【三番組組長道中記 8】




「ありゃあ無理だね。あと2,3日したら水も引くだろうからそしたらまたおいで」
川渡し達が集まる場所でそういわれ、斎藤と千鶴は宿へと戻るしかなかった。

「どうしましょう……」
千鶴は途方に暮れた顔でそうつぶやく。
「まあ待つしかしょうがないだろうな。無理して渡る必要もない」
隣を歩く斎藤は相変わらずの無表情だが、千鶴は申し訳なく思った。斎藤が普段新選組でこなしている仕事を見れば、こんなところでのんびりと足止めを食っている場合ではないだろうに。
「すいません」
「なぜ謝る?お前が悪いわけではないだろう」
不思議そうな顔をする斎藤に、千鶴はもう一度謝った。
「だって……すいません。私がこんなでなければ斎藤さんは京で新選組のためのお仕事ができたのに」
「これも副長から指示を受けた大事な仕事だ」
そう言ってにっこりとほほ笑んだ斎藤の顔に、千鶴はドキリとする。
なぜかどぎまぎと視線をそらせるが、頬が熱くなっていくのがわかる。
ずっと二人きりで、千鶴は散々迷惑をかけてきて、斎藤はそれをやさしく受け止めてくれて……もちろん仕事だからなのはわかっているのだが。
少し前で立ち止まり振り向いた斎藤の顔を見て、千鶴はまたうつむいた。
歩幅が違うせいで並んで歩いていても斎藤の方が自然に前に行ってしまう。斎藤はいつもそれに気づくと立ち止まり、千鶴を待ってくれる。
その時の斎藤のやさしい表情が千鶴は好きだ。千鶴を見て少し首を傾けるようにする微笑みも。
千鶴は小さくトキトキと鳴る胸を押さえた。

昼も過ぎて、そのあたりを散策でもするかと千鶴と斎藤がぶらりと宿をでると、昨日越えてきた峠の方から例の行商の人たちがくつろいだ格好でおりてくるのと出会った。
「こんにちは」
千鶴が挨拶をすると、例の神社で会った女性が話しかけてきた。
「あんたたちも足止め食って暇だろ?温泉にでも行ってきたらどうだい?いい湯だったよ」
「温泉があるんですか?」
その女性の後ろから、今度は男性がうなずいた。
「そう、天然のね。ちょうどいい温度だし、高い岩肌にあって絶景だし。いい旅の土産話になるんじゃないかい?」
話を聞いていた千鶴が目をキラキラさせて振り向くと、斎藤も微笑んでうなずいた。
「行ってみるか」

行商の人たちから聞いた山道を登っていくと、温泉帰りらしい人たちとパラパラとすれ違った。あの宿で暇を持て余している人たちや、地元の人もまじっているようだ。
「万病に効くみたいだよ」
「あの宿に長いこと泊まって湯治してる客もいるそうだってな」
「明日も川を渡れなかったらまた来ようか」
すれ違いに聞こえてくる話に、千鶴はわくわくした。
温泉なんて初めてだ。読み物で呼んだことはあるが、見たことも入ったこともない。大きな風呂屋のようなものなのだろうか。でも天然って言っていたし……
「温泉、私初めてです。とっても楽しみです!斎藤さんは入ったことあるんですか?」
「ああ。江戸と京の間は何度も旅をしたし途中には箱根宿もあるしな。ただ、この場所だともしかしたら……」
斎藤は眉根にしわをよせて、どんどん細くなる道とうっそうと茂っている周りの木々を見た。
源泉からお湯をひいて整えた、きちんとした風呂屋の施設があるようにも見えない。天然というのは要は……
「本当に天然なのかもしれん。つまり屋根などもちろんなく、湧き出るままの」
「露天ってことですか?でも熱くないんでしょうか」
「いや、川の中だったり近くに水場があったりして自然に適温になっている場合もある。人間が少しだけ手を加えている場合もあるだろうし。だが、問題はそこではなく……」
大きな岩を曲がると、斎藤の言っていた問題が目の前に現れた。
千鶴は、目を見開いて固まった。
狭い階段のようなところを下って行ったところに山に沿うように少しだけ開けたでっぱりがあり、そこが温泉になっていた。向こう側の山やさらに低いところへと流れていく川がすぐそばにあり、あたり一面を硫黄のにおいと湯気がつつんでいる。
大人が10人ほど入れそうな大きなくぼみがあり周りを石でかこまれている。あれが温泉なのだろう。ここからでは他の岩や途中の木々ではっきりとは見えないが、当然ながら男も女もみな裸になっている。
つまり混浴だ。
「……」
千鶴は先ほどまで楽しみにして輝いた目が一気に曇り無言になってしまった。
これは……ハードルが高すぎる。一人でも無理に近いのに、隣にいるのは斎藤だ。
斎藤と二人で裸になってあの温泉につかることを考えて、千鶴は全身から汗が噴き出した。

どうしよう……温泉ってあんな風だなんてしらなくて、ひょいひょいついてきちゃったけど……。
あれだけ楽しみだって言っちゃって、斎藤さんから『では、入るとするか』とかさらって言われたらどうしたらいいんだろう。
なんて言って断ればいいんだろう。みなさん裸になってるのに私だけ恥ずかしがってるのも変に思われそうだし……っていうか恥ずかしいって思う人はそもそもここに来ないのか。でもこんな温泉がこんなだなんて知らなくて……
斎藤さんは温泉に入ったことがあるって言ってたから当然知ってたんだよね。ああ〜!!どうしよう…!

隣で赤くなったり青くなったりしている千鶴を見て、斎藤は我慢できずにとうとう吹き出してしまった。
半泣きの顔でこちらを見てくる千鶴に、斎藤は笑いながら言う。
「大丈夫だ。お前には入りにくいだろう。あらかじめ露天で混浴だと知っていれば来なかったのだがな」
「え?そうなんですか?」
「そうだ。俺もこんな自然のままの温泉には入ったことはない。話には聞いたことはあるが」
「そうなんだ……」
ほっと胸をなでおろしている千鶴を見て、斎藤は温泉の方を見た。
「しかし川の音を聞きながら温泉とは、なかなか風流だな。少し肌寒い分気持ちいいだろう」
「斎藤さん、もしよかったらおひとりで入ってきたらどうですか?私は帰りますけど……」
「そうだな……」
どうしようかと斎藤が視線を巡らすと、千鶴の後ろに温泉に行こうとしている人がいるのに気が付いた。
「千鶴」そういって千鶴と二人で山の方によると、その人たちは会釈をしながら斎藤と千鶴を抜かしていく。

わあ……きれいな人たち。あんな若い女の人でも入るんだ……

千鶴はそのまま温泉へと向かった若い女性三人組の背中を見て、そして同じ方向を見ている斎藤を見る。


視線を感じた斎藤は千鶴を見た。そして心なしか非難するような目の色を見て気づいた。
「いや……いや、俺は別に、その……」
あの女性たちは確かに美人揃いでスタイルもよかったが(一瞬の間にそこは見ていた)、別に彼女たちが来る前から露天風呂には興味があって入ってみたかっただけで、別にそのようなことが目的というわけではない!

……ということを斎藤は言いたかったが、あいにくもともとそれほど口が立つ方ではない上に今回は身に覚えのない後ろめたさも手伝って、実際には口をパクパクと何度も開けたり閉めたりすることしかできなかった。
「あの、気にしないでください。……斎藤さん、入りたいんですよね?どうぞ」
なんだか冷たい口調でそういわれてくるりと千鶴に背を向けられた斎藤は、あわてて後ろから千鶴の腕をつかんだ。
「ま、待て。いや、俺も取り立て入りたいというわけではない。一緒に宿に……」
「でもさっき、風流だって」
「それはそうだが……」
「せっかくの機会ですし、私にお気を遣わずにどうぞ」
千鶴の笑顔はいつものやさしい笑顔……だと思うが、どうにもこうにもこの状態で一人で入りに行くのは行きにくい。
「いや、それではお前に悪いだろう」
「悪くなんかないです」
「ではなぜそのように怒っているのだ」
「別に、別に怒ってないです」
なぜか言い争いのようになっているときに、後ろからまた声がかかった。

「あのー…取り込み中悪いんだけどさ、通してもらえるかい?」
行商の男性数人が、細い道で千鶴たちの後ろに立っていた。「すっすいません!」「すまぬ!」とあわてて脇による斎藤達に、行商の男性は言った。
「新婚でそんなに若い嫁さんじゃあそりゃ、あそこには入りにくいかもな。……実は俺たちここら辺は良く通るから知ってるんだが、このさらに上に言ったところにもう少し小さい天然の露天があるんだよ。岩場の影になっててほとんど見えないんだが。結構きつい登りだから誰も来ないし、あんたたち二人でそっちに入りにいったらどうだい?」
「え?この上がまだあるんですか?」
行き止まりに見えたこの道の上にどうやっていくのかと千鶴があたりを見渡してみると、行商の男が指さした方の木の裏に細いけもの道のような草を踏み分けた後を見つけた。
しかしもう雑草が茂っていてしばらく人が通っていないことは明らかだ。

「……行ってみるか?」
行商の男たちが立ち去った後、斎藤は千鶴に聞いてみた。あれだけ楽しみにしていたのだ。一度入ってみたいのだろう。
「あの……斎藤さんと二人で入るってことですか?」
今回みたいな勘違いが無いようにあらかじめ確認しておいた方がいいと、千鶴は恐る恐るそう聞いた。もし斎藤と二人で入るのなら、残念ながらこのさらに上の誰も来ない温泉でも、千鶴には無理だ。
思わぬ千鶴の質問に、斎藤はむせてしまった。
「なっ…!ゴホッ何を言っているのだ。そのような……そのうようなつもりであるわけがないだろう!一人ずつ入るのだ。もちろん覗いたりはせずに一方が入っているときはもう一人は見えない場所で待っていればいいだろう」
斎藤の言葉を聞いて千鶴の表情がぱあっと明るくなった。
「それなら行きたいです!」

急なけもの道を歩きながら、斎藤の胸中は釈然としなかった。
千鶴には、自分がそのような……下劣というか不埒な提案をする男のように見えているのだろうか?にしては同部屋でも妙に安心しきった様子でねむりこけていたが。
首をひねりながら、斎藤はさらに上にあるという岩場の温泉を目指して歩いた。














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