいなのではないかと千鶴は思ったが賢明にも言わなかった。勝てるなら勝ちたいではないか。
「ウン。いいよ」
余裕の笑みの総司をちらりと見て、千鶴は本気をだそうと心に決めた。あのニヤニヤ笑いが癪にさわる。小学校の時は転んで泣いている総司を、千鶴がなぐさめてやったというのに。
靴は3センチヒールがあるがかなりはき慣れた靴だ。なりふりかまわず本気で走れば勝てるのではないか。
スタートの合図である小学校のピストルの音が聞こえると、千鶴は思いっきり走り出した。こんなに全力疾走したのはいつ振りだろう。髪が風になびき、風がおでこを撫でて後ろへ流れていく。一生懸命脚を動かしているうちに、千鶴の体はどんどん軽くなるような気持ちになった。昔の感覚、夕暮れ遅くまでかけっこして遊んだころの記憶が浮かび上がる。
ゴールの電柱まであと少しと思った瞬間に、後ろから駆けてきた風に千鶴は鮮やかに抜かれた。力強く、けれども軽やかに地面を蹴り、彼はあっというまに電柱にタッチする。
「……」
「ははっ勝ち〜!!」
電柱に手をついたまま振り向き、総司は満面の笑顔でそう笑った。
パッとあたりに水滴が弾けたようにキラキラと輝いて、その笑顔はとても魅力的だった。
千鶴はどこかぼんやりした瞳で総司を見つめながら脚を緩める。
小さいころから仲良くしていた近所の総司君。
これまではどちらかといえばそのイメージの方が強くて、その総司君があれやこれや世間一般の男性のようなことをしてくることに驚いていた。
しかし、今、千鶴は初めて総司を――18歳の総司を意識する。
そして男性として魅力的だと思った。……少し怖いとも。
どこがどうなってそう思ったのかは正確にはわからないけれど。でも千鶴は自分の顔が赤くなるのを感じる。
何故か総司の目をまっすぐに見られない。
「?どうしたの?」
総司が覗き込む様にして千鶴の顔を覗き込んでくる。
「い、いえなんでも……」
「ふうん?でも僕の勝ちだよね。もう道場には一人で行っちゃだめだよ?」
「……はい…」
反論が来ると思っていたのに意外にすんなりと了承した千鶴の言葉に、総司は逆に拍子抜けをした。
「……ほんとに?」
「はい」
「……」
顔を赤くして千鶴が俯いている理由が総司にはわからないが、まあ道場にはいかないと約束してくれたからいいか、と総司は千鶴の様子を不審に思いながらもそれ以上追及するのを止めたのだった。
←BACK NEXT→