【夏と海と冒険と 5】











「ん……あれ?」

寝返りをうとうとして千鶴は落っこちそうになり目が覚めた。
一番暑い時間帯が過ぎた後の、どこか落ち着いた昼の光が、あちこちはがれかけている白い壁を照らしている。
「あれ……ここ…?」
見慣れない景色に体を起こすと、背後から「気が付いたか」という静かな声が聞こえた。それと同時に先程から聞こえていたカタカタという音が止まった。
「私……?あっ」
起き上ったことで分かったが、千鶴は水着姿だった。上には大きなバスタオルがかけてある。
ここは『きらきら青い海』の事務所だ。クーラーがきいた事務所のソファの上に、千鶴な何故か寝かされていた。
「私いったい……?」
確か総司と平助に連れられて北谷に行って、Tシャツを5枚と長袖のパーカーと切りっぱなしのジーンスやホットパンツ、気楽な感じのスカートや島草履を買わされて。
そのままアメリカンスタイルのレストランに連れていかれて死ぬほど食べて、しばらく休んでからようやく少し外れたところにあるダイビングスポットに行って潜る練習を初めて……
「私、おぼれちゃったんですか?」
も、ものすごく迷惑をかけてしまったのでは……と少し青ざめながら千鶴が斎藤にそう聞くと、斎藤はノートパソコン(無事届いたらしい)を閉じて立ち上がった。
「いいや、おぼれてはいない。総司が言うには一通りの練習をしたが、後半に口数が少なくなり疲れたようだったと。帰りの車の中で眠ってしまい、起こしても起きないので総司がここまで運んで来たのだ」

お、沖田さんが……!

千鶴は真っ赤になった。運ぶということはその……抱き上げられたのだろう。迷惑をかけた上に、起こしても起きないとか子供ではないか。確かに昨日は例の車の事故とその後のホテルまでのナイトウォーキングと、そしてレンタカーの処理でかなり疲れたはいたが……

重くなかったかな。
ね、寝顔も見られちゃったんだよね多分……

固まったまま沈黙した千鶴に、斎藤は慰めるように言う。
「疲れと睡眠不足と軽い熱射病だな。総司達から聞いたが、昨日の夜はたいへんだったらしいな」
「……はい…」
その通りだ。それにこれは斎藤達は知らないがその前、沖縄に来る前もずっと千鶴はほとんど眠らず調べて手配をして考えて…という日々をおくっていた。体が悲鳴をあげるのは当然だ。
「体調管理もできていなくて……ご迷惑をおかけしました」
千鶴が頭を下げると、斎藤は首を横に振る。
「誰も気にしていない。それより腹が減っただろう。目が覚めたら連れてくるように言われているのだ。行くか」
「え?どこにですか?」
まさか船を出してくれるのか?沈没船のスポットに……!?と千鶴は一瞬興奮したが、続く斎藤の言葉でがっくりと脱力した。
「ビーチパーティだ」
斎藤は千鶴の様子には気づかないようで、サイフを持ち事務所のエアコンを消す。
「例の、俺たちがいつも客との待ち合わせに使っている海の家のようなカフェがその先にあるのだ。このあたりのダイビングショップやツアー会社の皆のたまり場のようになっている。そこで皆でビーチパーティをしているから行こう」
「……あの、いいです、私。確かに疲れているんで今日はホテルに帰ってダイビングの復習と、あともう一度海域を調べて……」
千鶴がやらなくてはいけないことを羅列していると、斎藤が近寄ってきて両肩をポンポンと軽く叩いた。
「肩の力を抜け。そんなに気を張りすぎていると今日のようにまた倒れるぞ」
「……」
千鶴が驚き目を瞬いて見上げると、斎藤はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫だ。今日のダイビングの練習は充分合格点だと総司も平助も言っていた。明日は朝から船を出してお目当ての海域に行けるだろう。だから今日はゆっくりと過ごした方が良い」
「……明日は……」
「そうだ。さあ、行こう」
斎藤にうながされるままに、千鶴は今日買ったばかりのTシャツを水着の上に着て、ジャージ素材の膝丈の楽なスカートを履き、島草履をはいて外に出た。脚を出すのは久しぶりで少し気恥ずかしい。
沖縄の人とは違い真白で、それも場違いな感じがして居心地が悪い。

もう夕方近いと言うのに、外はムッとするような湿気と暑さだった。太陽光線が肌に痛い。
「私、いいんでしょうか。パーティに出られるような恰好じゃあ…」
尻込みをする千鶴を見て、斎藤は目を瞬いた。
「そうか、内地の人間だから知らないのだな」

要はビーチでやる気楽なバーベキューだ、と斎藤は教えてくれた。
実際に行ってみると、海の家というにはおしゃれすぎる海辺のカフェの前のビーチには、バーベキュー台が三台おかれフル稼働していた。生ビールの樽やソフトドリンクサーバーも置いてありかなり本格的だ。しかし参加している人たちは皆、Tシャツにショートパンツのような気楽な服装だった。
「おっ、こっちのが噂の『きらきら青い海』の救いの女神サマか」
斎藤に連れられ千鶴が行くと、バーベキュー台の前で肉やトウモロコシやピーマンを忙しく焼いている男性が声をかけてきた。
背が高くがっしりしていて、頭に白いタオルが撒かれている。上半身裸で下はゆったりとしたサーフパンツに島草履。適度に日焼けした小麦色の肌に、赤っぽい髪の色、高級ウィスキーのような甘い深い琥珀色の瞳……

千鶴はその人の色気にあてられてその場にぼんやりと立ち尽くしていた。
「どうした?腹が減ってるのか?」
このカフェのオーナーだという原田と紹介されたその人は、そう言って焼きそばを皿に盛って差し出してくれたけれど、声までもが色っぽい。

夏に海に原田さんという人は危険だということだけ覚えておこう…

どう間違ってもひと夏のアバンチュールになど縁のない千鶴でさえもよろめいてしまいそうな色気だ。
千鶴はバーベキュー台から離れた後こっそり深呼吸をして心臓を落ち着かせたのだった。


斎藤と一緒に近くにある簡易型の机とセットになっている椅子に座ると、千鶴は辺りを見渡す。

あ、沖田さん…と平助君

反対側で二人が、誰か知らない女の子と笑いながら話している。
それ以外にも人がたくさんいて、バーティは賑やかだった。
「海に入ったりはしないんですね」
千鶴が焼きそばを食べようと割り箸を割りながらそう言うと、斎藤はビールと原田からもらった肉を食べながら答えた。
「そうだな、海を眺めながらバーベキューをするのを、沖縄ではビーチパーティと言う」
斎藤が説明してくれていたけれど、千鶴は総司達が気になってあまり頭には入って来ていなかった。
総司と平助が話しているのは、若い女の子二人。
沖縄らしく彫りが深く綺麗な瞳と、こんがり焼けた肌をしている。ビキニの水着にパーカーを羽織り、ぎりぎりまで切ってあるホットパンツをはいているのが快活な感じで、もう一人の子はゆるくウェーブのかかった髪と、パレオ姿の色っぽい感じだった。二人とも綺麗に日焼けしている。
「あの……あそこで沖田さんたちとしゃべってるのは……?」
千鶴の視線を追って斎藤は「ああ、彼女達か」とうなずいた。
「ここからもう少し遠いところにあるダイビングショップの店員だな」
斎藤の答えを聞いてから、千鶴は自分の質問が何か変だったような気がして言い訳の言葉を探す。
何故あんなことをきいたのだろうか。聞いたからと言って自分には何も関係ないではないか。彼女たちの事を聞いたのなら、他の知らない人たちの素性も全部聞くべきではないのか。しかしそれだと斎藤が答えてばかりで忙しく、せっかくの肉がたべられないだろうし。
「……」
結局言い訳も何もしないで黙っているのが一番だろうと、千鶴は再び焼きそばにむかった。その時隣にビールが置かれる。
「どうぞ、これ飲んで」
知らない中年男性がそう言って、千鶴にビールを薦めてくれた。
「お気遣いありがとうございます。でも私、飲めなくて……」
さすが南の国はフレンドリーで開放的なんだなと千鶴もにっこり微笑み返す。その笑顔を見て中年男性も嬉しそうに笑った。


「え?ごめん、なんだって?」
総司は目の前の女の子の言った言葉をもう一度聞き返した。緩くウェーブのかかった髪を揺らして女の子が膨れる。
「だからあ!今度水族館のところで花火があるでしょ?一緒に行かない?って」
女の子の誘いの言葉は、またもや総司の耳を通り抜けた。
総司の目は、反対側の椅子に座っている斎藤と、その向かい側に座っている千鶴、その隣にぴったりと張り付くように座っている中年男性に向けられていた。

ちょっと近づき過ぎ

と思わず思ってしまう位、その男性はがらがらのベンチ椅子でぴたーっと千鶴のすぐ横に座っている。斎藤はと言うと、よほどお腹が減っていたのか自分の皿に入っている肉に集中していた。
男性が、まだ日が残っている空を指差す。千鶴もつられて上を見る。そして男性は千鶴の腕を指差す。「そうなんですか?」という声が聞こえてきそうな表情で、千鶴が首をかしげた。
多分日に焼けるよと注意しているのだろう。昼間はウェットスーツを着ていたから気にならなかったのだろうが確かに沖縄の太陽の下で肌をさらすのは危険だ。しかも千鶴の肌は、沖縄ではまぶしいほどの白さで見るからに危なそうではある。
まあぶっちゃけ沖縄ではよくあるナンパの手口だ。

総司は「ちょっとごめん」と言い置くと、その場を離れて千鶴達の方へと向かった。
背中から平助の「総司?」と言う不思議そうな声と女の子たちの不満の声が聞こえたが、総司はかまわず大股で歩いて行く。
思った通りそのおっさんはどこから出したのか日焼け止めを取り出して、千鶴に後ろを向くように言っている。総司の脳内にはおっさんの言葉がこれ以上ない位クリアに聞こえているような気がした。
『沖縄の太陽はとても強いんだよ。こんな薄いTシャツじゃあ着てても焼けてしまう。Tシャツの下にも塗らないと。水着は着ているんだろう?さ、脱いでごらん、私が塗ってあげよう』
想像通り、千鶴がためらっているのにもかかわらずおっさんが手を延ばし千鶴のTシャツを脱がそうとした。総司は自分の来ていた長袖パーカーを脱ぎながら大股で歩いて、千鶴との最後の距離を一気に詰めた。そしてパーカーを千鶴の肩に投げるようにかける。
千鶴が驚いたように見上げてくる目を見て、総司はうなずき、同じく見上げてきたおっさんには沖縄の海でさえ流氷で覆われそうな程の冷たい視線をなげつけた。
「それ着てなよ」
気軽に言ったつもりだが、かなりの速足でここまで来たのとおっさんが千鶴に触れる直前に急いで服を脱いだのとで、必死に見えたかもしれない。
少し気まずいが今はこのおっさんの撃退が先だ。
「でも、私が着ちゃうと沖田さんが……その、裸に……」
恥しそうに目をそらす千鶴を見て、総司は自分の体を見下ろした。確かにハーフジーンズしかはいていないが、海に入る時はいつもこんなものだろう。総司は肩をすくめると言った。
「僕はもともと焼けてるから大丈夫だよ。千鶴ちゃんみたいな肌の人が急に焼けると熱はでるわ水ぶくれにはなるわで大変だから着ておいた方がいい。日焼け止めもいいけど、肌が弱いとかぶれるからね」
そう言って冷ややかな眼差しでおっさんを見る。おっさんは視線を逸らすとビールを持ってそそくさと立ち上がる。そして軽く会釈をすると去って行ってしまった。

「ありがとうございます。すいません。せっかくはおるもの、今日買ったのに持ってこなくて……暑いからいらないかと思っちゃって」
そう言いながら総司のパーカーに袖を通す千鶴を見て、総司は思わずギョッとした。
一回り小さい千鶴が、いつも自分が着なれている服を着るのを見るのは、ゾクリとするほど親密な光景だった。
実際は触れていないのに、まるで自分が彼女をかかえこむとおあんな感じになるのかと思うような。
そして男物のパーカーとの対比のせいか、彼女の華奢さとか色の白さとか肌の透明さとか後れ毛とかまつ毛とか……女性的な物がとても目立つのだ。
直視に耐えられなくて総司は思わず目をそらす。と、肉を箸で持ちながらこちらを見ている斎藤と目があった。
「……何」
じっと見てくる斎藤に、総司が言う。斎藤はしばらくそのまま総司を見て、そして答えた。
「いや、なんでもない」
「なんでもなくないでしょ。なんか言いたげな目で見てたよね」
「別に何も言いたいわけではない」
「いいから言いなよ。何」
「だからなんでもないと……」
延々と繰り返している二人に、千鶴はどうしたのかと首をかしげたのだった。





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