【三番組組長道中記 4】
次の日は晴天だった。
「わあ!海が見えますよ!斎藤さん!」
弾んだ千鶴の声に斎藤が顔をあげると、キラキラと陽光を受けて輝く海をバックにこれまたまばゆいばかりに輝く千鶴の笑顔。
「ね?きれいですよね!」
「ああ、きれいだな」
海のことか千鶴のことか自分でもよくわからないが、実際どちらもきれいなのだから問題ないだろうと斎藤はもう開き直った気持ちで思った。
まぶしくないはずと思ってみるから眩しくて目をそらしてしまうのだ。最初からまぶしいものだと思ってみていれば特に問題はない。
剣の道の極意と似たようなものだ。決して油断することなかれ。
剣の修行がこんなところにまで役に立つとは思わなかったが。
街道の脇にはところどころ近所の農民や商人が店をだしているし、休憩処まであるところもある。
斎藤は東海道で慣れていたので特に驚かなかったが、千鶴はいちいち感動したり喜んでいる。
「江戸から京に上るときはどうしていたのだ」
今日は徒歩の千鶴に、つれづれに斎藤は聞いた。
「一人でしたし子供でしたし男装してましたし父様が心配でしたし……こんな楽しむ余裕なんてなかったです」
「……そうだろうな」
若い女子の身で一人旅など普通なら思いつきもしないだろう。
「あんたは……おとなしいように見えて勇敢なところがあるからな。無鉄砲というか」
「そ、そうでしょうか」
千鶴は驚いたように眼を丸くした。斎藤は微笑みながらうなずく。
「そうだ。新選組でも結局はすっかりなじんで皆と仲良くやっていただろう」
「それはみなさんいい方ばかりだったからです。変かもしれないですけど、お世話になっていた間はいろいろ勉強になったし楽しいこともたくさんありました。江戸でじっと一人で待っているよりもいろんなものを見れたし、こうやっていろんな場所に行くことができて楽しいんです」
そういった後、千鶴は「あっ」と言葉を切った。「す、すいません……大事な隊務なのに楽しいなんて……」
「いや」
斎藤はそういうと、眩しい海の方へと目を向け深呼吸をした。
「俺も楽しい。一人旅とはまた違うものだな」
一人の時はただひたすら体力の限界まで歩き、歩くために食事をし、体力をとりもどすために睡眠をとるだけの毎日だった。それと比べれば、千鶴との旅は楽しい。
なぜだろうか、と斎藤は考える。
千鶴がいろんなものを見て興味を持ったり楽しそうにしているからだろうか?だが、平助と旅をしたことがあるが、平助もあれやこれやと要らぬ興味をもって寄り道をしていたが、特に楽しいとは思わなかったが……
そこまで考えて、斎藤はこれ以上考えるのはやめることにした。
この旅で学んだことの第二は、やっかいなことになりそうなことは考えるのをやめる、ということだ。要するに千鶴はいい旅の道連れだということにしておけばいい。
旅というのは本当に勉強になるな。
斎藤はそう思いながら、まぶしい陽光に目を細めた。
「斎藤さんも楽しいって言ってくださって嬉しいです。私、ちょっとはしゃぎすぎちゃっててご迷惑かと反省していたんです」
「いや、迷惑などではない。先ほどお前が言って食べてみた団子もちもうまかった。一人だったらたべなかっただろう」
先ほどの峠の茶屋の店先で焼いている団子に千鶴が興味を惹かれているようだったので、『食べるか?』と誘い、二人で食べてみたのだ。
「香ばしくてうまかった。それに中に何か……歯ごたえのある実が入っていたな」
「あれ、おいしかったですよね。京では食べたことないです」
「ああ、確かに。田舎ならではということなのだろう」
そんな話をしながら街道を歩いていくと、横の脇道から人が次から次へとやってくるのが見えた。
「……なんでしょうか?」
「水場でもあるのかもしれんな」
斎藤が通りすがりの人に聞いてみると。
「この先の山の上に神社があるんですよ。霊験あらたかってんでこの周辺の人たちは毎月十日にはお参りさせてもらってるんです。あたしゃあ娘のために今日はお参りに来たんですけどね」
裕福な農家のおかみさんらしき女性は、そういうと愛想よくお辞儀して去って行った。
「……行ってみるか?」
行きたそうに、急に小高く盛り上がっている小さな山の方を見ていた千鶴に、斎藤はそう言った。
「いいんですか?」
ぱっと輝いた千鶴の顔に、眩しさに対する耐性のできた斎藤は微笑んでうなずいた。
「ああ、旅の安全を祈ってこよう。京ではできなかったからな」
それに少し時間を置きたい気になることもあった。
昨夜の宿の飯処で、斎藤は妙に目つきの悪い男たちが自分たちを見ていることに気が付いていた。
その場にいたのは4人。皆旅に汚れた格好だったが、二本差しだった。同じ二本差しで女づれの斎藤が気になっただけなのか、小ざっぱりした格好の斎藤達が金を持っているとふんだ金銭狙いか、それとも若い娘である千鶴か、いや、斎藤の顔を知っている新選組に恨みでもあるものたちなのかも知れない。
なんにせよ、鋭い目つきが気になった。
その男たちが、後ろにいる。適度な距離を置いて。
同じ方角へ向かうのだし、泊まる宿場が同じなら旅が終わるまで同じ日程で顔を合わせることも多いのだが、斎藤達の進む速度は一般の男の旅人よりはかなり遅い。それなのに抜かさず後ろにいるというところが斎藤は気になっていた。
神社によるために街道をいったん離れしばらく時間を置き、あいつらの後ろについた方がいい。そうすれば次の宿場町がたとえ同じでも宿を離すこともできる。
「ああ、いい天気だし次の宿場はそれほど遠くはない。行ってみよう」
小高い山の斜面にある急な石段を登っていくと、山のほぼ頂上に結構な大きさの神社があった。
のぼりや旗が飾られ、丁寧に手入れされていることから見ると、参拝客も多いのだろう。特に祭りでもないし十日でもない今日も、境内にはお参りに来たらしい人があちらこちらにちらほら見える。
正面にある拝殿に向かって手を立たたき、二人で旅の無事を願う。と、拝殿の脇に赤い紐で区切られた場所があり、そこに石が山積みになっているのに千鶴が気付いた。
捨てられてるというわけでもなく、ちゃんと石を置くようの棚が用意されており、そこにわざと積まれている。
「……これ、なんでしょうか?」
千鶴がそういうと、斎藤も首をひねった。
「何か……みくじのようなものだろうか?」
石を見ながら考えている二人の横に、石を持った女性が一人やってきた。「ちょっとごめんなさい」との声に斎藤と千鶴が脇によると、その女性は持っていたこぶしほどの大きさの石を、慎重に棚の上に置く。その後ろからやってきたもう少し年配の女性も手に石を持っている。
すでに積み上げられている石の上に転げ落ちないようにそっともってきた石を置き、置いた石が安定したのを見ると、女性はほっとしたように一歩下がった。
それを見て、千鶴が「あの……」とこの山積みの石について聞いてみる。
「その石、どこから持ってきてるんでしょうか?願掛けなんですか?」
千鶴と斎藤の二人を見たその女性は「ああ!」となぜか楽しそうな顔をして、「こっちですよ」と案内してくれる。
千鶴と斎藤は顔を見合わせ、とりあえずその女性についていった。拝殿の裏に案内されていってみると、なるほど、先ほどの棚に山積みされていたような手ごろな大きさの石がゴロゴロと転がっている。
「これを拾うのよ、ああ、二人ともね」
言われて斎藤と千鶴はそれぞれ適当な石を一つ拾った。女性は再び先ほどの石が山積みになっている場所へと二人を連れて戻る。
「それでね、ここの棚の上に置くの。転がり落ちないようにできるだけ平らな場所を見つけてそーっとね」
先ほどいたもう少し年配の女性もその女性の連れのようで、千鶴たちに置き方のアドバイスをしてくれる。
「自分の石が落ちなかったとしてもそのあとに上に他の石を載せられたせいで自分の石も転がっちゃうこと困るだろ?だからもう自分の石を置いたらいっぱいになるような場所を選ぶのがこつなんだよ……ああ、でもあんたたちは二人だから二つの石を重ねてしまうのもいいかもしれないね」
斎藤と千鶴は目を見かわし、「じゃあ……」と斎藤が選んだ場所に、下に斎藤の石、上に千鶴の石になるようにそーっと手を伸ばす。二人が石を置いていると、女性が言った。
「そうそう。そしてね心の中で願をかけるの。この人と添い遂げられますようにってね」
女性の言葉に斎藤はうなずいた。
「なるほど、やはり願掛け用の石なのだな。この人と添い遂げ………」
「添い遂……え?」
二人して固まり目を見開く。
「え?これって……」
千鶴がすでに積み上げられた斎藤と千鶴の石を指さしてその女性に聞くと、その女性は大きくうなずいた。
「そうよ。ここは有名な縁結びの神社なの。御利益があるといいわね〜!」
「……」
「私は旦那に先立たれてね、またどこかに良縁がありますようにって石を積んだのよ。そのまま石が崩れなかったら願掛けは成功なの。あなたたちも幸せにね〜」
「あたしは親戚の行き遅れの娘の代わりにね。あたしたちは行商でこの街道をよく行き来するからこの神社にはお世話になってるんだよ。どこかで見かけたらなんか買っておくれ。じゃあ下にほかの仲間を待たせてるから」
女性二人はにぎやかにそういうと、軽く会釈して立ち去った。
「……」
見送った後の沈黙がつらい。
千鶴がちらりと斎藤を見上げると、斎藤も気まずそうな表情だ。うっすらと目じりが赤くなっている。
「あの……すいません」
「いや、あんたが謝ることではない」
斎藤が積まれた石に目をやったので、千鶴も見た。このままでは……
「えっと、これ……崩しましょうか?」
「……いや、しかしそれもどうなのだろうか。願掛けとして成立してしまっているのにわざと崩すなどと……」
「えっ?い、いいんですか?このままで?」
「そっそうか。俺は気にしないが、お前は今後良縁があるだろうしな」
「え……えっ、えっ?きっ気にしないって……それって、それって……」
千鶴は頭にどんどん血が上っていくのを感じた。縁結びの願掛けがそのままに願をかけ続けていても気にしないということなのだろうか。と、いうことはつまり斎藤は……?
千鶴のみるみるうちに赤くなっていく顔を見て、斎藤は自分の言ったセリフの意味にようやく気が付いた。
「いやっ違うのだ。そういう…そういう意味ではなく、だな。その、俺は神仏なぞそれほど信じていないし今後妻をめとることもないだろうから、放っておいてもかまわないという意味だ」
「あ、ああ……そうですか。そうですよね」
千鶴はほっとしたものの、ちょっと残念なような気がした。いや、ちょっととというよりも……残念な気持ちの方が大きいような気がするのは気のせいだろうか。
『今後妻をめとることもない』
どうしてかな?新選組の幹部のみなさんの中には外に家をもって奥さんもいる人もいるのに?
斎藤さんならお嫁さんになりたいっていう人、いっぱいいると思うんだけどな。
「まあ、一旦神の側へ置いた石を再び取り戻すというのも失礼な気がするし、そういうわけで満願成就ということはあり得ないのだからこのままでいいのではないか?」
石を置きたい他の参拝客が来たので、斎藤は一歩下がって千鶴にそう言った。
千鶴も、自分が積んだ石を見てからうなずく。
「はい。じゃあ……」
二人で石段を下りながら、千鶴はもやもやと考えていた。
斎藤に聞きたい。どうして結婚する気がないのだろうか?斎藤は武士の出だと聞いた。ならば跡継ぎの必要もあるのに……。あ、もしかして国に婚約者がいるとか……?
考え出すとますます気になる。
千鶴は思い切って聞いてみた。
「あの……妻をめとらないって、なんででしょうか?」
斎藤は千鶴の唐突な質問に驚いたようだった。
「何?」
「さっき、願掛けの石の時に『妻をめとるつもりはない』って……。どうしてですか?近藤局長もそうですけど新選組も奥さんがいらっしゃる方、幹部には結構いますよね。なのにどうしてかなって……」
しばらく斎藤は何も言わなかった。
急な石段を三段ほど降りて、斎藤は口を開く。
「……以前あんたには一度話したことがあると思うが……俺は人を殺しすぎている」
千鶴は思い出した。
『敵も味方も数えきれぬほど斬り殺してきた。ならばおれもいつか戦いの中で死ぬだろう。それが因果というものだ』
「だから……だから奥さんを…?」
千鶴が斎藤を見上げると、斎藤はうなずいた。
「俺のような男の妻になってもつらいだけだろう」
「そんな……」
千鶴はうまく考えがまとまらなかったが、それは違うような気がした。
女の人は、この人と一緒になったらつらい思いをしないだろうと思うから結婚を承諾するのがふつうなのだろうか?それはもちろん幸せになりたいとは思うだろうけれど……
「私は……私、まだお嫁に行ったことがないのでわからないんですけど…この人とならつらい思いをしてもいいって思えるからお嫁に行くんじゃないでしょうか」
「何?」
「それに、斎藤さんはどうなんですか?斎藤さんとならつらい思いをしてもいいって思う人だったとしてもお嫁さんにはもらわないんでしょうか?」
突然の質問に驚いた様子で斎藤は立ち止まる。
千鶴も石段の上で足をとめ、まっすぐに斎藤を見た。
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