【斎藤課長のオフィスラブ 2】






頭からかぶっていたシーツをとったら、目の前に斎藤がいた。
「……」
一瞬何も考えられなくて、頭が真っ白になる。
隣の課の斎藤課長……が、どうしてここに?っていうかここはどこ?というより今はいったいいつ?
クエスチョンマークが溢れかえってそれのどれもに答えがなくて、何から聞けばいいのか何を聞けばいいのか千鶴が混乱していると。

「ゆ、雪村……」
斎藤もなぜか茫然とした顔でつぶやいた。
そしてどうすればいいかといった態で立ち上がりかけ………

「きゃ、きゃあああああああああああ!」
千鶴は自分でも驚くほど、特大の叫び声をあげた。立ち上がろうとした斎藤は裸だったのだ。
目を閉じるか手で顔を覆うかすればよかったのだが、あいにく千鶴はまだ固まったままで動くのは口だけだったのだ。……などと思う間もなく悲鳴がでてしまっただけだったたが。
斎藤は千鶴の悲鳴に驚き、千鶴の視線を追ってすぐにハッと気づいたように再び床に座った。
千鶴の位置からは、斎藤の肩から上しか見えなくなる。
「す、すまない」
斎藤は真っ赤になってベッドのシーツを慌てふためいて引っ張りそれをかぶろうとした。が、当然ながら千鶴がまとっていたシーツも引っ張られ、軽く押さえていただけの千鶴の手からシーツが離れる。
「いやあああああっ」
またもや千鶴は叫んでしまった。
パニックになってシーツを奪い返し頭からかぶる。斎藤はさらに慌てふためいて、「すっすまなかった!そんなつもりでは……!」とつぶやいている。
シーツの中にいた千鶴には見えなかったが、斎藤は上掛けの羽根布団の方を体に巻いてくれたらしい。
ガサガサという音が聞こえてくる。
シーツの中で、千鶴は必死に考えていた。

ど、どういうこと?
どうして斎藤さんが?ここはどこ?どうして私は裸なのっっっ!!!!
斎藤さんもなんで裸になってるのーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

どうしようどうしようがぐるぐると頭の中を回る。
と、とりあえず服!服を着なくては始まらない。
シーツの外では、斎藤も困っている気配が伝わってくる。「ゆ、雪村……その……」とかなんとかもごもご言っている。
千鶴はまた斎藤の裸を見てしまうと困るので、少しだけシーツをめくって、下を向いたまま言った。
「あ、の……すいません。私の服を……」
「あ、ああ!服か!そうだな!」
提供された話題に斎藤が飛びつく。シーツの外では斎藤が探してくれているような、羽毛布団がガサガサ言う音が聞こえてきた。そして「うっ」といような斎藤のうめき声も聞こえる。
なんだろう…と千鶴は思っていたが、自分の目の前にそっと置かれた服の中に、昨日来ていた白と灰色のストライプのショーツもあるを見て真っ赤になった。
これを斎藤が手に取って拾ってくれたのか……
先ほどの斎藤のうめき声は、多分これだ。
これは、三枚千円だったコットンの安物で……きれいに洗濯はしてあるけれども……
色気もないし子供っぽいし斎藤に見られたくなかった。
いや、別にもっと色っぽいやつなら見てほしかったというわけではないが、でもそもそももうこんな裸になって朝を迎えているのなら、あのコットンでも十分役目を果たしたというのかなんというのか、もうなにもわからない!!!!
千鶴は真っ赤になって半泣きになりながら、なんとか言った。
「あの……着替えをしたいので、後ろを向いてもらってもいいでしょうか……」
「あ、ああ!ああ、もちろん」
ガサガサッと音がして、斎藤が後ろを向いた気配がする。

千鶴はそーっとシーツから顔を出した。約束通り後ろを向いている斎藤の背中が見える。
肩からすっぽりかぶるには羽毛布団の丈が足りなかったようで、腰回りからぐるりと羽毛布団にかくされている。
千鶴は慌ててもつれる指で服を着た。
着終わって、斎藤に声をかけようとそちらを向いて。
千鶴はふと斎藤の背中を見た。

『絶対何かスポーツやってるよね!』
『姿勢いいもんねえ!一緒に海とか行きたい!』
『あんた、それ、裸を見たいだけでしょー!!このスケベ!』
『だって絶対いい体してると思わない?』

斎藤を見に来ていたよその部の女子社員達の会話を、千鶴は思い出した。
贅肉など全くなく、マッチョではないけれどきれいに筋肉がついていて……そして、千鶴は背中にある線のようなキズに気づく。
薄くて赤くて、最近ついたようなキズ。二本ならんで……まるで誰かがつけたような……
「……」
千鶴はパッと目を伏せると、音をたてないようにそっと足元からベッドを降りた。
部屋の出口は、そこにある。
ここは多分斎藤の部屋だ。
「あの、斎藤さん。会社の前に一度家に帰りたいんで、私はこれで失礼しますっ」
千鶴はそういうなり、部屋から逃げ出した。
小走りでリビングを抜け、途中でソファの上に会った自分の鞄を持ち、そのまま玄関でパンプスをはいて廊下に出る。
背中から慌てたような斎藤の声が聞こえてきたが、この際無視だ。斎藤もまさか全裸で千鶴を追いかけることはできまい。
追いつかれたら立ち止まって何を話すか、頭の整理がついていない。

まさか、自分にこんなことがあるなんて。
信じられない。
自分はそんなタイプじゃなくて……っていうか……昨夜のことまったく覚えてないけど……この状況は、つまりそういうこと…だった……とか……

バシバシとエレベータのボタンを押して、エレベータに飛び乗って1階を押して。
降りだしたエレベーターの中で千鶴はようやく大きくため息をついた。
壁に体をもたせ掛けて、こつんと頭を寄せる。

……私……私の記憶が確かなら、昨日のは……、私……

……はじめてだよね……

地の果てまで落ちてしまいたいくらいの自己嫌悪。
最初は結婚する人と、などと古風なことを思っていたわけではないが、やはりそれなりに、そういうシチュエーションで好きな人と、ちゃんとドキドキしながらするものだとばかり思っていた。
目覚めた朝だって、少し照れながらも『おはよう』とか……

千鶴は皺くちゃの昨夜のままのブラウスとスカートを見る。
多分化粧も落としてないし髪もぼさぼさで、相手のマンションから逃げ出して。
そして何も覚えていない。
初めての経験を全く覚えていないなんて、女としてどうなのか?
女は死後に三途の川を渡るときに、初めての人に手を引かれて渡るという迷信も聞いたことがある。
斎藤に手を引かれて渡るのだろうか?その時初めて、『ああ、やっぱりあの夜私と斎藤さんは…』と実感するのか?
何もおぼていないのに?斎藤だって驚くのではないだろうか。
い、いや、今は、そんないつ死ぬかもわからない死後の世界の心配よりも、明日の…いや、今日の会社だ。
千鶴は動揺しすぎて思考が変になっている自分の頭を、ぶんぶんと勢い良く左右に振った。
斎藤は……
憧れて、尊敬して、好意をもってはいたけれど、同じ職場で同じフロアで同じ部(課はちがうけれど)なのだ。
社会人として、女として、昨夜自分がしでかしたことは最悪のことではないだろうか。

『チン』
千鶴の心とは裏腹な軽やかな音をたててエレベーターが地上につく。
春の日差しの爽やかな朝だったが、千鶴の心の中はかつてないほど暗くどんよりしていた。










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