【夏と海と冒険と 10】
「一人で来たのかね」
近づいてきたその外人は、船で見たときよりも背が低くずんぐりしていた。
しかし固太りのため力はありそうだ。
「そういう約束でしたよね」
千鶴は、内心のおじけ具合が伝わらないように、敢えて彼をにらんだ。
ここは沖縄でも屈指の超高級リゾートホテルのロビー。
周りはリゾートらしくくつろいだ格好の日本人や外国人観光客たちが行きかい、その間をホテルマンたちがきびきびと動いている。
ロビーの大きな一枚窓からは、輝くばかりの海とハイビスカスの咲き乱れる生垣が、昼間の陽光の下で輝いている。
小さな半島まるごとがこのホテルの所有地で、入るためには警備員のいるゲートを通り抜けなくてはならない。そのせいでバケモノのような怪しい人物はそもそも敷地にさえ入れない。
総司が、ここのホテルのロビーを受け渡しの場所に指定した理由はそれだった。
それともう一つ。
個人所有の船を係留できるようなヨットハーバーが、ホテル付属の一か所しかその半島にはない。
例の外人は、バケモノもいることだし多分船での移動がメインだろう。いや、もしかしたら寝泊まりも船でしているのかもしれない。とにかくあの化け物は人の目についたら騒ぎになるから、それほどおおっぴらには上陸していないだろうと総司はよんだ。
となると、変若水の入った箱の引き渡しを千鶴と外人の男の一対一で、場所は超高級ホテルのロビーでと指定したら、外人の男は船に化け物を乗せてヨットハーバーに停め、一人でホテルに来ることになるに違いない。
総司は一つしかないヨットハーバーをはっていればいいのだ。
外人の男が千鶴に会うためにホテルに行っている隙に、総司が奴らのヨットに忍び込み、鍵を奪い返す、というのが総司のたてた作戦だった。
外人の男が鍵をヨットに置いて行くか千鶴との引き渡しの時に持って行くかで斎藤と平助、総司の意見が分かれたが、どんな危険が待っているかわからないホテルのロビーに例の外人の男がカギを持ってくる可能性は低いということで、最終的に一致した。
あの鍵はやつらにとって最後の――文字通りカギなのだ。
バケモノの傍に置いた方が奪われる確率は低い筈だ。
あの外人の男がカギを持って行くとしたら、取引のホテルで総司達が待っていて取り囲まれるかもしれないのだ。ホテルへはさすがに化け物をつれてはいけないだろうから単身でいくしかないし、変若水の箱を手に入れたとしても、今度は鍵が奪われてしまったら元も子もない。
千鶴にできることは、その外人の男をできるだけ長くホテルに引き留めて置き、総司から『鍵を奪い返した』という連絡が入り次第逃げ出すことだった。
もちろん変若水の入った箱は渡さずに。
「早速だが箱を渡してもらおうか」
外人の男が手を差し出す。千鶴はロビーのふかふかのじゅうたんの上で一歩後ずさった。
「待ってください。引き渡しの条件は、あなたがもう私を狙わないことだったはずです。それはどうやって証明するつもりなんでしょうか」
千鶴が鉄の箱をパーカーのポケットの中に押し込んだままそう聞くと、外人の男はサングラスの後ろで驚いたように目を見開いた。
そしてしばらく考えたのちに言う。
「……証明することはできない。だが実際のところその箱の中身が手に入れば、もう君から欲しいものは何もない。この言葉を信じてもらうしかないな」
「それでは不公平です」
「そうでもない。君が渡すその箱が、本当に沈没船から取り出してきたものかどうか私にはわからない。お互いに信用するしかないということだ」
そう言うと、男は『さあ』というように手を差し出した。
千鶴は唇をかむ。斎藤からきいた引き伸ばし作戦はこれですべてだ。
総司からの連絡はまだだろうか。これ以上引き延ばしたら不審に思われてしまうかもしれない。
千鶴がパーカーのポケットから変若水の入った箱を取り出し、渡しはしないが見せるだけ見せようとした。外人との距離は充分とってあるし、まさかこの高級ホテルのロビーで飛びかかっては来ないだろう。
その時、北谷で買った切りっぱなしのホットパンツの後ろポケットに入っている携帯が音もなく振動した。
……合図だ…!!
千鶴はハッとする。
バイブになっている千鶴の携帯に、三回コールして切るというのが、総司がカギを奪ったという連絡なのだ。
千鶴は、パッとロビーの反対側の円柱を見た。そしてそこの陰に立っていた男性に目線で合図する。
男性は心得たように小さく頷くと、大股でこちらに歩いてきた。
「失礼します」
男性はそう言うと、胸ポケットから出した手帳を、千鶴の前に居る外人の男に見せた。
警察手帳だ。
「私は警察のものです。先日こちらの雪村さんのホテルの部屋が荒らされた件で調査をしています。お話を……」
私服の警官がそう言った途端、男は固太りの体に似合わぬ俊敏さで踵を返し、ホテルの出口に向かって全速力で走りだした。
「待て!」
警官の鋭い制止の声も振り切り、外人の男は走る。ホテルのロビーの反対側からも別の私服警官が駈け出して、男を止めようとする。
突然の逃走劇にホテルのロビーが騒然となった。
千鶴は変若水の入った箱をギュッと握って、外人の男が逃げたのと反対側にある半島をでる道路の方へ向かう。
鍵を奪った総司が『ドキドキ号』で千鶴を拾い、『きらきら青い海』の事務所へ戻ることになっているのだ。そこで斎藤と平助が待っている。
千鶴はパーカーのポケットを上から押さえて、まぶしい太陽の光の中をホテルの敷地内の道路にむかって走った。
バケモノの方は簡単だった。
以前海上の船で見た時も思ったが、昼間も動けるように変若水を改良したと言っていたがそれでも動きは鈍かった。力はバカみたいに強いし打撃は平然と受け流すタフさも人間離れしている。だが全体的にノロく、よたよたと動いていた。
外人の男が船から出てホテルへとむかって歩いて行くのを確認してから、総司は首尾よく彼らの船に忍び込んだ。バケモノが甲板にいたが、別の船が入って来てそちらに気を取られている隙に中に入ることができた。操舵室の隣にある部屋で、鍵もすんなりと見つける。
しかし船を出るときに、もう一人の人間に見つかった。多分海の中で総司達を撃ってきた男だ。こちらも外人のようで明るい髪の色にひょろりとした体型をしている。何を言っているのかわからない外国語で叫び、総司を追いかけてきたのだ。
ヨットハーバーにはその時他の利用者や管理人がちらほらいたのだが、なんと銃まで取り出して、空中に威嚇射撃をしてきた。
総司は舌打ちをする。
「ったく…!バカの一つ覚えに銃をぶっぱなすとか…!!」
総司は姿勢を低くして転がり、レストハウスの裏へと隠れる。
表側が大騒ぎにはなっていない様子なのは、きっとあまりにも堂々と銃をぶっ放し過ぎて皆唖然としているのだろう。
総司はそのままレストハウスの裏を抜け、月桃の茂みをかき分け上へと上る。繁みを抜けると駐車場だ。チラリと下を見ると、レストハウスの裏を先程のひょろひょろした男が総司の後を追いかけてくるのが見えた。
ヨットハーバーの管理人が警察を呼ぶにしても間に合わないだろう。とにかく『ドキドキ号』にたどり着いてホテルの方へ車を回し千鶴を拾わなくてはいけない。
あ、その前に電話しないと!
総司は思い出して、走りながら平助から借りた携帯電話を操作し千鶴に電話をかけた。表示が<呼び出し>になり、コール音が三回鳴ったくらいの時間を待って電話を切り、総司は駐車場に向かって走り出した。
パァン!という破裂音がして、総司のすぐ隣の木の幹から木屑が吹っ飛ぶ。
「ちょっとちょっと…!」
総司は慌てて方向を替え、駐車場の脇にある自動販売機の裏側へと飛び込む。
「ったく…!」
そしてそこで立ち止まる。
しばらく待つと、ひょろ長い男が勢いよく角から現れた。
「よっ…!とね!」
その先へ逃げているはずの総司を追おうとかなり勢いをつけて曲がってきた男は、総司がひっかけた脚に見事に足をとられ転がった。
そいつが体勢をくずした瞬間を逃さず、総司は銃を持っているそいつの手を足でけり上げる。銃は重そうな音をたててアスファルトの上を転がって行く。
総司は男の手首を足で押さえつけると、ジーンズの後ろに隠していたもう一つの銃をジャキッと音とさせて安全装置をはずし、男の顔に突き付けた。船の上で、平助が例の背の低い方の外人の男から取り上げた銃だ。
「あ……」
計らずもホールドアップの状態でアスファルトにあおむけに横たわったひょろ長い男は、喉の奥が締めつけられたような声をだした。
「……これで降参してくれる?」
総司が少し息を切らしてそう言うと、多分日本語はわからないその男は意味は通じたように何度もうなずいた。
怯えたように頷くひょろ長い男をしばらく観察してから、総司はゆっくりと足をはずすと、銃口はその男に向けたまま一歩下がった。
そして先ほど自分が蹴り上げたその男の銃を右足で踏む。
「ほら、行って。自分の船にさ。わかる?GET OUT HEREってことだよ」
ひょろ長い男はうなずくと、じりじりと後ろに下がる。そして月桃の茂みに入るとくるりと背を向けてヨットハーバーの方へと走り去った。
総司は彼の銃を拾うとジーンズの背中の腰に差した。
そして、持って来ていた銃の方の安全装置を戻してそちらは腹の方へ差す。
「二丁拳銃ってね」
自分でからかうように言うと、急いで『ドキドキ号』へと走った。
千鶴の方は大丈夫だろうか。早く行って、たいへんなことになっているようなら助けなくては。
平助が日頃手入れしているだけあって、『ドキドキ号』は車と相性の悪い沖縄の湿気の多い空気の中でも、ブォンといい音をさせて一発でエンジンがかる。
総司はギアをファーストにいれると、勢いよくアクセルを踏み込んだ。
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