【HeartBreaker 9】

 





 

 なんだか妙に幸せな気分で、沖田は目が覚めた。
ずっと探し求めていたものを見つけた感じ。この手でつかみ腕の中で抱え込んで守り愛おしむ何かが……。
ぼんやりと天井を見上げていた沖田は、そこまで考えてはっと横を見た。

 そうだ、千鶴ちゃん……。

腕枕をしていた沖田の腕だけがシーツの上に残されて、暖かいぬくもりはそこにはなかった。
高い天窓から差し込む光はまだ薄暗く、夜が明けきっていないことを示している。
水でも飲みに行っているのだろうとしばらく待ったが、家の中からはコトリとも音がしない。

 まさか初めて愛を確かめ合った次の朝に逃げ出すなんてことはないよね……。

不審に思いながらも起き上り、色の褪せたブルージーンズと黒のタートルを着ると沖田は家の中を探し回った。洗面所で顔を洗い、一応お風呂場も見て、暖炉のあるリビングにダイニングとキッチン……。
千鶴はどこにもいなかった。
今度は違う不安を沖田を苛む。

 誰かにさらわれたとか……。あの子前科あるし。僕から離れるなって言ってるのに…!

綱道達の追手は完全にまいているはずだし、発信機のようなものも持っていないはず。ここは人里離れた一軒家だからだれか来ればすぐわかるし……。唯一考えられるのは、自分が今綱道たちに対してやっているように衛星からのデータを入手して自分たちを発見することだが、あらかじめこの場所がわかっているならともかく、全く何も知らない状態でいきなりこの山荘の衛星写真を入手するとは考えにくい。
しかし可能性はゼロではない。
沖田は緑のナイロンコートを羽織ると無防備な千鶴に対して舌打ちをした。

 一人になったら危ないってわかってるのかな、あの子は!見つけたらお望み通りこの手で殺すよ、ほんとに…!

思い通りに大人しくしていない千鶴にいらいらしながら、沖田は家の周りを探し回った。そして初日に行った花畑に行くと、そこに見慣れた黒いコートにベビーピンクのマフラーをした塊が蹲っているのが見えた。
「……何をやってるのかな、君は」
未来の仲間たちからは『黒い笑顔』と呼ばれているほほえみを浮かべて、沖田は千鶴の後ろから声をかける。

千鶴はあからさまに、びくっと肩をすくめて飛び上がった。
「お、沖田さん……!」
まだどこかとがったような朝の空気の中で、千鶴は座り込んで何かを背後に隠すようにした。
「何隠したの?」
沖田が軽々と千鶴の背後から取り上げたそれは……。
「花……束?」
「……花冠です……。沖田さんに作ろうと思ったんですけど、うまく……できなくて……」
真っ赤になってうつむいてる千鶴の前に沖田もしゃがみこんだ。
「花冠に見えるかどうかはおいておいて……どうしてこれを僕に?」
「……沖田さんに、何かあげたかったんです。昨日は……本当にご迷惑をおかけして……。慰めていただいて。でも、私何も持っていないので……」

 昨夜君から、何よりもすばらしいものをもらったじゃない……。
 慰めなんかじゃなくて、君よりも、僕の方が君が欲しくて、昨夜のことは起こったんだよ……。

沖田は言おうとしてやめた。
今の千鶴に何を言っても、彼女の心までには届かないだろう。言葉ではなく態度で示して、そして少しずつ変わって行けばいい。
「……ありがとう」
沖田はそう言って『花冠』を自分の頭にのせた。
「……まぁでも作り方教えてあげるよ」
沖田は横にはえている白い花を摘み始める。
「茎はできるだけ長く摘んで、そして最初はここにひっかけて……。そう、そうやって次は……」
必死になって教えられるとおりに花を編んでいる千鶴を、沖田は眺めた。そして新しい花を摘みながらぽつりと言う。
「僕は……僕は君の願いをかなえたい。自分でも不思議なんだけど、心からそう思うよ。君が……本当にのぞむことを……、僕がかなえてあげられればって思ってる」
「沖田さん……」
花を持ったまま、ぽかんと自分を見つめる千鶴に、総司は吹き出した。
「鳩が豆鉄砲くらった、ってそういう顔なんだろうね」
沖田は赤くなった千鶴をからかいながらひとしきり笑った。

 

 

 

 沖田はパソコンに携帯電話をつなぎネットにアクセスした。
契約していた人工衛星画像を提供してくれる会社のホームページにアクセスする。
この山荘に来てから毎日の習慣で、沖田は綱道の会社の画像を大きく画面に映し出した。時系列に何枚も並ぶ画像全てを詳細に見ていく。
一通り見た後は、今度は別のサイトにアクセスをした。セキュリティが異様に厳しい綱道コーポレーションの社内ネットワーク。沖田はまんまと侵入し中から少しだけ入口を開け、そこからいつも社内サーバーにアクセスしていた。社員の勤務管理の情報と社内フロア図、そして物品購入リストを見る。
そして最後にアクセスしたのは、違法の武器や弾薬、ガスなどを扱っている闇サイトだった。何重にもなっているパスワードを入力して、いくつか欲しいものを買う。受け取りはふもとの街のコンビニ。今度の買い出しの時についでにとりにいけばいい。

ここ二週間毎日この作業をしていると、綱道のスケジュールや会社の動きがわかってくる。沖田はそれらを総合的に判断して、綱道を確実にしとめる案を練っていた。
ボールペンを手に、沖田が紙切れに覚書のようなものを書いていると、台所からいい匂いがして、熱っという千鶴の小さな悲鳴が聞こえてくる。

沖田はにんまりと笑った。
この山荘に来てからは、沖田から出される数々の味気ない食事にネを上げた千鶴が2人分の食事をつくっていた。小さいことから作っていた、というだけあって彼女の食事はとてもおいしい。この匂いからすると、お昼ご飯はきっとトマトソースの何か……。多分スパゲッティだろう。沖田はそれほど食にこだわりがある方ではないが、それでも千鶴の作った食事は好きだった。
満足気にキッチンを見た沖田は、千鶴の腕の傷をふいに思い出して眉根をしかめる。

毎夜自分を傷つけることを、彼女はやめなかった。
あの夜から、沖田はウィルスの伝染を気にする千鶴を説得して、恋人同士としてすごしてきている。そのせいもあるのだろう。彼女はこれまでよりも自分の変異に神経質になっていた。君とずっと一緒にいる、と沖田は何度も言っているのだが、千鶴は本気にしていないようだった。こんな自分の傍にいてくれるなんて本当にうれしい、と言いはするが先の約束はしないし瞳の奥の悲しそうな色は消えない。気にはなるものの、沖田はまあいいか、とも思っていた。
時がたてば彼女も、沖田がいつまでも未来に帰らないこと、伝染してもいいから彼女と運命を共にしたいと思っていることに気が付くだろう。彼女を初めて抱く前に、彼女にはちゃんと言ったのだし。
どちらにしても今はすべてが不安定だ。
千鶴の血を未来に送るにしても、彼女はまだ変異していないし、綱道も生きている。

 とにかく今できることをやらないとね…。

それは綱道を確実に殺すための計画を立て、準備をすること。
沖田は再びパソコンに向き直った。

 


 
 

 千鶴の暖かい温もりと優しい匂いを求めて寝返りをうった沖田は、横に誰もいないのに気が付いて目をあけた。

 また……!

総司はいらっとして起きあがる。一週間ほど前の初めての夜の後、千鶴が勝手に一人で抜け出していた朝に、散々彼女には言い聞かせたのに。
千鶴に降りかかるかもしれない危険もあるし、何よりも沖田が朝一人で目覚めるのは寂しいから嫌だと。寝ぼけてるかわいい千鶴といちゃいちゃしないと機嫌よく一日をはじめられないと。
千鶴は半分呆れて、半分嬉しそうに赤くなって、困ったようにうなずいた。


 それなのにまたいない……!

 

 今度は迷うことなく花畑へとむかった。千鶴は不器用なのか花冠の作り方を教えてもなかなかきれいに花冠をつくることができていなかった。草の葉っぱで手にいくつもの切り傷をつくりながらも、総司が呆れるほどの熱心さで毎日花冠を作っている。ボロボロの出来栄えを総司にからかわれるのがイヤで、彼が眠っている隙のこんな早朝にこっそり作りに来たのだろうか。
きーん、と澄んだ空気の中、千鶴は今日は立って見晴のいい丘から下を眺めていた。空は綺麗に晴れ渡り、遠くまで見渡せる。冷たい風が結構強く吹いていたが千鶴は気にするようでもなく、滑らかな黒髪をなびかせて立っていた。

なんだかいつもと雰囲気が違うような気がして、総司は一瞬立ち止まった。
そしてゆっくりとさぐるように千鶴に近づく。
「……千鶴ちゃん?」
「沖田さん。おはようございます」
振り向いてにっこり笑った千鶴の笑顔はいつも通りだった。沖田はほっとして、自分を置いて行った文句を言おうと口を開ける。と、千鶴がすっと何かを差し出した。
「あれ?花冠?」
総司が片眉をあげてそれを見る。意外なことに上手にできていた。
「うまくできたでしょう?」
千鶴が微笑み、総司の頭に載せようと両手で花冠を上にあげる。総司は腰をかがめて千鶴がそれを載せやすいようにした。
自分の頭に花冠を載せている千鶴の白い手を、総司が見るとはなしに見ていると、その手の滑らかさにはっと気が付くものがあった。
真顔になり彼女の手を勢いよく掴む。
その反動で総司の頭から転がり落ちた花冠には構わず、総司は掴んでいる千鶴の手を凝視し、その後彼女の眼を見た。

「……そうなんです……」
千鶴は悲しそうに微笑むと、長そでをまくり上げて毎夜つけている傷痕を見せた。
そこにはすでに絆創膏もなく、白くすべらかな傷一つない肌が、朝の光で照らされていた。
「血を……とってください。変異したみたいです……」

 

 

 

 


 千鶴は洗面所の鏡に映っている自分の顔をまじまじと見つめた。
外見上は昨日と全く変わらない。けれども……、自分ではわかる。

 私はもう……人間じゃない……。

先ほど沖田にとってもらった血も、一見普通を同じように見えるけれど千鶴の眼には、抗えないほど魅惑的な液体に見えた。まだ朝も早い時間なのに、黄昏のような感覚。空に輝いている太陽がどこか自分には冷たく、早く一日を終えなくてはならないような気分になる。沖田の肌の下に流れている赤い脈を、とても敏感に感じる。今はそんな自分に嫌悪を覚えるが、そのうちなんとも思わなくなるのかもしれない。たんなる食糧としてしか……人を見れなくなるのかも。

 
 でも、沖田さんが終わらせてくれる。


千鶴は鏡に映った自分の目を見ながらそう思った。変異したことで、これまで問題を一時棚上げをして二人で過ごしてきた日々が終わってしまうことが、千鶴は自分でも驚くほど寂しかった。
恋人、という存在ができたことすら初めてで、そしてあっという間に触れ合い、肌を重ねて、恋が深まり彼をこのうえもなく愛おしく感じるようになってしまった。
沖田は……、自分を抱きしめて大事にしてくれた。こんな化け物の自分を。
自分が沖田だったとしても可哀そうすぎて放っておけないだろう、と千鶴は思う。
実の父親と思っていた人が血のつながりがなく、人体実験にされていた実の兄がいて、そして父親は今度は自分を使って実験をしていた。さらに娘の体をいろんな男たちに提供して、恐ろしい世界を作ろうとしていて、そのことにまったく本人は気づいていなくて……。
どんな冷たい人間でも、そんなひどい目にあった女の子が身近にいれば抱きしめて慰めようとしてくれるに違いない。彼の気持ちのすべてが同情だとは思わないが、それでも千鶴は自分を抱きしめてこれまで傍にいてくれただけで、沖田に感謝をしていた。

男の人をこんなに深く好きになる気持ちを知って、愛おしげに抱きしめられて、同じ夜を過ごすという幸せを味あわせてくれた。死ぬ前にこんな感情を知ることができて、千鶴は満足だった。
後は、自分の血が未来の人々の役に立つこと、綱道と自分が死ぬこと、総司が未来へ無事に帰り幸せに暮らすこと、そして時々でいいから自分を思い出してくれれば……。

 

気を取り直して鏡に向かって笑顔ををつくり、千鶴はリビングへ戻ろうと廊下に出た。
その時青白い光がリビングの隙間から射し、千鶴の眼をくらませる。
「っきゃっ……?!」
思わず壁に寄りかかってまぶしさに目をそらす。音はないものの強い風が吹き千鶴の髪を乱す。
何事かと千鶴は焦ってリビングへを走った。

そこには総司がこちらに背を向けて立っていた。机の上には携帯電話をもう少しごつくしたようなものが転がっている。その周りにまだ青白い光がちらちらしており、弱いながらも台風のようにあちらこちらから無軌道に風が渦巻いて総司の茶色の髪を下から吹きあげている。

「……お、沖田さん何を……」
戸口に寄りかかっている千鶴を、沖田は振り返って見た。その表情はいつも通り飄々としており、なんでもないように言う。
「君の血を、タイムマシンで20年後の未来に送ったんだよ」
そしてそのごつい携帯電話のようなものをとりあげて何か確かめるように操作をする。そして表示された画面を見て、小さく口笛を吹いた。
「ふぅん。さすがにあの重さで小ささだと対してエネルギーは使わないんだ……。ほとんど残量は変わんないな…。物だけを送るのは僕は初めてだったからうまく行くかどうか少し心配だったけど、大丈夫みたいだね」
沖田の言葉に千鶴は目を見開いた。

「お、沖田さん……。血を持って帰るんじゃなかったんですか?」
「ん?まだ綱道は生きてるし帰れないでしょ。それに君もいるしね」
まったくいつも通りのほほえみを浮かべている沖田に、千鶴は茫然としながらもうなずいた。

 そ、そうか……。血は早く未来に送った方がいいだろうし……。
 エネルギーがまだまだ残ってるって言ってたから、父様と私を殺してからでも沖田さんは帰れるのかな……。

 

「……なんかまた余計なことを考えてるね?」
沖田が千鶴の方に近づきながらからかうように言う。そして彼女の肩に腕を回して唇を寄せた。
「だっだめです!もう本当に……!」
千鶴は必死になって抱き寄せる沖田に抗った。
沖田は眉間にしわを寄せて千鶴を見る。
「……ねぇ僕さ。君と一緒にいるって何回も言ってるよね?運命をともにしたいって」
「……言ってくださってます……けど……」

俯いて小さくつぶやく千鶴を、沖田はしばらく見つめて……。大きなため息をついた。
「まあ、いいや。やることを全部やってからだね。次は綱道だ」
「父様?」
「うん。準備もだいだい終わったし。明日綱道のところに行こう」

そう言って沖田は千鶴を自分の腕の中に抱き寄せた。

沖田の肩越しに、先ほど千鶴が作った花冠が壁にかかっているのが見える。せっかくきれいにできたんだから、と沖田が飾ってくれたのだ。
綺麗な花冠……。でも、いつかは醜く枯れてしまう。

千鶴は沖田に抱きしめられながらぼんやりとそれを見ていた。

 

 

 

 

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