【斎藤課長のオフィスラブ 1】







その日、斎藤は風邪をひいていた。
季節がら、寒かったり暑かったりの極端な温度差と、年度末の通常業務の繁忙に加え、大型案件が無事終了したことによる社内処理が怒涛のように押し寄せて、疲れていたのかもしれない。
しかし、その日に限って斎藤は会社を休むわけにはいかなかった。
大型案件の祝賀会が、業務後にあるのだ。斎藤が責任者であるこの案件の祝賀会で、斎藤が出なければ話にならない。

夕方五時すぎ、どうにも寒気がして体がけだるいので、斎藤は風邪薬をもう一錠のんだ。
一日一錠のめば効くという強力な風邪薬で、なるほどそろそろ仕事が終わりそうな今までは快適に過ごせたが、今日は業務後もまだまだ祝賀会があるのだ。もう一錠飲んでおいた方がいいだろう。
斎藤は生まれつき体が頑丈なのか、ほとんど風邪を引いたことがなかった。
友人で同僚の総司がしょっちゅう風邪をひくのに、がみがみと口うるさく説教をしていたのだが。

まったく、たるんでいたな。
最近忙しさにかまけてランニングや筋トレがあまりできていなかった。来週からはきちんとやらねば。
自分の体調管理もできないようでは、部下の管理などできるわけがない。

反省しながら斎藤はコートを羽織ると、春とはいえまだ寒い中祝賀会用に貸切にしているレストランへと向かった。



「おめでとう、斎藤君。これで次の辞令は部長だね。先越されちゃうなー」
にこやかにビール瓶をもって近寄ってくる総司に、斎藤はグラスを向けた。
「いや、まだまだだろう。課長昇進はお前の方がはやかった」
「いやいや、この案件をここまで完璧にやったのはすごいよ。近藤さんも褒めてたし」
「そうか……」
がんばった分を評価されるのはうれしい。斎藤がグイッとグラスを開けた。
「一君、お疲れ!ほら一君の好きな焼酎があったから持ってきたぜ〜!」
後ろから声をかけられて振り向くと、これまた同期で友人の平助が、グラスを差し出してきた。 「平助か、ありがとう」
そして、ありがたく焼酎もいただく。
「斎藤さん、お疲れ様でした……あ、もう他のお酒を召し上がってますね、すいませんでした」
振り向くと、ワインボトルと空のグラスを持った千鶴だ。
「ああ、いや、ワインも好きだ。両方いただこう」
焼酎を近くのテーブルに置くと、斎藤はワイングラスを受け取った。「お疲れ様でした。いろいろとありがとうございました」
千鶴にワインを注いでもらう。
「いや、こちらこそ助かった。残業も何度もしてもらって、悪かったな」
クリスマスイブだけではなくその後も。最後の追い込みに近づいたときに、一番その業務に詳しい千鶴には、何度も残業をしてもらったのだ。
残念なことに、クリスマスイブではなかったので二人きりではなかったが。
「いいえ、私こそ斎藤さんのお役に立ててうれしいです。無事終わってよかったですね」
今日の千鶴は髪を緩く右側に寄せて、淡いピンク色の……リボンのような布のようなはっきりしないもので結んでいた(後で総司に聞いたらシュシュというらしい)。髪の間から見えている耳には小さな石が光っていて、彼女の耳の白さに斎藤はどきりとする。
そんな状態でにっこりと笑顔で見上げられたら、斎藤としたら無言でワインを飲み干す以外、何ができると言うのか。

イブと正月と。
二人だけで出かけたのは二回だけで、まあ職場の仲間としては特に不適切な行為でもないだろうと、斎藤は思っていた。そのあとの千鶴との会話は少し壁が低くなったようで、斎藤はひそかに喜んでいる。
昼も、他のみんなと一緒ではあるが、外に出るときは『あの、斎藤さんも一緒にどうですか?』と千鶴から誘ってくれるようになったのだ。いつもは昼も仕事をしている斎藤だが、千鶴から誘われた時はいそいそと外に食べに行く。
なぜなら、部下と交流し常日頃から信頼関係を作っておくことはとても大事だからだ。
今だってこうやってわざわざ注ぎに来てくれたのだから、飲まないわけがないだろう。
大型案件の終了と年度末を乗り切ったこと、今日の仕事も終わった開放感とで、斎藤は少し浮かれていたのかもしれない。
そのあとも、入れ代わり立ち代わり『お疲れ様』と言って注ぎに来てくれるアルコールをありがたくいただいた。

記憶が途切れたのは当然のことだった。




頭に砂がつまり、舌の上には泥が乗っているような不快な気分で、斎藤は目覚めた。
ぼんやりと目を上げると、見慣れた自分の部屋の天井だ。薄暗いというよりは薄明るい。
斎藤が窓の方を見ると、壁にある大きな窓はカーテンが閉められていなかった。
一瞬記憶が混乱したが、すぐに『ああ、昨夜は飲みすぎたか……』と思いだした。カーテンも閉めずに眠ってしまったのか。
だが、斎藤のマンションは高層階で、他に斎藤の部屋を覗ける高さのビルもないので朝がまぶしい以外特に問題はない。
まあ、たまにはいいだろう。今日も仕事だが、出社できないほどではない。
斎藤は軽く伸びをすると、体を起こす。

そして固まった。

隣に塊がある。
シーツで見えないが、ひ、人の……人の寝ているような塊……。シーツの端からは黒い髪がでている。
「………」
血の気が失せ、直後にどっと汗が出る。
冷や汗だ。

一瞬、総司か平助では……と思った。学生時代から仲が良かった三人は、飲みすぎてお互いの家で酔いつぶれていることはよくあったのだ。
でも、今シーツの端から見えている髪は、明らかに長い。
女性だ。

斎藤は目が泳ぐ。そしてふと自分を見下ろしてぎょっとした。
自分も裸だ。
下着も付けていない。

ああ、これは……
映画や本でよく見る、そしてたまに実際にあることもあるという……酔いに任せた……この俺が……
いやありえない。俺はそんな男ではない。
だが、この目の前に横たわっているものは何だ。
これは何かの間違いだ。こんなことがあるわけがない。
いやでも目の前に……

混乱している斎藤の前で、そのシーツにくるまれた塊がもぞもぞと動いた。
「ん……」
寝返りを打つ。
斎藤はびくっとベッドの脇に避けた。が、その際に勢い余ってベッドから落ちる。
ドダッと大きな音が響き、もぞもぞと動いていた塊が止まった。
斎藤も床で体勢を整えながら、その塊がどうするか凝視していた。

「……あれ……?ここ……?」
かわいらしい声。聞いたことがある。確かに。
そう言ってシーツを払いのけて出てきた顔は……

「ゆ、雪村……」

斎藤は茫然とつぶやいた。






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