【三番組組長道中記 7】
部屋の押入れに中には蒲団が二組あった。
当然だが。
案内してきてくれた女中が、部屋の窓をパタパタと開けてから振り向く。
「さ、どうぞ。お蒲団はどうします?」
突然聞かれて斎藤は面喰った。
「ど、どうするとは……」
二組の蒲団。どうするもこうするも、こちらがどうすればいいのか聞きたいくらいだ。
夫婦でも何でもない男と女が、狭い部屋で二人きり、布団を並べて一夜を過ごす、などという経験は、当然ながら斎藤にはない。
部屋は8畳くらいの畳敷きで、二階。机と座布団、刀掛けがおいてあるせいでかなり狭い。こんなところに布団を敷いたらそれだけでいっぱいになってしまうではないか。
「敷きに参りましょうか?それともご自分で敷かれます?」
「ああ……」
そういうことかと、斎藤はうなずいた。
しかし何と答えればいいのかわからない。
「……」
斎藤は答えようと口を開けたまま固まった。
自分たちで敷くというのも気まずいが、この部屋いっぱいの蒲団の中にいるのも気まずい。
「その、いや……大丈夫だ。自分たちで敷く」
「わかりました。夕飯は下の飯処で好きな時にどうぞ。朝も同じところです。風呂はそっちの外に共同のがあります。前夜に注文しといてくれれば次の日のおにぎりもつくりますよ。ではごゆっくり」
てきぱきと説明をし終えると、ふすまを閉めて女中は立ち去ってしまった。
奥まった静かな室内。斜め後ろに立っている千鶴との間で気まずい沈黙が漂う。
「……」
斎藤はとりあえず距離を置こうと部屋の奥に入り、刀を置くと千鶴の方を向いて正座して座った。
「……すまなかった」
まずは謝罪だろう。
「俺が昨夜夫婦と言ったばかりに、このような事態になってしまった。すまない」
千鶴は斎藤の突然の謝罪に驚いたようで、荷物を放り出して斎藤の前に同じように正座した。
「さ、斎藤さん!頭を上げてください。そんな……そんな、私はなんとも思っていないです」
ん?
千鶴の答えに斎藤は首ひねった。
「なんとも……思わないのはそれはそれで問題ではないか?」
「え?そ、そうでしょうか」
「あんたはずっと男所帯で暮らしてきたからな……。世間の年頃の女子について知らないのだろう」
斎藤の言葉に千鶴は無邪気に首を傾げた。
「斎藤さんは世間の年頃の女子についてよくご存じなんでしょうか」
「何。……い、いや、そういうことではなく、その……常識というかそういうものについてはある程度は知っているということをいいたかったのだ。俺が特別年頃の女子に詳しいわけではない」
変に誤解されてはかなわないと焦って返事をしたが、その焦り具合が我ながら怪しい気がしてきて斎藤は耳が熱くなるのを感じた。
こういう会話は苦手だ。
「つまりだな。若い女子というのは気を付けなくてはいけないのだ」
「何にですか?」
またもや無邪気に返されて、斎藤は「む」と腕を組んだ。屯所ならこのあたりで土方や左之あたりが引き取ってくれるのだが、この旅先ではそうもいかない。
何に気を付けるのか……それはつまり、若い男に、だ。と、いうことはこの場合は斎藤に気を付けるよう、斎藤から言うということになるのだろうか?そんなことを言うのはまるで、自分は襲うぞと宣言しているようだ。
斎藤はゴホンと咳払いをして気まずさをごまかし、ことさら真面目な顔をつくった。
「つまり、家族でもない男と相部屋になどなってはいけないということだ。しかし今回は俺の不用意な言葉のせいでこのような事態になってしまい、申し訳なく思っている。本来なら部屋をわけてもらうべきなのだが……」
「気にしないでください。部屋がないのはわかってますし、斎藤さんなら相部屋だって別に大丈夫だってわかってます」
ん?
斎藤は再び首をひねる。
なぜ俺と相部屋なら大丈夫だとわかるのだ?
襲ったりしないと安心しているということだろうか?それはそれで……なんとうか複雑というか……いや、もちろん襲ったりするつもりなどないが……。
この胸のモヤモヤはなんなのだ。
「いや、俺はそれは、安心してもらっていいが、そうではなく、だな。ほかの者の目があるだろう」
「でもほかの人は私たちを夫婦だと思っているんで、そんな変な目で見られることはないんじゃないですか?」
「だが、実際は夫婦ではない。この演技がばれたり、演技が終わった後にこのことがほかの人間に知れたら、あんたの評判がおちる」
斎藤がそういうと、千鶴はきょとんとした顔をした。そしてくすくすと笑いだす。
「そんな……だって斎藤さんは私を守るために夫婦だって言ってくれたんじゃないですか」
「それはそうだが、ほかの者たちはそんなことは知らんだろう?あの行商人たちはこの街道を行ったり来たりしているようだ。そのあたりから話が伝わり、誰かから何か言われるかもしれないだろう。世間は狭い。あんたが綱道さんのところについた後にそんな噂が広まったら……」
千鶴は微笑みながら首をふる。
「誰かにこのことを聞かれたら、道中危険だったので斎藤さんは夫婦のふりをしてくれたんだっていいます」
千鶴の余裕っぷりに、逆に斎藤が戸惑った。
「いや、聞きにくればそうも言えるだろうが聞かずに噂をする輩が多いのだ。そういうものが評判を流す。結婚前の娘にとってほかの男と夫婦のふりをして旅をしたなどと……」
斎藤が言い募るのを千鶴が止めた。
「聞きもせずに噂をするような人には、言わせておけばいいと思います。そんな噂を信じて私の評判を決める人なんて、こっちから願い下げです」
いたずらっぽく微笑みながらそういう千鶴に斎藤は驚いた。
言われてみればその通りだ。斎藤にしてみても、千鶴の良さを知らずに評判だけで判断するような男に嫁に行ってほしくはない。
千鶴は……千鶴は、やさしく、強く、そして純粋でけなげでまっすぐだ。彼女のよさをわかったうえで娶ってほしい。
そういう意味では千鶴の言う通りで、変に考えていたのは斎藤の方なのかもしれない。
「……お前は……強いな」
新選組にいるころからそう思っていた。
人斬りを生業としている男どもの中で、物怖じせずかと言って出すぎず、だがきちんと自分の筋は通す。
いつの間にか皆が仲間として千鶴を大事にするようになったのは、この彼女の強さのおかげなのかもしれない。そんな彼女を、何もできない弱いもののように評判を気にしていたとは、斎藤の方が世間は知っていたが千鶴のことはわかっていなかったということになる。
「そうか。……では、今夜はよろしく頼む」
斎藤は座ったまま頭を軽く下げる。千鶴もふふっと笑った。
「こちらこそ。よろしくお願いいたします」
部屋に入ってからの妙な気まずさも消え、二人は和やかに荷をほどきだした。
離れにあった共同風呂からあがると、もうあたりは暗くなり空にはぽっかりと月が浮かんでいた。
少し肌寒いが確実に春が近づいてきている緩い感じの空気が、あたりに漂っている。
斎藤は部屋に戻ろうと気分よく廊下を歩き出した。
出入口から近い、かなり広い広間には旅人があふれていた。この広間を解放して宿が取れなかった旅人たちは雑魚寝をするらしい。川の増水のせいで宿が足りないのだ。
あの行商人が気を利かせておいてくれなければ、斎藤と千鶴もこの一角で寝ることになっていただろう。
同じ部屋の気まずさはないが、ここだと気が抜けず休まらない。それに比べると千鶴と二人きりの同部屋の方がまだよかった、と斎藤は歩きながら思った。別に同部屋が嫌というわけではない。気まずいというだけで、嫌か嫌ではないかと聞かれれば、嫌ではない。別に。
風呂に来る前も二人で庭を見ながらのんびりと会話をした。
周りが静かでそばにいるからこそできたことで、それは正直心地いいし………楽しい、というか嬉しいというか。
……まあいい。これも深く考えない方がいい。
斎藤は考えるのをやめ視線を大広間へとやった。
大広間の隅で一団が何やら店を広げている。何かを畳の上に並べて売っているようだ。
その中の一人が、なにくれと千鶴たちの世話をやいてくれている行商の女だったので、斎藤は広間に入りそばに行ってみた。
「あ、旦那!嫁さんに一つどうだい?」
そう声をかけられ見てみると、畳の上に胡坐をかいて、風呂敷の上にこまごまとしたものを置いて、どうやらここで商売をしているらしい。
「道具類か?」
しゃもじやひしゃく、さじに箸。丁寧につくられている木製品が並べられていた。
「いろいろさ。道具類に大工仕事用の工具、布に……旦那はあっちはどうだい?」
そう言って指さされた法とみると。
「……小間物か」
女性向けの小間物が、そちらの風呂敷の上には置かれていた。かんざしに帯留めに櫛。複雑な飾りがほどこされたものからシンプルで実用的なものまで、様々なものが所せましを置かれている。
神社であった女性が声をかけた。
「奥さんはどんなのが好きなんだい?髪には何もつけてないようだったけど」
そういわれて、斎藤はふと千鶴の髪を思い出した。
どうしてもまとまらないと言っていつも幾筋かたれてしまう横髪。髪の向こうに見える柔らかな線の千鶴の頬や顎がきれいだと思いながら、斎藤はその後れ毛を見ていた。
「……髪をまとめるには……」
「元結はないけど飾り紐とかならあるよ。あとは櫛とか……」
「櫛か」
斎藤がそういって並べてある櫛の一つをとると、「ああ、それじゃないよ」と女性から止められた。
「それは髪をとく時に使う櫛だよ。まとめてあげるのはこっちだね」
緩く弧を描く四角形の櫛が並ぶ方を、その女性は手のひらでしめした。
白に近いものから薄い茶色、こい茶色、そして真黒のもの。精巧な彫がほどこされたものからシンプルなもの。
そこには様々な櫛が置かれている。
「どれにする?」
そう聞かれてもどれがいのか斎藤にはさっぱりわからなかった。
「あまり……派手なものではなく、使い勝手がよさそうな……」
そんなものは目の前に山ほどある。どういう基準で選べばいいのかわからない。
見ているうちに脂汗でもながしそうな様子の斎藤に、女性が助け舟をだした。
「あの奥さんにはこれとかいいんじゃないかい?」
そういって手渡されたのは、何か塗ってあるらしくつやつやと光る真黒な櫛だった。一つだけ模様が入っており、これは……
「これは、貝、か?」
ピンク色のきれいな模様がひとつだけ、櫛の隅に施されている。
「そう、桃色の貝をはめこんでるんだよ。ほら、桜みたいな形になってるだろ?」
言われてよく見てみると、確かに桜の花びらの一枚を模した形に貝は削られ、櫛にはめ込まれていた。
女性はその櫛を持つと、自分の頭に差すようなそぶりをしてみせた。
「こうやって頭に使うとね、櫛は黒色だから一瞬髪とみわけがつかなくなるだろ?それでこの模様があるから、まるで髪の上に一枚桜の花びらが載ってるように見えるんだよ」
「なるほど……」
なかなか面白い趣向だと、斎藤は言われるがままに金を払ってしまった。
言われた値段は、女性用の櫛など買ったことのない斎藤には、高いのか安いのかわからない。
買った櫛を懐にしまって歩き出したとき、ちらりと離れに例の四人組がいるのが見えた。
リーダー格の男が自分の刀を出して手入れしている。
それは浪人には似合わないくらいのいい品だった。
人から盗んだのか、それとももとは名のある武士だったのか。
あの男の目つきの鋭さからすると後者のような気がするが、だとしたら付け狙うだけで何もしかけてこない理由がわからない。
斎藤は最後にもう一度男たちを見てから、階段を上り部屋へと戻った。
「千鶴、……その、入ってもいいだろうか」
どこか緊張しながら斎藤がそう声をかけると、中から千鶴が『あっはい!どうぞ!』と返事をした。
ふすまを開けようと手をかけて、斎藤はふと懐の櫛について思う。
『先ほど通りかかりにこれを売っているのを見つけてな』
と、さりげなく渡せばいいのだろうか。しかし、我ながら何故斎藤が買ったのか。
売っているのを見つけたのなら、千鶴を呼んで千鶴に選ばせればよかったのではないか。そうすれば千鶴の趣味のものを買えただろうに。いや、そもそもなぜ、千鶴に櫛を与えようなどと思ったのか。
髪飾りもなくて…と恥ずかしそうにしてはいたが、別に斎藤が買う筋のものではないだろう。欲しいとも言われていないのに。
考え出すとますます自分の行動がおかしかった気がする。
いや、まずい。こんなふうに自分の気持ちの整理ができていない状態で千鶴にこの櫛をわたすと、挙動不審になってしまいそうな気がする。
『斎藤さん?』
部屋の中からいつまでたってもあかないふすまを不審に思った千鶴の声が聞こえる。
……後で考えよう。
斎藤はそう決めると、櫛を渡すのは自分の気持ちの整理ができてから渡すことにしてふすまを開けた。
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