【斎藤課長の新婚生活 3】
斎藤さんと
このベッドで
寝たい。
それはつまり……それはつまり、要するに、そういう事だろうか……?
とぼんやり思った斎藤は、即座にその考えを否定した。
いや、それはない。なぜなら先ほど雪村に『今日はできない』ということを伝えたのだから。と、いうことは、そういう事をせずに共にベッドに俺と寝たいと言う意味になる。先ほど俺が雪村には手を出さない、信用してほしいと言ったことを実行してほしいと……。
いやだがさすがに同じベッド同じ布団に共に寝て触れずに過ごすことは、難しい。もしやそこを、理性の限界に挑戦してくれという意味で言っているのか?
た、試されているということだろうか。
斎藤はしばらく考えた。
試されて堪えられるかと考えると、同じベッドだ。寝返りや吐息、寝顔に体温、甘い匂いに滑らかな髪……そういったものがすぐ隣にあってしかも毎晩で……残念ながら任せておけとは言いきれる自信はない。努力はしたいが……
斎藤は図らずも千鶴の寝姿を想像してしまった。
無防備な寝顔にシーツに散らばる艶やかな黒髪。うなじの白さまで、まるで見てきたように再現される。……いや見たのかもしれんが。
クィーンサイズとはいえ二人が寝れば触れあわずに眠ることなどできない。寝返りを打てば足があたり、手を伸ばせば肩を抱ける。寝ぼけた状態で隣にそんなに暖かでいい匂いの千鶴がいれば……我慢できない。したくない。我慢できる自分でありたいとは思うが……
……やはり無理だ。いや、もしかしたら俺が我慢をするという話ではなく、『生理だろうがかまわず今日、そういうことをしたい』という雪村の意思表示ともとれなくもないが……そもそも生理の時は女性はしてもいいものなのだろうか。これまでは『生理だから』ということで暗黙の了解というかなんというかでしたことはなかったのだが……
目を見合わせたまましばらく時間が過ぎた。千鶴のこの決意を込めた表情。これは何を意味するのかわからない。
斎藤はとりあえず聞いてみることにした。
「な、なにゆえ……その、同じベッドに俺と寝たいのだろうか」
「そっそれは……それは、夫婦は生活を共にし寝るのも食事するのも一緒にするものだって言いますし……そうやってお互いを知って、その……」
やはり『生理だろうがかまわず今日、そういうことをしたい』というわけではなかったとわかり、斎藤はがっかりしたのか安堵したのかよくわからない気持ちになった。
なるほど、夫婦というものはそういうものだから寝床を共にしたい……いやするべきだということだろうか。
「……雪村の言いたいことはわかった。だが、この場合は……それはやめてほいた方がいい」
「どうしてですか?」
勢いよく尋ねられて、斎藤はたじたじとなった。
「なぜなら……なぜなら……」
まさか、手を出してしまいそうだからとは言えない。
「その、先ほども言ったが、今はしばらく様子を見ている状態だ。結婚した理由も子どもができたかもしれないというあいまいな理由で、その……いわゆる普通に付き合った期間を経て結婚したわけではない。つまり、共に寝るほど親密な関係ではないだろう」
「それは……そう、です、けど……」
少し勢いが衰えた千鶴と反比例して、斎藤は少し元気になった。話しながら思いついたことを考えもせず口にする。
「そうだ、それに、その……妊娠していなかったことがわかって思ったのだが、もしかしてあの夜もそういうことはしていなかったのかもしれん」
「していなかった?」
「ああ、あの夜……いや、あの朝、お互いに酔っぱらって覚えていないが、そのそういう……」
「でも、二人とも、は、は、裸で、その、下着も……」
「もっもちろん、その、途中まではいろいろあったのかもしれんが、その」
「途中まで?」
話しながら斎藤は激しく後悔した。会社で同僚としてぐらいしか会話をしたことの無い女性、しかも自分のいいところを見せたい女性、好意を持っている女性を前になぜこんなつっこんだ会話をしなくてはならんのだ。言い出した俺は馬鹿ではないのか。
「と、途中までとは、つまり……つまり、その…服は脱いでその、さ、さ、さ触ったりはしたのかもしれんが、その……最後まで……最後……つまり、男には記憶がなければわからんのだが、女性にはその、後から、わかるのだろうか?その、体の具合などで……」
いかん、どんどんドツボにはまっている。
千鶴は顔を真っ赤にして黙ってしまった。
斎藤は、若い女子社員にあからさまなセクハラトークをしている中年管理職の気分だ。
これは俺が一体前世でなにをした罰だというのだろうか。人斬りでもしていたというのか。だからといってこんな目にまであう因果だとでもいうのか……!
「す、すまない。普段はこのようなことは女性には言わんのだが……」
千鶴は下を向き真っ赤な顔のまま頭を横に振った。
「いいえ、あの……わかりました」
千鶴の答えに斎藤は驚いた。「わ、わかるのか?」
斎藤の驚きに千鶴も驚いたようで、慌ててクビを振り手を振って否定をした。「あ、あ、そういう意味じゃないです。あの私も、わからないです……最後まで、し、したら、私の体がどうなるのか、どうなればその証拠になるのかとか……わからないです。すいません」
斎藤は冷や汗を流しながらうなずいだ。「ああ、そう意味だな。そうなのか」初めてだと言っていたから当然だろう。少しほっとした斎藤は、次の千鶴の爆弾で再び目を見開いた。
「さ、最初がすごく痛いっていうのはなんとなく知ってるんですが、二回目なら痛くないんでしょうか?それならもしかしてもう一回試してみれば、わかるんですか?」
『雪村……っ……はあ……どうだ、…痛いか?』
『あ…あん…っ。さ、斎藤さ、ん……!あ、あ……す、少し……』
『……少し、きつい、な……くっ…やはりあの夜は、何もなかった……の、か?』
『あ、斎藤さん……んっ…!あ……』
『これなら……どうだ……』
『あっあああっそこ、そこは、だめっ……!』
想像した『もう一回試してみた』場面と、期待と、なんやかやで斎藤の頭は瞬時に沸騰した。頭のてっぺんから湯気が出そうだ。
「あっいえ、その、もちろんあの夜が本当かどうかを知るためだけにそんなことをしようとは思わないんですが、その、純粋にどうなのかなって思っただけで……変なことを聞いてすいません!」
千鶴が真っ赤になって頭を下げる。
斎藤はいろいろもう限界だった。ベッドを前にして夜に二人きりで、それほど親密ではない女性と(親密なことはしたのかもしれないが)話す内容ではない。
「い、いや、いい。俺もこんな話をしてしまって悪かった。つまり要は……一緒に寝るのはよくないと思うということを言いたかったのだ」
千鶴は真っ赤になったままうなずいてくれた。
よかった……
斎藤は心の中で神と仏に感謝した。これで、なにもせずに同じベッドに眠ることになっていたら、斎藤はいろんなところがきっとはちきれてしまっていたに違いない。
しかしやはり、その夜の斎藤の眠りは浅かった。
千鶴は廊下をはさんだ斜め前の部屋で、引っ越し前に捨てそびれて一緒に運び込んでしまったたという自分のソファベッドで眠っている。
いつも誰もいない家に人の気配がある……それに慣れていないだけだろう。
斎藤はもう一度寝返りを打つと眠ろうと目をつぶった。そして千鶴との今夜の会話を思い返してみる。
『しばらくこのまま……一緒に暮らして様子をみてみるのはどうだろうか。親戚や会社の様子や……その、俺たち自身の様子も』
生理の話しや女性の体の話しを、結構してしまった。雪村に、女慣れしている不埒な男だと思われなかっただろうか……
下半身がだらしないがゆえに酔いに任せての一夜の関係をよく結んでいる男だと、千鶴に思われるのは嫌だ。浮気性の男を好きな女などいるはずもない。そのせいで、『様子を見た』後に、結婚生活が終わってしまうのは本意ではない。『様子を見て』できればこのまま結婚生活を続け、本物の結婚にしていきたいのだ。
幸い、千鶴が結婚相手に望む条件を斎藤は満たしている。生活が上手くいき、あの一夜の過ちは本当に斎藤にとっては一生に一回のアクシデントだったのだと分かってもらえれば、千鶴を本当の妻にできる可能性が高くなる。
お、俺としては 『……その、俺たち自身の様子も』 のところに、そのあたりの希望も込めて勇気を出していってみたのだが、雪村は気づいてくれただろうか……
斎藤は眠れないまままた寝返りを打つ。
千鶴は当然ながら斎藤のささやかな告白に気づいておらず、引っ越し疲れから別室のソファベッドでぐっすりと眠り込んでいた。
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