【三番組組長道中記 5】





その夜、千鶴は宿の薄い布団の中で激しく後悔していた。

『斎藤さんとならつらい思いをしてもいいって思う人だったとしてもお嫁さんにはもらわないんでしょうか?』

どーしてあんなこと聞いちゃったんだろう!斎藤さんすごくびっくりしてた。 当然だよね、なれなれしいっていうか……私が口を出すようなことじゃないのに。



でもなにか寂しかった。
なぜ寂しかったのかを千鶴はしばらく考えてみたが考えがまとまらずわからない。斎藤がはじめからあきらめているように感じるからだろうか?
最初は無表情で恐ろしかった斎藤だが、人となりを知っていけば心根はとても優しく誠実な人だということを千鶴はわかっている。
それなのに、世間一般での幸せを求めようとすらしていないのがさみしいのだろうか?

斎藤は結局千鶴の問いには答えなかった。
驚いたような表情で千鶴をしばらく見つめ、ふと視線をはずして『行くか』と言っただけだった。
そのあとは少し気まずかったが、昼頃にはもういつも通りに普通に話すようになった。だが、千鶴の心にはわだかまりがのこっていた。
謝りたいが、もう斎藤はあの話題には触れたくないと思っているかもしれない。蒸し返してしまうようでいまさら謝るのもおかしいように感じる。
千鶴は眠れないまま寝返りをうった。
早く寝なくては。明日はかなり厳しい山越えがある。しかも次の宿場はその山の向こうにしかない。そのため朝も早くから出るし斎藤からもよく体を休め、按摩でも頼んで疲れをとっておくようにと言われているのだ。

もう考えるのはやめよう!

千鶴はぎゅっと目をつぶると、布団に深くもぐった。



一方斎藤も、別の部屋で眠れないまま部屋の明かりとりの窓から宿の裏庭をぼんやりと眺めていた。

『斎藤さんとならつらい思いをしてもいいって思う人だったとしてもお嫁さんにはもらわないんでしょうか?』

千鶴の問いと彼女の表情は、思いもかけないもので斎藤は驚いた。
何と答えればいいかわからず、あの場は答えずにすませてしまったが……
妻、子供、幸せな日常……
武士という身分に生まれそれにこだわって生きることを決めた時から、そのようなものとは決別した。女っ気のない日々。血なまぐさい力と陰謀の只中で、自分の力をためし隊のためにつくすことに不満はない。

だが……

斎藤は旅にでてからの日々をふと思う。
隣にはいつも千鶴の明るい笑顔。
美しい景色。珍しい食べ物にそれに驚く彼女。くるくる変わる表情。『斎藤さん』と呼ぶかわいらしい声……
今日は楽しくて、明日もまたきっと楽しいだろう。変な男たちがつけてきているという心配はあるし、京の新選組も気になるが、なんというか……毎日に張りがあるというか、こういう毎日ならば心配も苦労も楽しいというか。
だが、だからどうだというのだ。千鶴は親元に帰るのだ。そしてそこで多分良縁に恵まれほかの男と夫婦になるのだろう。綱道の身分と現在の状況なら、相手は西国のその藩の武士だろう。
そこまで考えたとき、斎藤の胸の奥がチリッと鈍く傷んだ。
だがしかし冷静に考えて、明日をも知れず正式な幕臣でもない新選組の三番組組長の妻になるよりはよほどいい。
そこまで考えて、斎藤はフッと笑った
「何を考えているのだ、俺は。そもそも千鶴が俺の嫁になりたいと言っているわけでもないのに」
もう寝るか、と立ち上がった時、中庭の奥で何かが動くのが見えた。
刀を手に取り斎藤は壁に隠れて庭の様子をうかがう。
そこでは二人の男が気に隠れるようにして何事かを話していた。

あいつらは……

前の宿場で見た、例の目つきの悪い四人組の中の二人だ。二人は特に何をするわけでもなくあたりをうかがい少し話した後、また別れて中庭からはいなくなる。
「……」
斎藤は何事かを考えるような表情でしばらく中庭を見つめていた。



「あら、あんたたち……」
「あ、あの時の……」
宿でのあわただしい朝、草鞋を履き荷物をまとめている入口のあたりで声をかけられた千鶴は、その声の主を見て目を瞬いた。
「神社で会った方ですよね?」
その女性たちはほかに中年の男性や青年やさらに年配の男性やら女性やらの総勢十人くらいの集団のようだった。
「そうだよ。同じ宿だったんだね。あんたたちもこの先の峠を越えるのかい?」
「はい。険しいって聞いてますので朝早くに立とうと思って」
「そうか。わたしらもだよ。山を越えた向こうの宿場で簡単な市を開く予定だから、何かほしいものがあれば買いにおいで。お互い気を付けて行こう」
元気にそういうと、行商人の集団はがやがやと出ていった。それを見送った千鶴は、後ろに誰か立ったのに気づいき振り向く。
「斎藤さん。おはようございます」
斎藤はそれには答えず、険しい顔で聞いた。
「誰と話していた?」
「え…あ、あの、すいません……。昨日神社で会った人たちがここにもいたので……」
斎藤は思い出すように蒼い目を細めた。
「神社で?」
「はい、石の積み方を押してくれた女性の……」
「他にはいなかったか?」
遮るように聞かれて、千鶴はおどおどと答える。
「ほかには?……って挨拶した人がですか?いえ、その女性とその人たちのお連れの方だけです」
「……そうか」
そう言うと、斎藤は何かを確認するようにぐるりとあたりを見渡し、千鶴に『行けるか』と聞いた。
「はっはい!すぐに準備します!」
千鶴は慌てて履いている途中だった草鞋を履いた。


峠のふもとまでの道中、斎藤はあまり口をきかなかった。空は千鶴の気持ちと同じくらいにどんよりと曇っている。そういえば雨が降るかもしれないと、宿やの主人が言ってたっけ……
昨日の神社に行く前に比べると天気も、千鶴の気持ちも、斎藤の表情も雲泥の差だ。険しい顔をして歩く斎藤に、千鶴は話しかけられなかった。

神社であんな質問しちゃったから……だからなのかな

速足の斎藤は、最初は二人で並んで歩いていてもしばらくすると自然に前になってしまう。しかし千鶴が小走りになる前に必ず、立ち止まって振り返ってくれる。
そうやって自分を待っていてくれる斎藤の様子が、千鶴はなぜか好きだった。
だが、今日はこれ以上迷惑をかけたくない。それにただでさえ厳しいと聞く峠越えだ。急がなくては。
千鶴はいつもよりも速足で斎藤の後を歩いた。


「少し休むか」
斎藤は先に茶屋ののぼりが立っているのを見てそう言った。
「はい」
千鶴は少しほっとして、先の茶屋を見る。
「大丈夫か?」という斎藤の問いに、千鶴はうなずいた。
「はい。御迷惑にならないよう頑張ります」
真剣な表情でそういう千鶴に、斎藤は面喰ったような顔をした。
「迷惑などと……それが俺の仕事だ。きついようなら遠慮なくいってくれ」
茶屋に入り握り飯とお茶を頼んでいると、外から男たちが入ってきた。斎藤の目が鋭く光る。
あの男たちだ。目つきの悪い四人組。
誰かを探すように茶屋の中を見渡し、斎藤と目が合う。男四人はそのまま外に座った。
斎藤は茶を飲みながら考える。
これは自分たちが目をつけられているのは確実だろう。

四人か……

普通に向ってくる分には問題ないだろうが、今は千鶴がいる。それに待ち伏せや寝込みを襲われたら防ぎようがない。目的がわかればまだ対処することもできるのだが。こちらから一度牽制するか?
千鶴を安全なところに置いて斎藤一人で四人組と対峙をし、うかつに手を出すなと思い知らせることもできる。だが、金取りや女目当ての輩ならそれでもいいが、不逞浪士、さらには志士だとしたらやっかいだ。最悪もっと人数が出てくる場合がある。そしてその場合は多分斎藤が新選組の三番組組長だと知っての上だろう。だとすると、自分の戦いに千鶴を巻き込んでしまうことになる。
千鶴を無事に送り届けるという今回の任務から考えると、その事態は避けるべきだ。気を抜かずに臨機応変に対応するしかない。

斎藤がそんなことを考えている間、千鶴は斎藤に判らないように自分のふくらはぎをさすっていた。
斎藤にはとても言えないし言うつもりもないが、足が痛い。けがをしたり傷めたりしているわけではないのだが、硬くなりパンパンに張れているのだ。

歩けないくらい痛いわけじゃないし……大丈夫だよね。

斎藤がよくほぐしておくようにと言ったのはこれだったのだ。
「千鶴?どこか痛いのか?」
斎藤の問いに、千鶴は慌てて首を振った。
「いえ!大丈夫です」
斎藤はじっと千鶴と見た。
「無理をすることはない。何か問題があるようなら今行ってくれ。峠を越える前だから宿場にもどるなりなんなり対処はできるが」
「いいえ、大丈夫です、本当に。心配かけてすいません」
昨日神社で斎藤の気持ちにずかずか入り込み、さらに斎藤の隊務の足手まといにはなりたくない。
千鶴は痛む足をかくして、笑顔でそういった。


峠は、言われていた通りとてもきつかった。
岩が変なタイミングであちらこちらにあるせいで歩くリズムが狂い、歩きにくい。最近土砂崩れがあったとのことで、倒れた木をよけたり石をよじ登らなくてはいけない場所もある。先を行く斎藤がのばしてくれた手につかまり、千鶴は必死で登った。
千鶴の息は自然とあがり、ただでさえ痛かった脚も重くなる。最初のころは休憩の旅に脚をさすったり軽くもんだりしていたが、今はもう触れないくらい痛くなっていた。
「大丈夫か?」
はた目にもへばって見えるのか、斎藤が菅笠を少し持ち上げ顔を覗き込んできた。
「はあ、だい……だいじょう、ぶです……」
「少し休むか。水はまだあるか?」
首を横に振った千鶴に、斎藤は自分の竹筒を差し出す。
「あそこの石のあたりでいったん休むとしよう」
そう言われて一瞬気が抜けたのだろうか、千鶴の脚がもつれた。
「あっ」
転びそうになった千鶴を斎藤が手を伸ばし支える。「どうした?」
転びそうになったときに思わず足をかばってしまったことに気づいたようで、斎藤はそういうと千鶴の脚を見た。
「けがをしたのか?」
「だっ大丈夫です!」
触られないように後ずさろうとしたとき、急な動きにとうとう脚が悲鳴を上げた。
「あっいたい…っ」
思わずかがみこんでかばうようにした千鶴を見て、斎藤は眉をしかめた。
「どうしたのだ。見せてみろ」
抵抗する暇もなく、転んだ千鶴の脚を斎藤がとった。そして少し触れただけでもわかる筋肉の硬さに斎藤の眉間のしわはさらに深くなった。
「ひどいこわばりようだ。なぜもっと早くに言わなかったのだ」
斎藤の厳しい口調に、足の痛みや昨夜の睡眠不足、昨日の神社での出来事がごちゃごちゃと絡み合い、千鶴の目にジワリと涙がにじみ出てしまった。
また迷惑をかけてしまった。

足手まといになりたくなかったのに。斎藤さんの邪魔にならなければ、斎藤さんの困るようなことを言わなければ、斎藤さんの脚の速さに追いつけたら、そうしたら。

でも今泣くのは一番斎藤に迷惑をかけると、千鶴は声をあげて子供のように泣きたくなるのをぐっと我慢しにじみ出た涙は瞬きでごまかす。
「すいません……でも、大丈夫です。峠は頑張れば越えれます。今夜の宿ではたっぷり揉んでほぐすので……」
「もう日もずいぶん傾いている。この足では日が落ちる前に次の宿場までは行けないだろう。それに……」
斎藤はそういうと空を仰いだ。その頬にぽつりと雨の滴が落ちる。

「もうすぐ本格的に降り出すだろう。途中の休憩小屋で今夜はすごすしかないな」




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