【HeartBreaker 11】

 

 

 

 


どのくらいそうしていただろう。
陽が随分と高くなってから、千鶴はようやくベッドから起き上がった。

とりあえず本当に綱道コーポレーションが破壊されて変若水の研究結果も破壊できたのかを確認して。
綱道が本当に死んでいるのかを確認して。


そして、私も死のう。


しかしとんでもない自己修復能力と免疫力をもっている純血の羅刹だ。どうやって死ねば確実に死ねるのか…。ぼんやりとそんなことを考えながら千鶴はダイニングへと行き、冷蔵庫を開けて水を飲んだ。洗面所へ行こうとダイニングを横切ったとき、ダイニングテーブルの上に紙が置いてあるのに気が付いた。

千鶴はテーブルに近づき、沖田からもらったジャックナイフで押さえてあるその紙を、震える手でそっととりあげる。
きっと未来へと帰った沖田からの最後の手紙……。

 

『おはよう、千鶴。起きたら僕がいなくてびっくりした?
いつも僕をおいて一人で起きてしまうのは君だったから、これで少しは置いてかれていた僕の気持ちがわかったんじゃないかな。
ところで千鶴。大事な話があるんだ。
太陽の光はどう?まぶしくない?』


そこまで読んで、ふと千鶴は気が付いた。そう言えば羅刹になってからは太陽の光が肌を刺すようで痛く体が重くつらかった。

千鶴は、小春日和の暖かな日差しがさんさんと差し込んでいるダイニングを見た。
朝寝室で目覚めたときもそうだったが、まったくまぶしくない。むしろ……むしろ気持ちがいい。
まるで人間だった時のように。

千鶴は急いで沖田の手紙の続きへと目を落とした。

『怪我はどう?痛い思いをさせて可哀そうだけど、そこにあるナイフですこし傷つけてみてくれるかな?』

千鶴は震えのひどくなった手で、綱道の背中を刺したナイフの刃を自分の手のひらにあて、スッと引く。
熱い痛みが走り、見慣れた赤い血が滴り落ちる。

傷はいつまでたっても治らず、血はいつまでも滲み続けた。そして血を見ても……何も感じない。昨日まで感じた、あのむしゃぶりつきたくなるような衝動は、いつまでたっても襲ってこない。

『もし傷が治らないようなら……そしたら僕の賭けが成功したってことなんだ。
昨日の夜の、君との楽しい賭けとは別に僕はもう一つ自分で賭けをした。
僕が以前、君の願いを叶えたいって言ったのを覚えてる?……君の本当の願いを。
君の本当の願いは、多分うぬぼれでなければ僕と同じで、僕といつまでも幸せに暮らしたいってことだと思う(違うなんて言わせないよ)。
僕が未来に帰っても、あのまま君の傍にいてもそれは叶えられないよね。』

千鶴は心臓の鼓動がやけに大きく聞こえるのを意識していた。食い入るように沖田の手紙を凝視する。

『だから、僕は最後のチャンスのタイムトラベルを、過去に……、今から半年前、君が綱道から変若水を飲まされる前にトリップすることに使うことにしたんだ。』

千鶴は目を見開いた。胸のドキドキが激しくて、思わず手を胸にやりシャツをギュッと掴む。

『もし君が、太陽の光がまぶしくなくて、傷も治らない……普通の人間と同じになっていたら、きっとそれは今朝早く半年前にトリップした僕が、無事に君が変若水を飲むのを阻止して綱道を殺すことができた、ということになるんだ。どうかな?そうなってる?神様なんて信じてないし祈ったこともないけど、こればっかりは本当に心から神様に祈るよ。君がちゃんと人間に戻っていますように……』

 

 

 


 ぽかぽかと日差しは暖かだが冷たい風が吹きぬ抜ける中、千鶴はタクシーから降りた。
すぐに戻るから待っていてもらえるよう頼んで、千鶴は綱道コーポレーションの頑丈なゲート横にある守衛室を覗いた。
中にいた顔見知りの守衛のおじさんは、気のいい顔を浮かべて、驚いたように笑顔で立ち上がった。
「雪村さん……!お久しぶりです!半年くらいですかね。もう大丈夫なんですか?」

昨日沖田と粉々に破壊したはずの社屋も、研究施設もすべて何事もなかったように整然と立ち並び、一か月前に沖田に殺されたはずの守衛もにっこり笑って目の前にいる。そしてなんだか自分は半年ぶりにここに来たようなことを言われて、大丈夫かときかれて……。

千鶴はわけがわからないまま、曖昧に微笑んでうなずいた。
「あの……呼び出しをしてほしいんですが……」
「何を言ってるんですか。雪村さんなら顔パスで中に入ってくださいよ。大久保専務もほんとに心配してましたよ。今朝も雪村さんの事話して……、どうしました?」
ぎょっとしたように自分を見ている千鶴に、守衛が驚いたように聞いた。
「いえ……、あの、ルールを破るのは嫌ですし、急いでもいるので……じゃあ、大久保のおじ様を呼び出していただけますか?」
守衛は千鶴がまたせているタクシーを横目で見て、納得したように小さくうなずくと、ちょっと待っててくださいよ、と言って小さな守衛室へと入っていた。

5分後……。

小太りの体を揺らして、一か月前の夜自分の横で胸から血を流していたはずの大久保が嬉しそうに笑いながらゲートの外までやってきた。
「なんだなんだ!ひさしぶりだねぇ!来てくれて嬉しいよ。こんなところじゃなくて中でゆっくり…」
「いえ、すぐ帰るので……。あの私……」

この、総司が変えた世界で自分はこの会社に勤めているのか、綱道はどうなっているのか、変若水の研究は……、不審に思われないようにどうきけばいいのかわからず千鶴は口ごもった。
大久保は千鶴の言いたいことを察したように、大きくうなずいて言った。
「いいんだよ。あんな大きな事故があった後だ、君が会社に来られなくなるのも無理はない。好きなだけ休むといい」
「……事故……」
「ひどい話だねぇ。せっかくの20歳の誕生日だったのにねぇ…」
しょんぼりとつぶやく大久保に、守衛も相づちをうつ。
「ほんとうですよね。綱道社長もお可哀そうに……。これからのお嬢さんの成長をご覧になりたかったでしょうにねぇ」
「あの湖のそばの別荘はもともと古くて手入れをあまりしてなかったんだよ。だから多分ストーブも古くて灯油もれなんてしょうもないことが……。あんな大火事になるなんて思わないからなぁ」
「でもお嬢さんだけでも助かってよかったですよ。なんだか外の車の中にいたんですよね?」
守衛の言葉に、大久保は、おい!と焦って言葉を止めた。そして小さい声で守衛にささやく。
「彼女はショックで覚えていないんだよ。あまりその話は……」
すいません!と恐縮している守衛に、気にしないでください、と微笑みながら千鶴は言い、黒いコートのポケットから銀色の輝く小さなものを取り出した。

「大久保のおじ様、これ……」
「あれ?これは……焼却炉の鍵?そういえば一本足りなかったんだが千鶴ちゃんが持っていたのか……!」
「大久保のおじ様、父様の残した研究はどうされるんですか?」
千鶴が聞くと、大久保は、ああ、あれか、と頭を掻きながら溜息をついた。
「一部の幹部が関わっているらしいんだけどね……、遺伝子を変異させるだの、血を呑むだの、現代の吸血鬼だの訳の分からないことばかりを言っているんだ。さらに……これは極秘なんだが地下に変な物…というか……人間がいてね……。とても正気の沙汰とは思えんのだよ。あんなことを綱道さんがやっていたとはとても思えん。かかわっていた幹部たちも、ちょっと…常軌を逸している感じでね。娘の君には悪いが、すべて破棄して除去してなかったことにして後始末して、終わりにしてしまったんだ」
相談もせずに悪かったね、と謝る大久保に、千鶴は心から微笑んだ。
「よかったです……。ありがとうございました」

じゃあ、私はこれで……、と千鶴が言うと大久保が聞いた。
「どこへ行くんだい?そろそろ……会社にも戻っておいで。待ってるから」
「……ありがとうございます。湖の傍の別荘へ……、もう一度行ってみます。……未来を探しに」

 

 


 湖へ向かうローカル列車の中で、千鶴は窓を流れていく夕方の景色を眺めていた。
コートのポケットが、ガサッと音をたて、千鶴はそれを取り出して眺める。


朝に見つけてから、もう何度も何度も読んだ手紙。
千鶴はもう一度続きから読みだした。


『僕を探して。』

沖田はそう書いていた。


『君が人間に戻っていたら、僕を探してほしい。きっと昨夜の僕より半年だけ年を取った僕が今君のいる時代のどこかに居るはずなんだ。
綱道を殺すときに僕も殺されちゃったかもしれない。二度目のタイムトラベルの負荷のせいで弱ったり事故ったりして死んでしまってるかもしれない。
でも、生きてるかもしれない。
僕は今度は、幸せな運命を君とともに歩きたい……。』

 

 

湖をわたる風が優しく千鶴の髪を揺らした。

あれから3日間……。
千鶴は湖の傍の街に宿をとって、沖田を探した。
焼け焦げた雪村家の別荘の跡を見て、何か手がかりはないかを探し、警察に行ってここ半年間の行方不明者や不審者情報を聴き……。
そして最後にこの街の病院をあたっていた。

ベッド数の多い大規模病院から順番にまわる。

最初はストレートに、こちらに沖田総司という入院患者はいますか、と聞いていたのだが、どの病院も軒並みプライバシーにかかわるから、といって教えてもらえなかった。千鶴は知恵をしぼり、聞き方を変える。

「あの、こちらに入院している沖田さんのお見舞いにきたんですけど、部屋番号って何番ですか?」
受付の男性はカチャカチャとパソコンをいじる。
「あのー、沖田という患者はいないんですが…」
「え?本当ですか?もう退院したのかな……。半年くらい前にこちらに入院してるって聞いてたんですけど……」
男性はもう一度パソコンを操作し、もう一度画面をチェックしているようだ。
「いや……、沖田、という名前の入院患者は半年前からでもいないですねぇ……」
「そうですか。勘違いだったかもしれません。すいませんでした」
千鶴は礼を言うと窓口を離れた。

入院しているとは限らない。けがの治療だけしたのかもしれない。一時は入院したが既に退院してしまっているかもしれない。
あらゆる可能性があるが、一つ一つ潰していけばいい。
もう二度と会えないのだという絶望に涙を流したあの朝に比べれば、千鶴の心は温かかった。

 

小さな町なので、先ほどの病院で入院設備のある施設は最後だった。

 次は……どうしようか。入院ではなく外来を調べてみようか…。アルバイトでもなんでもいいから順番に病院に忍び込んでいってカルテを見れるようにできないだろうか……。


考えながら千鶴は、タウンページから書き写した病院情報のリストを眺める。
そしてふと気が付いた。
もう一つ行っていない病院がある。
リストの結構上の方に載っていたのだが、後回しにしていた病院……。


住所はここから近いし、行ってみようか。

 


『こどもびょういん』
と大きくひらがなで書かれた、明るい色の門をくぐって千鶴は病院の中へと入って行った。
中庭があるのか、門とは反対側の外から子供たちの明るい声が聞こえてくる。
待合室は清潔で可愛らしくて、いかにも小児専門病院らしかった。今は午前の外来が終わって、人はまったくいない。

千鶴は誰もいない受付を覗き込んだ。

「何か?」

後ろから声をかけられて、千鶴は驚いて飛び上がる。ピンクのナース服に白いカーディガンをつけた年配の看護婦が、書類を持ちながら千鶴を見ていた。
「あ、あの……。あの、こちらに入院している沖田さんっていう……」

千鶴は言いながらも、この病院でこのセリフには無理がある、と感じた。子どもの入院患者への見舞いなら、きっと○○くんとか××ちゃんとか言うのではないだろうか……と思っていたら、意外な言葉が看護婦から帰ってきた。

「あなた……。雪村千鶴さん?」
「は…?はい……そうですけど……」
千鶴が答えると、看護婦は目を大きく見開いて、千鶴を凝視した。
「……驚いた。ほんとに来るなんて……」
看護婦はそう言うと、待合室の窓から身を乗り出して外で遊んでいた子供の名前を呼んだ。

「何?」
息をきらして走ってきたパジャマ姿の子供は、千鶴と看護婦を見比べながら聞く。
「総司兄ちゃんのところにお客様。お待ちかねの『千鶴ちゃん』が来たって教えてあげて」
「ええ〜!!総司が言ってたのって本当だったの!!?」

子どもと看護婦の会話を、茫然として聞いていた千鶴は、はっと我に返った。
「あ、あの…!?」
千鶴の声に看護婦がにやにやと笑いながら振り向く。

「沖田さん、意識が戻ってからず〜っと言ってたんですよ。僕には千鶴ちゃんっていう可愛い彼女がいて、もうすぐ来てくれるって。全然来ないからきっと妄想じゃないかってみんなでからかってたんです。ほんとだったんですねえ」
「あの、沖田さん、こちらにいるんですか…!?」

「ええ、4か月くらい前に門の前で倒れてらしてね。診察したら極度の疲労による衰弱とあと骨折とその他もろもろ…。お金は持ってらしたし、時間はかかるけれどそれほど難しい症状ではないし、何よりもご本人がこども病院がいい、っておっしゃるんでこちらで面倒をみさせていただいていたんですよ。最初は肺炎を併発したり、何度も何度も酸素吸入をしたりでたいへんでしたけど、ようやく体力が戻ってらしたみたいで最近は病状も安定してるんです」
退院はまだ無理ですけど、でも『千鶴ちゃん』が来てくれたならきっとすぐよくなりますよ、という看護婦の言葉に、千鶴の視界はみるみると曇っていった。

ぽろぽろと涙をこぼしだした千鶴に、子供と看護婦はぎょっとする。
「ほら……!はやく千鶴さんを沖田さんの病室に案内してあげて!」
「でも総司今寝てんぜ」
「いいのよ。寝顔見るだけでも安心するでしょ!」
看護婦におしりをたたかれて沖田の部屋へと案内してくれる子供の後ろを、千鶴は涙をふきながらついていった。

『沖田総司』
とかいてある、青いドアの部屋の前で、その子は「ここ」とぶっきらぼうに言うと、にかっとほほ笑んで走り去って行った。
千鶴は男の子の背中に、ありがとう、と言い、ドアを開けて部屋に入る。

 

部屋の真ん中にある一つしかないベッドの上に、沖田は瞼を閉じて横たわっていた。


驚くほどやつれて、サラサラだった髪もパサパサして随分伸びている。

 

  沖田さん……


千鶴を殺すと言い、連れまわし、脅し、かばって、守って、愛してくれた。

千鶴は溢れてくる涙をぬぐいもせずに、布団の上にでている沖田の手にそっと自分の手をのせた。

 

  骨ばった大きな手…… 
  何度も手をつないだ。
  頬に触れてくれて、体中を……



その時、沖田の長い茶色の睫が震えた。


千鶴が息を呑んで見ている前で、ゆっくりとゆっくりと瞼はあがる……

 

 





 

【終】

 

 

 

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あとがき



                                      
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