夏の真っ青な空を横切る鳥が一羽。

総司はそれを、濡れ縁の柱によりかかって眺めていた。
総司に薪割りを頼もうと思っていた千鶴は、その広い背中を見て声をかけるのをためらった。
きっと新選組のことを考えてる。
近藤さんか土方さんか、新選組のみんなのことを。

江戸の北、会津よりもう少し北のこの土地におちついてから、こんなふうに総司はときどきふっと心がここから飛んでいくことがあった。
明るい緑色の瞳が暗くなって、言葉が少なくなる。
いつもはそんな時は千鶴は総司をそっとしておくのだが、今日は思い切って声をかけてみた。

「鳥になって飛んでいきたいですか?」
「え?」と振り向いた総司に、千鶴はもう一度きいた。
「土方さんのところです。蝦夷にいるってこの前行商の人が言ってましたよね」
「ああ」
総司は千鶴の言っていることの意味がわかった、というように微笑んだ。「土方さんのところは別に行きたくないよ。近藤さんがいるのなら何を置いても飛んでいくけど」
総司はそう言うともう一度笑った。「ああ、でも鳥だったら行ってもなんの役にも立てないなあ」
そして、部屋の中で座っていた千鶴の方へやってきた。
「めずらしいね。あんまり話さないようにしてたよね?あの頃の事」
ん?というように顔を覗き込まれて、千鶴はうつむいた。
「……なんだか、私が沖田さんを縛ってるような気がして。本当はもっと戦いたかったんじゃないですか?」
だって千鶴は見てきた。
京で、闘って戦って命を燃やし尽くしたがっていた総司を。燃焼力の強い蝋燭のように激しく生きたかったはずなのだ。
総司は、ふっと笑って千鶴の頭をポンと叩いた。
「言ったでしょ?僕が戦う理由。近藤さん、そして君。近藤さんがいない今、僕は君のために生きたいと思ってるんだよ」
「でも、じゃあ。もしも、もしもの話しですけど、生まれ変わってまたみんなに会えたら、そうしたら沖田さんはどうしますか?」
真剣な千鶴の瞳を見て、総司はしばらく考えた。
「近藤さんか君か、どっちを選ぶかってこと?」
「そ、そういうわけじゃないです。その、生き方としてって話です。私みたいな普通の人間と平凡でのんびりした人生よりも、もっと……」
総司はため息をつくと、もう一度立ち上がった。「困った子だね」と言われて、千鶴は赤くなる。
「生まれ変わりとか考えたことなかったけど……そうだね、もし生まれ変わったら、もう一度近藤さんには会いたいと思うよ。結局最後は力になれなかったたから、そこは悔いが残ってるしね。近藤さんに会って僕は変わったし、変わった後の方の自分の方が好きだから、生まれ変わった後も近藤さんに出会った方が幸せだと思う」
やっぱり…と千鶴が暗い顔になった。今のこの状況は、総司にとってはベストではないのだ。
総司は濡れ縁の柱によりかかって、今度はこちらを見た。
「でも、近藤さんの夢にもう一度僕の夢を重ねて生きるかはわからないよ。近藤さんを助けられるような人間にはなりたいとは思うけど、僕は君との幸せも知っちゃったし」
千鶴と目が合うと、総司は優しくほほ笑んだ。
「僕は、君を幸せにしてあげたい。僕の手で」
はっきりと言われて、千鶴は目を瞬いた。かあっと頬が熱くなる。総司はそれを楽しそうに眺めていた。そしてふと視線をはずす。

「でも君は……君は、僕と会わない方がいいかもね」

「……」
「僕の事やみんなのことも、思いださない方が幸せになれると思うよ」
「ど、どうしてですか?私、今、幸せですよ?」
「今はそうかもしれないけど、この先はどうなるかわからないでしょ。それにこれまでだってお世辞にも幸せな人生だったとは言えないんじゃない?」
「それは……一般的な幸せとは違うかもしれないですけど……」
「来世は、全部忘れて幸せに平凡に生きてよ。思い出さないってことは、必要ないってことで、過去の記憶なんかなくても、君には幸せになって欲しいな」
突き放すような総司の言葉に、千鶴は戸惑った。
「沖田さん……、私、本当に後悔なんてしてません。今は幸せなんです」
必死になって言いつのる千鶴を、総司は寂しそうな微笑みで見た。
「そう?それならいいけど」
そして気分を変えるように千鶴の手をとる。
「午後も暑くなりそうだから、あそこの小川に行こうか。足をひたすとすずしいよ、きっと」
暗く陰った緑色の瞳が気になったが、千鶴はうなずいた。
きっとこれから二人で暮らして、もっともっと仲良くなれば総司もわかってくれるだろう。
彼との人生が、千鶴の幸せだということを。



ポンとかすかな音がして、机の上に置いてあったスマホが光った。
LINEのメッセージ着信をしらせる合図がちかちかと点滅している。

あんなことを言っていたのに。
忘れたのはあなたの方。
思い出さないのはあなたの方だった。

千鶴はスマホの画面をじっとみる。
総司からだった。
夕飯を一緒に食べようという誘い。
最初で最後にするからと自分に必死に言い訳をして、ようやく探しあてた総司と一夜を共にしたのは昨日のことだった。

思い出さないってことは、必要がないっていうこと。

思い出さない方が幸せになれると言っていた彼。
現世で彼に記憶がないことが分かった時、千鶴はこのまま離れようと思ったのだ。小さいころから探し続けていた人は、千鶴のことを覚えていなかった。そして思い出さない方が彼が幸せになれるのなら。
でも最後に一度だけ。
一度だけでいいから思い出が欲しい。
思い出をもらったら、もう二度と彼の前にはあらわれないから。
そう思っていたのに、LINEの交換を断れなかった。
でも、その時は思ったのだ。連絡すればつながるというデジタルの微かな絆を、持っているだけでいいから、と。連絡などこちらからとらないし、あちらからの連絡があっても返事はしないでいたら、きっと彼との絆は切れるだろう。
でも、LINEを見るたびに、その先に彼の存在を感じられる。感じたくて、千鶴はどうしてもLINEの交換を断れなかった。


ポン、ポンと二度スマホから音がして、総司からさらにメッセージが届いたことを知らせた。
『いまどこ?』
『何が食べたい?』

頭ではわかっていた。このまま別れるのがいい。
でも千鶴の体の全ての細胞が、もう一度会いたいと叫んでいる。

千鶴は震える指で、LINEのアプリを押した。

家にいます。
今からいきます。

最後の送信ボタンの上においた人差し指が細かく震えている。
息が苦しい。

ああ、でも。
押さずにはいられない。
神様、ごめんなさい。
総司さん、ごめんなさい。私を許してください。

千鶴はぎゅっと目をつむり、送信ボタンを押した。









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