【夏と海と冒険と 6】












「え?台風が?」
『きらきら青い海』の船に乗り込む前に総司にそう言われて、千鶴はすっきりと晴れ渡った沖縄の空を見た。ネオンブルーの海が遙かかなた水平線まで広がり、思わず深呼吸をしたくなるような爽快な景色。
台風が来ている気配などみじんもない。
総司は大きなかごを船に積み込みながら答えた。
「テレビ見なかった?大型で強い台風7号が、進行方向を変えちゃったんだよね。直撃はないけどかすりそうな感じ」
「海にいられるのはいつ頃までですか?」
千鶴は自分が持参したノートパソコンを運びながら聞く。
「台風の速度にもよるから何とも言えないけど、今日の夕方ぐらいかなあ。正直あまり船はだしたくないんだけど……」
総司がそう言うと、セリフの後半を同じく荷物を抱えて船に乗り込んできた斎藤が引き取る。
「しかし台風が過ぎるのを待つと、現場に行くのがまた遅れてしまう。とりあえず午前中は大丈夫だろうし他の店も船を出すようだから、午前中だけ潜って見て様子を見よう。広い海の中で目当てのものがすぐ見つかる可能性は低いだろうし、今日はまあ様子見で、本格的に探し出すのは台風が行ってからになるだろう」
「……そうなんですか……」
千鶴はがっかりした。
しかし総司や斎藤達も、安全と千鶴の要望をはかりにかけてできるだけ頑張ってくれているのだ。わがままは言えないだろう。何かあったら責任は『きらきら青い海』にかぶさってくるのだし。
「速い台風なら、1日か2日したらまた潜れるんでしょうか?」
千鶴が聞くと、先に船にのってなにやら確認していた平助が答えた。
「遠浅のダイビングスポットとかで潜って魚にエサをやって…とかならそうだけど、今回は沈没船探しだろ?場所にもよるけど台風の後は水が濁るからなあ……風の影響で長い間潜れない場合もあるからそれだけは覚悟しといてくれよな」
「……」
そうか。台風の本体が行ってしまってもそういう問題が残っているのか、と千鶴はどんよりと暗くなった。
潜れないという条件は自分も相手も同じだろうが……

でも、今日見つけられれば…!

船が沈没した緯度と経度はわかっている。
それに千鶴は大学の海洋学の研究所にお邪魔をして、そのあたりの季節による海流の向きや強さを年単位で調べてきた。研究員に協力してもらい、海流や季節ごとの台風なども考慮にいれた簡単なシュミレーションソフトまで作成した。沈んだ船の重量をしらべ、潮の満ち引きのデータもいれて、沈んだ沈没船がどの程度流されているのかを推測しつくしたのだ。遠浅で、なおかつ島と島の間のスポットで湾のようになっており潮の流れも緩やかな場所だった。
いくつか候補のスポットがあるが、一番可能性の高い場所に今日は行こうと千鶴は決めた。
船が沈んだ理由は、座礁などではなく船自体のエンジントラブルで、その一帯は潮の流れはあまりない場所だし、よほどのことが無ければそれほど遠くには行っていないだろう。

ドドドドドドという激しいエンジン音と共に、船に振動が伝わり、千鶴は思わず手すりにつかまった。
出航だ。
ゆったりと離れていく桟橋を見て、千鶴は船の進行方向に目をやる。

そこは、視界全てが内側から光り輝いているような蛍光色のブルーグリーンの世界だった。




「酔ってない?大丈夫?」
ウェットスーツを用意しながら総司が千鶴に聞く。
千鶴はうなずいた。
「とても気持ちがいいです」
そう言った千鶴の顔は、気にかかること全てを海に溶かしてしまったような爽やかな笑顔だ。
総司もにっこりと微笑んだ。
「そっか。綺麗だよね」
「はい」
ババババババというエンジンの合間に声を張り上げて会話をする。
内地の海と違い、とこまでも透明でどこまでも青緑色に輝いている海は、これが天国かと思う位の美しさだった。
ずっとぼんやりと眺めていたい気分になるが、そう言う訳にもいかない。
千鶴はノートパソコンを立ち上げた。
「何してるの?」
総司が覗き込む。
「衛星から位置情報をもらって正確な場所を割り出してるんです」
総司が除いたパソコンの画面は、数字や矢印がいくつも書きこまれた海図がうつっていた。右上に地球の絵。
「……位置情報?」
「はい。自分なりに推理をして沈没船の場所の候補を考えてきたんです。その緯度と経度ぴったりに船をつけて潜りたいので……」
カタカタカタとキーボードを打ち始めた千鶴を、総司は眺めた。

最初の依頼の時は、まあ確かに変わった依頼だとは思ったが特に興味もなく何か事情があるのだろう程度にしか思っていなかった。
斎藤や平助は、あれだけの金額を投じて若い女一人で沈没船探しということで警戒していたようだが。
しかし、今目の前で真剣な瞳でディスプレイを見ている千鶴を見て、総司は何故彼女が沈没船など金と時間をかけて探しに来たのかを知りたくなった。
もちろん、沈没船を見るのが趣味の人もいるしダイビングや沖縄が好きな人もいる。しかし千鶴はどうみてもそういう類の人種ではないし、そういうことに興味すらもっていないようなのだ。
「……ねえ、その沈没船はそんなに大事なの?」
改まって聞かれて、千鶴はノートパソコンから顔をあげた。総司の緑の瞳は、千鶴の心の奥まで覗き込む様だ。
「……」
千鶴は黙って俯く。
騙しているわけではない。騙しているわけではないが、言っていなことはある。本来なら言っておくべきことかもしれないが、確証はない。だがその分、金銭面ではかなり上乗せをした。
けれども、今まっすぐに千鶴を見ている総司には、そんな言い方は通用しないように見えた。かといってすべてを話すわけにはいかないのだ。
答えない千鶴に、総司は溜息をつく。
「まーね、特大の秘密みたいだし何かワケありなのはプンプンしてるし、たった2,3日一緒にいただけの男は信用できないのも当然だよね」
「……信用してないわけじゃないです。ただ……とてもプライベートな事なので…」
「プライベート?研究のためとかじゃないの?」
千鶴は首を横に振った。
「違います]
そしてしばらく考えるように下唇を噛み、千鶴は唇を開いた。
「これは私の亡くなった祖父に頼まれたことなんです。まだ生きてる祖母のためにと、祖父が死ぬ前に私に頼んだんです」
「……そうなんだ」
東京に住んでいたらしいおじいさんが孫娘に遺言で、沖縄で沈没船を探せという意味がよくわからないが、ウソを言っているとは思えない。
秘密を少しだけ教えてくれたことに、総司の機嫌は上向いた。
それと同時に、うるさく響いていたエンジン音が急にやみ、船は惰性でなだらかに水面を滑る。
「着いたぞ!」
平助が操舵室から出てきてそう叫んだ。

辺りは360度輝くようなマリンブルーの海だった。



斎藤が船に残り、平助と総司、千鶴の三人でダイビング準備をする。
気象情報を確認していた斎藤が言った。
「台風が思ったより早く近づいてきているらしい。もぐれても一回だろう。効率から考えると千鶴が知っている情報を伝えて平助と総司二人だけで潜って探した方が、早く見つかると思うが」
「だめです、それは……だめなんです。足手惑いなのはわかってるんですが、私が……」
千鶴が慌てたようにそう言うと、平助、斎藤、総司は顔を見合わせた。
ワケありだとはわかっているし、千鶴を連れて潜るのがどうしてもまずいという訳ではない。お客様であるわけなのだからして、理由をどうしても話してほしいとお願いするわけにもいかないが、全く何も話してくれないのは少し寂しい。
しかし総司はきっぱりとうなずいた。
「わかった。じゃあ三人で潜ろう。でも僕たちの指示には従ってもらうよ。上がると言ったら上がる。わかってるよね?」
ゴーグルをつけながら総司が厳しめにそう言うと、千鶴は緊張した顔でうなずいた。
「わかっています。ご迷惑をおかけしてすいません」
「じゃ、おれいっちばーん!」
バシャン!と音をさせて平助が背中から海に落ちるようにして入る。千鶴も潜る前に装備のチェックをして後に続いた。



自分の呼吸音しか聞こえない静かな世界を、三人はゆっくりと泳いだ。
透明度は高く、岩棚のような海底が少し下にある。実際の海図のデータではこのあたりは水深はもっと深かったから、急に深くなっている場所もあるのだろう。潜水予定時間は一時間。
千鶴は、前を魚のようにリラックスして泳いでいる平助のあとについていく。
ふと後ろを見ると、斜め後ろ辺りに総司がいた。
初めてのダイビングで、こんな感じていいのかよくわからず総司を見ると、千鶴の言いたいことが分かったのか順調だと伝えたかっただけなのか、頷いてくれた。
千鶴はなぜかそれを見て安心する。
そしてまた前を向いて泳ぎだした。
海底が真っ白のため太陽の光が豊富にあり、海の中は明るかった。
ところどころに岩があるが、海藻のようなものはあまりない。熱帯風のカラフルな小さな魚が目の前を横切り、千鶴は思わず体を起こして見入ってしまった。

かわいい!

自分の周りを泳いでいる魚を見ている千鶴を、総司も泳ぎを止めて眺めた。
いつもの観光ダイビングでは、こういった自然とのふれあいがメインだから、お客さんが楽しんでいるときは総司はそれを見守るだけだ。しかし今日は魚を見るためのダイビングではない。
しかも台風が近づいていたり、ダイビング初心者なのにいきなりもぐったりと不安要素が多い。カラフルな魚を見て喜んでいる様子の千鶴に、もっと海を楽しませてあげたいが、先を急いだ方が良いだろう。

いろいろ済んで時間が出来たら、ゆっくりまた連れてきてあげようかな

いつも真面目な顔をして本を読んでいたりパソコンと覗き込んでいる千鶴が、楽しそうに魚とたわむれている様子は見ているだけで何故か総司も楽しい。海に潜るのもいいがトレッキングや川をカヌーでさかのぼるのもいい。本島以外の島にもそれぞれの特徴があって面白い。
沖縄には、多分千鶴が目を輝かせるような楽しいことがもっともっとたくさんあるのだ。
総司は千鶴の肩を叩くと、先でこちらを見て漂っている平助を指差した。
そしてゆっくりと移動する。
平助の所まで来ると、千鶴を見ながら平助が前方を指差した。何かと思い三人で進む。
ほんの少し先へ行ったところで、これまでの岩棚の海底がぽっかりと落ち込み、脚がすくみそうな大きく深い海が口を開けていた。
千鶴の周りを泳いでいた小魚たちは、立ち止まった千鶴達を追い抜き、その深い海へとなんのためらいもなく泳いでいく。
『行けるか?』
表情とジェスチャーで、平助が心配してくれているのがわかった。
この先の不安と、落ちていくような恐怖がある。しかし千鶴は頷いた。
総司が頷くと、安心させるように千鶴の肩に軽く手を置く。
そして三人で、崖のようになっている海へと一歩踏み出した。

落ちる!という感覚はなかったが、脚の下が何もない深い空間だというのは経験がない分怖かった。夢中で平助について行く。
ゆっくりとゆっくりと深度を下げて行き、とうとう深い海底近くに達した。
太陽の光は届いているが、全体的に薄暗い空間だった。平助はジェスチャーで、少しばらけようという提案をした。もちろんお互いの姿が見える範囲で。平助は右側に泳いでいき、千鶴は少し迷ったものの前の奥にある岩の塊の方へと向かう。総司がすぐ後ろをついてくる。

場に慣れながら、移動しながら、そして、いよいよ沈没船探しがはじまったのだ。
少し落ち着いた千鶴は、周りを見渡した。平助の背中と、左側の空間。そして降りてきた岩棚を見ようとしたとき、はるか上に海面が見えた。
太陽の光がぼんやりと映っているせいで、こことの距離がだいたいわかる。

……遠い……

そう思った途端、千鶴の内部から震えるような恐怖が湧き上った。
早く上がらなくては。
ここは人間がいていい世界ではない、というパニックに襲われて千鶴は呼吸が荒くなった。
どうすればいいのかわからなくなり息が苦しくなった時、強い力で両手を握られる。
千鶴が驚いて見上げると、至近距離で総司の緑色の瞳が千鶴を覗き込んでいた。
心配そうな、けれども厳しい瞳が千鶴を見つめている。
やりたいことがあってここまで来たんだろう?というような視線。離さない手。
少しだけ我に返った千鶴は、肩の力を抜いた。それを見た総司の瞳が優しく微笑む。そして頷くと柔らかく千鶴の手を引いた。

陸の世界では遊び人なのか怠け者なのかなんだかよくわからない人だけど……

海の中では頼もしい。千鶴の心の動きまで予測してフォローしてくれる。
いや、陸の世界でも……
千鶴はゆっくりとフィンを動かしながら思い出していた。遊び人も怠け者も、千鶴の勝手な第一印象だったかもしれない。

実際女の子とちゃらちゃら遊び歩いていたことも無かったし、仕事も真面目でダイビングの説明もわかりやすかったし……
要は千鶴が人を見た目の印象だけで判断していた浅はかな人間だったということだ。
千鶴は小さく苦笑いをすると、握られていた手をゆっくりほどき、こちらを見た総司にもう大丈夫だというようにうなずいた。

信頼できる人がサポートしてくれてるんだから、当然だよね。

千鶴は斜め後ろでゆったりと泳ぐ総司の存在を意識しながら、沈没船探しに意識を戻したのだった。


右後方から探索を終えた平助がこちらに来るのを見ながら、千鶴は岩山へと向かう。
平助は総司にダイバーズウォッチをみせた。
浮上時間を考えればそろそろここでの探索は切り上げなくてはいけない。
総司がコチラに向かって『上に上がるよ』と合図したのを千鶴は気づいていた。ようやく岩山の辺りまで来れたのだしすこし岩山の向こうの様子をうかがいたかったが、海上で総司と『指示に従う』と約束している。せっかく潜ったのに何も見つけられなくて残念だが、そもそも初心者が初めての所に潜るのはこんなものだと斎藤があらかじめ説明してくれていたとおりだし。
長丁場を覚悟しておいた方が良いのだろうと、千鶴が岩山を背にして総司達の方へ向き直ったとき。
千鶴の視界の端で、岩山の下の方、岩と岩の隙間でキラリと何かが光った。少し身を乗り出してその場から覗き込む様にして岩の隙間を見ると、狭いと思っていたその隙間は上から岩が重なっているだけで奥にはかなり広い空間が広がっている。
そして何か、立体的な物が見えたような気がした。
岩などではなく、海底の隆起でもなく………
砂がかかっていてわかりにくいが、あの少しだけ飛び出ているのはもしかしたら鉄板ではないだろうか。形はもうすでに船ではないけれども………
千鶴が思わずそちらに行こうと体を傾けたとき、ぐいっと手を掴まれた。
『上がるよ』
『ま、待ってください、あそこに何か…!』
岩場の探索は危険な海中生物や事故を起こしやすい地形があることもあり慎重に時間をかけてやらなくてはいけないと座学でも習った。当然総司も首を横に振る。
『でも、ちょっと見るだけ…!少しだけです。あれは多分そうじゃないかって。そうかどうか確かめるだけでいいんで!』
本当にあったのだ。
なにか人口的な大きなものがあった。
ほんの少し覗き込むだけ。
3分もかからないのに……!

総司のすっきりとした眉間に皺がよるのが見えた。
振りほどこうとした千鶴の手首をさらに強く掴むと、強引にひっぱり泳ぎだす。
その腕を引っ張って、岩山の向こうへ行かせてほしいと意思表示をしたが、もう総司は振り返らなかった。
掴んだままの腕と背中から、彼が怒っているのが感じられる。
何を考えているのかわからないけれどいつも笑顔は絶やすことがない総司だったのに。本気で怒らせたかと思うと千鶴は体がすくんだ。
しかしあの岩山の隙間から見えたあれは、あれは沈没船に違いないとしかもう思えない。シュミレーションソフトで出た結果の中ではあり得る位置だ。あの砂の被り方から見て運よく岩山の影へと流れつき、その後は岩のおかげで潮の影響を受けずにずっとあそこにあった可能性が高い。
午後は台風のせいでもう潜れないかもしれない。台風が過ぎた後もいつ潜れるかわからない。
それに最悪、台風のせいで沈没船をまた見失ってしまうかもしれない。姿かたちは見えないけれど、アレを狙っている存在はなんとなく感じているし、祖父もそう言っていた。なんとしてでもそいつらよりも早く見つけ出さなくては。

でもそのためには、沖田さんをなんとか……

説得しなくてはいけない。しかし総司はがっしりと千鶴の腕をつかんだまま視線をあわせてはくれなかった。





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