総司に別れを告げたその日に、千鶴は土方に電話をした。会う約束は次の日の午後3時。前に会ったカフェの近くの公園で。

千鶴が総司と別れたと報告すると、土方はしばらく黙ったまま彼女を見つめていた。
「そうか」
そして空を仰ぐと、大きく深呼吸をする。土方はそのまま何も言わない。
千鶴も黙っていた。
二人が座っている公園のベンチの前で、スズメがちゅんちゅんと鳴きながら地面をつついていた。秋晴れの抜けるような青空はどこまでも澄んでいて、遠くの広場で子どもがはしゃぐ声が聞こえる。
土方が何も言わないのが千鶴にはありがたかった。
心の整理はまだついていない。ぽっかりと大きく空いた穴。その穴を抱えたままこれからどうやって生きていけばいいのか。
会いたくても会えなかった前世より、 会う気になれば会いに行ける現代の方が心が辛い。でも、土方が言う通り二人の未来なんて無いということも千鶴はわかっていた。
これでよかったんだ。過去の総司さんにはもう会えないってあきらめるのが。今の沖田さんと会っていても、過去のかけらを探すばかりでつらいし失礼だし……これ以上仲良くなったら沖田さんの方だって私に何か感情を持ってくれるかもしれない。そうなってしまったら二人とも傷つく。
さらに最悪なのがそれをきっかけに総司の記憶がもどってしまうことだ。すんなりと記憶が戻り現在の総司と融合してくれればいいが、土方や自分、山南の例を考えるとそれはありえない。きっと苦しむ。苦しむだけならいいが千鶴のように人生を何年も無駄にしてしまうかもしれない。

「俺もかなり前世を引きずったタチだから偉そうなことは言えねえが……」
土方はそう言うと、持っていた缶コーヒーを一口飲んだ。

「これからお前は、お前の人生を生きろ。新選組沖田総司の名もない妻でもなく、今のあいつの彼女でもなく、お前自身が主人公の人生を、だ。幸い今の時代はそれができるだろ」

土方はちらりと千鶴の着ている服を見た。オフホワイトのダッフルコートの下から紺色の制服が見える。
「ようやく学校に行けるようになったんだろ?」
千鶴も自分の制服を見下ろして、恥ずかしそうに頷いた。
「高校に入ってからずっと行けてなかったので、授業に追いつくのがたいへんですけど」
前世の記憶と現世の生活とに振り回されているうちに、ある日気が付くと朝起き上がれなくなっていた。体が重く、食欲もなくて、何もかも嫌になって……思い出すのは前世での総司とのことばかり。
心配した、医者でもある父親にあちこちの病院へ連れられて、最後に行った脳神経外科が山南が院長を務める個人病院だった。
それが高校にあがってすぐの夏休み。
山南も10代のころに記憶が戻りかなり苦しんだようで、すぐにすべてを察してくれた。そして同じく記憶を持っていた土方を紹介され、2年近くかかったが、カウンセリングと投薬でようやく前世を受け入れ現世を生きられるようになった。高校に行けるようになったのは本当に最近だ。

千鶴が苦しんできたことを知っている土方は、優しくほほ笑んだ。
「何かやりたいこととか、なりてえこととかあるのか?」
千鶴は頷く。
「私自身とてもお世話になったので、スクールカウンセラーになりたいです」
学校に行けなくなる前となった後、千鶴に寄り添い相談に乗ってくれた。あんな風に私も、誰かの役に立ちたい。
「いいんじゃねえか。お前ならいいカウンセラーになれそうだ」
土方はそう言うと、優しく千鶴を見た。
「俺も、何の因果か傾きかけてる家業を立て直さなきゃいけねえ。新選組も近藤さんも……もう思い出としてしまっておいてもいいころだ」
土方は製薬会社の一人息子なんだそうだ。
「山南さんから聞きました。土方さん、立て直したうえに事業を大きくしたって。山南さんもそこではたらいてるんですよね?」
事業拡大の最中に有名な脳神経外科である山南を会社の外部顧問として招き、そこで初めて土方と山南は出会ったそうだ。
「まあ社員というより外部顧問だけどな。あの人は自分の病院持ってるだろ」
千鶴はうなずいた。高校に入ったばかりの時に千鶴がお世話になった病院だ。まだ通院は続いていてそこで心理療法を受けている。
「俺も今の世できっちり、為すべきことを為さなきゃならねえな」
土方はそういうと自分の膝をたたいて勢いをつけ、立ち上がった。千鶴も立ち上がる。
「いろいろと相談に乗っていただいて、ありがとうございました」
「いや、こっちも助かった。過去の踏ん切りはつけたつもりだったんだがな。お前と総司の件であらためて正面から向き合えた気がする」
じゃあな、と土方は片手を軽くあげて、午後の遅い陽だまりの中を歩いて行った。
紺色のコートに黒のスーツ。仕事を抜けてきてくれたのだろう。

私の人生……
総司さんに会うためでも、過去を思い出すだけでもない、私が主人公の人生。
がんばってそうやって生きていけば、この胸の痛みはいつか消えるのだろうか。

千鶴はため息をつくと、カバンを持って土方と反対の方向へ歩き出した。

きっとそうなのだろう。時が、この傷を治してくれるのだ。
そしていつの日か、人ごみの中で、あの人に似たふわふわした茶色の髪や肩のラインを見かけても振り返ることも無くなるのだろう。




『内科のユキムラ先生、ユキムラ先生、内科受付までお願いします』

アナウンスが混雑した広い院内に響き渡り、千鶴は父がどこからか走ってこないか周囲を見渡した。
内科医雪村先生はいつも忙しい。これまで学校にいけなくてそんな忙しい父にたくさん迷惑をかけてしまったので、これからはできるだけ心配をかけないようにしようと千鶴は決めていた。母を早くに無くした千鶴に対して父はたいへんな心配性なのだ。
まずは勉強と受験だよね
高校2年生の秋の今から必死に勉強の遅れを取り戻さなくてはいけない。中学生までは優等生だったが高校1年と2年のいままではほとんど学校にいけていないのだ。調べてみるとスクールカウンセラーになるには精神科医や臨床心理士などの資格があると有利らしい。どちらも特定の大学に行って勉強をする必要がある。今から必死に頑張ってもおいつけるかどうか。
父と先週そのことについて相談し、学校に通いながら家庭教師をつけて受験までに徹底的に勉強をし直そうということになった。そこでインターネットで調べた家庭教師派遣の会社のいくつかに依頼したのが今週の初めで、早速連絡がきていた。
千鶴はその中から優しくて優秀そうな女性を選んで、父に許可をもらおうと今日病院に来たのだった。

早く前に進まないと。やることをいっぱいつくって頭をいっぱいにして、過去をもう忘れなくちゃ。

前世の総司の笑顔や1か月前に別れを告げた時の現代の総司の傷ついた顔が、日常のふとした時にちらつく。はやく父の許可をもらって明日にでも、今日からでも勉強をすすめていきたい。
そう思っているのに、千鶴の意識は勝手に、病院の広い待合室の中で総司に似た背格好の茶色い髪の男性の後ろ姿を視界の端にとらえていた。
薬や会計を待つ多くの人のなかでも、その人の背中だけが浮き上がって見える。明るいグレーのコート。思わず振り返りそうになって千鶴はため息をついた。
これまでも何度も振り返り、そして違う人とわかってがっかりして…を繰り返している。もうそろそろあきらめてもいいはずだ。自分で小さくうなずくと、千鶴は振り切るように顔を背け、看護師さんの方へ一歩進んだ。
呼び出しても父が来ないのでもう一度呼び出そうかと話し合っている。「あの、大丈夫です。急ぎではないので……」
そう言ったときに視線を感じてそちらを見ると、先ほどの明るい灰色のコートの男性がこちらを見ていて、千鶴と目が合った。
きれいに見開いている緑の瞳。考えるより先に足が動いて逃げ出そうとしたが、つかまってしまった。そのあとすぐに父が来て、そして千鶴は、父と総司の二人につかまってしまったのだった。
未成年条例で一手取ったと思ったが、総司はさらに上手だった。こういうところは前世と変わらない。

千鶴はあれよあれよという間に、薄桜総合病院の近くのコメダで総司と二人切りで向かい合って座っていた。






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