【青は藍より出でて藍より青し 13-2】
SSLではありません。が、似ている設定も多々あります。そして長いです……。
作者は剣道、その他について未経験者です。内容については信用せずフィクションとしてお楽しみください。
見たことのない画像が、気が狂ったように総司の頭の中に渦巻いていた。コマ回しのようにチカチカと脳内で点滅している。初めて見るように感じるが、よく考えるとすべて自分が経験してきたことだった。試合で集中が高まり、これまにないくらい剣だけを見つめたときに、頭の中で何かが決壊したのがわかった。きっかけは風間の面を吹っ飛ばすほどの突きだったかもしれない。それまでも溢れそうな眩暈があったが、決定的だったのはあの突きだった。
すべてを思い出した。
感情も経験も感触も涙も血の味も、すべて。
あこがれと信頼だけで近藤の背中を追いかけたこと。力と権力とお金を手にした華やかな京時代。人殺しが仕事となったことに対するかすかな葛藤。剣を極めることへの真摯な姿勢。そして時代の大きなうねりに呑まれ破滅の一途をたどる新選組。
命をかけてでも成し遂げたいと思ったことが、自分の病気のせいでできなくなってしまった挫折。大きな喪失感。そして……それと引き換えに得た、それまで知らなかった暖かいもの。
頭のなかは記憶と画像の洪水が渦巻いていたが、心は水を打ったように静かで平坦だった。風間の動きが手に取るように見える。先ほどは一瞬過去に呑まれて自分を見失い、一番組組長に戻ってしまったが、今はもう大丈夫だ。心の奥底に眠っていた暖かいもの、戦う理由に精神を集中させて、渦巻いている情報をシャットアウトする。今対峙している相手の名前と見た目に、ふと過去を思い出して苦笑いをした。
前は負けたけどね。今回は鬼と人間なんてハンデもないし。
勝つのは僕だ。
風間が真正面から渾身の力で打ち込んできた。最少の動きで総司はそれを躱し、その体勢から素早く剣を引き『必殺技』の構えをとる。風間がそれに気づいて体を戻そうとするが、その前に総司は一段目の突きをくりだした。体勢を崩していた風間は、思わず後ろにのけぞってよける。そこにさらに腕を伸ばした総司の二段目の突きがせまる。身体能力の優れた風間はさらに一歩後ろに下がってよけたが、さらにそこから伸びる三段目まではよけることができなかった。
一瞬の沈黙の後、審判の旗があがると同時に会場中がワッとどよめく。
総司の勝ちだった。
「薄桜学園剣道部関係者の方、至急本部席までお願いします。繰り返します……」
観客席で一や平助、千鶴と剣道部員たちが総司の優勝に大盛り上がりのところで、場内アナウンスが流れた。一が千鶴に目線でうながし、二人で本部席にむかう。
「沖田君の優勝おめでとうございます。ただ、ご本人は気分がすぐれないとのことで、今体育館の医務室に行っているんです。表彰式がこれから始まるんですが、とても出られそうにないとのことで、どなたかかわりにトロフィーを受け取っていただけないでしょうか」
大会の実行委員らしきスーツを着た女性が言った。
息をのむ千鶴の肩に一が安心させるように手をおいてその女性に聞いた。
「怪我でもしたんでしょうか?」
「いえ、怪我はしていません。気分が悪いようで……。頭を手で押さえていました。ただ、しばらく横になっていればなおるのでそっとしておいて欲しいとのことだったので…」
「わかりました。自分も表彰式に出るので、ほかの部員を総司の代わりに出させます」
一は表彰式にでるための集合場所と集合予定時間を聞いてから、千鶴を促して観客席に戻ろうとする。千鶴は気分が悪いという総司のことが気が気ではなく、観客席ではなく医務室に行こうとした。
「まて、千鶴。総司は今は混乱しているはずだ。しばらくそっとしておいてやれ」
「え…。でも……」
「たぶん大丈夫だ。たいしたことはない。記憶と感情の洪水でとまどっているだけだ。しばらくすれば受け入れられる。表彰式が終わったら、お前がトロフィーを持って医務室に行ってやればいい」
総司の症状についてわかっているような一の言葉に、千鶴は不承不承今総司の様子を見に行くことをあきらめたのだった。
「……沖田先輩……?」
千鶴はためらいがちに『医務室』とプレートが掲げられている扉をそっと開いた。風がさあっと通り、ドアの反対側にある大きな窓にかけられたカーテンが大きくふくらむ。シンプルなベッドと机、椅子しかない部屋だったが、清潔で開放的な気持ちのいい空間だった。しかしそこには誰もいない。千鶴は机の上に持ってきたトロフィーをそっと置きながらあたりを見渡す。
何もしきっていない一部屋であるため、見落としたりするはずはない。ここで休んでいるといわれた総司は、どこにもいなかった。
「……沖田先輩?」
千鶴は膨らんだカーテンを開けて、外を見てみる。カーテンの向こうの掃出しの窓は開きっぱなしになっていた。今回の全国大会が開催された体育館は、大きな緑地公園の中にあり医務室の大きな窓からはその公園へと抜けられるようになっていた。体育館からも公園からも裏側にあたるそこには、草に覆われた小さな丘と大きな木が一本生えており人気も町の騒音も届かない静かな空間だった。千鶴が目を凝らしてその木の方を見てみると、木の下に誰かが寝転んでいるのが見える。
沖田先輩だ…。
千鶴は窓から外にでて、総司の方へゆっくりと歩き出した。
空が青かった。
総司は空の下で珍しく感慨にふけっていた。この空を、前の人生でも何度も見上げた。悔し涙で、高揚した気分で、寂しさを紛らわすように、幸せな気持ちで、虚しさを抱えて、切ない気持ちで……。あの時も空を見ることで自分の小ささを実感して、何故かそれが心を安心させてくれたものだけど、今もそうだった。先ほどの試合で起こった、自分にとっては180度世界が変わるような大事件も、この空の下では小さく、些細なことに思える。そしてそれは物事を客観的に見て、冷静に受け入れることに一役かっていてくれていた。試合中は必至で嵐を抑えていたが、試合が終わると集中力も途切れ、嵐に呑まれてしまった。しかしそれも今となってはずいぶん落ち着いてきている。空を見ていると、それがさらに矮小化され笑い話のような小さなことのように感じられる。昔の自分から今の自分へと続く、必然的な流れについて思いをはせていると、ふと風を感じて総司は医務室の方へ眼をやった。
千鶴が穏やかな笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。高校の制服を着ている彼女が、山吹色の小袖を着ている少し年上の女性に重なる。そしてピンク色に白の袴をつけ男装している少女にも。
「……結局僕は、また君を好きになってたんだなぁ……」
近づいてくる千鶴を見ながら、総司はかすかに微笑んで小さく呟いた。記憶がなくてもまるで決められた線路の上をたどるように、自分はまた彼女に惹かれ、好きになっていた。前世での出来事がなくても、彼女は総司にとっての唯一の女性で、きっと何度生まれ変わっても、逃げ出そうとしても、好きになってしまう女性なのだろう。そう考えるとこの状況で会えたのは本当に幸運だった。例えば彼女がすでに人妻だったり、自分が大人で彼女が幼女だったとしても、好きになって自分のものにしたくなってしまう気持ちは変わらなかっただろう。
犯罪者とか泥沼になるような立場じゃなくて本当によかった。
我ながら噴出してしまうようなことを考えていると、千鶴が近くまでやってきた。
「優勝、おめでとうございます」
総司が見上げている青空を隠すように、彼女が笑顔で覗き込んできた。彼女からの言葉が何よりも嬉しい。
「……うん。ありがとう」
「気分が悪いって聞きましたけど、どうですか?」
「うん。だいぶよくなった」
総司の言葉に、千鶴は安心したように微笑んだ。その微笑を、自分はずっと好きだったことを総司は思い出す。
「……前はね、世界にフィルターがかかってるみたいで、どうも手が届きそうで届かない、わかりそうでわからない、ぼんやりした感じがすごくいらいらしたんだけど。さっきそのフィルターが全部とれた。自分が何を望んでいたか、どうしてあんなにいらいらしていたのか、全部わかったよ。世界の輪郭と色がはっきりした感じ」
空を見上げながら話す総司を、千鶴は不思議そうに見つめていた。話の内容はよくわからないが、総司が何かを乗り越えて、それを喜んでいることはわかる。何よりも総司の表情がこれまでとは違っていた。
落ち着いた、満ち足りた笑顔。妙に大人っぽい視線。初めて見る女性であるかのように、少しまぶしそうに千鶴を見つめる若草色の瞳……。
スッと総司の手が伸び、千鶴の頬に添えられた。
「……好きだよ。千鶴ちゃん」
瞳をまっすぐに覗き込んで、総司は言った。これまで千鶴が必死に避けてきた言葉。聞かないように、言わせないようにしてきた言葉を、総司はそのまま何にも包まずに千鶴に届けた。
二人の間を、初夏の風が通り抜け千鶴の滑らかな黒髪を揺らす。千鶴の瞳の光も揺れて、口が震えながら開く。しかし言葉は出てこない。総司はそんな千鶴を見ながら続けた。
「返事はいいんだ。伝えたくなった。急かしたり焦ったりするつもりはないよ」
だから、そんな悲しそうな顔しないで。
総司は地面にひじをついて起き上りながら、千鶴に優しく言った。
「……君が大好きだ。きみに会えて本当によかった」
あの時、不良にからまれている君を助けなければ。きっと僕はいまだに何を探しているのかわからないまま探し続け、求め続けていただろう。何を得ても満足することのない飢餓感を、他のもので瞬間だけ埋めながら。
そんな人生を想像して総司はぞっとした。そうして結局得ることのないまま、一生を終えた人生もあったに違いない。
総司がそんなことを考えていると、千鶴が身じろぎをした気配がした。総司は千鶴を見て、ぎょっとする。千鶴は大きな蜂蜜色の目を見開いたまま、涙をぽろぽろとこぼしていた。
「…私も、先輩が好きです。でも、怖くて、怖くて……。逃げ出したくなる自分がいます。沖田先輩のそばに、いたいのに、もう会いたくないと思う、自分もいます…」
そう言って、千鶴は途方にくれたような顔をして、総司を見た。
「自分でも、どうしたいのか、どうすればいいのか、わからないんです……」
まったく異なる二つの思いに引き裂かれて苦しんでいる千鶴がそこにいた。自分でもコントロールできない思いに揺さぶられ混乱している。総司は胸が痛くなった。
「……千鶴ちゃん。ごめんね。君が今苦しんでるのは、僕のせいなんだ」
総司の言葉に千鶴は目をさらに見開いた。
「でも、僕は悪いことに、今の君を見て喜んでる」
総司は草の上に起き上り、座り込んでいる千鶴と向き合った。そして憐れむような目で千鶴を見つめる。
「……僕は君の魂に傷をつけたかったんだ。何度生まれ変わっても決して消えることのない深い傷を」
そう言いながら、総司は人差し指で千鶴に触れるか触れないかくらいの距離で、千鶴の頬をなぞった。その指は千鶴の頬を滑り降り、首を伝い、鎖骨を彷徨って胸元まで下りていく。
「次の時に見つける目印になるし、その傷のせいで他の男を寄せ付けることができない。そんな傷をね」
総司の瞳に残酷な色が現れる。しかし唇は優しげに微笑んだままだった。
「そしてその傷を癒すことができるのは僕しかいない。そういう傷を君に刻んで、僕は身勝手に一人で先に死んだんだよ。君が残りの人生と、その先の新しい人生もすべて苦しむ様に。僕にもう一度会って、癒してもらうまで君が苦しむようにね」
千鶴には総司が何を言っているのかわからなかった。わからなかったが、魂の奥深く眠っているかつての記憶と感情が、総司の言葉で恐怖と歓喜に打ち震えるのを感じた。総司が千鶴にしたことは身勝手で、利己的で、思いやりのない行為だったが、彼女の魂はそこまで思われていたことに喜んでいた。傷つけられるのなら総司からでしかなく、傷ですら彼から与えられるのなら嬉しいと感じる自分がいた。そして、癒してもらいたがっていた。しかし一方で、魂についた傷口はじくじくと新たな血を流し始めている。これ以上傷つく恐怖にそれは拒否反応を示している。
千鶴が何も言えないでいると、総司が優しく千鶴の頬に手を添えた。
「だから、僕に君の傷を治させて欲しい。もう傷つけないようにゆっくりゆっくりはじめるから。だから、僕をもっと好きになって。僕しか見えないくらいに、僕のことだけ考えて」
総司の整った顔が、ゆっくりと千鶴の顔に近づく。
「君は、先のことは考えないで。僕が必ず幸せにする。だから今この瞬間が嫌かどうかだけを考えて」
千鶴は、催眠術にかかったように、総司の言葉にかすかにうなずいた。
唇が触れ合うその寸前に、総司が静かに聞いた。
「これは、嫌?」
かすかに首が横に振られるのを確認して、総司は優しくキスをした。
頭上の木の葉擦れが、さやさやと気持ちいい音を奏でる。風がまた二人をつつみ、髪をゆらす。
二人はそのまま、何度も何度も口づけをかわし、長い間そこから動かなかった……。
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RRA
あとがき
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