【斎藤課長の新婚生活 24】
斎藤とともに社長室に行くと、秘書の山崎が近藤にすぐに話を通してくれた。
社長室なんて一度も来たことがない千鶴は、きょろきょろとあたりを見渡す。高価そうなキャビネットや机。部屋中央にはゆったりとしたソファのある打ち合わせスペース。
近藤はいつもの気持ちのいい笑顔で出迎えてくれた。
「やあ、斎藤君に雪村君。よく来てくれた。すわってくれ。今トシも呼んでいる」
斎藤と顔を合わせ、千鶴はふかあっとした黒い革のソファに座った。
「で?どうしたんだ今日はそろって」そして斎藤の顔を期待を込めた瞳で見る。「退職について考え直してくれたのか?」
斎藤は気まずそうに視線をそらすと、「いえ、実は……」と言いかけた。
その時、社長室の扉が開き、土方が入ってくる。
「お前、今日休みって聞いてたが」
いきなり指摘されて、斎藤はうろたえた。千鶴も勝手に顔が赤くなってしまう。
「……」
近藤と土方はそんな二人を見て顔を見合わせ、ため息とともに苦笑いで流してくれた。
「それで?二人そろって話があるって、いったいなんだ?」
優しいまなざしでそう促され、斎藤はようやく二人の顔を見た。
そして斎藤らしい誠実な言葉で、やはり退職することに決めたと告げた。
土方と近藤は、その言葉を、真剣なまなざしで受け止めた。土方は寂しい笑みを浮かべる。
「……なるほど。やっぱり俺たちの道は、ここで別れちまうってことだな」
土方がそう言うと、斎藤がうなだれた。
「……申し訳ありません」
「おいおい、別に謝ることじゃねえだろ。おまえが自分の頭で考えて決めたことに、ケチをつける気はねえよ」
近藤もうなずいた。
「残念だがな」
「散々お世話になったにもかかわらず御恩を返せず、申し訳ございません」
頭を下げる斎藤に、土方が苦笑いをした。
「……なあ、斎藤。俺たちから離れるってことを、そこまで申し訳なく思うことねえんだぜ。大企業終身雇用の時代は終わったんだ。これからはおまえんとこのような個人事業の時代がくる。……おまえの選んだ道は、間違ってねえよ」
その言葉に斎藤が感謝を表すように頭を下げる。近藤と土方も、しんみりと斎藤を見ていた。
「……で、千鶴、おまえはどうするつもりなんだ?」
「私は……」
こんな流れの中で心苦しいけど、言うしかない。斎藤をちらりと見ると、優しい笑顔でうなずいてくれた。
「私は……斎藤さんと一緒に行きます」
二人で近藤に会いに来た時点で、近藤と土方はわかっていたのだろう。千鶴が退職することについても快く了承してくれた。
『これからいろいろあるだろうが、君たち二人ならだいじょうぶだろう。何か私にできることがあればいつでも連絡してきてくれ』
『夫婦仲良くな。ガキができたら見せに来いよ』
近藤と土方から、まるで旅立つ家族に向けるような温かい言葉をかけてもらい、斎藤も千鶴も目が潤んだ。土方も近藤も、心なしか目が赤くなっているような……
「いい方達ですね……」
「ああ。俺達は本当に果報者だ」
二人で会社での日々をかみしめながら、夕暮れの街を歩いてマンションについた。
この前にここを出た時はもう離婚目前で、口もきかずに出て来たっけ……
千鶴が思い返しながらエレベーターを出ると、部屋の前に人影が見えた。斎藤も気が付いたようで立ち止まる。
「あれは……」
「誰でしょうか?」背の高さやシルエットから女性のようだ。
「妹だ」
斎藤はそう言うと速足でそのシルエットへ向かう。「え?」と驚いて千鶴もあと追う。近くまでくると、そのシルエットは確かに何度か会ったことのある斎藤の妹だった。
「どうしたのだこんな時間にこんな場所で――」
「どうしもこうしたも、兄さんを待ってたのよ、昨日から!」
唐突に現れた妹は、ぷんぷん怒っていた。
部屋にあがってもらってお茶を出して話を聞くと、どうやら妹は昨日、斎藤に話があってこちらに来たらしい。しかし斎藤は帰ってこず、しょうがなく近くのビジネスホテルに泊まったと。会社に電話したところ休んでいるとのことだったが、
「千鶴さんは今日の午後研修から帰ってくるって会社の人が言ってたから。兄さんがどこにいるか聞こうと思って待ってたの。どうして携帯にも出ないのよ!」
「あ……」
斎藤はあわててカバンをさぐる。携帯はとっくに充電が切れていた。千鶴とのあれこれで夢中になっていて、すっかり外界のことを忘れていたのだ。
「すまなかった、いろいろ……バタバタとしていたのでな。で、どうしたのだ?実家で何かあったのか?」
斎藤が水を向けると、妹は大きくうなずいた。
「兄さんは会社を辞めなくていいって言いに来たの」
斎藤と千鶴は顔を見合わせた。
「いや、それについてはもう会社には……」
たった今、夫婦そろって会社を辞める許可をもらってきたばかりだ。
「家は私が継ぐから」
妹の発言に、千鶴もそして斎藤も目を見開いた。
「会社、昔からずっとお世話になってた近藤さんとお友達とのでしょ?やりがいがある、仕事が面白いって前に言ってたじゃない。千鶴さんだって、仕事してるんだし。あんな地縁血縁が絡みまくった土地にいきなり越してきて斎藤家当主の妻なんてたいへんよ。その点私は娘だし、ずっと慣れてきてるしね」
「し、しかし……女が当主などと、皆は何と言っているのだ?お前や家族がいいといっても、親戚や会社の役員は……」
「いいのよ、それはもう。もちろん全部もろ手を挙げて賛成してくれてるわけじゃないけど、しょうがないじゃない?これからゆっくり説得して認めさせていくから。兄さんたちはもう気にしなくていいの。振り回して悪かったって、父さんも母さんも言ってたわ」
「い、いやしかし…」
「何よ、嬉しくないの?兄さんのためにもなると思ってわざわざ知らせに来たのに」
ぶーっと膨れた妹に、斎藤は茫然としたままうなずいた。
「……そう、そう、か。それはありがたいが……」
女性が当主というのはよっぽどのことなのだろう。でも妹はやる気満々だし、千鶴が見ている分では十分に斎藤家当主の実力はあるようだ。だって、今、堅物の斎藤がすっかり説得されているではないか。
「一さん」
千鶴が小さく呼びかけると、斎藤ははっとした。
「な、なんだ?」
「よかったですね。……それとも、やっぱり実家に戻りたいですか?」
斎藤はしばらく考えて、首を横に振った。
「いや、俺個人の希望は、我がままを許してもらえるのなら今のまま……ここで暮らしていきたい思っている。近藤さんと土方さんのもとで。お前も一緒に」
斎藤の答えに千鶴はうなずいた。
千鶴はもうどちらでもいいのだ。斎藤と共に人生を歩めるのなら。
「だが……」
斎藤が続けた言葉に、千鶴はまだ何か問題があるのかと彼の顔を見る。斎藤の表情は暗かった。
「なんでしょう。何か心配事が?」千鶴が聞くと、妹も気づいて斎藤を見た。
「何?何かまだ問題があるの?」
「いや、問題は、ない。だが、会社がな……」
苦々しくそいう斎藤に、千鶴はハッとした。確かにそうだ。つい先ほど、会社で。近藤と土方と共に感動の別れをし暖かく送り出してもらったばかりだ。
そりゃあ実際に辞めるのはまだしばらく先だから、明日会社に行って『昨日言ったことはナシで』とは言える。近藤も土方も喜ぶだろう、が。
「……言いにくい、ですよね」
「ああ……」
『……おまえの選んだ道は、間違ってねえよ』
ここまで言ってくれて暖かく送り出してくれた、土方の笑顔。
「土方さんに何と言えばいいのだ……」
斎藤課長の苦悩は、まだまだ続く。
【終】
ながーーーーい間、本当にありがとうございました!
拍手、コメント、とってもとってもとっても嬉しかったです!斎藤さん、大好きなのに苦しませてばっかりでスイマセンでした<(_
_)>
あとがき
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