透明な雫が柔らかな頬をつたっていくのを総司は眺めていた。
その雫は、白く柔らかい頬を後から後からつたっていく。
さよならを告げたのは彼女の方からなのに、泣いているのも彼女の方だった。

泣くくらいなら言わなきゃいいのに。

聞きたくなかったと思っていた自分に、総司は初めて気づく。しかし、どこかでこのままずっと続く関係ではないと分かっていた自分にも気づいていた。
酔っぱらってその場の勢いで一夜を共にして。
そのまま一夜の過ちで終わるつもりだったが何かひっかかるものがあって、その後もずるずると関係を続けていた。呼び出すと何も言わずに来てくれる彼女に甘えていたのもある。総司との夜が彼女の初めてだったという事実から考えても、彼女がそういう関係を喜んでいたとは思えない。だからいつかこういう日が来るとはわかっていたが……

「いきなり連絡もなく家に押しかけてきて、言いたかったのはそれ?」
声がとがってしまうのはしょうがないだろう。千鶴の大きな瞳は、涙をいっぱいためたまま見開かれた。
「す、すいません。何か用事があったんですか?」
「うん。日曜だし、出かけるところだったんだけど」
「すいませんでした。あの、じゃあ……」
千鶴はハンカチで涙を拭きながら会釈をして、総司のマンションの玄関から出ていこうとした。
「ちょっと待って。つまり君は何しに来たの。もう会わないって言いに来たわけ?」
千鶴は総司を見上げ、そして頷いた。
瞳がうるみだし、また大きな粒が彼女の頬をつたった。
総司はため息をつくと、茶色の少し長めの髪をかきあげる。
「つまり、彼女になりたいとかそういうこと?」
「え?」
「いまみたいなあいまいな関係ならもうサヨナラってことでしょ?もっときちんとした関係になりたいの?」
「……」
千鶴はしばらく考えていた。
「きちんとした関係……」
「そう、彼氏彼女」
彼女が頷いたらどうするんだろう。
彼女は面倒なのでしばらく作っていなかったが、千鶴が彼女になりたいと言うのなら……
しかし彼女の答えは違った。
「きちんとした関係、は、もっと駄目だと思います。でも今のままでもダメで……」
そう言うと、彼女の瞳からまた涙があふれた。声がつまって言葉が止まる。
「そ、そもそも、最初から、ダ、ダメだったんです。わかってたのに、私……」
そういうと、本当にごめんなさいと涙声で言って、千鶴は頭を下げた。
意味が分からなくて、総司は眉をしかめた。どういう意味か聞こうとしたとき、玄関のチャイムがなる。と同時に、子どもの声が扉の外からした。
「総司ー!何してんの、早く!」
「今日は闘技場行くんだろ」
「協力プレイしようぜ!」

千鶴が驚いたように見上げると、総司は肩をすくめた。
「そ。これが出かける予定」
「子どもと……遊んでいるんですか?」
「まあね、時々遊んでもらってるよ」
総司が大学から帰ってくる途中で、ネコがいないと大騒ぎしていた小学生の子どもたちとすれ違ったのがきっかけだ。その時はそのまま通り過ぎたのだが、自分のマンションの前の植え込みに、茶色のふわふわの小さな塊がうずくまっているのを見つけた。
『さがしものはこれじゃない?』

以来、その猫の貰い手を探すための張り紙づくりを手伝わされ、ようやく見つかった貰い手に仔猫を引き渡すまで面倒を見、それが縁でなぜか今では一緒にゲームまでする仲だ。大学の計算高い友人面をしたトモダチよりも、こっちの方が楽しいときもある。
子どもと遊んでいると言うとたいていは呆れたようなリアクションをとられる場合が多いので千鶴もそうかと思ったが、またもや彼女の反応は総司の想像を超えていた。
最初から泣いていたのに、さらに激しく泣き出したのだ。
両手で顔をおおい、うつむいて、肩を震わせて。
「ちょ、千鶴ちゃん、なんでそんなに……」
総司が驚くと、千鶴はうつむいたまま言った。
「こういう風に……こういう風に、いつも、あてはまるカケラを探して、見つけると自分の思う場所に勝手にあてはめて……。そういうのは相手に失礼だって、ある人に言われたんです。ほんとにその通りで……でも、カケラを見つけるたびに嬉しくて……でももう終わりにしないといけないんです」
総司に言っているというよりは自分に言い聞かせているように千鶴はそうつぶやくと、顔をあげた。

さようなら。今までありがとうございました。

最後の最後まで泣きながら、それでも彼女はきっぱりとそう言うと、玄関の扉を開けて出て言った。
小学生たちは泣きながら出ていく女性を見て静かになり、玄関の中に立ったままの総司の顔を見、そのまま廊下の角を小走りに曲がっていく彼女の背中を見送り、そしてお互いの顔を見合わせていた。
  











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