【斎藤課長の新婚生活 15】
新幹線の窓に映る景色を、斎藤はぼんやりと見つめていた。
窓の外は夜。外が暗いため窓ガラスにはぼんやりしている自分の顔が映っていたが、斎藤の目には入っていなかった。
どうするか
もう何度もした問いだが、八方丸く収まる解はいまだ出ていない。
千鶴に早めに言った方がいいだろうか。いや、だがまだ実家にも正式には言ってないし会社にも何も言っていない。こんな段階で千鶴に言うのは、いたずらに戸惑わせるだけでは?
だが、斎藤の心はもう9割がた決まっていた。後はそれを周囲に説明して納得してもらったうえで行動に移すだけ。
千鶴は何と言うだろうか。
それが一番不安だった。デートにもまだ一度しか誘っていない。この前の金曜日の食事は、千鶴はとてもうれしそうにしてくれて斎藤も幸せだった。帰りも手をつないで帰り、別々の部屋に寝に行くのがさみしいくらいだった。千鶴もそう思ってくれたようで、少し二人でリビングで飲んで、そして別々に寝た。廊下でキスをして抱きしめて……このまま自分のベッドに千鶴を誘っても、きっとOKしてくれるだろうとは思ったが、斎藤は我慢した。
ものの本によると、デート一回目で手を出す男はダメなのだそうで、斎藤は我慢したのだが。最低でも3回。そうでなければ、体目当ての軽い男認定をされてしまうそうだ。ネットにもそう書いてあった。
あと2回か……どこに行くか。
次は映画だと左之が言っていたし、映画がいいのだろう。今、どんな映画をやっているのかまったくわからんが、千鶴をまず映画に誘って何が観たいか聞けばいいのか?いや、それはおかしいか。『俺はこの映画が見たいので見に行くつもりだが、千鶴も一緒に行かないか』の方が、本当に映画を見たい人だと思ってもらえるのではないか。
……いや、別に本当に映画を観たいから千鶴を誘っている、と別におもわれなくてもいいのか。逆に、映画はなんでもいいが千鶴と一緒に同じことを楽しみたいということを伝えられた方が多分いい。では、一緒に何を見るか考えて……
そこまで考えて、斎藤はハッとした。
新幹線の窓ガラスに映っている自分の顔をまじまじを見て、ため息をつく。
いや、しばらくはデートはできないかもしれん。生活が落ち着くまでは……。いや、その前にまず、千鶴に話して……いや、その前にそもそも会社と実家に……
どの順番に話せばいいか考えがまとまらないまま家に帰った斎藤は、千鶴の笑顔に迎えられた。
「お帰りなさい!」
夜もかなり遅い時間だったため、千鶴は寝る時に着る楽そうな部屋着だ。明日も会社なのに寝ないで待っていてくれたのかと斎藤は嬉しかった。
「ただいま」
最初は気恥ずかしかったこのセリフも、今は普通に言える。
「実家はどうでした?」
何気なく聞かれて、斎藤は思わず答えた。
「ああ、いや……そうだな、千鶴に話があるのだが……」
「なんでしょうか?」
「……いや、長い話になるしその前にいろいろ調整しておくこともある。もう遅いし、来週の週末にでもゆっくり……」
そうだ、その方がいい。こんな夜遅く疲れている時ではなく、朝、頭がすっきりして世界も明るいときに話した方が、前向きに受け止めてもらえる気がする。来週末に話すのはいいアイディアだと斎藤は心の中でうなずいた。
しかし千鶴が困った顔をしている。
「あの、でも、私……新しいシステムの研修に行かないといけなくて……斎藤さん、知ってますよね?」
言われて斎藤はパチパチと目を瞬いた。
「ああ、……ああ、そうか。来週の水曜日からだったな」
千鶴が主に受け持っている担当業務のシステムが新しくなるので、全社から担当者を集めて一か所で研修をするのだ。斎藤も課長なのでそれは当然知っていたし、斎藤の課からも一人研修に出すことになっている。
「そうなんです。前に一緒に夕飯を食べに行った私の同期の支店で1週間」
「なるほど……」
斎藤は、先日休憩室で千鶴と妙に仲好さげに話していた若い男を思い出した。
見たことがない顔だと思っていたが、その支店の男だったのか。では研修の事前打ち合わせで本社に来ていたのか。確か、研修の場所はここから新幹線で2時間、在来線で1時間行ったところにある、海の近くの辺鄙な支店で営業よりもこういった社内システムの開発や管理をしている部署だ。
「だから、来週末は私はいなくて……」
「そうか」
それならば下手にこんな『話しがある』というような予告は言わない方がよかった。だが後の祭りだ。
「あの、気になるのでできれば今教えてほしいです」
それはそうだろう。
タイミング的にあまりよくはないが、ここは千鶴に言うしかあるまい。
斎藤はソファに座った。千鶴は向かい側にあるオットマンに緊張した顔で座る。
「何かあったんですか?どなたかの体調が悪いとか……?」
「いや、そうではない。実は……」
そこまで言いかけて、斎藤は何から話せばいいのかしばらく考えた。
「実は、俺の叔父……つまり、父の兄は、政治家でな」
千鶴はうなずいた。「はい。国会議員さんなんですよね」
「そうだ。叔父の後は叔父の息子……つまり俺のいとこが継いで政治家になることになっていたんだが、そのいとこが急に、政治家にはならないといいだしたそうだ。叔父は別にむりやり息子を政治家にさせるつもりもないが、支援してくれている地元の人の手前、誰か後継者を作る必要がある。それで、俺の弟に相談があった」
「弟さん?」
「そうだ。もしやる気があるのなら、しばらくはカバン持ちの秘書として修業をしないかと」
「でも弟さんは、斎藤さんの実家の当主になるんですよね?」
「ああ。それは俺の家族の間でそう決まっていて、千鶴にも説明していたのだが……」
斎藤は言い淀んだ。しばらく視線をさまよわせてから、もう一度千鶴を見る。
「だが、弟はやりたいと思っていると俺は思うのだ。それに、弟は政治家に適正があると思う」
「……」
「兄バカではあるが、弟は日本についてちゃんと信念を持っていて人徳もあるし謙虚にいろんな意見を受け入れて政治に反映させることができる力もあると思っている。そうだな……うちの会社の近藤さんを思ってもらえればいい。弟はあんな感じの奴でな。もともと小さなころから政治家の適正はあるといわれてはいたのだが、叔父にも息子はいるし、うちの実家も長男の俺が家を出てしまったので当主が必要だし、で今のような状態になっていたのだがな」
斎藤は、膝の間で組んでいた自分の両手を見た。
「叔父も、無理やり弟に政治家にならせようなどとしていない。父も母も弟も、もう弟が斎藤家の当主であることは決まっているので、政治家にはなれないと叔父に返事をするつもりのようだが……」
「斎藤さんは、弟さんに政治家になるように勧めたいんですね」
千鶴が後半を引き取ると、斎藤はうなずいた。
「そうなのだ。だがそうなると当然、斎藤家の当主に俺がならなくてはいけない」
「当主に……」
「そうだ。だから俺は仕事を辞めて、実家に戻ろうと思っているのだ」
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