【斎藤課長の新婚生活 2】




『女の子のあこがれだと思うんです。本当に理想の旦那様っていうか……逆に私なんかでいいのかなって』

だから、あんな不自然な形で結婚するなんて斎藤さんに申し訳ないって思って断ろうと思ったんです。
でも……
斎藤さんのことをもっと知りたいって思って。
もっと知って仲良くなって、私のことも知ってほしいです。
……今夜からは、もっと個人的に、親密になりたいです。


そう言おうと思ったのに。
斎藤はなぜか最初の一文の後で、すぐに納得したように大きくうなずいた。だからその先が言えなくなってしまった。
私のことを少しでも……その、女として好きになってほしい。そのためのまず第一歩。
告白だ。
大きな一歩を勇気を振り絞って踏み出そうとしたのに、あっけなくかわされてしまった。
そしてどこか納得したように、結婚の条件などと言っている。

わ、わざと……じゃないよね……?

まさかとは思うが、千鶴の気持ちが迷惑で気づかないふりをして話をそらした……なんてことはない、と、思いたい。
ひやりとした心をを抑え込んで、千鶴は再び顔をあげる。
こんなことでくじけていては、社内でも競争率トップを争う斎藤課長を振り向かせることなんてできない。前進あるのみ!
言葉での告白は今はタイミングがもうつかめないから後にするけど、今はすっごいチャンスな気がする。最初が肝心というのはまさに今のためにあるような言葉だ。
次の手は……決まっている。
女の武器だ。

残念ながら武器といえるほどの強力なモノは、千鶴にはない。得意分野とも言えない。
が、『男と女が二人きりで』『夜に』『同じ部屋に』、いるのだ。間違いが起こらないはずがない。その上、千鶴と斎藤は世間的にはじゃんじゃん間違いおかしていい関係なのだ。というよりそれはもう間違いではない。夫婦なら当然やることで……

千鶴は頬がぼっと熱くなるのを感じる。
大丈夫!記憶は全くないけれど、千鶴はもう経験者のはず。
「あの、それで……」
千鶴はちらっと壁にかかっている時計を見た。「もう遅いですし、そろそろ……」
千鶴がそういうと、斎藤はすぐに気が付いてくれた。
「ああ、そうだな。寝室はこちらだ」
と言い先に立って歩き出そうとして、斎藤は足を止めた。気まずそうな表情で耳が真っ赤になっている。
「その……寝室はこちらなのだが……雪村は知っていると思うが……」
もごもごと後半は言いにくそうに口ごもる。そして千鶴を促すように廊下を歩いていく。
寝室の場所は知っている。あの朝は寝ぼけ眼に動揺の極致で逃げ出したのでよく覚えていないが、今日の引っ越しで何度か入った。
フローリングの床に、毛足の長い暖かそうなグレイのラグ。部屋は男性の寝室らしく落ち着いた色で整えられていて壁に作り付けのクローゼットらしき扉がある。部屋の一方には大きな窓。紺色の地に細い白のストライブのカーテン。壁のもう一方には大きな本棚があり本やノートパソコンや様々な小物が置いてある。
そして部屋の真ん中にはクィーンサイズのベッドが一つ。
薄いグレーの羽根布団に白のパイル地のシーツ。……あの朝と同じだ。
「……」
二人の間に沈黙が訪れる。お互いにあの朝のことを思い出しているのだろう。
それと、考えなくてはいけないことはまだある。

今夜はどうするのか。
今後はどうするのか。

千鶴はゴクリと唾をのんだ。
今しかない。
「わ、私っ…!」
気合を入れすぎて思わず声が上ずってしまった。隣で固まっていた斎藤がビクリと千鶴を見る。
千鶴は、コホンと咳ばらいをし、深呼吸を一度する。顔が真っ赤なのは自分でもわかるが、もうどうでもいい。

「……私、こ、ここで寝てもいいんでしょうか?」

「……う……」
斎藤がうめいた。目を見開いて千鶴を凝視している。
「……だ、だめ、ですか……?」
恐る恐る下から斎藤を見上げる。
『据え膳食わぬは男の恥』ということわざがあるように男のひとは基本そういうことは歓迎な人が多いと思っていたが、千鶴の頭でっかちの知識に過ぎないのかもしれない。斎藤さんは、そういうのは嫌な人なのかも……
長引く沈黙に千鶴が不安になった時。
「ダメではない」
力強い返答だった。千鶴はほっとした。
「よ、よかった、です……あの、はい。ほんとうに……」などと意味の分からない言葉をつぶやきながら、斎藤の顔を見られずにベッドを見たり自分の足元を見たり。
女の武器を使ったとはいえないかもしれないが、とりあえず一歩前進だ。次のステップにはどうやって進めばいいのかわからないが……。
何か色っぽい事を行ったり仕草をしたりすればいいのだろうか?
ブラウスの襟元のボタンをあけたり?……今着てるのはトレーナーだけれど。
斎藤はどうやって誘われるのが好きなのだろうか。悪女っぽい感じか清純な感じか小悪魔っぽい感じか……。誘われるよりも誘う方が好きだとしたらどうすればいいんだろう。とりあえずは、同じベッドに寝ていれば自然にそんな雰囲気になるものなのだろうか。
「あの、このベッドで……」
寝てもいいんですか?と重ねて聞こうとした千鶴をさえぎるように、斎藤が言った。

「大丈夫だ」

「え?だ、大丈夫?」
斎藤は大きくうなずく。
「そうだ。信頼してほしい。……その……雪村とは結婚したが、まだ、その……そこまで関係が深まっていないのはわかっている。そういう関係でつきあったこともないのに、夫婦になったからとそれだけの理由でいきなり、そういう事を求めるようなことはしない」
千鶴は目を見開いた。
え?
斎藤は千鶴の驚いた顔をどう思ったのかもう一度小さくうなずく。
「そうだ、その、酔っぱらってあのような事をしでかしてしまった俺が言っても信用してもらえんかもしれんが、俺はそもそもこういうことは……きちんとした方が良いと思っているのだ。寝る場所は、その、雪村が嫌でなければもちろんこの寝室を使ってもらってもいいし、それには抵抗があるようなら別の部屋に布団を敷いてもいい……あ、いや、余計な布団はないから今夜は寝袋くらいしかないが……いや、それならおれが別の部屋で寝袋で寝るから雪村はこのベッドに寝ればいい」
「えっと……じゃあ、今夜は、その、そういう……夫婦としての……そういうのは、ないってことですか?」
斎藤はぐっと驚いたように顎をひき、『う』というような変な声をだした。そして、真面目な顔でうなずく。「そうだ。安心してほしい」
「……」
「それに……」
言いかけて斎藤は言葉を止めた。そして視線をそらし目じりを赤くしている。
「それに……なんですか?」
「その……先ほど、……せ、生理が始まったといっていただろう?なので、その……どちらにしても今夜は……」
「……生理……」
千鶴はぽかんと口を開けた。
「せ、生理だとできないんですか?」
斎藤は言葉に詰まったようだ。ゴホンと咳ばらいをして顎のあたりを気まずそうになでている。
「い、いや……できない、というわけでもないのだろうが……あまりしないのではないだろうか。いや、ほかの者たちがどうしているかはよくは知らんが……」
「そうなんですか……すいません、私、よく知らなくて……」
「……」
「……」

ベッドを前に新婚初夜のいたたまれない会話。
斎藤はどこかほっとしたような様子だったが、千鶴はどんよりと落ち込む気持ちを止められない。

こ、断られちゃったのかな……
斎藤さんが言ってるのは、ホントにその通りなんだけど……

そのあたりからなし崩し的になんやかやと仲良くなれるのではともくろんでいた千鶴の計画は破たんした。
先ほどの言葉で告白しようとしたのと、今回のこれ。どちらも斎藤がその気がなく、千鶴の気持ちを知りつつうまくかわした、というわけではないと思いたいが……。
好きな人の前で身も心もなげうって告白しようとしていた千鶴には、斎藤の言動を客観的に判断する余裕はない。
もし遠まわしな拒絶だったら……ううん、本当に言葉通りにこの状況で女である私のことを気遣ってくれているのなら……それは、斎藤さん会社でも紳士だし……ありうるよね、すごく。

千鶴の心が激しいアップダウンを繰り返していると、斎藤が聞いた。
「それで……どうする?」
「……どうする?」
何を?という様に頭を傾げた千鶴に、斎藤は続けた。
「その、別の部屋でお前が寝袋で寝るか、それともこのベッドをお前が使っておれが別の部屋で寝袋で寝た方がいいか。もちろんベッドか布団は週末にもう一組用意するつもりだがとりあえず今は寝袋しかないのだ。ああ、一応シーツや布団は新しいのがあるから、このベッドで寝るのなら代えるが……」

千鶴は腹を決めた。一度ならずも二度も砕けたのだ。ならば三度目に砕けてももうこうなれば一緒だ。

「わ、わ、わわ私、このベッドで寝たいです……っ」
「そうか、なら俺が別の部屋で……」
斎藤の返事にかぶせるように千鶴は言った。

「斎藤さんと」

言いかけた斎藤の口がポカンと空き、蒼い二つの目が真ん丸に見開かれて千鶴を見たのがわかった。













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