【三番組組長道中記 6】






斎藤と千鶴がようやく休憩小屋にたどり着いたときは、もう日もとっぷり暮れていた。
雨は幸いにもぽつぽつと振っている程度だったがこれから本降りになるだろう。その前に小屋に着けてよかった。
斎藤は、ほっとしたような表情をしている千鶴を見てそう思った。彼女の脚も限界だろう。
千鶴のためには、本当ならたっぷり食事をとりあたたかいお湯につかり全身の疲れをとるのがいいのだが、今夜はそうもいかない。簡単な携帯食は持っているし水はある。早めに彼女を寝かせて、明日はゆっくりと次の宿場町で休めばいいだろう。

小屋は中から明かりが漏れ出ていた。
途中で雨が降り出したため無理をせず早めにここに来た旅人たちがほかにもいるのだろう。結構大きなその小屋は、よく整備もされていて夜を超すのに問題なさそうだ。
斎藤が小屋の引き戸をがたがたと開けると、中にいた者たちが一斉にこちらを見た。

「あら、あんたたち!」
一番に声を上げたのは、神社であった女性たちを含む行商人の一団だった。男女含め年齢も様々な10人程度が車座になってお何かを飲んでいる。
小屋の隅にはかまどがあり、薪がつまれ火が入っていた。
斎藤は目を巡らせて小屋の反対側を見た。先ほどから鋭い視線を感じていたその一団は……例の目つきの悪い四人組の男たちだ。

「皆さんもここにいらしたんですね」
千鶴がそういうと、女たちは豪快に笑った。「そうだよ〜雨が降りそうだったし宿場まではまだ遠いしね。ここは行商の時によく使わせてもらってるんだよ」
「そうなんですか」
千鶴と女たちが話している間、斎藤はいまだこちらを意味ありげに見てきている四人組とは反対の隅に行き、荷を置いた。
「千鶴、このあたりで荷をほどくといい」
「はい」
じゃあ、と女たちにあいさつして千鶴がこちらにくると、部屋の隅から目つきの悪い四人組の男の中でリーダー格らしい男が口を開いた。

「あんたたち、どこから来た」

これまで話したことのなかったその男の声に、小屋の中はシンと静まり返った。
皆が斎藤達に注目している。斎藤はちらりと彼らを見て端的に答えた。「京だ」
「こっちの嬢ちゃんはあんたのなんだ」
ガラの悪い男たちからのガラの悪い質問に、行商の一団は息をのみ斎藤の方を見る。斎藤は動揺の全く見えない静かな蒼い瞳で男たちを見返す。
「妻だ」


え?
千鶴は驚いて斎藤を見る。が、斎藤はそういったきり視線を荷物に移して黙々と食料を取り出し千鶴に渡した。
「大したものはないが食べておけ」
もう会話は終わったというように斎藤は男たちの方は見ずに、千鶴に話しかける。その表情はまったく普段通りだ。
千鶴は後ろの男たちの様子をうかがい、また斎藤を見る。
多分……これは後ろの男たちに対するなんらかの牽制なのだろうということは千鶴にもわかった。前の飯処でも話したが、結婚前の娘が男と二人きりで旅をしているのと、夫婦が旅をしているのとでは周りからの見る目が違う。
後ろの男たちの千鶴に対するへんな興味をかわすために、千鶴は斎藤の妻だと言ったのだろう。とは、頭では分かっているのだが。
千鶴はどうしても頬が熱くなっていくのを止められなかった。

斎藤さんのお嫁さん……

その響きがどこか特別で心地いい。
行商の女性が、後ろから千鶴に声をかけた。
「なんだ、あんたたち夫婦だったのかい?」
「じゃあ縁結びなんか必要なかったねえ」
「いやいや、これからも仲良く暮らしていけますようにってんでいいんじゃねえか?」
「お似合いだねえ」
などと口々に言われ、千鶴はさらに赤くなった。斎藤は、と顔うかがってみたがよほど演技がうまいのか、特に動揺もしていない。
「食べたか?では脚を見せてみろ」
斎藤はそういうと、上がりかまちにすわったままの千鶴の前にひざまずき、彼女の脚をとった。
「きゃ、きゃあ!」
驚く千鶴に、斎藤は小さな声で「シッ」という。そして、夫のふりなのだろうかやさしい表情で言った。
「痛いだろうがほぐしておいた方がいい、自分ではやりにくいだろう」
斎藤の長い指が脚絆の上から千鶴の足首を包んだ。そしてゆっくりと上へともみほぐしていく。
「っつ…!」
痛みに顔をしかめる千鶴に、斎藤は揉みながら言った。
「痛いか?弱めにして長い時間をかけてほぐした方がいいかもしれんな」
「斎藤さん、そんな……そんな申し訳ないです。自分でやります」
「いいのだ。それより俺たちはもう夫婦なのだから斎藤さんはおかしい。名前で呼べと何度も言っているだろう?」
「……」
狭い小屋だ。当然ながら斎藤と千鶴の会話は行商のみなにも目つきの悪い四人組にも聞こえてしまっているのだ。
千鶴はかあ〜……っとまたもや赤くなった。ぽっぽっぽっとゆだっているような音まで聞こえてしまっているのではないかと心配になる。
「は、はい……」
うつむいて小さな声で返事をする千鶴に、斎藤がやさしく微笑む。

二人の会話はそのまま新婚夫婦のいちゃいちゃで、行商の一団は「いやーいいねえ若いって!」「初々しいねえ」とひやかし、目つきの悪い四人組は「けっ」と言う顔でそっぽをむいてしまった。
以降、斎藤は千鶴が遠慮してもうやめてくれと言ってもきかず、脚が完全にやわらかくなるまでゆっくりじっくりともみほぐしてくれたのだった。





次の日は、春らしいうららかな日だった。
「行くか?」
「はい」
別に昨日の朝の会話とほぼ同じなのに。
しかし斎藤の夫ぶりは、千鶴が思わず幸せな気分になってしまうくらい完璧だった。
行商の皆が二人と夫婦として扱うのも、その雰囲気に拍車をかけているような気がする。千鶴の方は逆に全然なれなくて、斎藤にやさしく見られるだけでどぎまぎと照れてしまっている。
行商のみなと別れて四人組も出発した後に、千鶴と斎藤はゆっくりと小屋を出た。
「脚はどうだ?」
「あ……忘れていました」
千鶴が目を瞬くと、斎藤はおかしそうに笑った。「と、いうことは痛くはないということだな」
千鶴もつられて笑う。
「はい。痛くないどころかすごく軽くて……どれだけでも歩けそうです!」
「それはよかった。だが今日は峠を越えたすぐの宿場で早めに休もう。無理をすることもない」
「はい」
千鶴が勝手に気まずがっていた空気も今はない。夫婦の「フリ」を一晩しただけだったが、本当に夫婦のように距離がちかくなった気がする。

このままずっとこんな感じだといいな

旅はいつかは終わるし、斎藤も夫ではないのだけれど。



夕方前に宿場町に着くと、人がごった返していた。
「どうしたんでしょう?」
「そうだな。小さな宿場町なのに人がやけに多いな」
その時とおりすがりの男たちの会話が聞こえてくる。

「川があふれたって?」
「そうらしいぜ、この先の大きな川があふれて橋があぶねえそうだ」

「なるほど……脚止めをくらった旅人がこの宿場にあふれてるというわけか」
斎藤がそうつぶやくと、千鶴が心配そうに言った。
「宿、みたところ二軒しかないみたいですけど、泊まれるでしょうか……」
「そういえばそうだな。まだ時間が早いから心配していなかったが、これだけ人がいるとなると……」
斎藤が急いで大きい方の宿屋に入っていくと、ごった返している玄関から元気な声がした。

「あっあんたたち!」
「行商のおばさん!」
千鶴が驚いていると、彼女たちはこちらにやってきた。
「聞いたかい?橋があぶないって」
「ああ、先ほど外で聞いた。しばらく足止めを食うかもしれんな」
斎藤が答える。おばちゃんの一人が大きくうなずいた。
「そうだよ、それで宿だけどね、もう一杯だよ」
「ええ!?やっぱり……どうしよう……」
困ったように斎藤の顔を見上げる千鶴の肩を、おばさんはバン!とたたいた。
「でも大丈夫!あんたたちが後から来ると思って、あたしたちが部屋をとっといてあげたよ!」
「ほんとうですか?」
「それはありがたい」
千鶴と斎藤がほっとして礼を言うと、そのおばさんは今度は自分の胸をとたたいた。
「最後の一部屋だったんだ。よかったねえ」
「ありがとうございま……」
……ん?
頭を下げて礼を言おうとしていた千鶴は、言葉をとめた。
聞き間違いでなければさっきこの女性が言ったのは……
斎藤が聞いた。
「一部屋?」
おばさんは大きくうなずいた。

「そうだよ。夫婦部屋さ!」
「……」
斎藤と千鶴は無言で顔を見合わせた。










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