【斎藤課長の新婚生活 8】



わずかに開いた隙間。
しっとりと湿って斎藤を誘い入れているようで、思わず舌を滑らせる。
はっ、と小さく息をのむような微かな吐息と共に、暖かく細い体から力が抜けたのを感じた。
斎藤の腹の底から、生々しく熱いものが一気にこみ上げる。
華奢な体を折れんばかりに抱きしめて、斎藤は自分の舌を彼女の中に滑り込ませた。柔らかくぬめる舌をとらえると、脳天に電流が通ったような真っ白な痺れが走る。
斎藤はさらに千鶴の奥深くを探った。
もっと深く。もっと奥に……。それにはこの体勢では思うように動けない。斎藤はゆっくりと彼女を押し倒した。
途端になぜか背景が、左之のイタリアンバーから自宅のベッドルームに変わったが、そんなことはどうでもいい。両手が自由になったのだ。
唇を押し付け彼女を探りながら、斎藤はむしり取るようにネクタイを外しYシャツを脱いだ。そして彼女の胸元のボタン(白のブラウスだ)を外す。
何か言われるかと思ったが、彼女は熱く潤んだ期待するような眼差しで斎藤を見つめるだけだ。
荒くなる息を押さえながら斎藤がボタンをはずしていくと、白いふくらみが現れる。
まぶしいほどの白さ。
腹の底の熱が全身に広がり、斎藤は千鶴の胸から視線が外せない。
先端の魅力的な突起はピンと立ち、斎藤を誘惑している。指で軽くなでると、千鶴の腰がビクリとはね、小さな喘ぎ声が聞こえた。その声が合図のように、斎藤は自分の体を押し付け千鶴の胸にむしゃぶりつく。
「あっ……さ、斎藤さ……ん……!」
「一だ」
一瞬だけ唇を話してそう言うと、吐息が濡れた乳房を刺激したようで千鶴が悶える。
「は、はじめさ……あっ」
斎藤が刺激すると、彼女の声は甘い悲鳴にかわった。
彼女がはいている膝丈のブルーのスカートを撫でおろし、細く滑らかな脚に触れて撫で上げようとしたとき、小さな音が斎藤の狂おしいひと時の邪魔をした。

ピピピッ ピピピッ ピピピッ

何処かで聞いたことがある……目覚ましのアラームか。こんな時に。
放っておけばいいか、と斎藤は再び千鶴の裸の胸に向かうが、頭の片隅で『放っておいてはいけない』という声がうるさい。
『いいのだ。しばらく放っておけば鳴りやむ。それよりこちらの方が大事に決まっているではないか』
『鳴りやんだらまずいだろう。会社に遅刻する』
『遅刻……?……いや、でも、今は……今は千鶴が……千鶴とようやく……』
『それにこんなことの後に彼女と顔を合わせなくてはいけないのだぞ。最後までいってしまったら、お前は彼女の顔を真っ直ぐ見れるのか?』
『それは……』
『だいたいあのキスのあとから1週間経ってるが、お前はろくに彼女と顔を合わせもしなければほとんど会話もないだろう。夕飯も弁当も仕事仕事で逃げている』
『……顔を見ると、どうしても唇に目がいってしまって……』
『今朝は胸に目が行ってしまうのではないか』

斎藤は、自分で自分の皮肉にどんよりしながら目覚めた。
遮光カーテンにもかかわらず朝の光がつらくて腕で目を覆う。
現実が辛い。
先ほどまでは、天国にいたというのに。
当然、斎藤のいつものベッドには千鶴はいなかった。あの脳内の皮肉屋の斎藤が言っていた通り、キスの後ろくに顔をあわせていない。
「……」
斎藤は起き上がると両掌で顔を覆い、ため息をついた。
下半身がガチガチに興奮していて痛いくらいだ。現実との落差に自己嫌悪が増した。


キスをする前、一緒に暮らしだしてからもずっときつかったが、キスをしてから辛さが増した。
想像だけではない唇の柔らかさや抱きしめた時の千鶴の華奢な感触が、夜な夜な、昼間も、四六時中斎藤を苦しませるのだ。最近は仕事中でもぼうっと千鶴との……その……千鶴との、そういったことを想像してしまう。そして千鶴を斎藤の脳内で勝手に扱ってしまっていることにとてつもない罪悪感が襲ってくるのだ。
斎藤の脳内ではもうすでに千鶴と、あんなことやこんなことまでしてしまってる。いつも優しく温かな笑顔で斎藤に接してくれている千鶴の、あんな表情やあんな声まで……

斎藤は首を横に振ると立ち上がった。
リビングに行って千鶴と顔をあわせる前に冷たいシャワーを浴びる必要がある。



コピー機の横にある窓から見えるオフィス街の空を眺めながら、斎藤はまたため息をついた。
気分は、今日の天気と同じどんよりと重い。
今朝もろくに目を合わせることができなかった。
『おはようございます、斎藤さん』と笑顔で言ってくれた千鶴を見て、斎藤は夢の中での『は、はじめさ……あっ』と言った彼女の赤らんだ頬と潤んだ瞳を思い出してしまいパッと顔をそむけてしまった。
多分耳が真っ赤になっていたと思う。
ごまかしようがない斎藤の態度を、千鶴は当然ながら気づいている。

何と思われているのだろうか……

変な男だと思われているだろう。まさか夜な夜な千鶴との……そういった夢を見ているとまではわからないと思うが。
冷たい男だと思われて結婚生活が嫌になってしまっただろうか。それとも楽しい会話の一つもできんつまらん男だと思われているのか。
確かにこれまで、総司たちからはそう言われていたが。
しかし、どうしても後ろめたさが消えないのだ。自分でもなんとかしたいとは思うのだが。いっそのこと高校生の時のようにくたくたになるまで運動し疲れ切ってから帰ればいいのかもしれない。夢も見れないほど運動した後ならよく眠れるだろう。近藤さんの道場に行けば手っ取り早いがここからは遠い。毎日仕事の後にあそこまで通うわけにもいかんしな……

プリントアウトしている資料がコピー機から吐き出されている間、斎藤はぼんやりと窓のを外を見ていた。
「一君!」
不意に元気な声とともに、平助が現れた。相変わらず明るく元気で、今の斎藤にはまぶしい。
「平助か」
「何ぼんやりしてんだよっ。かわいい奥さんのこと考えていたんだろ〜!」
斎藤は真顔のまましばらく平助の顔を見て、そしてまた窓の外を見てため息をつく。
これまでの斎藤のリアクションは、赤くなって「そんなことはない!」と言うか、「またそれか」とうんざりした顔をしていたなのに、今回は違う。平助は何かまずい事を言ってしまったかと斎藤の顔を恐る恐るのぞきこんだ。
「えーっと……一君?なんか俺、まずい事言った……カナ……?」
「……」
まずくはない。図星だっただけだ。返事をするのもおっくうで、斎藤は「いや」とだけ答えるとプリンターから吐き出された資料を集めていく。
平助は気まずいと思ったのかキョロキョロ辺りを見渡した。
「あっ噂をすれば!千鶴じゃん!」
ぎょっとしている斎藤に背を向けて、平助は「こっちこっち」と言いながら、ちょうど通りかかったらしい千鶴を手招きした。
「あの……?」
平助を見て、斎藤を見て、千鶴はおずおずとやってきた。自分が近くに来てもいいのかというように、斎藤の顔を見る。
「いや、一君が元気ないからさ!かわいい奥さん呼んでやれば元気になるかと思って」
「そんな……」
「うらやましいなあっ俺も早く結婚してえよ。夕飯とか一緒に食べたりさ。あ、昼飯も弁当なんだろ?お互いに作り合ってるとかさあ、今日も?」
地雷を次次と踏みぬいた平助に、斎藤と千鶴の間に緊張が走った。
夕飯は、この一週間すべて千鶴は一人で家で食べ斎藤は会社でコンビニのパンなどですませている。弁当も、千鶴は作ると言ってくれてたが斎藤が断ったのだ。千鶴は不審に思っているだろう。
「えっ……と……」言葉に詰まっている千鶴の代わりに、斎藤が答えた。
「いや……今日は……」
「今日は弁当じゃねえの?あ、もしかして二人で外に食べに行くとか?」
「いや」
斎藤は冷たく否定した。
「今は年度末の予算取りの時期だ。忙しい」
取り付く島もない冷たい口調に、平助と千鶴がひるんだのを、斎藤は感じた。そんな自分にさらに自己嫌悪がつのる。これではますます千鶴に嫌われるばかりだというのに、でも自分ではどうしようもない。
「では」
斎藤は資料を持つと、相変わらず千鶴と視線を合わせないようにしてコピー機の前から速足で去った。
残された平助が千鶴と、「なんか……一君、いそがしーのな」「はい、そうみたいで……」と微妙な雰囲気で話している声が聞こえる。
自分でも勝手だと思うのだが、千鶴が何を平助と話しているのかが気になって、斎藤は角を曲がって二人が見えなくなってから立ち止まった。

このような盗み聞きのような真似を……

している自分が嫌だが、自分の態度を千鶴がどう思っているか何かわかるかもしれない。
「ま、一君、真面目だからな」
「そう、ですね」
あっけない会話の後に平助は「じゃ!」と言って反対の方へ去って行ってしまった。このままこの場から立ち去るべきだと頭はうるさく言うのだが、なぜか足が動かない。
何故最適な行動ができないのだ。頭でわかっているにもかかわらず、ここ最近いつもそうだ。自分を律することについては人一倍厳しいと自負していたのに、今のこのざまはどうだ。自分がぎくしゃくしているせいで毎日が暗く重い。
今もそうだ。早くここから去らなくてはならん。千鶴と斎藤のデスクがあるのは当然ながら同じ方向なので、このままここにいると千鶴が……
と、思っている間に角から千鶴が曲がってきた。まさかすぐそこに人が――斎藤がいるとは思っていなかったようでぶつかりそうになり、千鶴は驚いてうつむいていた顔をあげる。
二人の目があった。
その顔をみて、斎藤は衝撃を受けた。

「な、泣いていたのか……?」

何故だ。いや、理由は決まっている。わかりきっているではないか。

俺の態度だ。

自分の気まずさや欲望を隠す事ばかりにかまけて、千鶴の気持ちを考えていなかった。自己嫌悪におぼれて周りが見えていなかった。
急に目を合わさなくなり家ですごさなくなり会話もなくなった新婚の夫と暮らさなくてはいけなかった千鶴。俺はそれよりも自分の気持ちを優先していたのだ。
斎藤は心を決めた。まっすぐに千鶴の目を見る。
千鶴の目じりは急いでこすったのか赤くなり、かすかに涙が残っていた。

「外に……」
「え?」
千鶴の表情が不安そうに歪む。
斎藤の決心はさらに強くなった。
「外に行こう」
千鶴の目が見開かれる。
「昼食だ」
斎藤はそう言うと資料を持っているのと反対の手で千鶴の手をとった。そしてそのままエレベーターに向かう。
「え、でも、……え?まだお昼じゃ……」
「かまわん」
「か、かまわんって……」
おたおたしている千鶴の手を、斎藤は強引に引っ張って歩き続けた。
途中で財布を持ってきていないことに気づいたし、社外秘の資料を持ってきてしまったことにも気づいたが、なんとでもなる。首からぶら下げている社員証にはクレジットカード機能がついているし、資料は目を離さなければいい。
斎藤にとって金よりも仕事よりも今大事なのは、千鶴のことだ。 




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