【夏と海と冒険と 9】
ホテルに着いた途端、総司のイヤな予感があたったのだとすぐにわかった。
ロビーに足を踏み入れるなり、管理職のようなスーツを着たホテルマンがかけよってくる。
「雪村様…!もうしわけございません」
開口一番の謝罪に、総司と千鶴は顔を見合わせた。
部屋には立ち入り禁止のロープが張られ、警察が何人も出入りしている。
ここまで案内してきたホテルマンが平身低頭の勢いで隣で謝っている。
「こちらのセキュリティが甘く、本当に申し訳ございません。雪村様の部屋の鍵が破られ中を荒らされたようで……。盗まれたものの確認をしてほしいと警察の依頼がございまして。ご迷惑をおかけして申し訳ないのですが……」
総司と二人でローブから部屋の中に入れてもらうと、千鶴の荷物がそこかしこに散らかっていた。
もともとホテルの部屋はすっきりしていて収納もないし、千鶴の手持ちの荷物も少なかったためそれ程散らかった印象ではないが。
千鶴はライティングデスクの下のつくりつけの金庫があった場所を見た。そこは無理矢理くりぬいたように傷だらけになり、ぽっかりと痛々しく大きな穴があいていた。
「……」
千鶴が金庫があった場所を見て固まっていると、警察官らしき男が声をかけてきた。
「金庫をまるごと無理矢理持って行ったようですね。他に何か盗まれたものはありますか?」
千鶴は力なく首を横に振る。
貴重品関係は全て手持ちで『きらきら青い海』に持って行っていたし、ホテルの部屋に置いていたのは内地の堅苦しい服や靴ぐらいだ。
……いや、違う。それと、金庫にいれていたあの箱の鍵。
一番大事にしていたあの鍵……
茫然としている千鶴に、警官は厳しい眼差しで問いかけてきた。
「あなたは東京でも最近空き巣にあっていますね。何か個別に狙われるようなものを持っていたんですか?金庫の中には何が?」
総司がムッとして警官と千鶴の間に割り込む。
「ちょっと。彼女は被害者だと思うんですがなんで取り調べを受けてるんですか?」
「取り調べではなく職務質問です。あなたは?関係者ですか?」
警官が冷たく答える。千鶴は慌てて間に入った。
「すいません。沖縄で……こっちでお世話になっている方で、私を心配してくださってるんです。あの、狙われるものには心当たりはありません。金庫の中に入っていたのも安い装飾品なので……」
言いながらも、隣で自分のために戦おうとしてくれた総司を感じて、千鶴はとても心強かった。
祖父が死んで日記を読んでから、
ずっと一人で調べて、考えて。不安も恐怖も寂しさも全部自分の中で処理してきていた。
さっき庇うように警官との間に立ってくれた総司の背中は、広くてとても頼もしい。
「……そうですか。では後で署の方に来てもらえますか。被害届を出して頂かないといけないので」
「はい、わかりました」
あとは二つ三つ、名前や住所の確認など事務的な会話をすると、警察はまた現場検証の作業に戻って行った。
ほっと溜息をつくと同時に、千鶴の視界がチカチカを瞬く。
あ……あれ……?なんか暗く……
そう思ったのが千鶴の最後の記憶で、あとは真っ暗闇に飲みこまれたのだった。
千鶴が崩れ落ちる前に傍に居た総司が気づき、とっさに腕を伸ばして抱き留めた。「千鶴ちゃん!?」と焦って声をかけると、千鶴は真っ青な顔をして意識を失っている。
抱き上げて廊下に出ると、待っていたホテルマンが慌てて駆け寄ってきた。
そしてすでに千鶴の新しい部屋を用意してあると言うことで、そちらを案内してもらう。
ずっと張りつめていたものが緩んだのだろう、と総司は思った。
思えば最初に事務所に現れたときから、どこか緊張していたような気がする。いつも何かを考えて気にしていると言うか。
なんくるないさーの沖縄には珍しくピリピリしていて、内地から来たばかりだからこんなものだろうと思っていたが。
多分、祖父が死んでそれからずっと日記の内容を把握したり今後の事を考えたり、休む暇もなかったのだろう。これは想像だが、相談できる人もいなかったのではないだろうか。
千鶴にもし恋人のような存在が居たら、彼女はきっと相談するだろうし、総司がその恋人だったら絶対に千鶴を一人で沖縄などには行かせない。
だから千鶴は多分一人で全部抱え込み、一人で沖縄まで来たのだろう。
もっと僕達を……僕を頼っていいのに
総司は千鶴をベッドに寝かせながらそう思った。
目をつぶった彼女は酷く儚げで頼りなく、総司は柄にもなく庇護欲をかきたてられる。いや、庇護欲ではなく…独占欲だろうか。
彼女に関わる物には全て自分も関わりたい。彼女が困ったら助けてあげるのは自分でありたいし、彼女が笑うのは自分の隣で自分にむかってであってほしい。
「では、失礼いたします」
と言って去っていくホテルマンに軽く会釈をして、総司は千鶴の細い肩に布団をかけた。
外は台風のせいで蒸し暑いが、エアコンが体を冷やすといけない。
斎藤や平助たちに連絡して事情を話そうかと思い、ジーンズの尻ポケットを探った総司は、携帯を失くしたことを思い出して舌打ちをした。ホテルの備え付けの電話か千鶴の携帯を借りて掛けようかと思ったが、敵の組織の規模がどれほどかはわからないがもしかしたら盗聴されているかもしれないと思い、ロビーまででて公衆電話で事情を説明する。
彼女の目が覚めるまで傍に居ることを伝えて電話をきると、総司は千鶴の眠っている部屋に戻った。
このままゆっくりと眠るといい。
朝までゆっくり眠れば、ショックや疲れも取れるだろう。
沖縄まで来て、ダイビングをし、沈没船で探し物をして、バケモノに襲われ、部屋を荒らされた。
たった三日でありあまるほどの大冒険だ。
総司は苦笑いをすると、雨がガラスを打ち出した窓を見た。
千鶴がゆっくり眠れるように、室内灯を窓際の一つだけにしてすべて消し、総司は千鶴の眠りを守るように静かにソファに座った。
静かな雨の音の中で、千鶴の意識はゆっくりと覚醒した。
ぼんやりと天井を見て、そしてそのまま視線を巡らせる。
部屋は暗く、相変わらず雨の音がする。部屋の隅に灯りが一つ灯っており、男性が立って窓から外を眺めているのが見えた。
背が高く均整のとれた体つき。ラフなTシャツに切りっぱなしのジーンズ、クロックスというカジュアルな格好で、ポケットに手を入れて窓の外を眺めている。
反対側からの光を受けて茶色に輝く髪は、少し長めで少し痛んでいる。きっと太陽と潮にさらされているのだろう。
彫りの深い顔にすっきりとした鼻筋。華やかな、女性好きしそうな雰囲気だ。
千鶴がぼんやりと眺めていると、視線に気づいたのかその男性がこちらを見た。
「……目が覚めた?」
艶やかな声でそう言うと、彼は振り返ると窓によりかかる。
「沖田さん……」
「気分はどう?」
「はい、大丈夫です。……私、倒れちゃったんですね」
ベッドに起き上ると、千鶴はぼさぼさになっていた髪を手ですき、恥ずかしそうに総司を見た。
「ご迷惑をおかけしちゃって……すいませんでした」
「……」
総司は何も言わずに千鶴を見ていた。長い沈黙に千鶴はだんだん居心地が悪くなる。
「…あの…?」
戸惑ったように千鶴がそう聞くと、総司は千鶴から視線を外した。そして窓を見て言う。
「外、すごい嵐だよ。台風が近づいてるみたいだね」
「そうなんですか?上陸するんでしょうか」
「さあ…でも明日の朝には通り過ぎてると思う」
また沈黙。
静かなホテルの部屋に二人きりで、外は台風のせいで大嵐。なんだか世界に二人きりで閉じ込められているような妙な感覚がして、千鶴はベッドから降りようと体を起こした。
「あの、今何時ですか?そろそろ夕飯の時間ですよね?もしよければホテルのレストランで一緒にいかがですか?」
総司はそれには答えずに、千鶴を見る。そして千鶴の着ているTシャツに目を止めると指を差した。
「ねえ、それ何か知ってる?」
総司の指が差している先をたどり、千鶴は自分のTシャツを見た。北谷に連れて行ってもらった時にTシャツショップで買ったものだ。白地に濃い緑色で植物がかかれている。
「……いえ、知らないです。花…ですよね?沖縄の花なんですか?」
「うん、『サガリバナ』って言って、本島よりももっと南の島で咲く花だよ。幻の花って言われてるんだ。なんでだかわかる?」
千鶴は首を横に振る。総司は窓に寄りかかりながら続けた。
「島のさらに奥の水辺に原生していて、咲くのは夜なんだ。そして朝日がのぼるころにはもう花は落ちてしまう」
「月下美人みたいな……?」
千鶴がそう言うと、総司は「そうそう」と微笑んだ。そして続ける。
「夜の間にカヌーでジャングルみたいな原生林の中の川を上流へと上っていくでしょ。もちろん灯りなんかないから真っ暗。手元の懐中電灯で行先を確認して、月があればいいけど星明り程度だとほんとに真っ暗なんだ。聞こえてくるのは自分のパドルが水をかく音くらいでね、不思議な感覚の中をすすんでいくと、かすかに甘い匂いがただよってくる。それがサガリバナの匂いなんだ。……で、それを辿って真っ暗闇の中を嗅覚と聴覚だけに集中しながらカヌーをすすめていくと、だんだん夜が明けてきて周りが見えてくるようになる。そして初めて気づくんだ。川の水面一面、自分のカヌーの周り全てが落ちたサガリバナのうすいピンク色で埋まっている事にね」
総司はそこで言葉を止めた。
千鶴は総司の話を聞きながら、川一面にただよっているサガリバナを想像する。原生林に囲まれて早朝誰もいない川で、甘い匂いに包まれて……さぞかし幻想的な光景に違いない。
「沖田さん、すごく詳しいんですね」
「『きらきら青い海』で離島ツアーを組んだときに、サガリバナツアーもやったことがあるんだ。観光客を連れて夜に川を上るんだよ。沖縄でいろんな島に行ったり経験したりしたけど、サガリバナはよく覚えてるよ。……とってもきれいだったんだ」
窓の外を見ながらひとりごとのように言った総司に、千鶴は答えた。
「話を聞いてるだけでステキです。私も見てみたいです」
総司はほほえんで千鶴を見る。
「ほんと?じゃあ行こうか」
「ほんとです。またツアーを組むことがあったらぜひ参加させてください」
総司は頭をかしげて千鶴を見る。
「ツアーじゃなくてさ、二人で」
「え?」
「千鶴ちゃんと二人で行きたいな。夜に二人で一緒のカヌーに乗って」
「……」
総司の瞳と彼の雰囲気が、これは特別なお誘いなのだと千鶴に告げていた。
たんなるツアー会社と客の関係ではなく。
「……だめ?」
総司が聞くと、千鶴は少し赤くなった。
「だめ……じゃないです」
「じゃあ、何?」
「……」
そういう経験がほぼない千鶴にとっては、この駆け引きのような会話はハードルが高すぎる。
でもどんなに高いハードルでも勇気を出して飛ばなくてはいけないときがあるのだ。
千鶴は総司を見て言った。
「私も沖田さんとサガリバナを見に行きたいです」
総司の微笑みが深くなった。
嬉しそうに満足そうに煌めく緑の瞳で千鶴を見て、ゆっくりとベッドに近づいてくる。
「ほんと?二人きりだよ?」
「……はい」
ベッドに座った総司は、布団の上に置いてあった千鶴の手の上に自分の手を重ねた。
「……じゃあ、この件が落ち着いたら行こう」
ああ、自分は『遊び人』の手の内に落ちてしまったのかと千鶴はちらりと思った。
でも、総司が第一印象通り『遊び人』だったとして、それがなんだと言うのだろう?
車の事故の時も、船でも千鶴を真っ先にかばってくれた。
まだ潜りたいとわがままを言う千鶴に、自分を信じてくれと言った時の彼の真剣な瞳は、今でもはっきりと思い出せる。
見た目や態度とは別に、誠実でまっすぐな面を千鶴は知っているのだ。
そしてそんな総司に惹かれた。
自分を守ろうとばかりして、次の世界への扉を閉ざしてしまうのは臆病者だけだ。
千鶴は、総司の瞳を見返して、「はい」とうなずいた。
総司は緩く微笑んだまま、千鶴の手を握る。
薄暗い部屋で、千鶴はぼんやりと総司の緑の瞳を見上げた。そして総司の顔がゆっくりと近づいてきて……
ピリリリリリリ!
まったりとした甘い雰囲気を切り裂くように、電子音が部屋に響き渡った。
ドキッと心臓をわしづかみにされたような気がして、千鶴は飛び上がる。総司も驚いたように目を瞬いた。
一瞬目があったが、何故か恥ずかしくて気まずくて、千鶴は目をそらすと音の出どころを探す。
ホテルの電話か目覚ましか…と思ったが、鳴ったのは千鶴の携帯電話だった。
赤くなりながら着信画面を見ると、『沖田総司』と出ている。
え……
千鶴は混乱した。
今目の前にいる総司はもちろん電話なんてしてなくて……
千鶴の戸惑った表情がわかったのだろう、「どうしたの?」と総司が聞く。千鶴が戸惑ったように着信画面を見せると、総司の顔色がサッと真剣な物にかわった。
落としたはずの携帯から電話がかかってくる理由は一つだろう。
海に落としたのではなくあいつらの船に落としたのか……しかも千鶴の携帯番号まで探られた。
最悪じゃないか。
「僕がでる」と千鶴に言うと、返事をする暇も与えずに総司は千鶴の携帯の通話ボタンを押した。
「はい」
『……あの船にいた男か?』
「まず自分から名乗るのが筋じゃないの」
携帯電話の向こうから、馬鹿にしたような笑い声が聞こえてきた。
『茶色の髪の背が高い男だな。この携帯の持ち主』
「アタリ。鋭いね。この電話番号の主に何の様かな?」
『アドレス帳を見ていたら見たことのある名前があったからな。女性のお知り合いが多いようだがさぞかしこの携帯電話を返してもらいたいことだろう』
「残念だけど、もう大事な電話番号は千鶴ちゃんの一つだけになったからね、他のはいらないんだ。海にでも捨ててくれる?」
『お前の携帯はいらないにしても、例の箱の鍵はいるだろう?』
「……」
『それに大事な『千鶴ちゃん』の命を今後も狙われるのも困るんじゃないのか?』
「脅しのつもり?」
『取引の話だ。あんなものを持っていてもお前たちの特にはならないだろう?それにあの箱は特殊で、この鍵がなければ溶かさないかぎり開けることはできない。持っていてもしょうがないじゃないか』
「僕達が持っているせいであんたたちがヘンなことに使えないだけでも充分に意味があるんじゃないの」
『……』
携帯電話の向こうで男が沈黙した。
総司達はこの箱が開かなくても困らないのだ。困るのは奴らの方で。
沈黙の後、再び男が口を開いた。
『……ではストレートに脅すとしよう。あの箱を渡せ。さもなければ雪村千鶴は今後、あらゆる手段を使って命を狙われることになる』
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