その人が軽く腕を上げただけで、ウェイトレスがすぐに来た。
千鶴の時とは大違いだ。
だって目立つから。
昼下がりのかなり混んでいるカフェでも、その人の存在感は大きいのだ。店の従業員だけではなく、客の方も。カフェに入るとまず千鶴の向かい側に座っている人を見る。その後も、女性ならちらちらとみるのだ。頬を赤らめて。
それぐらいその人の顔立ちは整っていて、そして強烈なオーラがあった。
「コーヒーと……お前は何にするんだ」
今も昔も変わらない紫の瞳でそう聞かれて、千鶴は紅茶をお願いしますと伝えた。
土方はウェイトレスに注文を伝えメニューを返すと、ふう、とため息をついてスーツのネクタイを緩める。
「あの、お忙しいなら……」
「いや、かまわねえ。呼び出したのは俺の方だしな。……で、だ」
びくりと千鶴の肩がゆれた。視線をそらす。
「会ってんだろ?総司と」
カフェの木製の床をじっと眺めて返事をしない千鶴に、土方はため息をついた。
「責めるつもりはねぇよ。お前の気持ちもわかるしな。まあだからこそ今日呼び出したんだがな」
「お待たせしました」と軽やかにウェイトレスがコーヒーと紅茶を千鶴の前に置いた。伝票をおいてウェイトレスが立ち去るのを待ち、土方は言った。
「……何回会ったんだ?ってか何週間くらい……いや何か月か?」
千鶴はミルクを紅茶にいれてしばらく言葉を探した。
「梅雨のころだったので……5か月、くらい、です」
「毎日会ってんのか?」
「いえ、総司さんから呼び出されて会って……っていう感じです」
「つきあってんだろ?」
千鶴は首を傾げた。
「つきあって……はないと思います」
土方のきれいな形をした眉が大きくしかめられた。
「なんだそりゃ。都合のいい女ってやつかよ」
「……」
千鶴は両手でティーカップを包むように持つと、うつむいた。土方もコーヒーをブラックのままゴクリと飲む。
そしてしばらく無言だった。
土方は、今日何回目かわからない大きなため息をつくと、思い切ったように言った。
「まあ、何言われるかわかってると思うが……もう会わねえほうがいい」
千鶴の大きな瞳に動揺が走る。
「会いたいのはわかる。わかるが……もっと傷つくだけだ」
土方はもう一口コーヒーを飲んだ。
「総司と会い出したのが梅雨のころっていやあ……山南さんがお前に総司の居場所をおしえたのはいつだったか?まだ寒かったよな」
「1月です。今年の……1月の最後の日曜日」
「お前、山南さんの思うつぼになっちまってるじゃねえか」
千鶴は唇をかんだ。土方は千鶴をじっと見つめる。その紫色の瞳は、深い理解を示していた。
「俺もな、人の事は言えねえんだが……だが、俺の方がお前より先に経験したからな。余計なことかもしれねえが、俺はもう傷ついてほしくねえんだ、お前にも、総司にも」
ずっと視線をそらせていた千鶴が、土方を見た。大きな茶色の瞳には真剣な光が宿っている。
「近藤さんは、何も覚えていなかったんですか?」
土方はうなずき、コーヒーを飲む。
「ああ、まったく。馬鹿だった俺は、新選組の話をふったり、故郷にもをそれとなく連れて行ったりしたんだがな。あれだけのことを一緒に成し遂げたってんのに、えらく他人行儀でなあ」
土方は苦笑いをしていたが、傷ついた影があった。同情するような千鶴の視線に、土方はにやりと笑った。
「全部こっちの勝手な思いなんだよ。現世での近藤さんは、当然だがあの時代とは違う。育ち方も考え方も、出会って影響を受けた人も俺との関係も、もちろん幼馴染なんかじゃねえ。それを受け入れられなくてなあ。特に、あの人は俺にとっては大きな存在だったから、な」
土方は艶のある黒髪をかき上げた。
「なんで思い出してくれねえんだ、俺との思い出や二人で天下取ったのは、あんたにとってそんだけのもんなのか。そんなちっぽけなものだったのかってな。特におれはガキの頃から記憶があって近藤さんをさがしてたからな……っと。それはおまえもそうか」
頷く千鶴に、土方は優しく、しかしきっぱりと言った。
「もう、いねえんだよ」
千鶴が顔をあげると、土方はうなずいてもう一度言った。
「もういねえんだ。俺が大将にしたかった近藤さんも、お前が好きだった総司も」
千鶴の瞳から涙があふれた。
こんなことを土方に言っても土方も困るだけだろう。でも止まらなかった。
「でも、小さいときからずっと……前の人生の時からずっと、先に逝ってしまった総司さんを、私はずっとずっと……っ」
総司さんが死んでしまったとき、自分も死にたいと思った。でもそれは総司さんが悲しむ。だから、一人でずっと生きてきたのだ。あの北の里の小さな家で。総司を思い出し、いなくなってしまった辛さに涙を流し、もう一度でいいから会いたいと、ずっとずっと夜を重ね、季節を繰り返して……。
現世で生を受け、自分が覚えてこうしてここに存在しているのならもしかして総司もと思い、ずっと探してきた。
ようやく本物に会えた時の幸福感。
でもしばらくしたら、それは辛さに変わった。
そうだ、うっすらと気づいていたと思う。総司と会うようになってしばらくしてから……
あれは総司ではない。見た目や声は同じなのに、でも違う人なのだ。千鶴が愛した彼の潔さも一途さも隠した情熱も、現代の青年には無かった。軽やかな笑みやいたずらな言葉は同じなのに……
現世の総司と会っている時にも、彼に重ねて前世の総司の面影を必死に探している自分に、千鶴は気づいていた。
「もう、会えないんでしょうか。わ、私は……何度総司さんを失わなくてはいけないんでしょうか」
えづくように泣き出した千鶴に、土方はどう声をかければいいのかわからなかった。
そうだ、近藤と再会した当時土方も、その事実を受け入れることはとてもつらかった。人生すべてをかけてきた人が昔とは考え方も変わってしまい、相手にとっての自分はその他大勢の一人で……。受け入れてもう会わないようにして別々の道を歩こうと決めるのは、自分の現世と過去を否定することだ。かなりの時間がかかったしひどく荒れた。
決めた後も、土方の胸には埋めることのできない大きな喪失感が消えないままだ。
だから千鶴はもう総司と会わない方がいい。自分と違い千鶴はまだ総司と会い出して間もない。しかも自分と近藤さんとの間とは違い、こいつらは男女の仲だ。深入りしすぎたら自分よりも千鶴は傷つく。そして傷つくのは千鶴だけではないだろう。
「俺もお前も、前世で相手に先に逝かれてるからなあ。前世でのうらみつらみも恋しさも消えてねえ。なのに現世でも一人でそれを抱えて生きてくってのは、な。なんの因果かと俺も神様に恨み言の一つでも言いてえよ」
必死に声を我慢しているが、カフェでひどく泣き出した千鶴は、周囲の注目を集めていた。向かい側の土方が泣かせていると思われているのだろうが、もう別にいい。
今はそれよりも、目の前にいる、前世も現世も過酷な運命に巻き込んでしまった小さな少女をなんとか傷つけずにいたいだけだ。
「山南さんは、自分の実験をしたがってる。総司は山南さんと縁が深いし、恰好の存在じゃねえかと思う。このままお前が総司と会い続けていると、そのうち山南さんが総司に無理矢理思い出させるようなことをしてしまうかもしれねえ。それはお前も望んでねえだろ?」
千鶴は真っ赤に泣きはらした目で頷いた。
「お、思い出して、欲しいですけど……でも……」
思い出してしまった辛さも、自分は知っている。前世の記憶があると現世もとても生きづらい。幸せな事よりも傷つくことの方が多いのだ。それは今、千鶴は身にしみてわかっていた。こんな思いを総司にはさせたくない。その上総司には近藤という存在がある。
「さよならを……さ、さよなら、を、言ってきます」
そう言うと、千鶴の瞳からはまた涙があふれた。
手放さなくてはいけないのだ。何年も何年も抱えてきたこの想いを。
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