【斎藤課長の新婚生活 5】
「斎藤君、元気?」
幹部会議が終わり、皆が三々五々会議室から出ていくときに、斎藤は総司からそう声をかけられた。総司の後ろには平助がいる。
「……元気だが。なんだ突然」
「結婚してから斎藤君冷たいからさ。今日あたり飲みに行かない?って誘いに来たんだよ」
平助も口を出す。
「そーだよ。毎週末飲みに行ってんのに、ここんとこさっぱりなんだもんなあ。左之さんもさみしがってたぜ」
「む」
千鶴と結婚して一ヶ月。確かに総司たちと飲みに行っていない。
以前は夕飯も兼ねて一週間に一度は左之のやっているイタリアンの店に行っていたのに。
久し振りだしな。
と、OKしようとしたとき、斎藤はふと今日の夕飯について思い出した。日曜日の昨日、千鶴と一緒に仕込んだカレーと食べようと話していたのだ。粉から作る本格的なカレーで『一晩おいて味をなじませると』とクックパッドに書いてあったので、すぐに食べたいのを我慢して今夜食べようと千鶴と約束していた。
「いや、すまん。今夜は都合が悪い。今夜は………」
と言いかけたところで、斎藤は今朝の千鶴を思い出した。カレーのナベを何度も覗き、不思議な歌まで創作して歌っていた。
『こーんや食べて〜♪あーげるからね〜♪』
「今夜はやめておこう………ふっ……」
唐突にその歌を思い出して、斎藤は思わず吹き出してしまった。
案の定、目ざとく総司と平助にとがめられる。
「なーに笑ってるのさ、やーらしーなあ斎藤君は!」
「うっわー!一君、すっげースケベ顔!」
「何を言っている」
斎藤はあわてて真面目な顔をとりつくろった。スケベなことなど考えていないのだからその批判は言われないものだ。
斎藤の真面目顔を総司がじろじろと横目で見てくる。
「……なんだ」
斎藤が眉間にしわを寄せて総司をにらむと、総司は肩をすくめた。
「いやね、あの斎藤君がさ、どーやって結婚までにこぎつけたのかに興味があるんだよ、僕達みんな。左之さん含め」
「そーそ!」平助も大きくうなずく。「左之さんとこ行くと最近いつもその話になるんだぜ。だって一君って……なんつーか見合いで結婚しそうなタイプじゃん?」
斎藤は首をかしげる。
「なんだ?その見合いで結婚しそうなタイプとは」
「そのー……こう、ぐわああ!って盛り上がって、お前だけしか見えねえ!お前が俺の一生の女だぜっってなって、一緒になろーぜっ!……ってタイプじゃねーじゃん、一君」
「??」
確かにそう言うタイプではないが、それが見合いと、あと、雪村との結婚に何の関係が?
首をかしげている斎藤に、総司が説明した。
「つまりさ、斎藤君、これまでできた彼女もぜーんぶ女の子の方から猛烈アタックで付き合ってる最中も斎藤君は基本受け身だったわけ、僕たちのイメージでは。だから結婚も女の子の方から押して押して落として結婚か、断れない筋からの見合い話で世間体的に最適な女の子と結婚か、そのあたりだと思ってたんだよね」
総司のセリフにうんうんと平助もうなずいている。
「ところが突然まだ20代なのに結婚で、しかも相手は千鶴ちゃんでしょ?付き合ってる素振りとか全然なかったし、いったいなにがどうなってこんな事態になってるのかなってみんな興味津々なんだよ。赤ちゃんでもできたのかと思ったけど、そんな様子はないしさ」
自分がいないときに左之の店でそんな話をしていたのか、と斎藤はヒヤリとした。結婚にいたる理由は千鶴の妊娠疑惑だが、その話をしたら、ではつきあっていたのかということになり、つきあっていないと正直に言った場合、ではなぜそんな事態にと話は当然進むだろう。
それは千鶴と斎藤、お互いの名誉を守るためにも秘密にしなくてはならない。
しかしさすが昔からの友人だ、斎藤のことをよくわかっている。
事情をわかってないなりにかなり的を射た疑問だ。
どう答えようかと斎藤が考えていると、総司が「まあね」と面白そうな顔で斎藤を見た。
「そうは言っても結婚してからの斎藤君、うきうきしてるのが全身からわかるし、さっきもスケベな顔で思い出し笑いとかしてたし、まあ幸せなんだろうなとは思うけどさ」
平助が口をとがらせる。
「だから余計知りたいんだよなー!」
うきうき……
そんなに自分は浮かれて見えるのかと反省しながらも、斎藤は同意せざるを得ない。幸せなのは確かなのだ。
斎藤はコホンと一度咳をする。
「結婚は、いつかはしなくてはならないものだからな。まあ、今回の結婚は適切な時期に適切な相手と問題なくできてよかったと思っている」
斎藤の言葉に総司と平助は目を丸くしてお互いの顔を見合わせた。
「?何か変なことを言っただろうか」
意外な反応に斎藤も驚く。
「いや……なんか……」
平助が驚いた顔のまま首を傾げた。総司もうなずく。「照れ隠しにしても……ねえ…」
「何だ?」
「新婚のウキウキの旦那が言うようなセリフじゃないからさ。こうなってくるとますます結婚に至るまでのいきさつが知りたくなるなあ」
自分のセリフは何か変だったのか?
「いや、その……」
どこがおかしかったのか、どうフォローすればいいのか。自分の発言のせいで千鶴にまで迷惑をかけるようなことになるのは避けたい。
「結婚は……結婚は、いいものだぞ」
これでフォローになったのかどうかわからないが、これはまごうことなき本音だ。
斎藤が真顔でそう言うと、総司と平助は呆れたような、それでもどこかおかしそうに笑うと言った。
「ま、じゃあ正式に仲間内での二次会的なものを開こっか。千鶴ちゃんも呼んでさ」
しかしその4時間後。
総司が小さな声で斎藤に耳打ちした。
「……ねえ、僕、結婚がいいものだとはとても思えないんだけど」
斎藤はずきずきと痛む頭を指で押さえながら、目の前の光景を見てため息をつく。
広い会議室の中には、斎藤と総司。そして斎藤の部下である女性社員と、総司の部下である男性社員。そして男性社員の妻。
妻の方が手のひらで顔を覆って激しく泣き、女性社員の方はうつむいて肩をふるわせ、これも泣いているようだ。そして男性社員はおろおろと両方の女性を見、斎藤を見て総司を見て、また女性を見て……を繰り返している。
要は、総司の担当部下の男性社員が、浮気をしていた。そしてその証拠をつかんだ妻が会社に乗り込み浮気相手(斎藤の担当の女性社員)につかみかかってきた、それを斎藤が取り押さえ、そしてこの会議室での拷問のような話し合い。
誰が見ても一目でわかる、いわゆる修羅場だ。
「……」
何か答えようとした斎藤は、同意するしかなく口を閉じた。
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