【夏と海と冒険と 8】
小さな擦り傷を、斎藤が消毒してくれた。
先程までの飛んだり跳ねたり殴ったり殴られたりが嘘のような、静かな『きらきら青い海』の事務所。
事務所内はエアコンがきいていて、相変わらず散らかっていたし汚れてはいたけれど快適だった。窓の外はまだ夕方前だというのに朝より暗くなり、分厚い雲がかなりの速さで流れている。
台風が近づいているのだ。
キイッという音と共に総司がドアをあけて入ってきた。
千鶴の隣で最初に傷の手当てをしてもらっていた平助が声をかける。
「どうだった?」
「なかった」
「どこで落とした?海かな?」
総司の携帯だ。平助の言葉に総司は腕を組んで沈黙する。暫く考えてから溜息と共に答えた。
「海に落ちたか……もしかしたらあいつらの船に落としたのかも」
あの化け物に後ろからタックルした時、渡しの板に何か落ちたような気たした。総司の携帯はジーンズの後ろポケットに入れていたし、落ちたとしたら多分あそこだろう。渡しの板から海に転がったかあいつらの船の方に転がったかは、もうわからない。あの時はもう夢中でそんなことに気づきもしなかった。
「まあいいよ。あとで解約しとくし」
そう言うと総司は軽く伸びをした後、バンドエイドをはっている千鶴を見た。
「で?治療が終わったら説明してほしいな。まず、僕達が沈没船から持ってきた箱は奪われずに済んだの?」
総司がそう言うと、千鶴はおずおずと膝の上に置いていたパーカーの中から例の黒い鉄の塊のような箱を取り出した。
「あの……ありがとうございました。これを取ってきてくださったのも、あの……あの人達から助けてくださったのも」
総司はパイプ椅子の背を持って引寄せると、事務机の椅子に座っている千鶴に向き直った。平助はソファの背に座り、斎藤は立って救急箱を片付けている。
「その箱は何?あいつらは何なの?」
総司がストレートにそう聞くと、千鶴は唇を噛んで俯いた。
「ここまで迷惑かけといてだんまりとかありえないよね?」
総司の刺のある言葉に、千鶴は弾かれたように顔をあげた。
「違います!言いたくないとかじゃなくて……言わない方がみなさんの安全になるんじゃないかと思うので…」
千鶴がそう言うと、総司は鼻で笑った。
「『安全』?どこが?もう今更安全とか言われても遅いんじゃないの」
「総司」
きつい言葉の連続に、斎藤がたしなめる。そして千鶴に向かって言った。
「だが総司の言うことも一理ある。全て話してもらった方がこちらも対処がしやすい。もう巻き込まれているのだしな」
「……すいません…」
千鶴はうつむいて、自分の手の中にある鉄の箱を見た。
どこから話せばいいのか。千鶴にもまだわからないことがあるが、総司達に迷惑をかけたのは確かだ。全て話さなくてはいけない。
千鶴は頭の中で整理しながら、ゆっくりと話し出した。
「この箱の中には、ある薬とそれの製造方法が入っています」
「薬?」
平助がきくと、千鶴は頷いた。
「そうです。第二次世界大戦時に、日本軍とドイツ軍とで共同開発したものです。いえ、開発というよりは改良、でしょうか。昔から『変若水』という不思議なものが存在していたそうです。飲むと人間離れした力と回復力を得ることができるのですが、それと引き換えに理性を手放さなくてはいけなくなり、しかも活動時間も夜に限られるようになるというものでした。戦時中に日本軍はそれをドイツ軍と共同で改良し、夜にしか動けないデメリットを改良し昼にも活動できるようにしたそうです。そしてそれを日本とドイツの兵士たちに投与できるよう大量生産をする準備を進めている最中に、戦争が終結しました」
いきなり時代も国も飛び越えるスケールの大きな話になり、総司達は目を瞬いた。
007の映画の粗筋かと思うような内容だが、千鶴は至極真面目な顔で話している。
「最終決戦のために沖縄にいた軍の関係者だった祖父は、戦争が終結した後のごたごたの中でその変若水のプロトタイプと製造方法を記したものを日本軍の中枢部にいた幹部から預かり、『危険な薬だからGHQにもドイツ軍にも渡さないで欲しい』と頼まれたそうです。GHQかドイツ軍かはわからないのですが、祖父が持っていた薬を奪おうとする何者かに幾度も襲われ、祖父は本土に逃げる為沖縄から船に乗り、密かに脱出を図りました。けれどもその船は沈んでしまい、祖父は通りかかった漁船に助けけられてなんとか生き延びることができたんです」
「……その沈んだ船があれか?」
斎藤がそう聞くと、千鶴は頷いた。
「そうです。沈む直前に、祖父はあの箱をあそこに隠したのだそうです。……そして、祖父は自分ももう死ぬだろうと思っていたために、その時持っていた祖母への婚約指輪もその中に一緒に入れたと」
「指輪?」
平助が、千鶴の手の中の箱を見る。
「はい。祖父が沖縄に来る前に東京で祖母と婚約をしていました。その時に贈りそびれてしまったまま沖縄に持ってきた婚約指輪です。貿易商だった祖父の実家が手に入れたとてもめずらしい石を使った指輪で、婚約式前に祖母に見せた時に祖母もとても気に入ってくれたと言っていました。祖父は、結局本土に帰り祖母と結婚することができたのですが、婚約指輪を失くしてしまった事をずっと気にしていました。そして一緒にいれている国家レベルの機密のことも。研究者だった祖父には、その薬の危険性を十分に認識していて、あの薬はこの世から消すべきだと思っていたようです。そしてその際に婚約指輪は祖母に返したいと。……祖父は今年の春に亡くなりました。そして私が沖縄に来たんです」
総司が腕を組んで言った。
「君のおじいさんがそんな危険なことを頼んだってこと?孫娘に?」
千鶴はしばらく考えて答えた。
「祖父の孫は私だけで、信頼してくれてるんだと思っています。直接頼まれたわけではなく、日記を見るように、というのが私への遺言でした。祖父の部屋の机に隠されていた日記に、先ほどまでお話したことが書いてあったんです。祖父はずっと調べていたようで、船が沈んだときの時間や速度等を詳しく書いていました。私は、この箱を手に入れて変若水を捨て、製造方法を書いた紙を燃やし、祖母の婚約指輪を東京にいる祖母に持ち替えるために沖縄に来たんです」
千鶴が話し終えると、『きらきら青い海』の事務所は沈黙に包まれた。
あっけにとられたというか、突拍子もない話に茫然とするというか。
しかし彼女の話は筋が通っているし、嘘の話をするような子には見えない。それになによりも、実際に総司達自身が襲われて、目にしているのだ。白い髪に赤い瞳の化け物を。
今の話から考えるとあれは……
「あの海であった化け物はじゃあ……」
平助が言うと、千鶴は平助を見た。
「多分、変若水を飲んだんだと思います。そしてあの外国の人の言葉はドイツ語でした。今年の冬、祖父が病気で倒れるころからずっと『戦後の遺物がまた動き始めている』と言っていたんです。祖父の家におかしな電話もかかってきたりするようになりましたし……年老いたせいで混乱してるのかと思っていたんですが違ったみたいです。国家の機密文書の非公開期限がちょうどこの12月に終了して、その時の資料も公開されたんです。私が閲覧要請を出した後に、他の誰かも同じ文書を閲覧要請をだしたようです。多分、変若水を手に入れてよくないことをたくらんでいる組織がいるんじゃないかと思います」
総司が冷たい目で千鶴を見た。
「そういうことを全部わかってて僕たちに沈没船ダイビングを依頼したわけ?危険性の説明もなにもせずに?」
千鶴は唇を噛んで俯いた。
総司の言うとおりだ。フェアじゃなかった。
だが……
「明確に狙われている証拠はなかったんです。今日のことがあって『やっぱり狙われてたんだ』とはっきりわかったんですが、それまでは……」
「多分、内地からずっとつけられてたんだと思うよ」
髪をかき上げながら総司がそう言うと、千鶴は首をかしげた。
「そう…かもしれません。気づかなかったですけど……」
「北谷に最初に行こうとしたとき、車が事故ったでしょ。あの寸前にエンジンの音がおかしくなったんだよ。エンストみたいな感じでさ。多分レンタカー会社に聞いたらわかると思うけど、ポンプかバッテリーかをいじられてたんだと思う」
総司がそう言うと、千鶴は目を見開いた。総司は続けた。
「スピードがあんまり出てなかったし、山の中で対向車もいなかったからあの程度で済んだけど、国道を走ってたらよくて怪我、悪くて死亡の大事故になってたよね」
「……」
海で襲われたのは出会いがしらの衝突のようなものだったと思っていた千鶴達は、総司の言葉に青ざめた。
周到に計算され狙われていたのだとしたら、今後も一体何があるか……
皆が顔を見合わせる。
平助が気分を変えるように明るく言った。
「ま、まあでもさ!その箱は俺らが手に入れたわけだし、その薬とか全部捨てちまえばそいつらもあきらめるんじゃねえ?はやく捨てちまおうぜ!できればあいつらに見えるように始末できればいいよな、どうやる?」
皆の視線が千鶴の手の中にある箱に集中する。千鶴は箱を持ちあげた。
「ここの底ののところに、小さな穴があるって祖父の日記には……ああ、ありました。ここに鍵をさせば開くはずです」
「鍵?どこにあるのだ?」
斎藤が聞くと、千鶴は安心させるように微笑む。
「祖父がずっと大切に保管していました。私が沖縄に持ってきています。大丈夫です、ホテルの部屋にある金庫に入れてあります」
「……」
嫌な予感が皆を包む。
船をぶつけてきたり、人間を化け物にしたり、日本で銃をぶっ放すようなヤツだ。ホテルの金庫くらいなんでもないのではないだろうか……
「……行こうか、今から。急いで」
総司が立ち上がる。千鶴も続いて立ち上がった。
「は、はい!」
千鶴のレンタカーは先ほどの総司の話から考えて危険だ。総司と千鶴の二人で、フルエアロ装備をしサスペンションも変えたばかりの『ドキドキ号』に乗り込み、ホテルに向かうことになった。
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