『内科のユキムラ先生、ユキムラ先生、内科受付までお願いします』

院内アナウンスの医者名に、総司はふと顔をあげた。
「早く!総司の番だぞ!」
病院のベッドの上でパジャマを着た小学生低学年が、目の前にならんだカードを指さす。
「ああ、うん。ちょっと待って……じゃあこれで」
「ぎゃあああああ!超レアじゃん!!SSR!!」
負けて悔しがっている子どもに、総司は笑いながら自分の手札をすべて渡した。「僕の勝ち〜。はい、あげる」
「え?これ?もらっていいの?」
「うん、お見舞い。退院したらまたやろう」
総司がそう言って立ち上がると、部屋の隅に座っていた少年の母親が「いいんですか?いただいてしまって…」と声をかけてきた。
「はい、もちろんです。もともとそのつもりで持ってきたので」
「ありがとうございます。ほら、お礼をいいなさい」母親に促されて、少年もにっかり笑って「サンキューな!」とお礼を言った。
「どういたしまして。退院したらまたみんなでやろう」
総司も微笑み返す。お互いこぶしを軽く合わせると、少年は言った。
「うん!」
迷子の猫が縁で仲良くなった子どもたちのうちの一人だ。なかなか難しい病気で、定期的に入退院を繰り返しているらしい。
「総司もさ、あの泣いちゃってる女の人と仲直りしたら連れてきなよ」
「ん?」
何の話だ?と総司が思いを巡らせ、「ああ」と気が付く。あの女の子のことだ。雪村という名前の。自分はフラれて、あの後LINEもつながらなくなりどこの誰かもわからないから仲直りも何もないんだけど。
総司は、彼女から別れを告げられた後、大学のサークルの幹事に聞いたことを思い出した。
彼女と出会ったのは、大学のサークルの飲み会だ。時々スポーツしたり季節の行事をするお遊びサークル。高校生まで剣道一筋だったが、大学では他のことをやってみようと思い入ってみた。まあ楽しかったが他にもテニスサークルやサッカーサークルにも入っており、総司がそのお遊びサークルに参加するのは飲み会くらいだった。
あの飲み会に参加したメンバーを聞いてみたが、雪村という名前の女性はサークルには所属していなかった。インカレというほどではないがメンバーの知り合いならサークル外の学生でも別大学の学生でも参加自由なゆるいサークルなので、あの時の彼女もそうだったのだろう。サークルメンバーは流動的だし一人一人に『雪村さん』を知ってるかとも聞けない。もうフラれているのだし。大学ですれ違うかもと気を付けていたが、会えなかった。
好きとかそういうわけではないが、気になっている。それだけだ。

もう一度会えたからってじゃあどうするのかとか、あってどうしたいのかとかも特にないしね。

それに彼女がカードゲームをやるとは思えない。総司は想像して吹き出しそうになったが、我慢した。
「そうだね、まあでもそれは難しいと思うよ。じゃ、今日は帰るよ」
総司はコートとカバンをもってベットから立ち上がった。
「うん!またな!」
去っていく総司を見ながら、少年の母親は息子の不思議な交友関係に首をひねっていた。大学生であることは聞いていたし猫探しを手伝ってくれたとも聞いた。優しい青年なのだろうと思っていたが、入院して初めて実物をみて驚いた。まあ端的に言えばイケメンなのだ。それもすこぶる。
背が高く、でも茶色の長めの髪や笑みを含んだ若菜色の瞳が色っtぽく、子どもとのお見舞いや一緒にゲームをしてくれるような人には見えない。都会のバーとかで女性をとっかえひっかえしてる方が似合う。
でも自分の小学生の息子と、つきあいなどではなく楽しそうにカードやゲームの話をしていた。先ほどの息子の話では、女の子も泣かせているらしい。
このギャップとこの優しさ。そりゃあ泣かせた女の子も一人や二人じゃないだろう。
母親はウンウンとうなずきながら総司を見送った。


ユキムラ…ユキムラね。
珍しいってほとではないけど、そんなにあちこちでは聞かないよね。

帰りのエレベーターに向かいながら、総司はさきほど聞いたアナウンスを思い出していた。

内科の受付って言ってたよね・・・・

エレベーターの横にかけられている院内案内図を見ると、今いる階の一階下、すぐそこだった。行ってみたからといってなにがあるわけではない。まさかあの女の子が医者というのもありえないし。無茶苦茶若く見えるならべつだが、多分総司と同じ大学生だろう。まあでも、お見舞いの帰りに別に内科受付の横を通るぐらいは大した手間ではない。
総司はエレベーターはやめて、脇の階段から一階へと降りて行った。
内科受付には中に看護師が一人、カウンターの外から看護師がもう一人。二人で何やら話していた。
「ユキムラ先生、いらっしゃった?」
「まだ」
「もう一回呼んでみようか?娘さんがいらしてるって放送で言った方がいいかな?」
「個人の院内携帯にはつながらないの?」
「うん、かけてるんだけど……」
娘……。
内科受付の横を通り過ぎるつもりだった総司の足は止まった。これはもしかして……当たりだったかもしれない。狭い街だし、ここはその街唯一の総合病院だからあり得ない話ではない。受付脇の待合室に目をやってあの女の子を探そうとしたとき、後ろから聞いた覚えのある声が聞こえた。

「あの、大丈夫です。急ぎではないので……」

振り返り声の主を見てみると、思った通り、あの時の女の子だった。受付の看護師に話しかけている。総司の視線に気づき、彼女もこちらを見る。そした「あっ」と小さく叫び顔色を変えた。顔を背けて逃げようとする彼女の手首をつかむ。
「ちょっと待って。なんで逃げるの」
ついつい口調が嫌味っぽくなってしまうが、まあしょうがないだろう。自分がフッた相手に会うのは決まずいだろうが、逃げられるのも面白くない。このコートは見覚えがある。ベージュのダッフル。さよならを言いに来た時に来ていた服だ。ベージュのダッフルに暖かそうなオレンジのマフラー。その下は…
視線を移していった総司は固まった。コートの下から覗いているスカート。それに持っている鞄。靴……まさか。

「こ、高校生…?」

かあっと彼女の頬が赤く染まる。
「嘘でしょ、だって飲み会…アルコール……それにあったばかりの僕についてきてあんな……」
総司は茫然とした。遊びなれた女性のやり方と見た目とのギャップに最初は興味をひかれたのだった、そういえば。
総司は出会った時を思い出す。飲み会で積極的に総司の隣に座り、話しかけてきた。いきなり自己紹介から入るようなつたない気のひきかただったけれど、訴えかけるような大きな瞳が印象的だった。積極的だったし外見も好みだったので、総司もありがたく誘いに乗らせていただいたのだが。
でも初めてだった。多分。
「君、初めてだっ…」
初めてだったよね?高校生がなんであんなところであんなことを?そう聞こうとした総司にかぶせるように、後ろから声がした。
「すまんすまん!待たせたな。ちょっとつかまってて……」
そういって後ろからYシャツに白衣をきた男性が勢いよく声をかけてきた。首から「雪村」とかかれた名札をぶら下げている。
「父さま…」
彼女が総司の顔と父親の顔を見比べる。前門の虎後門の狼、といった様子だ。総司はぱっとつかんでいた手を離した。父親が総司の方を不思議そうに見る。
「君は……?」
彼女…雪村千鶴が、慌てたように父親に向き直った。「あ、あのね、父さま、この人は……えーっと…」
「ああ!家庭教師の先生か!早速手配したんだな。早かったな。まあ早いほうがいいしな」
父親……雪村綱道が何を勘違いしたのか総司に手をとると、ぎゅっと握手をした。
「よろしく頼みます。父親の綱道です。大学は薄桜大学で?」
「あ、はい。まあ……」
「学部はどちらですか?」
「理学部ですが……」
「おお!理系ですか。これはいい。数学をみっちりおしえてもらえるぞ」
綱道はそういうと嬉しそうに千鶴を見た。そしてまた総司に向き直る。
「早速ですがいつからお願いできますか?週2回位を考えているんですが、先生の方で回数は調整してくださってかまいません。時給は……」
「ちょっ、ちょっと待ってください。僕は……」
家庭教師に応募したわけじゃない。娘さんとは行きずりのセックスをしただけで、今日はここで偶然あっただけです。もうフラれてますし。
ここまであからさまにいう気はないが、まあ似たようなことを総司が言おうとしたとき、千鶴が慌てて間に入った。
「あの!」
そういって、大きな目で総司に訴えかける。これは言うなと言ってるんだろうな…と総司はニヤリとした。そりゃあ親に初体験の話なんてされたくないだろう。そこまでは言わないにしても大学のサークルの飲み会で会っただけですくらいは言ってやろう。高校生ならそれだけで十分に親にとっては衝撃だろう。総司が綱道に向き直ると。
「沖田さん!」
千鶴が総司の名を呼んだ。
こんなにはっきり呼ばれたのは初めてで、なのにふいに体の奥がざわりと動いて、総司は驚いて彼女を見た。
「沖田さん、薄桜市の条例、ご存じですか?未成年条例」
「……!」
知らなかったが、多分成人が未成年に手を出すと条例違反で捕まる云々の話だろう。
「沖田さん、おいくつですか?」
「……22歳」
「成人ですね」
「……」
総司は面白そうに眉を上げると髪をかき上げた。なかなかやるではないか。何かうかつなことを総司が言ったら、千鶴の方も未成年相手に不純なことをした総司のことをバラすというわけか。死なばもろともといった捨て身戦法だが、そういうのは嫌いじゃない。
「そうだね」
じゃあこちらも手加減なしにやらせてもらおう。こんなんで僕を追い払えると思ったら大間違いだよ。
総司はちらりと横目で千鶴を見ると、今度は綱道に向き直った。
「週2で結構です。とりあえず1か月は娘さんの実力を観させてもらって、今後のことはそれからでどうでしょう?」
「え?ちょっ」
あせる千鶴は無視だ。
千鶴と総司の条例などの意味の分からない会話に首をかしげていた綱道は、総司の申し出にもう一度握手をして応えた。
「そうですな。それがいい。じゃあよろしくお願いします。早速ですがいつからにしますか?」
総司はにんまりと千鶴を見ながら言った。

「今日からでどうでしょう?」





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