【HeartBreaker 3






 ドア越しに部屋の中からすざましい音が聞こえてくる。ドアの隙間から部屋の中の白い煙がもくもくと出てきて千鶴は口を押えられたままぎょっとした。
「催涙弾だね。本格的だなぁ。一企業がなんでこんなの持ってるんだろうね?」
沖田の声に千鶴は目を見開いて彼を見上げた。

 ほんとうにそうだ。家の前に停められた車には、見慣れた綱道の会社のマークがたしかにあった。それなのに降りてきた男たちはとてもふつうの会社員とは思えない装備をつけていた。

 沖田は千鶴と瞳を合わせると、わかった?というように首をすこし傾けた。そして、よっ、と言う声と共に千鶴をまるで米袋のように肩に担ぎあげる。
「!……っ」
千鶴が悲鳴を上げる暇もなく、沖田は千鶴を担ぎ上げたままひょいとテラスの手すりをこえ、壁についている雨どいをつたって降りだした。
目の前には遙か下に地面。さかさまになっている千鶴の頭は、沖田が雨どいをつたうたびに、ガツンガツンと沖田の背中に打ち付けられる。
「ちょっ……!っつ!」
千鶴は手をつっぱり、自分の頭を沖田の背中から少しでも放そうとしたのだが、その瞬間に沖田は雨どいから勢いよく地面に飛び降りた。
千鶴のつっぱろうとしていた手はすべり、したたかに沖田の背中に鼻とおでこを打ち付ける。
沖田ののんきな声が聞こえる。
「今更だけどさ、離れようとするんじゃなくてぶつかる隙間がないくらい密着してればよかったんじゃないの?」

鼻を手で押さえ、にじんでくる涙をそのままに千鶴は、ほんとに今更です…、と小さく呟いた。

降りた所は小さな裏庭のようだった。3階から音は聞こえなくなっていたが、あいかわらず白煙が吹き出している。
沖田は目の前にある一階のドアを開ける。その先は薄暗かったが、来たときに乗ってきたバイクが置いてあった。なんとか逃げれないかと身をよじる千鶴を軽々と抱き上げてバイクの後部座席にまたがらせると、沖田も長い脚をのばして運転席に跨る。そしてすぐさま千鶴の両手首を後ろから自分の腹にまわさせた。

 千鶴は力を入れて手を振りほどこうとしたその時……。カシャリとほんとうに小さな音がして、千鶴は自分の両手首に何か冷たい金属をはめられたのを感じた。

 まさか…。

「てっ手錠ですか……?」
総司はメットを千鶴にかぶせながらにっこりと笑った。
「そ。逃げられたら困るからね」
「そっそんな……!バイクに二人乗りで手錠なんて……!もし事故になったら……!!」
「僕と一蓮托生だね。しっかりつかまってるんだよ。強行突破するからさ。あー……楽しい!わくわくするなぁ!!」
総司の瞳の緑色が濃くなりきらきらときらめくのを、千鶴は茫然と見ていた。

 く、狂ってる…!さっき『まとも』なんて思ったのは間違い……。この人、絶対におかしい…!!

千鶴は今更ながらとんでもないことに巻き込まれてしまった自分を激しく悔やんた。
あの時……、大久保との車に沖田が乗り込んできたときに素早く逃げていれば……!!

4人対2人で、しかも敵は(と、いうより千鶴にとっては味方は)車を2台と武器を持っている。乗り込まれたのにその中を強行突破するなんて……!!無理に決まっている!死ににいくようなものだ。
「やっやめ……!」
千鶴の止めようとした声は、ブルン!というパイクの盛大なエンジン音にかき消された。
「大丈夫だよ。今多分あいつらは僕らが3階か2階にいると思って探している途中だと思うよ。催涙弾の煙のせいで時間もかかってるだろうし、一階には見張りの一人だけだ」
エンジンのエキゾースト音が部屋の中にブルンブルンと響きわたる。壁についているスイッチを沖田が押すと目の前のシャッターが徐々に開きだして朝の光が暗い駐車場に入り込んできた。
沖田はクラッチは入れずにエンジンを何度もふかし、回転数をどんどんあげていく。音の高まりとともに千鶴の緊張も高まった。思わずぎゅっと力を込めて沖田にしがみつく。
「うーん、75のA……かな?血のマリアは以外にささやかなんだね」
エンジンにかき消されそうな総司の声が、目を閉じていた千鶴の耳に届いた。
「なっ」
なにを……!と言おうとした千鶴は勢いよく発車した反動で後ろに引っ張られそうになり、慌てて沖田の背中にしがみついた。


突然視界が明るくなり千鶴は一瞬目がくらんだ。
エンジン音と風の感触、そして……沖田の広い背中。
千鶴はそれだけを感じて必死でつかまっていた。

勢いよく外へ飛び出したバイクは、そのまま走り出して逃げるかと思いきや即座にUターンした。何事かと千鶴が目を開けると、沖田の言うとおり見張りの一人が運転席のレシーバーのようなものに向かって何かを言っているのが目に入ってきた。多分3階にいる仲間と連絡をとり下に降りてくるよう言おうとしているのだろう。
沖田は片足を地面につけて、一瞬止まるとどこから出したのか鈍く銀色に輝く銃をかまえて唐突に撃った。
昨日何度も聞いた「ぶしゅ」という音がして、見張りの持っていたレシーバーが粉々になり飛び散る。
沖田が銃を撃った反動が、しがみついている千鶴にも伝わってきて、その強さに千鶴は驚いた。反動で沖田の背中から離れないように、千鶴は腕の力を入れる。

千鶴が目を見開いて固まっていると、沖田の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。彼は片手に銃をもったまままたバイクを走らせ、あろうことか見張りへと突っ込んでいく。見張りが驚いて脇へ転がって逃げるのと、沖田が先ほどまで見張りのいたところへバイクを突っ込ませたのとが同時だった。
ブオンブオン!という狂ったようなエンジン音とともに沖田はさらにバイクの方向を変え銃を構えて見張りを撃った。
「きゃ……!!」
弾は見張りの腹ど真ん中にあたったらしく、腹から血しぶきがあがり、見張りの男は勢いよく後ろへと倒れる。
「なにを……!!殺さなくても…!!」
千鶴が思わず身を乗り出して沖田に食って掛かろうとしたとき、視界の端に一度倒れた見張りが、ゆらりと立ち上がるのが見えた。
「っ…!!」

千鶴は息を呑んだ。
確かに血しぶきがあがった。だから防弾チョッキをつけていた、というわけではない。

 なぜ……。

沖田は静かな瞳で、見張りの男が何事もなかったようにライフルを構えるのを見ていた。そして沖田は無言のまま素早くもう2度撃つ。
沖田の撃った弾が、見張りの肩と足にあたったのは血が飛び散ったことからもわかる。それなのに……。血はすぐに止まり、見張りはフラフラしながらも立ち上がり、再びこちらに向かってこようとしていた。
見張りの顔は……。真っ赤な瞳孔が開き、そして髪が……白い。よだれを垂らしてまるで狂犬病の犬のような……。彼はもう取り落したライフルを持とうともせず、なぜだか嬉しそうに笑いながら沖田達の方へとゆっくり歩いてくる。

 あれは……あれは何?

千鶴は思わず逃げるように沖田の背中をぎゅっと握った。
沖田はもう見張りを撃とうとはぜす、今度は路上に停まっている綱道コーポレーションのワゴン車2台のタイヤに銃を向ける。
沖田が銃を撃つとワゴン車の前輪2つが2台とも、ぷしゅーっという音をたててつぶれた。それを見とどけて沖田は最後にもう一度見張りを撃った。反動で後ろに吹っ飛んだ見張りをもう沖田は見もせずにバイクを反転させると、発進させた。

ギアを替えるたびにぐんぐんスピードを増していくバイクの後ろで、千鶴は先ほどの光景のせいで自分の心臓が冷たくなっていくのを感じながら、沖田の背中にしがみついていた。

 

沖田はバイクを県の反対方向へと走らせた。
途中ファミレスやコンビニで食事をし、千鶴の靴や着替えや日用品を買って、沖田がそこにバイクを停めたときにはもう辺りは暗くなっていた。

見上げたその建物に千鶴は固まる。
沖田は千鶴が固まっているのには構わずメットをとり髪をかき上げ、千鶴の手首をつかんですたすたとド派手な建物の中へと入っていく。
まるでトルコの宮殿のような(見たことはないが)その建物の中は人気がまったくなく、部屋に入るまでは誰とも会わなくても済むようなつくりで……。
迷わず部屋へと足を進める沖田に千鶴は皮肉っぽく言った。
「なんだか慣れてますね。コンビニで買い物はできないけどこういうところは大丈夫なんですか?」
ドアを開けながら総司は千鶴を横目で見た。
「人間の本能は20年後も今も一緒だからね。でも君にだけは言われたくないなぁ。『血のマリア』にはかなわないよ」
ふっと冷たくなった緑の瞳。
千鶴はわけがわからないながらも、口をつぐんで総司の後について部屋に入った。

 部屋の中は案外普通で千鶴はほっとした。
昨日の夜から休むことなく振り回されて、さすがに疲れた。
千鶴は小さく溜息をつく。
沖田は買ってきたものを壁際のテーブルにおいて、こちらに背を向けていた。腕をテーブルについて体を支えているが、様子がおかしい。
朝の沖田の様子を思い出して千鶴は彼の方へと近寄りながら声をかけた。
「お、沖田……さん……?」
沖田は千鶴の言葉の途中で、膝から急に力が抜けたようになりガクリと崩れる。千鶴はとっさに倒れてくる沖田に駆け寄り支えようとした。
しかしもちろん沖田の全体重を支えられるわけはなく、そのまま二人で床に倒れこむ。意識がほとんどない沖田は、今度は千鶴をかばうことはできず、千鶴はおしりと頭を床にうちつけた。

「っつ……!」
 
 下が絨毯でよかった…!

上からかぶさってくる沖田に押しつぶされながらも千鶴はそう思った。そしてなんとか沖田の下から抜け出し、彼の顔を覗き込む。逃げたせいで疲労がたまったのだろうか、朝よりもさらに蒼い顔をしている。息も荒く頭が痛いのか両手で抱え込んでいた。
「だ、大丈夫ですか…!」
尋常でない苦しみ様に千鶴は動揺した。どうすればいいのかわからないが少しでも楽になればと背中をさすろうと千鶴が手を伸ばしたとき……。
「さわるなっ!!!」
驚くくらい鋭い声とともに沖田が千鶴の手を強く払った。パンッと響いた音と痛みに驚いて、千鶴がハッと身を引く。沖田はそんな千鶴を嫌悪するような瞳で睨みつけていた。
「……」
これまでの人生で初めての、あからさまな嫌悪を向けられて、千鶴はショックを受けた。

差し伸べた手を払いのけられたのも初めてだ。さらわれてから今まで、冷たいし口は悪いし何を考えているのかわからなかった沖田だが、こんな感情を向けられてのは初めてだ。
傷つき戸惑う千鶴の前で、沖田はそのまま意識を失った。

 

 手錠もないし、沖田の意識もない。よく考えれば今逃げればいいのだが……。
それでも何故か千鶴は逃げなかった。ホテルの床に横たわっている総司の横に座り込んで、ぼんやりと彼を見ている。
何故か……実は薄々わかっている。もしかしたら沖田の言っていることが正しいのではないかと少し思い始めているから。
先ほど見た綱道コーポレーションの見張り……。自分が毎日通勤していた会社に催涙弾をはじめ、あんな……あんなことをするような人員や物資があることなど千鶴は全く知らなかった。それに……それにあの見張りの変化……。
あんな人間は見たことがない。……というよりあれはもはや人間ではなく……。

「……羅刹……」

ぽつりと千鶴はつぶやいた。
沖田は1か月後に千鶴を殺すと言っているし、先ほど汚いものを見るような目で彼女を見ていた。
傍にいることは危険だとは思うが、自分の会社に対して…自分の父親に対して疑いを持ってしまっている今、千鶴の知らないことを教えてくれるのは沖田だけだ。これまで何も知らされていなかった父親を問い詰めても、本当のことを話してくれるとは思えない。
悲しいけれど……。
でももしかして本当に沖田が言っていることが本当なら、自分は去年の10月に父に薬を飲まされていることになるのだ。
父とは何度も食事を一緒にしている。『変若水』がどんなものでどんな味かわからないが、「何も飲まされていない」とは、もう言い切れなくなってしまっている自分がいた。
それほど先ほど見た、見張りの変化は異常で千鶴に衝撃を与えていた。

 血が……あっという間に止まってた…。

千鶴はふと思い立ち、総司のパーカーのポケットをさぐりジャックナイフを取り出した。そして立ち上がり洗面所へ行く。
鏡に映る疲れた顔の自分をちらりと見てから、千鶴はためらいながらナイフの刃を自分の手の甲にあててスッとひいた。

「っつ……!」
熱いものをおしつけられたような感覚がするのと同時に、千鶴の手の甲からポタポタと赤い血が滴り落ちる。花のような赤い滴がボウルに模様を描く。千鶴はしばらくぼんやりとそれを見ていた。傷口は閉じていない。血の滴る勢いはおちてきたが、まだにじみ出ている。反対の手のバンソーコを取って昨日沖田に切りつけられた場所を見てみたが、傷口はまだひらいたままで、治るとは程遠い状態だった。

千鶴がほっと溜息をつくのと、後ろから沖田の声がするのとが同時だった。

「そのナイフで僕の首をかききればよかったのに」
千鶴が驚いて振り向くと、洗面所の入口に沖田が寄りかかってこちらを見ていた。探るように沖田の若菜色の瞳を千鶴は覗き込む。
先ほどの嫌悪の色はなく、見慣れた皮肉っぽい色だけだった。
千鶴は沖田に背をむけると蛇口をひねって水をだし、自分の手と洗面ボウルについた血を洗い流した。ジャックナイフにも血がついていたので、洗いなおす。
タオルを新しい傷口に巻いて、別のタオルで拭いたナイフを沖田に返そうと差し出す。
千鶴の手の中にあるジャックナイフを見て、沖田の瞳が揺らいだ。

「……」

黙って千鶴の手とナイフを見つめている沖田を、千鶴は不思議そうに見た。しばらくしてから沖田が口をひらく。
「……なんで逃げなかったの」
唐突な質問に千鶴は目を瞬いた。
しばらく考えてから正直に言う。
「……あなたの言う事が……もしかして本当かもしれないと…思ったからです。もし……、もし本当なら私もそんな20年後の世界は……、人間が食糧としかみなされない世界は望まないので……」
「……」
「でも、わからないです。タイムトラベルとか変若水とか……。まだ信じられないことばかりで。でもあなたから逃げても行くところがないから。もしあなたの言うことが本当なら父のところに帰れば私は……、その『血のマリア』として羅刹を作り続けることを、もしかしたら強要されて逃げられなくなってしまうかもしれないし……。今は、知りたいんです、いろいろと」
千鶴はそう言って、沖田の眼をまっすぐに見上げた。
「1か月の間に知りたいことはすべて知って……。あなたから逃げるのはそれからでも遅くないと思ったから、だから逃げませんでした」

沖田を怒らせるかと思って挑戦的に言った言葉だったが、何故か沖田は楽しそうに笑った。
「……そのナイフ、君にあげるよ」
沖田の言葉に千鶴は驚いた。
「え?」
「多分綱道からは追手が次々とかかると思う。だって君は切り札だからね。僕と一緒に逃げるのなら自分の身を守るものを持っていた方がいい」
「……いいんですか?沖田さんを…これで襲うかもしれないのに?」
千鶴がそう言うと、沖田はキョトンとして、そして盛大に吹き出した。
「すごいね、君!!怖いなぁ……!!」

全然怖がっていないような沖田の言葉に千鶴の頬は赤く染まったのだった。

 

 

 

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