【斎藤課長のオフィスラブ 5】




千鶴が一人で出ていくのを確認して、斎藤も席を立った。
千鶴たちの席の後ろを横切るときに、鈴鹿千と昨年の新入社員の男が話しているのが耳に入る。

「も〜!鈴鹿さんが変な話を振るから、俺、雪村さんに誤解されちゃったじゃないですか!」
「ごめんごめん!でもそういう考えなら別に誤解じゃないでしょ」
「でも、俺はそんなことはしないですよ!好きな子ときちんと真面目に付き合うタイプなんです。雪村さんにそう言っておいてください」
「何?千鶴ちゃん狙ってるの?」
「狙うとかそういうのじゃないですけど!でも雪村さん、かわいいじゃないですか。そんな誰彼かまわず手を出すような男だと思われたくないんですよ」
「わかったわかった、ごめんね。ちゃんと言っとく」

そうだ。雪村はかわいい。
狙っているやつも結構いるだろう。

斎藤は速足で部屋を出ながら、すれ違った人に軽く挨拶をした。
「あの、斎藤課長、あの案件で……」
「すまない。少し急いでるんだ。後で電話をする」
斎藤はそういうと、1階にあるコンビニへ向かってエレベーターの方へ足を向けた。

雪村を狙っているやつらをを出し抜いたのは、嬉しくないと言えばうそになるが、こういった形では嬉しさも半減だ。
昨夜のことを何も覚えていないのも、さらにその嬉しさを半減させて、さらに自責の念と一体自分は昨夜何をしたかの不安を足せば、収支は大赤字だ。

とにかく恥を忍んで雪村と話さなくては。
昨夜を覚えていないことを伝えて、何をしたのかを聞いて……いや、その前にまず謝罪だ。だが、双方合意の上でああいうことになったのだったら謝罪は逆に失礼か?
しかし斎藤は自分をよく知っていた。
あの祝賀会までの千鶴との関係の深さ(浅さ)で、1時間か2時間そこらで千鶴を口説き落として合意をとってああいうことまで進めることは、たとえ酒が入っていようが自分には無理だと確信をもって言える。

一体何があったのかを確認し、千鶴に不愉快な思いをさせていたのなら謝り、今後について話し合わなくては。
斎藤が急ぎ足でエレベーターへ向かっている途中、ふと視界の端に千鶴が今日来ていた赤いカーディガンが見えた。脇の通路だ。
普段使わない資料保管室へ続く奥まった通路。その赤いカーディガンはそちらへ行く角を曲がって見えなくなる。
斎藤は後をおった。
「ゆ、雪村」
斎藤も角を曲がりそう呼びかけると、千鶴はびくりと体を震わせた。
その過敏な反応に斎藤も驚く。やはり自分は昨夜、何かひどいことをしたのだろうか。焦りにじわりと額に冷や汗が浮かぶのを感じた。

「雪村、その……すまない、話がしたくて……」
千鶴はおびえるような瞳をしていた。
斎藤は言葉に詰まる。こんなにおびえさせるようなことを俺はしたのか?
「その……昨夜の…ことなのだが……」
斎藤がそう言った途端、千鶴の瞳からぼろっと大粒の涙がこぼれた。

斎藤はぎょっとした。

顔をゆがませるでもなく目を見開いたまま、ぼろぼろと次から次へと涙が零れ落ち、白い柔らかそうな頬を伝って滴り落ちる。
「ゆっ雪村……」
話しかけただけで泣かれるとは、いったい……
「俺は昨夜……」
「あの、私……」
千鶴が強めの言葉で斎藤をさえぎった。
そして自分の両腕で守るように自分を抱いて視線を逸らしたまま言う。
「私、もう、……昨日のこと、忘れたいんです。その、バカなことをしたって自分でも思ってて……すいません。もう、その話は、し、したくなくて……」
やや早口のこわばった口調。

斎藤はクリスマスイブの時の、千鶴のくつろいだ笑顔を思い出した。斎藤の口下手な話に、本当に楽しそうに笑ってくれていた。
あの時となんと違うのか。いったい俺は何ということをしでかしてしまったのか。

いくら後悔してもし足りない。
「その……そうか、いや、俺はただ……」
呼び止めた理由を説明しようとしたが、千鶴が体をこわばらせているのを見て、斎藤はやめた。
「いや、いいのだ。すまなかったな」
「……」
「……じゃあ……」
さよなら、も変だし、またな、も変だ。
斎藤はもごもごと切り上げる言葉をつぶやくと、そのまま踵を返した。








それからは、どこかぼんやりとした時間が過ぎた。
仕事はちゃんとした。課長としての職務も果たしたと思う。
斎藤が席に戻って5分ほどしてから、千鶴が自分の席に戻ったのを目の端で確認した。千鶴が敢えてこちらを見ないように意識しているのを感じる。

バカなことをしてしまった……

斎藤は抜け殻になったような気分だった。
少し前まで、千鶴と会えるのが会社に来る楽しみの一つになっていたというのに。その女性からとことん嫌われ、さらには多分傷つけもし、もう顔も見てもらえなくなってしまった。

『一君、もてんのになー』
『もう少し女の子の扱いを勉強した方がいいよ』

平助や総司から常々言われていたことだ。
そうはいってもどう努力すればいいかわからず、女性と遠ざかってしまっていた。それがこんなことになるとは。

「斎藤!」

ふいに耳元で名前を呼ばれて、斎藤はハッと顔をあげた。土方が怪訝な顔をして前に立っている。
「は、はい。なんでしょうか」
斎藤が立ち上がると、土方はくいっと顎をあげた。
「社長室へ来いって言いに来たんだが……大丈夫か?昨日の酒がまだ残ってんじゃねえのか?」
「い、いえ。大丈夫です」
千鶴に聞こえていなければいいが、と斎藤はひやひやした。
もう思い出したくないと言っていた。昨日の酒という土方の言葉が、千鶴に昨夜のことを思い出させてしまったら……
「行きましょう」
斎藤は足早にオフィスをでる。
「あの後、無事帰ったのか?」
土方の言葉に、斎藤は慌てて周りを見渡した。土方はさらに怪訝な顔をする。
「……なんだよ。何かまずいことでも言ったか?」
「い、いえ。その……はい。ちゃんと帰れました」
「そうか、女の雪村におまえを送らせちまって悪かったかと思ってたんだが。まあ、雪村はしっかりしてるからな。あいつ、二次会には来なかったからお前を送ってそのまま帰ったのか」
「……」

なるほど……
斎藤は土方の話から、昨夜何故千鶴と二人で斎藤の部屋で飲むことになったのか理解した。そして、さらなる罪悪感が斎藤にのしかかる。

土方さんに頼まれて俺を送ってくれた雪村を……。

本当に昨夜の自分を踏みつぶしたい。千鶴に何度も謝り償いをしたいが、それすらも彼女を傷つけるのならできないのだ。

「近藤さん、入るぜ」
土方と、近藤の社長室に入った斎藤は、そこでさらに驚くことになる。















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