「これで全部です」
そういって千鶴から渡された答案用紙と学年平均を、総司はじっくりと眺めた。
場所はいつものコメダ。定期テストが終わった最初の家庭教師だ。
思っていたよりできている。
「うん、なかなかいいね」
総司がそういうと千鶴は驚いた。「え?半分平均にとどかなかったですけど…」
「いやいや、2年間勉強してなくていきなり平均オーバーって無理だよ。ほらでもここ見て」
そういって数学の答案用紙を机に広げる。
「過去からの積み上げが必要なところは当然ながら全然だめだけど、今回初めてでてきた単元は7割取れてる。間違っているのは計算ミスだね。これは過去をさらって見直しをすれば80点は取れると思うよ。それに過去の積み上げがいらない社会と理科は平均以上でしょ?」
これなら受験に間に合うかもしれない。
千鶴ではないが、総司も実は驚いていた。
最初の出会い方や、初めてなのにワンナイトを抵抗なく受け入れているところ。にもかかわらずすれたところはなくて、会話の反応も変なところで驚いたり泣いたり。そして最後の別れ方。
変わった子だと思っていたが高校の二年間学校に行けてなかったと聞いてやはりそういう類の、少し精神的な所に問題をかかえている子だったのかと思ったのだ。そういう子の家庭教師もしたことがあるが、やはり集中力と根気がなく成績が上がらない子が多い。
「じゃあとりあえず理解度を見たいからこれをちょっと解いてみてくれる?」
問題集を指すと、千鶴は素直に取り組み始めた。
それを眺めながら総司は先週あった飲み会の出来事を思い出す。
飲み会を開催したのは千鶴と始めて会ったサークルで、4年生の追い出し飲み会があり総司も参加したのだ。目的はあの千鶴と最初に出会った飲み会での千鶴を知ってる人を探す事。
考えれば考えるほど、なぜ千鶴があの飲み会にいて自分の誘いに乗って部屋まで来たのかが疑問だった。最初は大学入学して浮足立った女の子がたまたま総司に声をかけてきてああなったのかなと思っていたが、知り合えば知り合うほど千鶴はそういうタイプではなかった。高校生だったのだから当然だがそれにしても友達との予定や夜あそびをしている様子はまったくない。遊びなれた高校生が背伸びをして大学サークルにこっそり参加…という感じでもないし。それであの飲み会でいきなり総司とああいう風になるのは不自然ではないか?
いったいあの子はどんな子なのかな?
それを知りたくて参加した先週の飲み会。
総司の就職内定や思い出話をしてくる後輩たちに話をあわせながら、総司はあちこちのテーブルに行きそれとなく千鶴のことを聞いて回った。千鶴の参加は当然ながら一回だけだしこのサークルは全員参加ではなくメンバーも流動的なので難しいかな…とあきらめかけたところで。
『あ、その子知ってます。私隣にすわってたんで』
という一年生の女子を見つけた。
『そうなんだ、ちょっとしかしゃべってないからよく覚えてないんだけど、なんか雪とかそういう名前だったよね?』
『そうですそうです。寒そうで……雪…雪村!だったかな?二人とも初めてのサークルで緊張してたんで、学部とか住んでるところとか話した気がします』
総司は笑いをかみ殺した。高校生だったんだからさぞ答えに困っただろう。へどもどしてる千鶴の顔が浮かぶ。
『へー、そうなんだ?僕もあの後ちょっと話したんだけど、今も仲いいの?』
ショートカットのその女の子は首を横に振った。
『いえ、もう全然。サークルにも来ないし……』そして探るように総司を見る。『その……沖田先輩狙いだったのかな?って友達と話してたんです』
『僕ねらいって?』
彼女は隣に座っていたお団子頭の女の子と顔を見合わせる。お団子頭の子が言った。『私もその時同じテーブルに居たんですけど、その、雪村、さん?から沖田さんって知ってますか?って聞かれて』
ショートカットの子もうなずく。『私たちは知らなかったんですけど、同じテーブルにいた三年生の先輩が、沖田先輩ならもうすぐ来るよって言ったらなんていうか…』『ね?』『うん。顔が輝くというか。で、あとはもう心ここにあらず見たいな感じでずっと入口を気にしてて』『で、沖田先輩が来たらすぐに席を立って先輩の方へ行っちゃったんです。だから高校が同じとか何かで知り合いで、沖田先輩にあうためにあの飲み会に来たのかなって』
『……』
意外だった。だが確かにあの時総司は顔見知りの4年生と3年生ばかりのテーブルにいた。そこに千鶴がおどおどしながら『あの、ここいいですか?』
とやってきたのだ。他に席がなくてこんな年上ばっかりのところに来るしかなかったのかな?とその時は思っていたのだが。
『沖田先輩も雪村さんも途中でいなくなっちゃったし、お二人は……その、つきあうとかそういうことになったのかな?って思ってました』
総司はにっこりと笑うと一応否定しておく。プライベートはできる限りさらさない方針だ。『まさか。僕はあの後またちょっと用があって抜けただけ。偶然だよ』
本当は時間をずらして飲み会から抜け、ちょっと先のコンビニで待ち合わせをし、もう一軒行った後総司の部屋に一緒にいったのだが。
ということは、千鶴はあの飲み会の前から総司を知っていたのだ。
総司は目の前で問題集を解いている制服姿の千鶴を見ながら首をひねる。
……同じ高校…?ってわけないよね。僕は男子校だし。どっかで会った?
過去を頭の中でさらうが、覚えがない。聞いてみたいがフラれている以上あまり前の時の話題は出しにくい。今後の家庭教師に支障をきたすといろいろとめんどくさそうだし。
家庭教師を受けたのは単なる気まぐれだと自分でも思っていたけど、おそらく彼女がどんな人なのかを知りたいのだ。ここで縁を切ってしまいたくないと思っている自分に総司は気づいた。
「できました」
「ん」
問題集を見ていくつか質問をしていると、総司は視線を感じた。顔をあげるとレジのあたりで女の子が二人こちらを見ている。
「ああ」総司が軽く手を挙げてあいさつすると、二人はきゃーっと小さく言ってぺこりと頭を下げた。千鶴が振り向いて二人を見る。
「お知り合いの方ですか?」
「後輩。ここ大学が近いからね」
「……お知り合いが多いんですね」
そう言って机に向き直った千鶴の顔を見て、総司はあれ?と思った。勘違いでなければあれは嫉妬の表情だ。
フラれているのに訳が分からないけど、これはあの話題がだせるいいタイミングかもしれない。
「あの子たち、あれだよ。千鶴ちゃんと初めて会った飲み会のサークルの2年生」
千鶴の目が泳ぐ。「あ、そう、で、すか」
「あの時の飲み会にも来てたんじゃないかな。千鶴ちゃんからしたら上級生だから話とかしなかったかもしれないけど」
「……」
気まずそうに黙り込んでしまった千鶴に、総司は敢えて聞いてみることにした。
「ねえ、千鶴ちゃんさ。……前にどこかで会った?」
「え?」
「あの飲み会の前にさ」
少なくとも彼女はあの時の飲み会で知り合う前に総司の名前を知っていたのだ。
千鶴の茶色の瞳が大きく見開かれ瞳孔が深い茶色……黒に近い色になる。「な、何か…何か思い出したんですか?」
震えた声でそう聞く千鶴に、総司は答えた。
「いや、全然思い出せないんだけど、君は僕を知ってたんでしょ?僕が薄桜大学にいてあの夜あのサークルの飲み会に出るのを知って、あの時あそこにいたんでしょ?」
ひそかなたくらみを暴かれて、千鶴が動揺するかと思ったが、彼女はがっかりした顔をして肩を落としただけだった。
「ああ……そのことですね」
「何、その反応。やっぱり僕達、前に会ってたのかな?実は幼馴染だったとか?」
千鶴は悲しそうに微笑んで、顔を横に振った。
「いいえ、あの飲み会の時が初対面です。私は、一方的に沖田さんのことを知ってたんです。そしたら山南さ…いえ、なので、自分で色々調べてあの夜あの飲み会に行きました。あの、剣道……ずっとやってらっしゃいましたよね?高校の時はインターハイで優勝も。雑誌で知ってたんです」
ああ、そうか!と総司は大きくうなずいた。
なるほど、それなら話がわかる。
確かに総司は高校まで剣道をずっとやっていてテレビの取材や雑誌のインタビューなど結構受けていた。
「なるほどね。剣道ファンだったんだ」
高校までは手紙やらプレゼントやら顔も知らない女の子からよくもらった。千鶴もそのタイプだったのか。
「はい。決勝とかわくわくして見てました。……あの、もうやらないんですか?」
期待するような目。真剣なその表情にそれが彼女にとって大きなことだという事がわかる。が、総司は肩をすくめた。
「いやー…まあもう4年も何にもやってないし、大人になって剣道とかねえ。いまさらでしょ」
「でも、すきだったんじゃないんですか?」
総司は茶色の柔らかい髪をかき上げ苦笑いをする。「すきっていうか…親にやらされて、まあ暇だしやっとくかって感じで続けてただけだよ」
千鶴の表情が悲しそうに曇る。
「…じゃあ、じゃあ、何か今はほかの……?何に一生懸命なんですか?その、沖田さんが一生をかけてやりたいこととか…」
大げさな言葉に総司は噴き出した。
「なにそれ、一生をかけて?就職面談みたいだねって、いや就活でもそんなこと聞かれないよ」
「そうなんですか…?」
「そうだよ。大昔ならともかく、今はほら、そこまで必死にやらなくても衣食住整ってるし、そんなに何かに熱くなってる人ってあんまりいないでしょ。適当にスポーツして適当に勉強して適当な大学に行って適当に就職するんだよ、普通の人は」
「……」
千鶴の瞳の光が陰ってしまった。総司は慌ててフォローする。「いや、もちろん熱い人もいるよ。それはそれでいいんじゃないの?何、千鶴ちゃんはそういうのがあるんだ?なんだっけ、『一生をかけてやりたいこと』とか?だから薄桜大学目指してるとか?」
しかし千鶴は傷ついたような表情のままうつむいて首を横に振った。
「いいえ、私はそんな……」
そしてしばらく考えて、また顔をあげる。
「いえ、私は一生をかけてやりたいことを持ちたかったんです。前に、前にそうやって、命を燃やしてるみたいに生きてる人を知ってて、あこがれてて。だから私も持ちたいって思ってスクールカウンセラーになりたいって思いました。この道が正しいかわからないんですけど、でも今はスクールカウンセラーになってつらい思いをしている子たちを助けてあげたいって」
総司の目をまっすぐ見てそういう千鶴の大きな瞳は、あふれてしまいそうなくらいの涙でうるんでいた。
まただ。
総司は千鶴のまつ毛を濡らす涙をみながら、胸の奥の奥がかすかにざわめくのを感じた。
千鶴といると時々そういうことがある。
彼女の手で総司の奥をそっと触れられているような。届きそうで届かない焦燥感。
しかし総司は、「そっか、がんばってね」としか言えなかった。
そしてその言葉に千鶴の瞳がさらに辛そうに陰るのを、何もできずに眺めるしかなかった。
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