【HeartBreaker 6】







 


 「千鶴……。何故だ。お前に嫌な思いはさせないよ。ずっと一緒だったじゃないか……毎年誕生日もクリスマスも……。小さなころから一緒に過ごしてきただろう?何もかわらないんだ。それどころか……」
「もういいよ」
沖田のうんざりしたような声が、綱道をさえぎった。
「もうこの子は選んだんだから潔くあきらめたら?」
じゃあ行こうか、と沖田は千鶴の肩を抱いてにっこりと笑う。

綱道がそんな二人を見て面白そうに笑った。
「どこに行くというんだ。この部屋の出口は社長室につながるあのドアだけだぞ。あのドアの外側はもう兵隊たちがごっそり待ち構えているはずだ。まぁ千鶴のことは合意の上で協力してもらうはずだったのが、少々無理矢理協力してもらうのに変わるだけだ。未来から来た、という君は……、ここで志半ばにして死ぬことになる」

綱道の言葉に千鶴は沖田の顔を見上げた。認めたくはないが綱道の言うとおりだ。ここは最上階の8階で、出口はあのドアだけ。沖田は銃を持ってるけど…。
「武器は銃だけじゃないからね」
まるで千鶴の考えを読んだように、総司は楽しそうに言った。
「そりゃあ敵陣に乗り込むんだから下調べはしてきたよ。君、僕をなんだと思ってるの。勝算もないのに窮地に飛び込むイカレた男だとでも?」

千鶴の顔を見ながら言う沖田に、千鶴は、そう思ってました、とも言えず、もごもごと口ごもる。
沖田はそんな千鶴には構わずにパーカーのポケットから何かを取り出した。
それは……手榴弾……?
映画やテレビの中ででてくる小さなパイナップルのようなそれのピンを、沖田は歯で抜き、ブッと床へと吐き捨てる。

「なっ!!こんなところで爆発させたらお前も……!!」
綱道は焦って、逃げ出そうと社長室のドアへと足を向けた。その瞬間沖田は、ドアと反対側の壁をめがけて手榴弾を投げ、千鶴の抱きかかえて執務机の後ろに飛び込んだ。

 閃光と爆音が響き、耳が壊れるのではないかと言うくらいの轟音が床を揺らす。沖田は自分の背を爆発の方へと向け、机と自分とで二重に千鶴を守る。それでもすごい爆風と風にのって渦を巻いて様々な欠片が執務机の下にまで飛び込んでくる。
最初の爆発音が終わると次は何か物が崩れるような断続的な音が響きだした。
「ほら、行くよ!」
まだ煙と大きな音が連続して発生している中を、沖田が千鶴を抱きかかえるようにして机からはい出させた。そして立ち上がると千鶴をひょい、と抱え上げる。
「きゃあ!おっ沖田さ……!」
びっくりして手で沖田の肩をつっぱるようにした千鶴に、沖田はからかうように言う。
「ほら、前に学習したでしょ?密着密着」
その言葉に、したたかに打ち付けた鼻の痛みを思い出して、千鶴は反射的にぎゅっと沖田の首にしがみついた。
「うん、いい子だね」
沖田の満足そうな声が聞こえるとともに、ふわっと体が浮き上がる様な感覚がする。
「よっと」
軽い感じで沖田は崩れたがれきを超えていく。整然と整っていた部屋は、今や瓦礫だらけのぐちゃぐちゃになっており、壁があったその場所には大きな穴が開いていた。その穴の中は空洞で……。
「これは…?」
「このビル増築してるでしょ。それでここの壁は鉄筋じゃないんだよね。そしてその向こうは旧ビルの……」
沖田はそう言いながら千鶴をぎゅっと抱えなおして、部屋の床の端からジャンプした。
「きゃ…!きゃあああああ!!!」
「階段になってるんだ!」

ダン!
飛び降りた沖田が着いた先は、ビルを新築した際に必要がなくなったため封鎖されていた旧ビルの階段だった。確かに昔、まだ学生のころ父親の会社に来てこの階段を使った覚えがある。
古くてあちこちひび割れた狭い階段だった。
「ほら、もう歩けるね?」
沖田が千鶴をおろして促す。
千鶴はうなずいて、先に立って階段を駆け下りていく沖田に続いた。

後ろからたくさんの足音が聞こえる。きっとあの撃たれても死なない、綱道曰く「できそこないの羅刹」なのだろう。適合者なしで人体実験を繰り返したうえでの産物に違いない。

千鶴は背筋が寒くなるのを感じた。

いったいその人間たちはどこの人なんだろう?綱道は、確かに仕事バカで一般の常識がないところがあったが、ここまでだとは今の今までわからなかった。父だと思い、慕い、愛してきた人が、実は全く違う人間だったということが、まだ千鶴には実感として理解できていなかった。

頭で考えていることとは別に足は動く。必死に沖田の背中について階段を降りていくと、目の前に焼却炉へとつづく扉が見えてきた。
旧ビルの一階を二階をぶちぬいて新しく作った強力な最新型の焼却炉。
この焼却炉の脇を抜けて階段を降りればもう一階の出口だ。

 あと少し……!

千鶴がそう思った瞬間階段の上から綱道の声が響いた。
「動くな!」

その声と同時に銃声がして沖田と千鶴の足元に、銃の弾らしきものが跳ね返る。
沖田は止まり、自分の背に千鶴をかばうようにして、階段の上で羅刹たちを従えている綱道を見上げた。
「……まったくしつこいなぁ。はやく子供離れしないと娘に嫌われちゃうよ?……ってゆーか、もう嫌われてるか。実の娘にあれだけのことをしようとしてたんだから当然だけどさ」
沖田が挑発するように言った。その言葉に綱道は一瞬キョトンとする。そして、ああ、と気が付いたように言った。

「そうか、千鶴には言ってなかったな。お前は私の実の娘ではないんだよ」
綱道の言葉に、沖田の後ろにいた千鶴は目を見開いた。
「え……?」
「変若水の適合者は遺伝子の形態上モンゴロイドに限られる。それはかなり以前からわかったいたんだ。だから私はアジアのあらゆる国で孤児やストリートチルドレンたちをしらべていたんだ。そしたらどうだ。東北の片田舎で両親がともに交通事故で亡くなった身寄りのない双子の遺伝子が、なんと適合者だったんだ!その時の嬉しさときたら……!早速ひきとって……、そして育ててきた、というわけだよ」
「ふ…双子?」
滔々と話す綱道を見上げながら、千鶴は震える声で聞いた。
綱道は憎々しげにうなずく。
「そう、小さなころからおまえの兄で様々な実験や調査をしてきたんだ。気難しい性格でだんだんてこずるようになってきて……。とうとう逃げ出してしまったんだよ。薄情なやつだ。でもまぁ、あいつの実験結果からたとえ適合者といえども成人していない段階でウィルスを投与するのはあまりいい成果があがらないことがわかってな。お前にはちゃんと成人してから変若水を与えることができたんだ。そういう意味ではあいつは一応このプロジェクトに貢献したことにはなるな」

成人してから…。

千鶴はその言葉に、頭に一つの情景を思い出した。
父と湖の傍の別荘で祝った、昨年10月の20歳の誕生日の夜…。

「あの時の……ワイン?」
「そうだよ!普通の人間はな、変若水を飲むと一瞬でウィルスに侵されて羅刹に変化してしまうんだ。その時の苦しみも相当なものだが、その後がいかん。血に狂い理性を失くし誰かれなく襲い始める。変若水に改良に改良を重ねて、なんとか兵隊としてつかえるくらい命令に従順になるようにすることはできたが、それでもやはり血を見ると狂いだす。それに知性など見る影もない単なる体力バカになってしまうんだ」
綱道は顔をしかめて自分のまわりにいるできそこないの羅刹たちを見渡した。そしてきらきらと瞳を光らせて千鶴を見る。
「しかし適合者は違う。おまえの遺伝子はまず侵入しようとするウィルスと戦うんだ。そして勝利する。その上でゆっくりゆっくりとウィルスを自分の中に取り込んでいくんだよ。今はまだウィルスと戦っている段階だろうから人にうつすことはできないが、だが先ほどのワインをおいしく感じた、ということは順調に変異がすすんでいることを表しているんだよ。素晴らし……」

「吐き気がするね」
高揚した綱道の言葉を、沖田が冷たくさえぎった。それと同時に銃を綱道に向ける。
「今すぐ殺したくてうずうずするよ」
沖田が銃の狙いを定めた途端、綱道のまわりにいたできそこないの羅刹たちが一斉に銃を沖田へ向けた。綱道が叫ぶ。
「だめだ!やめろ!!お前たちの腕で千鶴にあたったらどうするんだ!!」
「兵隊がたくさんいても役に立たないんじゃ意味ないね」
沖田が言葉と同時に銃を発砲した。

「ぐがぁ!」
その弾は、黄道の隣の羅刹の首筋にあたり、血が飛び散る。
途端に羅刹たちの雰囲気が変わった。
これまで沖田を見ていた彼らの眼が、一斉に血を流している仲間の方へと向けられる。
「目が……」
沖田の後ろで千鶴がつぶやいた。それにつられて沖田も羅刹たちの目を見ると、赤く強く輝きだしている。そして髪が黒からだんだんと薄くなっていく。
「血に狂ったってことかな……」
沖田はそうつぶやくと、階段を昇って逃げようとしていた綱道を見て、パーカーのポケットから手榴弾を取り出した。
階段の上からそれを見た綱道はぎょっとして立ち止まる。
「やっやめろ!!ここは焼却炉のガスタンクが床の下に埋まっている!爆発が起きたらガスに引火してビルごと吹っ飛ぶぞ!」

綱道の言葉に沖田は片眉をあげた。
「じゃあこっちだね」
そう言うと腕をスッと伸ばし銃をかまえて撃った。
綱道はすでに階段を昇ろうとしており、手前で血に狂った羅刹たちが仲間を襲いだしていたせいで上手く弾が綱道にあたらない。
沖田は舌打ちをすると綱道を撃つことはあきらめて、千鶴の手を取った。
「行こう。さっさとおさらばしないと僕たちにまで襲ってきかねない」

千鶴は沖田の顔を見上げた。
一瞬、このままついていっていいのか、と言う疑問が頭をよぎったが、しかし他に行くところもない。と、いうよりいろんなことがありすぎて、もう頭が働かない。
ぼんやりと沖田に引っ張られるまま千鶴は階段を降りて、まぶしい日差しの中に出た。










 


 薄青い夕暮れの中で、千鶴は海を見ていた。


ほとんど通行量のない道路の向こう側は、もう海になっていた。特に浜辺があるわけではなくテトラポットが山積みされて石がごろごろしている単なる海岸線だが、それでも海の広さと空の青さは千鶴の心を落ち着かせてくれた。単調な波の音も心地いい。
「千鶴ちゃん、とれたよ」
後ろから声がして千鶴が振り向くと、沖田がこちらを見ていた。
千鶴は素直に踵を返して沖田のもとへと歩いていく。
今夜はラブホテルではなく、普通の旅館に泊まるようだった。

 

綱道の会社から出ると、外の小さな林の中に隠すようにして4WDの車が停められていた。
もうどこから調達してきたのかと聞く気力もなく、千鶴は沖田に促されるまま車に乗った。沖田も何も言わず運転席に乗るとそのまま車を発進させる。
沖田は県を二つ超え、かなり北、本州の端まで車を走らせた。途中何度か食事や休憩のために停まったが、彼は必要最低限の事しか言わず、千鶴も頭の芯がしびれたようになっていて特に彼を気にすることもなかった。しかし、沖田が自分を気にかけてくれていることは彼の態度から感じられた。そして…千鶴の気持ちを気遣ってくれていることも。

 

 

 最初はとっても怖い人で、彼から逃げることばかり考えていたのにな……。

自分の前に立って荷物を持ち、仲居さんに案内されながら部屋へと向かう沖田の広い背中を、千鶴はぼんやりと見ていた。

 今はこの背中がとても頼もしくて……。沖田さんがいなかったら私はどうなってたんだろう……。


千鶴はガンガンと痛む頭が少しでも治るよう、こめかみをさすった。
「お風呂入ってきたら?ここ温泉があるんだってよ」
荷物を部屋の隅に置きながら沖田が言った。意外な言葉に千鶴は沖田を見る。
「……いいんですか?」
「何が?」
「だって……私、逃げるかも……」
自分で言いながら、千鶴はなんだかおかしくなった。

逃げるとしてもどこに逃げるんだろう。

カラカラに乾ききってもうなんの感情を感じることもないだろうと思っていた千鶴の心から、ふふっと小さな笑いがこぼれた。
それと同時に瞳から大粒の涙もこぼれる。

特に悲しいともなんとも思っていないのに、涙だけがぽろぽろとこぼれていく。
千鶴は、まるで他人事のように頬を伝って零れ落ち、自分の手の甲で模様をつくっていく涙を不思議そうに見ていた。

ふっと視界が暗くなり、ぼんやりと前を見上げると沖田が前に立っていた。無言で腕をのばして千鶴を抱き寄せる。
千鶴は一瞬沖田の暖かい胸に寄りかかりたくなったが、変若水の感染方法について思い出して、はっと体をひこうとした。
しかし、沖田は強引に引き寄せて自分の胸にぎゅっと抱きしめる。千鶴はもがいて抗ったものの、沖田はかまわず抱きしめ続けた。

「……大丈夫。大丈夫だよ……」

まるで夜中に怖い夢を見て泣き出した子供をなだめるように、沖田は千鶴の頭を何度もなでながら優しく呟く。

突然胸の奥からこみあげてきた様々な感情が、千鶴を大きく揺さぶる。
まるで足元からさらわれるようなから大きなうねり……。

こらえきれない嗚咽が、千鶴の喉から洩れた。


千鶴が流されてしまわないよう掴まるのは、沖田しかいなかった。

 

 

 

 

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