【斎藤課長の新婚生活 4】




「千鶴ちゃーん!お昼はお弁当でしょ、一緒に食べーよっ」
千が、美味しいと評判のパン屋の紙袋を掲げて誘いに来た。
ようやく昼だ。千鶴も頷いてほほ笑むと、カバンをもって席を立つ。他に同じ部で外に食べに行かない女子が集まってきて、休憩室に移動した。
総勢6名。
きゃいきゃいとしゃべりながら、窓際の丸いテーブルに座り、千鶴が弁当を取り出すと皆が興味津々で覗き込んできた。
朱色の楕円のお弁当箱に卵焼き、ニンジンの胡麻和え、ミニハンバーグにインゲンと彩りよく詰められていた。ごはんはシャケとノリがかかっている。
「おいしそ〜!!」
「わーっキレイ」
皆が歓声をあげる。

「斎藤課長、すごいですね!!」

……そう、この弁当は、斎藤の手作りなのだ。愛妻弁当ならぬ、愛夫弁当。
千鶴としては「……うん…」と返事するしかない。

千鶴は、引っ越して斎藤と一緒に暮らし始めた最初の出勤の朝、斎藤から弁当箱を差し出された時を思い出す。

『えっ!?お弁当、私のですか?』
斎藤は何でもないことのようにうなずくと、朝食の食器を食洗器に入れてスイッチを押す。
『ああ。差し出がましいかとは思ったがお前の台所用引っ越し荷物の中に弁当箱があったのでなつかしくてつい、な。迷惑だっただろうか』
迷惑なんてことあろうはずがない。千鶴は弁当外食半々、給料日前は必ず弁当という生活だったのだ。
千鶴がぶんぶんと首を横に振ると、斎藤はほっとしたように笑った。
『俺の家は、自分のことは自分でできるように、というのが方針でな。小学校のころから少しづつ食事の作り方や弁当についてしつけられて、中学高校と弁当はすべて自分で作っていた。小さな箱に彩と栄養を考えて好きな食材を詰めるのは意外に楽しくて、妹にも作ってやっていたものだ』
斎藤は懐かしそうに千鶴の弁当を見る。
『それでつい作ってしまったのだ。もしよければこれからも作るが』
そう言ってこっちを見た斎藤の顔には、あきらかに『作りたい』と書いてある。
クリスマスの時の食事も、今日の朝食も斎藤が率先して作っていた。作るのが好きだと言っていたし、実際手際が良くかなりおいしい。
千鶴は頷くしかない。
『あ、りがとう、ございます……』
千鶴も料理ができないことはないが、斎藤ほどの手際は無いし、さらになんというか……『料理』として人様に出して恥ずかしくない物ではないと言うか……。安くて新鮮な食材を適当に焼いたり煮たりした一品料理的なものしか作っていなかった。薫も特にこだわるほうではなかったし。
そうなると当然ながら……



「夕飯も斎藤課長がつくってるんですか?」

ランチの休憩室、昼の光を浴びて爽やかに聞いてきた新人女子社員に、千鶴はあいまいな笑顔を向ける。
「うん。そうなの。いつも作ってもらっちゃっていて……」
新婚の嫁としては立場がない。だがそんなことは気にせず、他の女子たちは大盛り上がりだ。
「そうなんですか!私、沖田課長や藤堂課長から、斎藤課長は料理が上手いって聞いてたんです、雪村先輩、うらやましいなー!」
「でも斎藤さんより千鶴ちゃんの方が帰りが早いんじゃないの?」
「ほら、うちの会社基本『できる奴ほど残業しない』っていう文化じゃない?実際出世してる人達みんな、よっぽど忙しいとき以外は残業しないし」
「千鶴ちゃんがうらやましい〜!」

千鶴はあいまいに笑いながら、完璧に味付けされた卵焼きを一口食べた。
うらやましくない。
色仕掛けもストレートな告白もダメで、あとは女性らしく家事をして斎藤に『結婚してよかった』と思ってほしいのに。これでは本当に同居人……いや世話をしてもらっている分、子どもか妹扱いではないか。掃除や片づけも、斎藤宅は彼らしく効率化されていて、気付いたときにさっさとやれば大して汚れないのだ。せめて洗濯はやらせてほしいと頼んだが、断られてしまった。確かに下着もあるし、千鶴だって自分の服を斎藤に洗濯してもらうのは嫌だ。自分の分は自分でやるしかない。
となると、本当に何もない。
千鶴と結婚した斎藤のメリットが。
何もないのだ!

午後ため息をつきながら仕事をしていると、緊急の案件がでてきてしまい残業になってしまった。
千鶴は斎藤にメッセージを送る。
『すいません、今日残業になっちゃいました』
『ああ、聞いている。俺も少しだけ残るつもりだ』
『そうなんですか?夕ご飯、どうしましょうか』
『俺の方が先に帰るだろうから作っておこう』
『そんな……疲れてるでしょうし、悪いです。何か食べて帰ります』
『いや、適当に簡単なものを作るから大丈夫だ。遅くなりそうなら連絡をくれ』

で、千鶴が残業で疲れた体を引きずって家の扉を開けると、中から暖かい空気といい匂いが溢れてきた。
「……お鍋ですか……」
ダイニングに行くと、机の上で土鍋がくつくつと音を立てている。斎藤は読みかけの雑誌を置くと立ち上がった。
「お帰り、疲れただろう。冷蔵庫にあったものを適当にいれただけだがな。まあ栄養はあるし温まる」
当然ながらお鍋はとてもおいしかった。斎藤は優しくて、後片付けも千鶴が手伝う間もなく『食洗器にいれるだけだ』とあっという間に終わる。
何から何まで完璧だ。斎藤が完璧であればあるほど千鶴のため息は深くなる。

斎藤さんがわるいわけじゃないんだけど……
だけど……

「風呂もわいてるが、どうする?」
とどめを刺された千鶴は、遠い目で斎藤を見た。

深い藍色のVネックシャツにイイ感じに色が抜けたジーンズが細身の体に映える。くっきりした切れ長の目だがどこか甘さがある蒼い瞳。上品に通った鼻筋。見た目もまぶしすぎる。
残業して疲れて帰って髪もぼさぼさ化粧もはげかけた千鶴とは雲泥の差としか言いようがない。

……つりあってない……

それにつきる。
目をそらした千鶴は、ソファの背もたれに脱いだままかけられているYシャツに気が付いた。いつもきちんとランドリーバッグに入れる斎藤らしくない。
脱いだものを片付ける暇もなく、千鶴のために家事をしてくれたのだろうか。千鶴の気分がますます沈み込む。
「……帰ってから、急いで夕ご飯を作ってくれたんですか?」
「ああ、それか。袖のボタンがとれてしまってな。明日、店に持っていこうと思っていたのだ」
「店?」
「そうだ。駅の向こう側にこういった直しをしてくれる店がある」
千鶴はぱちぱちと瞬きをした。袖のボタンって……あのボタンだよね、白い小さい。そのためにわざわざお店に?
「あの……それほど上手じゃないですけど、よければボタン付けならやりましょうか?……いえ、ぜひ!私につけさせてください!」

少しは役にたてたかな……でも別に斎藤さん的には店に持っていけばいいんだし、別に私がやってもやらなくても同じかも……。
ちくちくと白い糸でボタンを縫い付けながら、千鶴は思う。
斎藤さんが完璧すぎるからなんだよね。もう少し……家事がダメとか朝が弱いとか、なにかこう……人間らしい欠点とか足りないところがあればいいのに。
完全に八つ当たりだけど。
「すまないな。一人暮らしが長いゆえ、たいていのことはできるのだが、どうも裁縫は不器用で……できなくはないのだが」
申し訳なさそうな斎藤に、千鶴は針から目を離して彼の顔を見る。
「いいえ、これぐらいほんとにたいしたことないんで大丈夫です」
私が日ごろお世話になっているのに比べれば、ゴミです。ゴミ。
卑屈になった千鶴の思考はどこまでも後ろ向きだ。
千鶴はちくちくと縫うのに集中して、斎藤がそれをじっと見つめているのには気づかなかった。

「はい、完成です」
千鶴が笑顔で糸を切ってYシャツを斎藤に差し出すと、なぜか斎藤はパッと顔を背けた。ついてもいないテレビを興味深そうに見ている。
「斎藤さん?」
千鶴が見ると、斎藤の耳が赤くなっているような……「何か……」
「いや、その……」
斎藤は一度千鶴を見ると、また目をそらす。目じりが真っ赤だ。
「……」きょとんとしている千鶴に、斎藤は気まずそうに言った。

「すまない。その……お、俺の服を、だな、直してくれているのを見ていて、その……ふ、夫婦のようだなと……」

思ってもみなかった彼の反応に、千鶴の瞳になぜか突然涙が込み上げた。
「……うっ……」
「ゆ、雪村!?ど、ど、どどどうしたのだ、なぜ泣く!?何か……何か悪いことを言ったのだろうか」
慌てる斎藤に、千鶴はもう我慢できなくて、ぽろぽろと涙をこぼす。そして同時に、胸に溜まっていた思いもすべて吐き出してしまった。
お弁当を作ってくれて美味しこと。夕ご飯もいつもおいしくて、朝ごはんも。手伝いはするものの斎藤の手際の良さやうまさにはかなわないこと。いつも優しくていろいろしてもらっているのに、千鶴からは何もお返しができないこと。せっかく結婚したのにこんな奥さんじゃあ斎藤もがっかりしてるんじゃないかと不安なこと……


「さ、斎藤さんっに……ひっく、申し訳なくて……っうっ、せっかく結婚したのに、私、全然……斎藤さんにばっかり……」
「雪村……」
斎藤は千鶴の横のソファに座った。
「……すまなかった。ここは俺の家なのだから俺がやりやすいようになっているし慣れている。だから俺の家事全般の手際がいいのは当然なのだ。お前の気持ちに気づくべきだったな」
優しい斎藤の言葉に、千鶴は顔をあげた。手のひらで涙をぬぐっていると、斎藤がティッシュを渡してくれる。
「そんな……私が要領が悪くて……」
斎藤は、深い蒼色の瞳で千鶴をじっと見つめた。その何か言いたげな瞳に、千鶴も泣きはらした目で見つめ返す。
「……俺は……いや、二人とも、夫婦になったのは初めてだからな……」
そして考え込むように目を伏せる。そしてしばらく迷った後もう一度顔をあげて千鶴を見つめた。

「その、お互いに……『分け合う』ということができていなかったのだろう」
「分け合う……」
「そう。辛いことも楽しいことも、重いものも軽いものも、持てるからと言って一人ですべて持つのではなかったな。それが夫婦というものなのだろう」
自分に言い聞かせるように斎藤は言う。その考え方が斎藤にとっても新鮮なことのように。
その瞳が真っ直ぐで誠実で、千鶴は目が離せない。
また涙がじわりと浮かぶ。
でも今度は涙と一緒に暖かいものが胸にこみ上げてきた。

斎藤さんが、好き……

しみじみと、千鶴はそう思った。思ったというより実感したと言う方が正しいのかもしれない。
水を吸い込むスポンジのように、その思いは千鶴の隅々にまでしみこみ、それでいっぱいにしてしまう。
斎藤と『分け合う』、ただ一人の人になりたいというわがままな思い。

「……は、はい……」

千鶴はこみあげる思いを隠すように下を向いて、何度もうなずきながら返事をした。斎藤の蒼い瞳は優しく光り千鶴を見つめる。
「おれも夫になったのは初めてだ。うまくできなかった時はお前が今のように教えてくれ」
千鶴は涙で濡れた目で斎藤を見上げた。千鶴が勝手に頑張って空回りして泣き出しただけなのに、どこまでも優しい。
「……斎藤さんはそれでいいんですか?」
「それで、とは?」
「私なんかと『分け合う』ので……仕事だって家事だって斎藤さんの方が上手なのに。私が分けられるものなんて……」
斎藤は、何だそんなことかと言うようにふっと笑った。その微笑みは、千鶴に受け入れられているという安心感を与えてくれる。
「別に今より楽をしたいから結婚をしたわけではないからな」
斎藤の言葉に千鶴は目を瞬いた。
言われてみればその通りだ。『お嫁さんが掃除や洗濯をやってくれて美味しいご飯を作ってくれて』というのは、千鶴が勝手に思い込んでいただけで斎藤から言われたわけではない。でも世間一般では男性というのはそれを望んでいるのではないのだろうか。
「じゃあ斎藤さんはどうして私と結婚したんですか……?」

斎藤の蒼い、澄んだ瞳が見開かれた。
「それは……」
頭を傾げていぶかしげに見上げる千鶴の前で、言葉に詰まる斎藤。目じりがだんだん赤くなっていく。
「それは……それは……」
しどろもどろになって言葉に詰まっている斎藤を見て千鶴は気が付いた。
「あっ、そ、そうですよね。すいませんっ!妊娠したかもって思ったからですよね。スイマセン変な事聞いちゃって!」
千鶴も真っ赤になって謝った。
わかりきっていたことだったのに改めて聞いちゃった!ばかみたい〜〜!
みるみる赤くなる頬を両手で押さえる。
斎藤は何度か瞬きした後、「……ああ、まあ、……そうだな」とまたもやもごもご言う。そして二人で顔を見合わせてごまかすように笑った。



その後、千鶴の後ろめたさを解消するために、斎藤のお弁当は千鶴が作り、千鶴のお弁当は斎藤がつくることで手打ちとなった。













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